鍵となるメッセージは以下の通りです。
* ここで座禅を組むことは、仏陀になるために菩提樹の下で座禅を組んでいるようなものです。
* 外観では、あなたは見習い僧が座禅を組んでいるのを見ますが、見習い僧の内面では何かが起こっています。座禅を組むことのマインドフルネス(念)。
* あなたが直立して座禅を組むと、あなたの脊柱は非常に直立しますが、硬直してはいません。非常にリラックスしています。
* あなたは自分の体を強制することなく、そこに居させてあげます。
* あなたは呼吸に気付きます。あなたの全身に調和をもたらすような方法で、息を吸い込み、吐き出します。
* あなたが軽く微笑むなら、それは座禅中の完全なリラクゼーションのためでもあります。
* あなたは全てをリラックスさせ、休憩させてあげます。
* これは競うことではありません。これは戦いではありません。これは、あなたが座禅を楽しむための開かれた機会です。
* もちろん、あなたはクッション(坐蒲)のようなものを選択し、少なくとも20分か30分座禅を組めるように、クッションを持ち運びできるようにしておく必要があります。あなたが正しいクッションを持っているなら、それをキープしてください。他人に持って行かさせないようにしてください。クッションにあなたの名前を入れてください。
* あなたの脊柱は、あなたの頭を一直線にしながら、非常に直立していますが、あなたは完全にリラックスしています。あなたは全てを手放します。
* あなたの吸う息と吐く息は、あなたの心と体を調和させるためです。あなたは、あなたの心をあなたの体へ連れ戻します。あなたは、あなたの体をあなたの心へ連れ戻します。あなたの呼吸はとりなしのようなものです。それは、二者(心と体)間の絆のようなものです。数回、そのように息を吸って、吐いて、あなたは自分自身を座禅の完璧なポジションへと導きます。
* そして今、これが私の座禅を楽しむ時間だ、とあなたは言います。なぜなら、もしあなたが座禅を楽しんでいないなら、それ以降のことが可能ではなくなるからです。少なくとも、私たちは座禅を楽しむことができなければなりません。
* あなたは、今朝私たちが最初のディアーナ(初禅)はまだ思考を有していると学んだことをご存知です。ですから、最初は思考が許されていますが、あなたは喜びと幸せを得る必要があります。もし、喜びと幸せがないなら、そして集中がないなら、それは座禅ではありません。あなたが適切に座禅を組むなら、あなたは最初のディアーナ(初禅)に入ります。
* 喜びは、自分の心配を手放すことができるということを保護できることを私たちは学びました。あなたは、今こそ自分が自由になるべき時であることを知っています。もし、あなたが自分の問題や困難、怒り、疑いを身につけているなら、座禅を楽しむことは可能ではなくなるでしょう。
* まず最初にあなたがしなければならない事は、座禅を楽しむことです。放棄から、そして集中から生まれる喜びと幸せ。そして、あなたが集中するのを助けるために、あなたの呼吸がそこにあります。
* まず、あなたの呼吸に集中してください。
息を吸って、私は穏やかさを感じます。
息を吐いて、私は微笑みます。
息を吸って、私はくつろぎを感じます。
息を吐いて、私は幸せを感じ、自由を感じます。
* 座禅は座禅です。それはお茶を飲むようなものです。あなたはお茶を飲むために、時間を有しています。平和と喜びと安定が可能であるような方法で、お茶を飲むということです。座禅も同じです。
* 座禅は、あなたにとっての好機であり、機会です。ですから、形式としてはやらないでください。座禅を完璧にやってみようとしてください。なぜなら、私たちの時代の人々は、座禅を組んだり何もしないといったリラックス方法を持っていないからです。
* 1日2回座禅を組むことは御馳走です。ですから、楽しもうとしてください。自由になるために座禅を楽しむことを学んでください。座禅は安定をもたらし、平和をもたらし、楽しさをもたらすとあなたは感じますので、多くを行う必要はありません。座禅は既に栄養満点です。
* 深く観る実践、つまり無常の本質、無我の本質、涅槃の本質を観ることは、その基礎に基づいて行われます。基礎とは、滋養のことです。ですから、常にあなたが益々達人になるように、あなたの日常生活の瞬間瞬間を巧みに扱う方法を探究してください。
* あなたが滋養を与えられ、一層良い気分なら、あなたは微笑むことができ、楽しくなれます。あなたは既にサンガ(実践者共同体)の正の要素になり始めました。そして、サンガへのあなたの貢献は非常に貴重になるでしょう。
(解説)
座禅は喜びと幸せのためであり、煩悩や苦しみを引き起こす競争のためではありません。ですから、分離、差別、即ち二元性を引き起こす思考を停止する必要があります。何もしないということは、思考を停止することを意味します。非思考は、目覚めた意識を復活させ、生命の奇蹟と現実の本質に触れるために不可欠なのです。私たちが対象と一つになることによって、究極の真理を理解した場合にのみ、全ての概念を投げ捨て、完全な悟り、即ち涅槃を得ることができます。
(参考)http://www.lionsroar.com/thich-nhat-hanh-sit/
http://tnhaudio.org/2016/03/01/geese-flying-south/
ティク・ナット・ハン