私の理解は次の通りです。
* 現実の知覚 = 錯覚(エゴによる)
* 現実の洞察 = 現実(目覚めた意識による)
デヴィッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依存する」と言いました。ですから、全ては「私たちが誰であるか」に依ります。私たちがエゴ(独立した自己)なら、私たちは考えており、私たちが見るものは私たちの心の投影、即ち幻想です。一方、私たちが目覚めた意識(非分離自己)なら、私たちは考えておらず、あるがままの現実に直接触れることができます。言い換えれば、私たちは主体と対象間で区別をせずに、現実と一つになるということです。
仏陀は、自分が知覚するものに騙されないようにと、私たちへ助言しました。仏陀は、「知覚があるところには、騙しがある」と言いました。仏陀はまた、私たちの知覚のほとんどが誤っており、私たちの苦しみのほとんどは誤った知覚から来ていると、多くの場面で教えました。そして、誤った知覚はエゴの思考(脳)によって引き起こされるのです。
デヴィッド・ボームはまた、「意識はお金よりはるかに重要である。意識の変化が不可欠である」と言いました。その通りであり、私たちはたったの吸う一息で、意識をエゴから目覚めた意識へ変容することができます。そして私たちは、仏陀やティク・ナット・ハンのように、マインドフルネス、集中、洞察を通して、常に目覚めた意識(潜在意識)であり得ます。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
デヴィッド・ボーム