引用:
ある日、仏陀が村を通って歩いていたと言われています。大変怒った無礼な若い男がやって来て、仏陀を侮辱し始めました。 「お前には他人を教える権利はない」と、若い男は叫びました。 「お前は他の誰もと同じくらい愚かだ。お前は偽者に過ぎない!」
仏陀はこれらの侮辱に腹を立てませんでした。それどころか、仏陀はその若い男に、「教えてください。誰かに贈り物を買って、相手がその贈り物を受け取らなかったなら、その贈り物は誰のものですか?」と尋ねました。
若い男はそのような奇妙な質問をされて驚き、「俺が贈り物を買ったのだから、それは俺の物に決まっているだろ」と答えました。
仏陀は微笑んで、「その通りです。そして、それはあなたの怒りについても全く同じです。あなたが私に怒って、私が侮辱されなければ、そうしたら怒りはあなたに逆戻りします。すると、不幸になるのはあなただけであり、私は不幸にはなりません。あなたがしたことは、自分を傷つけるだけです。」と、言いました。
:引用終わり
上記の物語は、以下の「アッコサの物語」に基づいているかもしれません。
引用:
アッコサの物語
仏陀はこの侮辱の集中砲火に微動だにせず、ただお返しに以下の質問をしました。
「あなたは時々、客として訪問者を受けますか?」
「ああ、受けるよ」と、アッコサは返事しました。
「客が来た時、あなたは客に食べ物や飲み物や儀礼を提供しますか?」と、仏陀は尋ねました。
「ああ、時々そうする」と、アッコサは言いました。
「そこで、あなたの客があなたが客に提供したものを受け入れない場合はどうでしょう?食べ物や飲み物や儀礼はどこへ戻りますか? 」
「そりゃ、もちろん私に戻るさ!」と、アッコサは答えました。
「アッコサ、あなたは今日ここにやって来て、私に侮辱と虐待の言葉を吐き出しました。私はあなたが提供したものを受け入れません。そうしたら、これらの侮辱と虐待はどこへ戻りますか?」
アッコサは事態をのみこみました。
:引用終わり
(解説)
もし、上記の物語を深く理解したなら、私たちは怒りから他人に侮辱と虐待の言葉を吐き出すのを止めることができます。なぜなら、そうすることは非常に愚かだからです。誤った思考、誤った発言、誤った行動は、誤ったマインドフルネス(失念)と誤った集中に基づく誤った見方によって引き起こされます。ですから、正見(正しい見方)、正しい思考、正しい発言、正しい行動のために、私たちはマインドフルで、集中していなければなりません。
(参考)https://essenceofbuddhism.wordpress.com/2013/08/01/how-the-buddha-handled-insults/
仏陀、4-5世紀、アフガニスタン