Wednesday, June 22, 2016

目覚め学校プログラム

目覚め学校プログラムに関する次の記事をご一読ください。
http://www.wkup.org/education-not-information-teach-human-beings/
以下は抜粋です。

ラジオ司会:この種の学習(人間になる方法の学習)は、大学のカリキュラムに追加のコースにすべきなのか、あるいはカリキュラム全体に組み込むべきなのでしょうか?

ファップ・ルー:多くの教授は、自分のコースに余分な時間を追加する必要はないことに気付いて驚きます。私たちの存在そのもの、私たちの在り方が、私たちが他の人に(真に)存在することを教える方法なのです。私たちの瞑想会では、多くの教師が日常生活にマインドフルネスの実践を組み込む方法を学ぶのを助けます。私たちは常に、教師自身の実践から始め、子供たちに教える方法に関する技術を教師に単に教えることから始めはしません。彼らは通常、技術を求めて(瞑想会に)やって来ます。彼らは別の修了証書が欲しいのですが、目覚め学校瞑想会にやって来ると、自分自身の変容が最も重要なことであることに気が付いて少々驚きます。彼らは停止する方法や、自分自身の心と体を深く観る方法を学びます。

人生において私たちは未来へ向かっていつも走っているか、過去にした事に後悔しています。私たちは物思いにふけっています。マインドフルネスの実践で、私たちの呼吸と一緒に今、ここで完全に存在するために、走るのを止める方法を私たちは学びます。呼吸は私たちのために常に一緒にいてくれます。私が息を吸い込む時、私は自分が息を吸い込んでいることに気付いています。息を吐き出しながら、私は自分が息を吐き出していることに気付いています。私たちは注意を払って自分の呼吸について行きます。私たちの注意が、過去や未来についての考えのような何か他のものに散った時、自分の呼吸への焦点を失ったからといって自分自身を罰することなく、私たちは愛をもって自分の考えに微笑むことができます。愛をもってあなたの注意を呼吸へと戻してください。すると、日常生活のプロジェクトや心配によって衰弱させられることを避ける能力だけでなく、あなたの集中が増します。私たちはこのように、ほんの2〜3秒で今、この瞬間に戻って来れます。私たちは、自分のためだけでなく、私たちの生徒や他の人がもっと(体だけではなく精神的にも)存在するのを助けることができます。これが、私たちが自分自身と私たちの最愛の人に与えることができる最大の贈り物です。

(私ならば、次の通り回答するでしょう:
はい、この種の学習は、全ての学生にとって必修の追加コースであるべきです。さらに重要なことは、この種の学習は、生涯を通して1日24時間実践されるべきであるということです。単なる学習暗記では十分でありません。これは「生き方」の教えですので、日常生活における実践が極めて重要なのです。)

ラジオ司会:私はファップ・ルーに別の質問があります。たぶん、少し恐れて、またはうんざりして、私たちの話を聴いている人がいます。なぜなら、これは宗教的なプログラム、即ち自分の子供の信仰を変更するためのプログラムであると彼らは思うからです。そのように思う人のために、あなたはどのように応答されるでしょうか?

(私は以下の回答に完全に同意します):
ファップ・ルー:マインドフルネスの実践は、宗教とはあまり関係が無く、むしろ「人生をいかに生きるか」と関係があります。仏教が宗教であるとは、私は言わないでしょう。仏教は応用心理学のようなものに近いです。仏教は今、この瞬間に通じてあらゆる考えや見解を手放す実践です。つまり、全ての考え仏教の考えでさえも手放すための学び、それが仏教の土台です。それは、自分自身が今、この瞬間に世界に開かれているようにしてあげる実践です。

これは仏陀が提案した基本的な実践です。仏陀は宗教を作りたくありませんでした。仏陀は、人々が苦しみを軽減するのを助けてあげたかったのです。ですから、私たちは自分の人生、及び自分の周囲の人々との関係で(仏陀と)同じことをしています。もし、私たちを苦しませるものがあるなら、「この苦しみをもたらすものは何か?」と、私たちは自問する必要があります。

多くの若者たちは強い感情に対処する方法を知らないがために、毎日自殺しています。試験のプレッシャー、社会生活のプレッシャー、職に就くことのプレッシャー、商品を販売したいと自分の周りで宣伝広告する世の中で生きることのプレッシャー、これら全てのプレッシャーの処理法を若者たちは知りません。今、学校では、生徒たちがなぜ苦しんでいるのかを理解する方法を与えていません。教育システムにおける当方側の誤りであると思われます。非常に多くの科学者が今、仏教の伝統に由来するこの実践に関心を持っていることは興味深いことです。仏教は直接的な一人称の実験(自分が教えを実践することによりその効果を検証する)という科学的な手法を有する伝統であると、科学者は理解しています。尚、直接的な一人称の実験では、私たちは実践の果実をはっきりと理解でき、仏陀が言ったことをただ闇雲に信じる必要はないのです。実践者は、自分で実践効果を体験できます。

誰もが自分の生活の中で仏陀の教えを実践することができ、その効果を理解できます。私たちがマインドフルネスの実践への信頼について話す時、この信頼は自身の経験から来ています。それは科学者と同じです。科学者は、結果具体的な経験に基づく科学を信頼しています。ですから、科学の世界仏教の伝統の間には愛情あふれる非常に相補う関係があるのです。私たちはいつも互いに学び合っています。

例えば、私たちのコミュニティには多くのキリスト教徒が居り、彼らは自分の信仰に非常に献身的ですが、キリスト教と仏教の間矛盾がないことに気付いています。前者(キリスト教)は、厳密に言うとより宗教的であり、後者(仏教)は日々のマインドフルな呼吸の実践とより関係があります。両者は互いに補完し合っています。マインドフルネスによって、より深くスピリチュアルな道に入ることができると指摘する多くのキリスト教徒がいます。ですから、私は矛盾があるとは一切思いません。学校や教育機関がマインドフルネスについて学んでいます。彼らは今、この洞察に一層開放的です。

(注意)
ほとんどのマインドフルネスの指導者書籍本物ではなく、正真正銘ではありませんので、どうかご注意ください。本物のマインドフルネスの教えは、ティク・ナット・ハンの教えのみであると、私は確信しています。(尚、完全な悟りを開いた者にしか翻訳できない深い内容が含まれていますので、ティク・ナット・ハンの原書を読まれることをお奨めします。)

(参考)http://www.wkup.org/