Wednesday, January 6, 2016

仏教の瞑想

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引用:
仏教の瞑想は現実の本質を深く観る実践です。私たちは十分な集中マインドフルネス(念)を持っていませんので、深く観ることができません。ですから、私たちが見るものや聞くものによって騙され得るのです。仏教の瞑想は科学のようなものです。科学もまたより深く観ようとする試みです。あなたは空を見上げ、星を見ます。あなたは星があると強く信じています。しかし、その星は既に1,000光年前に消滅してしまった可能性があります。ですから、あなたはあなたが見るものや聞くものによって騙され得るのです。そして、科学は私たちがより慎重になるのに役立ちます。仏教も(科学と)同じことを行います。あなたが深く観れば、あなたは誤った知覚幻想から自由になることができます。命は永遠であるという幻想や、全ての生きものの中に生息する永遠の魂があるといった幻想です。この種幻想から自由になれます。

仏陀には師がいました。仏陀は多くの師を信奉しました。そして、仏陀は共同体で実践しました。そして、深く観る道において、仏陀は進歩を遂げました。しかし、この種理解は自分を解放するのに十分ではないことを、仏陀は最終的に実感しました。ですから、仏陀は一人で(深く観る実践を)続けなければならなかったのです。そして、菩提樹の根元で座禅を組んでいる時に、仏陀は突破口を開くことができました。仏陀は、相互依存の性質相互浸透の性質を発見しました。仏陀は深く観る方法を発見し、生と死、到着と出発、存在と非存在の考え(概念)を超越することができました。そして、仏陀は完全に苦しみから解放されました。仏陀の幸福、救済は、(洞察による)偉大な理解のおかげで可能だったのです。あなたが偉大な理解を得ると、もはや生まれ、死ぬことを恐れはしません。それ故に、あなたの洞察や実践を他の人々と分かち合いたいのです。
:引用終わり

(解説)
仏陀が発見した深く観る方法とは、マインドフルネス(念)と集中を通して洞察を得ることです。まず第一に、私たちはマインドフルネス(念)を通して、目覚めた意識を復活させる、即ちエゴ(独立した自己)から本当の自分(独立していない自己=目覚めた意識)へ自分自身を変容する必要があります。第二に、私たちは現実の本質や根本原因を理解するために、私たちの心を集中する必要があります。この偉大な理解は洞察として得られるのであり、思考を通した知識としてではありません。ですから、洞察の鍵はマインドフルな呼吸を通して思考を停止することです。非思考は簡単に聞こえますが、エゴ、特に知的なエゴにとっては、そう簡単ではないかもしれません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハン