(解説1)
私たちが考える場合、(外部)世界は私たちの心の対象です。そして、私たちの心の対象は私たちの心の投影ですので、私たちの心の対象は私たちの心です。知覚されるもの(客体)は、知覚する人(主体)なのです。ですから、(外部)世界は私たちの心、私たちの心の投影、私たちの知覚、私たちの考え、私たちの思考、即ち幻想です。私たちはまた、自分の内面と周囲の両方で何が起こっているかを瞑想する必要があることに気付かねばなりません。言い換えれば、私たちは考えることなく、自分の内面(本体の世界)だけでなく、外部(現象界)もまた瞑想するのです。
デヴィッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依ります。(中略)意識はお金よりもはるかに重要です。意識の変化が不可欠です」と言いました。
(解説2)
この(外部)世界の説明は、ティク・ナット・ハンとデヴィッド・ボーム(有名な量子物理学者)の間で全く同一です。意識の変化とは、意識内の心行(感情などの精神形成物)の種子の変容を意味すると私は理解しています。簡単に言えば、私たちが不健全な種子を健全な種子へ変容することに成功したなら、私たちは幸せになれるということです。 (私たちはお金では幸せになれません。)なぜなら、私たちの知覚、即ち思考は私たちの感情に基づいているからです。そして、私たちの行動は私たちの思考、即ち意欲(動機)に基づいています。更には、意識の変化とは、エゴ(独立した自己)から目覚めた意識(独立していない自己)への自己の変容を意味すると私は理解しています。なぜなら、エゴは考え、目覚めた意識は考えることなく洞察を得るからです。
シスター・チャン・コーンは、「あなたが穏やかなら、あなたの心は池の静水のようであり、あなたは正確に(鏡の如く)月を映し出すことができます」と、言いました。
(解説3)
池の水面が波打っているなら、水面はあるがままを映し出すことができません。しかし、池の水が穏やかなら、あるがままを映し出すことができます。同じことが私たちの心にも言えます。もし、私たちが考えるのを止めたなら、私たちの心は池の静水のように穏やかになります。すると、私たちの心はあるがままを映し出すことができます。ですから、私たちが考えるのを止める場合にのみ、現実の本質に触れることができるのです。だからこそ、私たちは瞑想するのです。だからこそ、私たちはマインドフルネスを通して目覚めた意識を復活させ、洞察を得るのです。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44349564
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
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