https://vimeo.com/14958502
引用:
(05:31~)
鐘の音は、心を体へ連れ戻すための手段として使用されます。実践センターでは、あなたが鐘の音を聞く度に、あなたの全ての思考を停止し、あなたの全ての会話を停止し、あなたの吸う息へ注意を持っていき、吸う息を楽しみ、吐く息を楽しみ、今、ここであなたの真の存在を楽しみます。マインドフルネスは、私たちが完全に生きていることを可能にしてくれるエネルギーを意味します。なぜなら、私たちの日常生活において、私たちの体はそこにあるかもしれませんが、私たちの心はどこか他の場所にあります。私たちの心は、心配、怒り、プロジェクトで、過去や未来に捕捉されているのかもしれません。私たちの心は体と一緒ではありません。私たちは真にそこには居ないのです。私たちは存在していないのです。私たちは生きていないです。
ですから、マインドフルな一息やマインドフルな一歩で、あなたはあなたの心を体へ連れ戻すのです。人間誰もが、マインドフルになる能力を有しています。そして、あなたの心が体に戻っている時、あなたは真にそこに居ます。あなたが心と体の一体感と呼ぶものがあります。あなたは今、ここでよく確立されています。生命の奇蹟が私たちの中と周囲に存在することを、私たちは知的に知っています。そうであるのに、まだ、私たちは自分自身を滋養し癒すために、生命の奇蹟に触れることができません。青空、白い雲、美しい丘。もし、あなたが今、この瞬間を放棄するなら、どのように生命の奇蹟と通じることができますか?
しかし、私たちには既に走る傾向がありました。私たちの祖先、私たちの両親は、全生涯将来へ向けて走ってきたかもしれませんし、彼らが幸福の条件であると信じるものを探し求めてきたかもしれません。そして、私たちもまた、それを行いました。私たちは幸福は今は可能ではなく、本当に幸福になるための更にいくつかの条件が必要であり、これらのいくつかの更なる条件は将来になくてはならないと信じています。ですから、私たちのほとんどは今、この瞬間を犠牲にするのです。
マインドフルな歩行、即ち歩行瞑想は、一歩一歩で喜び、安定、自由をもたらすことができる実践です。あなたが息を吸う時、一歩か二歩進み、あなたの足と地面との間の接触に気付きます。そして、あなたは、「私は到着した、私は到着した」と言います。 「私は到着した」 は、声明ではなく、実感です。そして、その一歩で、あなたは今、ここに到着できます。あなたが100%到着していない場合は、もう一歩進まないください。あなたが完全に停止するまで、ただその位置に止まってください。停止は瞑想の鍵です。
死にかけている人を想像してみてください。例え彼らが非常に金持ちの人であっても、彼らが非常に権力のある人であっても、彼らが立ち上がって一歩進みたいと思うその瞬間、それは可能ではないでしょう。生きていること、健康であること、そしてこの美しい地球上で歩行することは、本当の奇跡です。そして、あなたが到着することに成功したなら、その後、勝利の笑顔を微笑み、もう一歩進みます。ただいま。私は家に到着した、ただいま。私の本当の家は今、ここにある。私は堅実だし、私は自由だ。「私は堅実だ」とは、私が今、ここで堅実に確立していることを意味します。私は過去に引っ張られていないし、将来にも引っ張られていません。私は自分自身です。自由人のように歩いてください。仏陀のように歩いてください。仏陀はマインドフルに歩く方法を知っている人間です。(ティク・ナット・ハンの歌)
(17:10~)
私たちは内面に苦しみの塊を持っています。恐れ、怒り、絶望、憎しみ、暴力。しかし、私たちはそれについて話したくありません。私たちはそれを見たくありません。私たちは自身の苦しみに耳を傾けたくありません。マインドフルネスの実践は、私たちが自分の痛み、悲しみ、恐れを認識するのを可能にしてくれます。母親は台所にいて作業をしていますが、赤ちゃんが泣いているのを聞きます。彼女は赤ちゃんの部屋に行き、赤ちゃんを抱き上げ、腕の中で赤ちゃんを抱きしめます。彼女はまだ何が原因なのか分かりませんが、彼女がこのように優しく赤ちゃんを抱きしめると、赤ちゃんは既にいくらか救いを得ることができます。同じことがあなたの痛みにも当てはまります。あなたは本当の原因が何であるか分かりませんが、もしあなたが自分の不幸を認識し、優しくそれを抱きしめる方法を知っていれば、あなたは既にいくらか救いを得ることができます。そして、あなたに救いをもたらすのに役立つそのエネルギーこそ、マインドフルネスのエネルギーなのです。あなたが自分自身の苦しみを理解していないなら、自分自身の困難を理解していないなら、自分を幸せにすることはできません。あなた自身を愛することができないなら、どのようにして他の人を愛することができるでしょうか?ですから、仏教の教えにおいて、自己理解、自己愛が他の人への愛の基盤であることは非常に明白です。
:引用終わり
(解説)
考える人は、エゴです。一方、目覚めた意識は何も考えずに洞察を得ます。言い換えれば、エゴは自他を分離する独立した(自性)自己です。そして、目覚めた意識は独立していない(無自性)自己、本当の自分、全宇宙、宇宙体、即ち法身です。仏陀は、自分自身をエゴから目覚めた意識、即ち独立した(自性)自己から独立していない(無自性)自己へ変容するために、マインドフルネスを教えました。そして、自分自身を変容する鍵は、思考、即ち心を停止することです。具体的な手法は、マインドフルな呼吸、マインドフルな歩行(歩行瞑想)、マインドフルな座禅(座禅瞑想)のようなマインドフルネスです。
(参考)http://goo.gl/hNOVJv
ティク・ナット・ハン
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