https://vimeo.com/14985210
引用:
(3:27~)
あなたは、あなた一人だけでは存在できません。あなたは他の全ての物と、他の誰もと相互に依存する必要があります。
この一枚の紙を推量してください。この紙は自分だけでは存在できません。紙を深く見ると、あなたは雲を見ることができます。なぜなら、雲がなかったなら、雨がなく、木々は成長できません。そして、木がなければ、あなたは決して紙を作れません。ですから、この一枚の紙は自分だけでは存在できないのです。この一枚の紙雲と相互に依存しなければなりません。雲なしでは、紙は存在できないのです。
そして、続けて太陽光で見てみるなら、私が紙に触れる時、太陽光に触れます。私はまた、大地、土にも触れています。この小さな一枚の紙を深く見る時間があるなら、宇宙の全てが内部に存在することが分かります。それらは互いに繋がっています。
ですから、それは苦しみと幸せのようなものです。苦しみがなければ、どのように私たちは理解し、どのように私たちは愛せるでしょうか?あなたは蓮の花を大理石の上で育てることはできません。あなたは泥の中で蓮の花を育てる必要があります。あなたが蓮の花から泥を取り除いたなら、蓮の花は消滅します。蓮の花と泥は相互に依存しています。相互依存。苦しみがなければ、幸せはないのです。泥がなければ、蓮はないのです。
私たちが自分自身に戻って、自分の苦しみを深く見て、自分の苦しみに深く耳を傾けることは非常に重要です。なぜなら、そのように見ること、そのように聞くことこそ、瞑想の実践であるからです。
(10:35~)
あなたをあなたの母親に結ぶ紐のようなものがあります。それは、臍帯(へその緒)と呼ばれています。臍帯は、あなたとあなたの母親との間の絆です。それがなければ、あなたの母親はあなたに何も供給できず、あなたが成長するのを助けることができません。ですから、次回あなたが赤ちゃん、あなた自身と母親を描く時には、あなたが臍帯を描くことを私は提案するのです。その後、あなたはあなたをあなたの父親に結ぶ別の臍帯を描いてください。なぜなら、その臍帯を見ることはできませんが、それは確かにあるからです。その後、あなたはあなたを木、川、雲に結ぶ他の臍帯を描くことができます。なぜなら、木がなければ、あなたが呼吸する酸素がないからです。川がなければ、あなたが飲む水がありません。ですから、あなたはあなたを宇宙の全てに結ぶ臍帯を持っているのです。
(16:53~)
私たちは仏性を信じる必要があります。私たちは自分の中に思いやりの種、理解の種、喜びの種、平和の種を持っていることを信じる必要があるのです。もし、私たちが自分の中の美しい種子が毎日触れられ、水やりをされることを許すなら、種子は幸せな人になるでしょう。そしてもし、私たちが渇望の種、怒りの種、憎しみの種、差別の種だけ水やりをされることを許すなら、私たちは日々益々苦しみます。
しかし、毎日の私たちの消費の仕方は、良い方向へ向かっているということはないようです。私たちがテレビの電源を入れると、多くの渇望や多くの怒り、暴力があります。そして、私たちの子供たちは、これらのものを一日数時間摂り入れています。子供たちはテレビを見る度に、正に暴力、恐れ、怒り、渇望といったものを摂取しているのです。それはマインドフルな消費ではありません。そして、私たち大人は、自分自身がこの種の毒に中毒になるのを許容しています。私たちは既に自分の中にこれらの毒を保有しているのです。私たちは毒を巧みに扱って変容することができず、日々の消費法によりもっと多くの毒を摂取しています。
:引用終わり
(解説)
Interbering(相互依存)は、無常と無我を意味します。無常は、「空」の時間的側面、無我は「空」の空間的側面を意味します。ですから、interbering(相互依存)、即ち「空」は、現象界における究極の真理です。
一方、デヴィッド・ボームは、本体の世界における究極の真理を、量子物理学を通して以下の通り説明しました。 「内在的(包み込まれた)秩序においては、もはや空間と時間は異なる要素の依存性や独立性の関係を決定する支配的な要因ではない。むしろ、空間と時間に関する私たちの通常の概念とは全く異なる種類の要素の基本的な関係が可能である。尚、空間と時間に関する私たちの通常の概念とは、独立して存在する物質的な素粒子、つまりより深い秩序から派生した形として概念化された素粒子の空間と時間に連動した概念のことである。実際には、これらの通常の概念は、外在的(包み込んだものを開いた)秩序と呼ばれているものに現れる。尚、外在的(包み込んだものを開いた)秩序は、全ての内在的(包み込まれた)秩序の一般的な全体性(完全性)内に含まれた特別且つ区別された形である。」
デヴィッド・ボームの全体性(完全性)は、仏教における全宇宙(法身、宇宙体)を意味する、と私は感じます。なぜなら、仏陀は般若心経を通して本体の世界における「空」について説明したからです。ですから、interbering(相互依存)、即ち「空」はまた本体の世界における究極の真理でもあります。
デヴィッド・ボームはまた、「内在的(包み込まれた)秩序は、外在的(包み込んだものを開いた)秩序、即ち独立した全てのものへ(包み込んだものを)開いている。」(外在的(包み込んだものを開いた)秩序は、内在的(包み込まれた)秩序へ包み込んでいる。)、と言いました。言い換えれば、「全てのものは、内部で全てのものと結び付いている。全てのものは、全てのものを含んでいる」と、デヴィッド・ボームは説明したのです。デヴィッド・ボームは更に、「さて、内在的(包み込まれた)秩序は、私たちが全てのものは全ての人へ包み込んでいるということを理解するのに役立つだろう。それは、単に全てのものが全ての人に依存しているというだけではなく、深い意味では実際に全ての人が全ての人であるということである。よく見て、私たちを構成する全ての物質は地球からやって来て地球へと戻るのだから、私たちは地球そのものだ」、と言いました。ですから、現象界(歴史的次元)は本体の世界(究極の次元)の顕現である、と私は理解しています。
(参考)http://goo.gl/hNOVJv
ティク・ナット・ハン
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