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Wednesday, September 28, 2016

深いメッセージ

次のポッド・キャスト(音源)を0:00~2:05迄深く傾聴してください。
http://tnhaudio.org/2013/11/16/horse-technology/
以下は、ポッド・キャストからの抜粋です。

引用:
(鐘 半音1回 + 全音3回)

「サンガは、呼吸に戻るよう招かれています。マインドフルネスの集合的エネルギーが私たちを生物として一つにすることができるように、川として流れ、もはや分離することなく、サンガ全体が一体として呼吸できるように、一体として詠唱できるように、一体として傾聴できるように、ごまかしの自己の境界を超越し、優越感、劣等感、平等感という強迫観念から解放することによって。」

:引用終わり

(解説)
1. 「サンガは、呼吸に戻るよう(鐘に)招かれています。」

「私たちの呼吸に戻る」とは、自分自身に戻るために「私たちの吸う息と吐く息に注意を集中し、思考を停止する」ことを意味します。ですから、私たちの呼吸が自分自身なのです。言い換えれば、自分自身とは、目覚めた意識、無自性(独立していない)自己、本当の自分、全宇宙、仏陀、即ち神を意味します。

2. 「マインドフルネスの集合的エネルギーが私たちを生物として一つにすることができるように、」 

私たちが自分自身に戻る場合にのみ、マインドフルネスの集合的エネルギーを発生させることができます。そのマインドフルネスの集合的エネルギーは癒し、滋養する非常に強い力を持っています。ですから、私たちは一つの生物になることができるのです。私たち一人一人は、もはや自性(独立した)自己ではありません。私たちは全宇宙として、無自性(独立していない)自己です。

3. 「川として流れ、」 

一滴の水は、川とは非常に異なります。なぜなら、一滴の水は蒸発するかもしれませんが、川は蒸発することなく海へ到達できるからです。ですから、私たちは川として流れる必要があるのです。川とはサンガ(実践のための共同体)を意味します。

4. 「もはや分離することなく、」 

分離とは、一滴の水、即ち自性(独立した)自己を意味します。非分離とは、川、即ち無自性(独立していない)自己を意味します。分離、差別、即ち二元性は煩悩や苦しみの根源です。

5. 「サンガ全体が一体として呼吸できるように、一体として詠唱できるように、一体として傾聴できるように、」 

一体とは、法身(ダルマ体)、宇宙体、即ち全宇宙を意味します。私たち一人一人が無自性(独立していない)自己に戻る時、私たちは一体になることができます。 一体として、もはや分離はありません。全てのことを一体として行うと、全てが肯定的になりますので、調和と力を創造できます。

6. 「ごまかしの自己の境界を超越し、」 

ごまかしの自己とは、自性(独立した)自己、即ちエゴを意味します。エゴは自分を守るために、自他を分離します。私たち一人一人は、分け隔てなく無条件に受け容れられていますので、その境界はもはや必要ではありません。ですから、私たちはその境界を超越できるのです。

7. 「優越感、劣等感、平等感という強迫観念から解放することによって。」 

エゴは、「私は特別、別格」という誤った見方を持っています。それが優越感、劣等感、平等感という強迫観念を引き起こします。一度、私たちがその境界を超越したなら、解放され自由を得ます。この段階で、私たちは一時的な仏陀になることができます。

(メッセージと要望)
戦争、テロ、殺害など全種類の暴力は、人間のエゴによる分離、即ち差別によって引き起こされます。ですから、利己的、傲慢且つ強欲な政治家、テロリスト、殺人者は、世界の平和と幸福のために、エゴから目覚めた意識へと変容される必要があります。ティク・ナット・ハンは仏陀の様に、70年以上もの間、そのような人々を説き、変容を助けることに貢献してきました。今、私はいかなる宗教も使用することなく、いかなる宗教団体に所属することもなく、同じ目的のために同じことを実行することによって、ティク・ナット・ハンを継続したいです。全ては私たち自身の創造ですので、より良い世界へ変えるために、私たちは自分自身を変える必要があります。より多くの仏陀(悟りを開いた人)を育成することが、唯一の解決策となるでしょう。ですから、私は自分の経験と実践に基づく非宗教的な教育を通して、もう一人の仏陀の育成することから始めたい所存です。私のビジョンに賛同して戴ける場合、皆さまの金銭上のご支援を戴ければ誠に幸甚です。ご提案やご質問がございましたら、電子メール(宛先:compassion5155@gmail.com)を送信願います。前もって、皆様のご協力にお礼申し上げます。 土山仁士

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

 「一人の仏陀では十分ではありません」 ティク・ナット・ハン

Tuesday, September 6, 2016

5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) (3)

次の5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)の暗唱ビデオを深く傾聴してください。


< 5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) >

[10:00~]  
(予鈴 + 本鈴)

第四マインドフルネス・トレーニング- 愛に溢れた発言と深い傾聴

マインドフルでない(失念の)発言、及び他の言うことを傾聴できないことによって引き起こされる苦しみに気付いて、私は自分自身と他の人々、民族、宗教グループ、国家の中にある苦しみを軽減し、和解と平和を促進するために、愛に溢れた発言と思いやりのある傾聴を育むことを確約します。言葉は幸福か苦しみを創造できることを知っていますので、信頼、喜び、希望を抱かせる言葉を使って、正直に話すことを私は確約します。怒りが私の中で顕現している時、私は話さないと決意しています。私は自分の怒りを認識し、深く観るために、マインドフルな呼吸や歩行を実践します。怒りの根源は、私の誤った知覚、及び自分や他人のの中にある苦しみの理解の欠如に見つけられ得ることを、私は知っています。自分自身と他人が苦しみを変容し、困難な状況から抜け出す方法​​を理解するのを助けることができるような方法で、私は発言し、傾聴します。私は、確かであることを知らないニュースを広めないこと、分裂や不和を引き起こすこと可能性のある言葉を口にしないことを決意します。私は、理解、愛、喜び、包括性の能力を育むために正精進(正しい精進:選択的水やり)を実践し、徐々に私の意識の奥深くにある怒り、暴力、恐れを変容します。

[05:00~]  
(予鈴 + 本鈴)

第五マインドフルネス・トレーニング- 滋養と癒し

マインドフルでない(失念の)消費によって引き起こされる苦しみに気付いて、私は自分自身、私の家族、社会のために、マインドフルな飲食や消費を実践することによって、肉体的にも精神的にも良い健康を育むことを確約します。私は栄養の4種、即ち食料、感覚印象、動機、(集合)意識を消費する方法を、深く観る実践をします。私は賭博をしない事、酒、薬物、または特定のウェブサイト、電子ゲーム、テレビ番組、映画、雑誌、書籍、会話などの毒素を含むその他製品を使用しないことを決意します。後悔や悲しみに私を過去へ引っ張り戻させることなく、不安、恐れ、渇望に私を今この瞬間から引っ張り出させることなく、私の中と私の周囲にある爽快、癒し、滋養の要素に通ずるために、私は今、この瞬間に戻る実践をします。私は、消費の中に自分自身を見失うことによって、孤独、不安、他の苦しみを覆い隠そうとしないことを決意します。私は相互依存を瞑想し、私の体と意識の中、私の家族、社会、地球の集合的な体と意識の中にある平和、喜び、幸福を維持するような方法で消費します。

[00:00~]
(予鈴 + 本鈴2回で終了)

(おわり)

(解説)
全てはマインドフルネス(念)から始まります。私たちがマインドフルになれば、自動的に5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)を実践できるようになります。ですから、私たちに必要なのは、マインドフルネス(念)を通して目覚めた意識を復活させることだけです。

(Cf.) http://www.coiuk.org/mindfulness-trainings/


ティク・ナット・ハンの書

Monday, September 5, 2016

5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) (2)

次の5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)の暗唱ビデオを深く傾聴してください。


< 5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) >

[20:00~]
(予鈴 + 本鈴)

第二マインドフルネス・トレーニング-真の幸福

搾取、社会的不正、盗み、抑圧によって引き起こされる苦しみに気付いて、私は自分の思考、発言、行動において、寛大さを実践することを確約します。私は盗まず、他に属すべき物を保有しないことを決意します。そして、私は必要としている人たちに私の時間、エネルギー、物的資源を分け与えます。他の幸福と苦しみは、私自身の幸福と苦しみから分離(独立)していないこと、真の幸福は理解と思いやりなしには不可能であること、富、名声、権力、官能的な快楽を追いかけることは、多くの苦しみや絶望をもたらすこと、を理解するために、私は深く観る実践をします。幸福は外部条件ではなく、私の精神的な態度に依存していること、私は既に幸せになるための十分な条件以上を持っていることを単に思い出すことで、今この瞬間に幸せに生きることができるということ、に私は気付いています。地球上の生きものの苦しみを軽減し、地球温暖化のプロセスを逆転することができるように、私は正命(正しい生計)を実践することを確約します。

[15:00~]  
(予鈴 + 本鈴)

第三マインドフルネス・トレーニング-真の愛

性的不品行によって引き起こされる苦しみに気付いて、私は責任を育み、個人、カップル、家族、社会の安全と高潔を守る方法を学ぶことを確約します。性的欲求は愛ではないこと、渇望を動機とする性的活動は常に他人だけでなく、自分自身も害することを知っていますので、真の愛や、私の家族や友人に知らされている深く、長期的な確約なしに、私は性的関係を結ばないことを決意します。私は、子供たちを性的虐待から守り、カップルや家族が性的不品行によって破壊されるのを防ぐために、私の全力を尽くします。心と体が一つであることを理解して、私の性的エネルギーの面倒を見るための適切な方法を学び、私と他のより大きな幸福のために、真の愛の四つの基本要素である、慈しみ、思いやり、喜び、包括性を育むことを私は確約します。真の愛を実践することにより、私たちは未来に美しく継続することを知っています。

(つづく)

(参考)http://www.coiuk.org/mindfulness-trainings/
ティク・ナット・ハンの書

Sunday, September 4, 2016

5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) (1)

次の5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)の朗読ビデオを深く傾聴してください。


< 5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約) >

[30:00~]
(予鈴 + 本鈴3回で開始)

(予鈴 + 本鈴)

5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)は、グローバルな精神性と倫理のための仏教ビジョンを示します。それは、私たち自身と世界を癒し、変容、幸福へと導く、正しい理解と真の愛の道である四聖諦と八正道における仏陀の教えの具体的な表現です。5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)を実践するのは、全ての差別、不寛容、怒り、恐れ、絶望を取り除くことができる相互依存の洞察力、即ち正見(正しい見方)を育むためです。私たちが5つのマインドフルネス・トレーニング(念の五誓約)に従って生きるなら、私たちは既に菩薩道を歩んでいます。私たちはその道を歩んでいることを知っていますので、現在の人生、または将来への恐れに混乱して道に迷うことはありません。

[25:00~]
(予鈴 + 本鈴)

第一マインドフルネス・トレーニング-生命に対する畏敬

生命の破壊によって引き起こされる苦しみを知り、私は相互依存と思いやりの洞察力を育み、人間、動物、植物、鉱物の命を守る方法を学ぶことを確約します。私は私の思考において、即ち私の生き方において、殺さないこと、他に殺させないこと、世界中のいかなる殺戮行為も支援しないことを決意します。有害な行動は、二元的で差別的な思考によってもたらされる、怒り、恐れ、強欲、不寛容から生じることを理解し、私は自分と世界の中の暴力、狂信、教条主義を変容するために、寛容さ、非差別、見方への非執着を育みます。

(つづく)

(参考)http://www.coiuk.org/mindfulness-trainings/

ティク・ナット・ハンの書

Saturday, July 23, 2016

自分の世話の仕方

次の「選択的水やりとトータル・リラクゼーション」に関するティク・ナット・ハンの法話を深く傾聴してください。
http://tnhaudio.org/2016/07/16/selective-watering-total-relaxation/

(解説)
全ては停止(止めること)から始まります。停止は休息、沈静、癒しをもたらします。ですから、最初のマインドフルな吸う一息は私たちが思考を停止し、目覚めた意識を復活させるのを助けてくれますので、非常に重要です。もし、私たちが瞑想中に考え続けるなら、何も始まりませんので、それは時間とエネルギーの無駄です。

私たちが考えている時は、失念(マインドフルでない気が散った状態)で生きています。そして、私たちが考えるのを止めた時、マインドフルネス(心が今ここにあり、体と一つになった状態)で生き始めます。マインドフルな人は、生命の奇蹟に触れ、自分の内面と周囲で何が起こっているかを認識し、現実の本質に触れることができます。逆に、考えている人は同じことができません。実際に、考えている人はただ夢を見ているだけで、あるがままの現実に触れることなく、幻想、即ち自分の心の投影を見ているだけです。それ故に、まず第一に、私たちは停止する必要があるのです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

ティク・ナット・ハン

Friday, June 10, 2016

欺かれた仏教(輪廻転生と儀式)

次のティク・ナット・ハンとのインタビュー記事をご一読ください。http://www.lionsroar.com/be-beautiful-be-yourself-january-2012/

以下は輪廻転生と儀式に関する部分の抜粋です。

引用:
質問:仏教徒になるには、輪廻転生を信じる必要がありますか?

回答:輪廻転生は、あなたの体から出て行き、別の体内へ入る魂が存在することを意味します。それは仏教において大変人気がありますが、継続についての非常に誤った概念です。もし、体に生息し、体が崩壊する時に体から出て行き、別の形(体)を得る魂、自我(エゴ)があるとあなたが考えるなら、それは仏教ではありません。

あなたが人間を観てみると、五蘊、即ち(人間を構成する)要素である形(体)、感情、知覚、心行(精神形成物)、意識を理解します。これら五蘊の外には、魂も我(エゴ)もありません。ですから、(集合していた)5つの要素が解散(溶解)へ向かう時、あなたがあなたの一生の間に行ったカルマ、行動が、あなたの継続になります。あなたがしたことや考えたことは、エネルギーとして依然として存在します。あなたが継続するのに、魂、即ち自我(エゴ)は必要ありません。

それは雲のようなものです。雲が存在しない時でさえ、雲は雪や雨として常に継続しています。雲は、継続するために魂を持つ必要はありません。始まりも終わりもありません。あなたは、継続するためにこの体が完全に溶解するまで待つ必要はありません。あなたは一瞬一瞬継続しているのです。私が数百人に私のエネルギーを伝送すると仮定しましょう。そうすると、彼らは私を継続(継承)します。あなたが彼らを見るなら、(彼らの中に)私を見る、というか、あなたは私を見たのです。もし、あなたが、[自分を指さして]私はこの肉体でしかないと思うなら、その場合あなたは私を見なかったのです。しかし、あなたが私の演説や私の行動の中に私を見る時、あなたはそれらが私を継続していることを理解します。あなたが私の弟子、生徒、本、友人を見る時、あなたは私の継続を見ます。私は決して死ぬことはありません。この体の溶解はありますが、それは私の死を意味するものではありません。私は常に継続します。

このことは、私たち全員に当てはまります。五蘊は常にエネルギーを生み出していますので、あなたは単なるこの肉体を超えています。それはカルマ、即ち行動と呼ばれています。しかし、行為者はいません。あなたは行為者を必要としません。行動だけで十分です。このことは、量子物理学の観点から理解することができます。質量とエネルギー、そして力と物質は、2つの独立した物ではありません。それらは同一です。

質問:儀式で仏教徒になれますか?

回答:いいえ、仏教徒になるのは儀式によってではありません。仏教徒になるのは実践に全力を傾けることによってです。仏教徒は多くの儀式や祭典に捕捉されますが、仏陀はそれを好んでいません。経典では、特に仏陀が悟りを開いた直後の教えにおいては、私たちは儀式をなくすべきであると仏陀は言いました。あなたがただ儀式を行ったからといって、悟りや解放を得ることはありませんが、人々は仏教をひどく儀式を偏重するものにしてしまいました。私たちは仏陀に親切ではありません。

質問:あなたは何が人を仏教徒にすると思いますか?

回答:仏教徒と呼ばれてはいないかもしれない人が、仏教徒の人よりも仏教徒であり得ます。仏教は、マインドフルネス、集中、洞察からできています。あなたがこれらのものを持っているなら、あなたは仏教徒です。そうでない場合は、あなたは仏教徒ではありません。あなたが人を見て、その人がマインドフルで、思いやりがあり、理解があり、洞察力を持ってることが分かると、あなたはその人が仏教徒であることを知ります。しかし、その人が尼僧だとしても、これらのエネルギーや資質を持っていないなら、仏教徒の外見をしているだけで、仏教徒の中身は持っていません。

(解説)
ティク・ナット・ハンの教えは、正真正銘の仏陀の教えである、と私は本当に感じます。そしてまた、輪廻転生と過度な儀式は欺かれた仏教の2つの例である、と指摘するティク・ナット・ハンに私は同意します。チベット仏教は、所謂死亡時に微細な意識が体から離れる、と説いていることを私は知っています。そして驚くべきことに、ティク・ナット・ハンの弟子の一人(法師)ですら「仏陀は、私たち(意識)がこの体を離れる時、私たち(意識)は自分の行動の結果を私たち(意識)と一緒に連れて行くと言いました」、と記述していることも私は知っています。ティク・ナット・ハンが言う通り、それは欺かれた仏教です。体と意識は相互に依存し浸透しています。意識は常に体と一緒にいますから、体から離れることはできません。意識は体から離れて単独で存在することはできません。それが正真正銘の仏陀の教えです。

儀式については、「私たちは儀式をなくすべきである」、という仏陀の言葉に私は完全に同意します。そして、「仏教徒になるのは儀式によってではありません。仏教徒になるのは実践に全力を傾けることによってです。あなたが、ただ儀式を行ったからといって、悟りや解放を得ることはありません」、というティク・ナット・ハンの言葉に私は完全に同意します。「仏教は、マインドフルネス、集中、洞察からできています」、というティク・ナット・ハンの言葉はシンプルですが、非常に説得力があります。

(参考) 
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-40724856
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

Saturday, April 30, 2016

相互依存同盟の14の戒律

相互依存同盟の14の戒律
(最初の14のマインドフルネス・トレーニング)

1.  たとえそれが仏教のものでも、あらゆる教義、理論、イデオロギーをやみくもに崇拝したり(盲目的な偶像崇拝等)、束縛されないでください。仏教の思想体系は導く手段であって、絶対的な真理ではありません。      

2.  あなたが現在持っている知識は不変で、絶対的な真理だとは考えないでください。狭い心になったり、現在の見方に束縛されるのを避けてください。他人の見方を受け取れるように心をオープンにしておくために、自分の見方への非執着を身に付け、実践してください。真理は生活の中に見い出されるのであって、単に概念的な知識の中に見い出されるのではありません。常に自分自身の中と世の中の現実を観察するために、あなたの全生涯を通して学ぶ準備をしてください。        

3.  権限、脅威、お金、宣伝、(何と教育すら)によるかどうかは別にして、あなたの見方を採用するために、いかなる手段によっても、子供を含む他の人を強制しないでください。しかしながら、思いやりのある対話を通して、他の人が狂信と狭量を放棄するのを助けてあげてください。

4.  苦しみとの接触を避けないで、苦しむ前に目を閉じないでください。世の生命の中に苦しみが存在しているという気付きを失わないでください。個人的な接触、イメージ、声も含めて、苦しんでいる人たちと一緒に居る方法を見つけてください。そのような手段によって、世界の苦しみの現実に自分と他人を目覚めさせてください。

5.  何百万人もの人が飢えている中、富を蓄積しないでください。名声、利益、富、あるいは官能的な快楽を、あなたの人生の目的として受け止めないでください。質素に生きて、時間、エネルギー、物的資源を必要としている人たちと分かち合ってください。

6.  怒りや憎しみを維持しないでください。怒りや憎しみがまだ意識内の種子である時に、それらに浸透して変容することを学んでください。怒りや憎しみが生じるやいなや、怒りや憎しみの性質とあなたの怒りと憎しみを引き起こした人の性質を理解するために、あなたの呼吸へ注意を振り向けてください。

7.  分散した心とあなたの環境の中で自分自身を見失わないでください。今、この瞬間に起こっていることへ戻るためにマインドフルな呼吸を実践してください。素晴らしいこと、すがすがしいこと、そしてあなたの内面と周囲の両方を癒してくれることと通じてください。あなたの意識の奥底での変容の作業を促進するために、あなた自身の中にある喜び、平和、理解の種子を蒔いてください。

8.  不和を創造し、共同体を破壊する可能性がある言葉を発しないでください。どんなに小さなことでも、和解して全ての対立を解決するためにあらゆる努力をしてください。        

9.  個人的な関心や人を印象づけるために、虚偽のことを言わないでください。分裂や憎しみを引き起こす言葉を発しないでください。あなたが確かでないニュースを広めないでください。あなたが確かでない事を批判したり非難しないでください。常に誠実かつ建設的に話してください。そうすることがあなた自身の安全を脅かすかもしれないとしても、不正の状況について正々堂々と意見を述べる勇気を持ってください。

10.  個人的利益のために仏教徒の共同体を利用したり、あなたが属する共同体を政治団体へと変容しないでください。しかしながら、宗教的な共同体は抑圧と不正に対してはっきりした立場を取るべきであり、党派心に基づいた争いに従事することなく、その状況を変えるために努力すべきです。

11.  人間と自然に有害な職業に身を寄せてはいけません。他人から生きる機会を奪う企業に投資しないでください。あなたの理想である思いやりを実現するのに役立つ職業を選択してください。    

12.  殺さないでください。他の人に殺させないでください。生命を守り、戦争を防ぐことが可能なあらゆる手段を見つけて下さい。

13.  他の人に属すべき物は何も持たないでください。他人の財産を尊重する一方、他人が人間の苦しみや地球上の他の種の苦しみから利益を得るのを防いでください。

14.  あなたの体を虐待しないでください。あなたの体を敬意をもって扱うことを学んでください。道の実現のために生命エネルギー(性的、呼吸、精神)を貯蔵してください。世界に新たな生命をもたらす責任を十分認識してください。あなたがその中に新たな生命をもたらそうとしている世界を瞑想してください。

(解説)
1963年にティク・ナット・ハンは、2500年前に策定された仏教の僧侶や尼僧のための戒律を更新し、仏陀の最も深い教えが受け継がれ、且つ時代に合致するであろうと感じられた上記14の戒律を書きました。そして、この相互依存同盟の14の戒律(最初の14のマインドフルネス・トレーニング)は更新され、最新版は以下の通りです。しかし、初版はまだ生きておりシンプルだと私は感じます。そしてまた、全てがマインドフルネス(念)から始まりますので、覚えておくべき最重要なメッセージはマインドフルネスであると私は感じます。それ故に、マインドフルな呼吸、座禅、歩行のようなマインドフルな行動が、私たちの日常生活において極めて重要なのです。

(参考)
(14の戒律)
http://appliedbuddhism.org/en/mindfulness-practices/mindfulness-trainings/229-early-days-of-the-order-of-interbeing
(14のマインドフルネス・トレーニング)
http://www.orderofinterbeing.org/for-the-aspirant/fourteen-mindfulness-trainings/
(記事)
http://www.lionsroar.com/the-fourteen-precepts-of-engaged-buddhism/

相互依存同盟の最初の6人

Sunday, April 10, 2016

愛の共同体の構築 (3)

次の「愛の共同体の構築」に関するティク・ナット・ハンの教えを、深くご一読ください。 http://www.lionsroar.com/bell-hooks-and-thich-nhat-hanh-on-building-a-community-of-love/?blm_aid=24265
以下は抜粋です。

引用:
ベル・フックス:私は菩薩としての誓いを立てました。ですから、私は怒りを持つといつも非常に憂鬱になります。

ティク・ナット・ハン:あなたは人間らしくなりたいのですね。怒るのは大丈夫です。しかし、実践しないのは大丈夫ではありません。怒るのは非常に人間的です。そして、あなたの怒りに微笑みかけ、あなたの怒りと和解する方法を学ぶことは、とても素晴らしいことです。それが全てなのです。実践の意味、学ぶことの意味なのです。あなたの怒りをちらりと見ることにより、理解や思いやりのようなあなたが必要とする種類のエネルギーに怒りを変容することができます。あなたが肯定的なエネルギーを作ることができるのは、否定的なエネルギーがあるからなのです。花は美しいものの、いつか堆肥になります。しかし、あなたが堆肥を花へと再び変容する方法を知っていれば、心配する必要はありません。(それと同様に)あなたは怒りの対処法を知っていますので、あなたの怒りを心配する必要はありません。対処法とは、怒りを認識し、抱きしめ、変容するということです。ですから、これは可能なことです。

ベル・フックス:これ(変容)が、自分の敵を愛すようにと言ったマーティン・ルーサー・キングについて人々が誤解している点だと、私は考えます。人々は、マーティン・ルーサー・キングはただこの愚かなつまらない語句を使用していただけだと考えます。

ティク・ナット・ハン:自分の中に怒りを持っている時、私たちは苦しみます。自分の中に差別を持​​っている時、私たちは苦しみます。優越コンプレックス(優越感)を持っている時、私たちは苦しみます。劣等コンプレックス(劣等感)を持っている時、私たちはまた苦しみます。ですから、自分の中のこれら否定的なものを変容できる時、私たちは自由になり、幸福が可能になります。

私たちを傷つける人が、自分の中に怒りや絶望のような類のエネルギーを持っているなら、彼らは苦しみます。誰かが苦しんでいるのをあなたが見た時、もうそれ以上苦しまないようにその人を助けたいという欲望に動機づけられるかもしれません。それもまた愛であり、愛はいかなる色も有していません。他の人は私たちを差別するかもしれませんが、より重要なことは私たちが彼らを差別するかどうかということです。私たちが差別をしないなら、私たちは(差別をする人)より幸せな人であり、幸せな人として、私たちは(他を)助ける立場にあります。そして、怒りは助けにはなりません。

ベル・フックス:愛は恐れのために何をしてあげられますか?

ティク・ナット・ハン:恐れは無知から生まれます。他人が自分から何かを奪おうとしていると、私たちは考えます。しかし、深く見れば、他人の欲望は正に私たち自身の欲望であることが分かります。その欲望とは、平和になること、生きる機会を持てることです。ですから、他人もまた人間であり、あなたが(他人と)全く同じ種の精神的な道を有することをあなたが実感するなら、双方が良い実践者になれます。これは、双方にとって実用的であると思われます。

恐れへの唯一の答は、更なる理解です。もし、自分の心の中や他人の心の中にあるものを理解するために、より深く見る努力がないなら、理解は全くありません。仏陀は常に、恐れや欲望を含む私たちの煩悩は自分の無知から生まれることを思い出させてくれます。ですから、恐れを消散させるためには、私たちは誤った知覚を取り除く必要があるのです。

ベル・フックス:もし、人が正しく知覚し、それでもまだ不当に行動するとしたら、どうなりますか?

ティク・ナット・ハン:彼らは自分の洞察を日常生活に応用することがまだできていないのです。自分に(洞察を)思い出させるために、彼らには共同体が必要です。時々、あなたは洞察のひらめきを得ますが、洞察が存続するほど十分強くないのです。それ故に、仏教の実践において、サマディー(集中)は、一つ一つの発言、言葉、行為がその洞察の性質を身につけるように、全ての瞬間に洞察を生き生きと維持する力です。それは浄化の問題です。あなたがサンガに囲まれているなら、より良く浄化できます。サンガとは、全く同じ実践をしている人たちのことです。

ベル・フックス:西洋の知的伝統は非常に個人主義的です。地域社会に基礎を置いていません。知識人は、世の中から孤立し排除された人として、しばしば考えられています。

ティク・ナット・ハン:その通りです。すると、私たちは個人としてではなく、共同体として機能することを学びます。プラム・ビレッジにおいて、それが正に私たちのやろうとしていることです。私たちは一緒に生活している兄弟姉妹です。私たちは一体の細胞のように、機能しようとします。

ベル・フックス:これが、新しい千年紀に私たちが求める愛である、と私は考えます。この愛は我を超えて、共同体で経験される愛です。

ティク・ナット・ハン:ですから、どうかあなたの文章や発言でその真理を生き、その真理を広めてください。この種の見方や行動を維持することは有益でしょう。
:引用終わり

(解説)
真の愛の最も重要な要素は、沈着、包括性、非差別、非分離、即ち非二元性です。真の愛とは、無条件の愛のことです。ですから、私たちは自分の敵にさえ真の愛を広げることができます。真の愛は、相手の態度に依存しないのです。それ故に、マーティン・ルーサー・キングの「汝の敵を愛すべし」は、愚かなつまらない言葉ではありません。自分の敵に対して真の愛を発生させる最善の方法は、深く見ることによって敵の苦しみの根本原因を理解することです。一度、敵の苦しみの根本原因の洞察を得たなら、敵が必要なのは罰ではなく、癒しであることを私たちは理解するでしょう。すると、真の愛が自動的に生じるでしょう。そして、私たちが怒ったり敵を憎むことはできなくなるでしょう。誰も悪として生まれはしませんでした。環境が人に影響を及ぼすのです。私たちが真の愛を持っているなら、分離や差別はなくなるでしょう。すると、私たちは完璧な自由を得ます。鍵は、マインドフルネス(念)、集中、洞察です。言い換えれば、思考を停止することによって目覚めた意識を復活させること、全ての概念の絶滅のために究極の真理を理解すること、それが鍵です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KZJ34KO
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/notice-of-building-awakening-sangha.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/01/notice-of-session-format-change-of.html
ティク・ナット・ハンの書

Friday, April 8, 2016

愛の共同体の構築 (2)

次の「愛の共同体の構築」に関するティク・ナット・ハンの教えを、深くご一読ください。 http://www.lionsroar.com/bell-hooks-and-thich-nhat-hanh-on-building-a-community-of-love/?blm_aid=24265
以下は抜粋です。

引用:
ベル・フックス:マーティン・ルーサー・キングは、皆さんは愛する勇気を持たねばならないと、皆さんは愛するために正しい行いをするという心の底からの意志を持たねばならない、と言いました。簡単なことではありませんが。

ティク・ナット・ハン:マーティン・ルーサー・キングは兄弟として、友人として、リーダーとして、私たちの中に居ました。彼はその愛を生き生きしたまま維持することができました。あなたが彼に触れる時、彼の理解と愛は全てを彼の方へ抱き寄せるのに十分でしたので、あなたは菩薩に触れているのです。彼は共同体に彼の洞察と愛を伝送しようとしましたが、多分私たちは十分にそれを受け取りませんでした。彼は私たちに彼の善良、愛、非二元性といった最高のものを伝送しようとしていました。しかし、私たちは人間としての彼に余りにもしがみついていましたので、彼が教えていたことの本質を私たちの共同体にもたらしませんでした。ですから今、彼はもはやここにはおらず、私たちは途方に暮れています。彼がしていた重要な伝送は、権力、権限、地位の伝送ではなく、ダルマ(法)の伝送であったことに私たちは気付く必要があります。ダルマ(法)とは愛を意味します。

ベル・フックス:ですから、あなたは彼の本から学ぶだけで十分か?、あなたは彼に会わねばならないのではないか?出会いがなくてはならないのではないか?と人は言います。

ティク・ナット・ハン:実際は、真の先生は私たちの中に居ます。あなたは既に自分の中に洞察を持っていますので、良い先生とは、あなたが自分の中の真の先生に戻って触れるのを助けることができる人です。仏教ではそれを仏性と呼びます。あなたは仏性をあなたに転送する誰かを必要としませんが、多分あなたが自分の中で機能している目覚め(悟り)や理解の性質に触れるのを助けることができる友人をあなたは必要としています。

ですから、良い先生は、あなたが自分の中の先生のところへ戻るのを助けることができる人です。良い先生はさまざまな異なる方法でそれを行うことができます。良い先生は物理的にあなたに会う必要はありません。私が会ったことがない多くの本物の生徒を私は持っていると感じます。その多くは修道院にいて、決してそこから外出することはありません。その他の本物の生徒は刑務所にいます。しかし、多くの場合、彼らは私に毎日会う人よりもはるかに良く教えを実践しています。それは本当です。彼らが私の本を読んだり、テープを聞く時、彼らは自分の中の洞察に触れることができますが、彼らは現実には私に会ったことがありません。それが本当の出会いです。

ベル・フックス:私たちがどのように正義に満ちた世界を愛することを学ぶのかについて、あなたの考えを知りたいです。

ティク・ナット・ハン:これは非常に興味深い話題です。これは仏陀にとって非常に重要な問題でした。私たちがどのように正義を見るかは、私たちの深く見る実践に依存します。正義とは誰もが平等であること、同じ権利を持つこと、同じ種類の利益を共有していることであると、私たちは考えるかもしれませんが、多分私たちは無我の観点から正義の性質を見る機会がなかったのです。その種の正義は、我の考えに基づいていますが、無我の観点から正義を探求すると非常に興味深いものになるかもしれません。

ベル・フックス:人生の中で、時には全てのものは平等ではありませんので、平等でない時に正義を持つとは何を意味するのでしょうか?

ティク・ナット・ハン:平等なくして正義は可能でしょうか?

ベル・フックス:平等なくとも正義は可能であると、私は信じています。思いやりと理解があるから。

ティク・ナット・ハン:(あなたの言うことは)分かりました。それでは、誰が不平等を創造したのですか?

ベル・フックス:えーと、不平等は私たちの心の中にあると私は考えます。

ティク・ナット・ハン:そうですね(あなたの心が創造したのです)(笑)。
:引用終わり

(解説)
このインタビュアーは、しばしば「考える」や「信じる」のような言葉を使います。考えたり信じたりする人は、エゴです。目覚めた意識、即ち仏性は考えることなく、洞察を得ます。ですから、インタビュアーは自分がエゴであることを認識していません。インタビュアーは「正義」について質問し、「平等なくとも正義は可能である」と言いました。正義は自他を分離する我(エゴ)の言葉であると、私は理解しています。我(エゴ)とは心、即ち思考です。もし、私たちが自他を決して分離しない目覚めた意識なら、分離、差別、即ち二元性はありません。私はあなたです。あなたは私です。すると、分離する必要がありません。 「正義」の言葉は、分離のためのものであり、自分を守るためのもの、自己正当化のためのものです。それ故に、目覚めた意識は「正義」の言葉を必要としません。ですから、私たちは真の愛を発生させるために、目覚めた意識に戻る(目覚めた意識の復活)必要があるのです。そして、真の愛は私たちの理解(洞察)に基づくのであり、勇気や心の底からの意志に基づくのではありません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KZJ34KO
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/notice-of-building-awakening-sangha.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/01/notice-of-session-format-change-of.html

キング牧師とティク・ナット・ハン

Thursday, April 7, 2016

愛の共同体の構築 (1)

次の「愛の共同体の構築」に関するティク・ナット・ハンの教えを、深くご一読ください。 http://www.lionsroar.com/bell-hooks-and-thich-nhat-hanh-on-building-a-community-of-love/?blm_aid=24265
以下は抜粋です。

引用:
ベル・フックス:なぜ、人々は愛から離れていっているのか、どうしたら私たちは社会を愛の方へ動かす一部になれるのか、についてのあなたのお考えをお聞かせ下さい。

ティク・ナット・ハン:私たち自身の仏教徒のサンガでは、共同体が全ての核心です。サンガは、調和と平和と理解がなければならない共同体です。調和と平和と理解は、一緒に日常生活を送ることによって創造されるものです。もし、共同体に愛があれば、私たちが共同体の調和によって滋養されてきたなら、私たちは決して愛から離れることはないでしょう。

私たちが愛を失うかもしれない理由は、愛の対象や行為が外にあると考えて、常に自分の外を見ているからです。ですから、私たちは愛、調和、成熟した理解が自分から徐々になくなるのを許しているのです。これは根本的なことだと思います。ですから、私たちは共同体に戻って、愛を取り戻す必要があるのです。すると、愛は成長して元の状態に戻ります。理解と調和が成長して元の状態に戻ります。それが一つ目です。

二つ目は、私たち自身が愛を必要とするということです。愛を必要とするのは外の社会や世界だけではありません。しかし、愛が私たちの外からやって来ることを、私たちは期待できません。他人だけでなく自分自身もまた愛せるかどうか、という質問を私たちはすべきです。私たちは、食べ方、飲み方、働き方の面で、自分の体を親切に扱っているでしょうか?私たちは自分自身を十分な喜びと優しさと平和をもって扱っているでしょうか?それとも、私たちはスピリチュアル・マーケット、知能マーケット、娯楽マーケットのような市場から得る毒素を食べているでしょうか?

ですから、質問は、私たちが自分自身を愛する実践をしているかどうかということです。なぜなら、自分自身を愛することは自分の共同体を愛することを意味するからです。自分自身を中毒にしないで、自分自身を愛し、適切に滋養することができる時、私たちは既に社会を守り、滋養しているのです。なぜなら、私たちが微笑むことができ、思いやりを持って自分自身を見ることができる瞬間に、私たちの世界は変わり始めます。私たちは何もしなかったかもしれませんが、リラックスしている時、平和である時、微笑むことができて支配体制の見方で暴力的になれない時、その瞬間に世界に既に変化があります。

ですから、二つ目の助け、二つ目の洞察は、我と無我の間に本当は分離がないということです。あなたが自分自身のためにすることは何でも、同時にあなたが社会のためにしていることです。そして、あなたが社会のためにすることは何でも、自分自身のためにしていることでもあるのです。この洞察は無我の実践において、非常に強力に作られます。
:引用終わり

(解説)
真の愛は私たちの内面にあり、私たちの外にあるのではありません。私たちは、物質価値や身体的行動のような外観に騙されてはいけません。なぜなら、物質価値や身体的行動は、本当は執着、強迫観念、依存症であるからです。これらは真の愛ではありません。真の愛は理解(洞察)を通して発生します。そして、理解(洞察)のためには、マインドフルネスと集中が不可欠です。
自分自身を愛することは、他を愛する基盤です。自分自身を愛することができる場合にのみ、私たちは他を愛することができます。そして、私たちが本当に自分自身を愛することができるなら、私たちは自動的に他を愛することができます。なぜなら、私たちは何の恐れも不安も持っていないからです。ですから、私たちは自分を守るために、自他を分離する必要はないのです。私はあなたであり、あなたは私です。この場合、私は独立していない自己、目覚めた意識、即ち本当の自分です。しかしながら、世界中に自分を無条件に愛せない人が非常に多くいます。彼らは、時には自分を憎みます。このような場合、彼らは自己嫌悪の根本原因を理解する必要があります。そのためには、マインドフルネスと集中が不可欠です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KZJ34KO
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/notice-of-building-awakening-sangha.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/01/notice-of-session-format-change-of.html

ティク・ナット・ハンの書