Saturday, April 4, 2015

「四諦」と「般若心経」

「四諦」は4つの苦しみの真理が縁起(相互に依存し共同発生)していることをベースに説かれています。つまり、第一真理の苦しみと第三真理の幸せ、第一真理の苦しみとその原因の第二真理、第三真理の幸せとその方法である第四真理(八正道)、第二真理の苦しみの原因の裏返しである第四真理の苦しみの解決策、つまり幸せの方法である八正道が縁起しているのです。

従って、仏陀は明らかに二元性を超越済みであり、究極の真理である非二元性(空:二元性の空)を深く理解していたはずです。にも拘らず、第一真理の苦しみと第三真理の幸せを分離し、二元性の論理構成で説明したのはなぜでしょうか?

それはきっと、悟りを開いていない人に「苦しみは幸せに他ならない」とか、「苦しみがない方が不幸である」と説いても、理解してもらえないことを確信していたので、仏陀は分かりやすく説明するために、敢えて二元性のレベル、即ち一般的な真理の領域にまで落として説明したに違いありません。

つまり、仏陀が一般的な真理(4つの苦しみの真理)である「四諦」を説いた段階で、究極の真理(空:非二元性)である「般若心経」は既に出来上がっていた(書ける状態であった)ことは論を俟たないと言えるでしょう。

尚、一般的な真理である二元性を超越し、究極の真理である非二元性へ到達した後、再度二元性へ戻して分かりやすく説いた「四諦」の論理構成の流れは、以下の通りです。「般若心経」は非二元性へ到達した時点で完成していたということです。
縁起(相互に依存し共同発生) → 二元性を超越(二つでもなく、一つでもなく) → 究極の真理(非二元性:空:二元性の空:無自性の存在/自己) → 非分離/非差別 → 独立した苦しみの不在(苦しみなくして幸せなし、泥なくして蓮の花は育たない) → 苦しみは貴重である → 裏側からも見る必要あり(表側から見ると苦しみでも、裏側から見ると幸せに他ならないから)

* 「般若心経」(超意訳)
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-46388351

* 「般若心経」(口語超意訳)
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-46532054

A stormy night in Greece Photo by jo Williams