引用:
息を吸って、これが吸う息であることを、私は知っています。
息を吐いて、これが吐く息であることを、私は知っています。
(吸う息を楽しみ、吐く息を楽しんでいる)
息を吸って、私が生きていることを、私は知っています。
息を吐いて、私の中と周囲の生命に私は微笑みかけます。
(生きている、生命に微笑みかける)
息を吸って、多くの緊張が私の体の中にあることに、私は気付いています。
息を吐いて、私の体から全ての緊張を、私は解放します。
(体に気付いている、体の中の緊張を解放する)
息を吸って、私の体の各細胞にまだ生きている、精神的祖先と遺伝的祖先に、私は気付いています。
息を吐いて、私の中に生きている、私の全ての祖先に、私は微笑みかけます。
(私の中の祖先に気付いている、祖先に微笑みかける)
:引用終わり
(解説)
エゴ(独立した自己)は、これが吸う息、または吐く息であることを知ることができません。唯一、目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)だけが、それを知ることができます。ですから、目覚めた意識は吸う息と吐く息を楽しむことができるのです。自分が、これは吸う息、または吐く息であると知ることができる時、自分は目覚めた意識です。ですから、エゴから目覚めた意識への自己変容が、この初期段階において達成されなければなりません。
エゴは生命の奇蹟に触れることができませんので、自分が生きていることを知ることはできません。唯一、目覚めた意識だけが生命の奇蹟に触れることができますので、自分が生きていることを知ることができます。ですから、目覚めた意識は、自分の内面と周囲の生命に微笑むことができるのです。自分が精神的に生きているから、目覚めた意識は常に楽しく幸せです。
エゴはマインドフルではありませんので、体と体の緊張に気付けません。唯一、目覚めた意識だけがマインドフルですので、体と体の緊張に気付けます。ですから、目覚めた意識は苦痛を抱きしめることを通して、体から全ての緊張を解放できるのです。目覚めた意識は、停止、休息、沈静、癒しを通して肉体的な苦痛を軽減できます。
エゴは独立した(自性)自己ですので、体の各細胞内でまだ生きている遺伝的および精神的な祖先に気付くことはできません。唯一、目覚めた意識だけが独立していない(無自性)自己、即ち無我ですので、体の各細胞内でまだ生きている遺伝的および精神的な祖先に気付くことができます。ですから、目覚めた意識は自分の中で生きている全ての祖先に微笑むことができるのです。目覚めた意識はあるがままの現実を映し出すことによって、現実の本質に触れることができます。目覚めた意識は、歴史的次元と究極の次元(涅槃)を同時に生きることができます。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
ティク・ナット・ハン