誤解を避けるために、私は概念に基づいていない「考え」、「思考」を「洞察」と呼んでいます。洞察とは、言い換えれば、正見(正しい見方)、智慧、即ち理解のことです。ですから、もし私たちが洞察を通して苦しみの根本原因を理解するなら、愛と思いやりを発生させることができるのです。もし、私たちがマインドフルで集中しているなら、常に洞察を得られます。
ですから、もしその思考があるがままの現実を見て映し出した副産物なら、私はそれを洞察と呼びます。言い換えれば、もしその思考が感情や知覚(頭の中の一連の概念)を通過することなく、感覚(五感)に直結しているなら、私はそれを洞察と呼びます。(実際にこの直接思考のケースにおいても、ティク・ナット・ハンはまだ「考え」、「思考」という言葉を使用していますが)
とにかく、この世界は私たちの心の対象、つまり心の投影のために私たちの心そのものです。ですから、私たちの心が穏やかで澄み切っているか否かが鍵です。もし、私たちの心が穏やかで澄み切っているなら、あるがままの外部の現実を映し出すことができ、あるがままの内面の現実を見通せます。しかし、もし私たちの心が穏やかで澄み切っていないなら、あるがままの外部の現実を映し出すことができず、あるがままの内面の現実を見通せません。ですから、私たちは心を止め、心を浄化する必要があるのです。
(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
洞察のイメージ
思考のイメージ