Watch deeply the following video of the walking meditation led by Sister Peace.
https://www.facebook.com/SXSWFestival/videos/10154410993583994/?hc_ref=PAGES_TIMELINE
次のシスター・ピースに導かれた歩行瞑想のビデオを深くご覧下さい。
https://www.facebook.com/SXSWFestival/videos/10154410993583994/?hc_ref=PAGES_TIMELINE
The contrast between the walking meditators and ordinary walkers is interesting. It is expressed in the following beautiful trailer ('walk with me') as those who have arrived and those who have been running a lot but have not arrived.
http://walkwithmefilm.com/trailer/
(Cf.) https://www.slideshare.net/compassion5151/walking-meditation-62204227
歩行瞑想者と一般歩行者のコントラストが興味深いです。そのコントラストは、到着した人と、いっぱい走ってきたが到着していない人として、次の美しい映画「walk with me」の予告編に表現されています。
http://walkwithmefilm.com/trailer/
(参考)https://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
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Monday, March 13, 2017
Friday, February 24, 2017
ティク・ナット・ハンからの貴重なメッセージ (1)
次のティク・ナット・ハンとデヴィッド・スタインドル・ラストとティク・ナット・ハンの弟子たちのビデオを深くご覧下さい。
以下はビデオからの抜粋です。私も全く同感です。
(2:35~: 平和行進)
彼ら(平和行進参加者)は後ろから、「(もっと速く)歩けないの?」と叫びました。
そして、彼らの数人が私たちを追い越して、振り返り、私たちの歩き方を見ました。すると、彼らは変容しました。
私たちは平和を実践しているのであって、平和を要求しているのではないことを、彼らは理解します。もし、私たちが一歩毎に平和で幸せになれないなら、平和行進は平和行進でなくなります。(中略)
平和運動は共同体の実践でなければなりません。平和は実践なのです。(中略)平和運動は、人々が兄弟姉妹愛で一緒に暮らす共同体の実践であるべきだと、私は思います。
(7:10~: 歩行瞑想)
感謝は、一歩一歩に感じることができます。あなたは生きており、あなたの足は、あなたがまだこの美しい地球に歩を刻むのに十分強いのです。ですから、呼吸のマインドフルネスで、歩行のマインドフルネスで、あなたがあらゆる生命の奇跡に通ずることができるように、あなたの刻む一歩一歩があなたを今、ここの家へ連れ戻ります。すると、そのような一歩一歩は滋養と癒しになり得ます。
歩行瞑想中に、あなたは思考を停止します。「我思う、故に真に我なし」(エゴが考えるので、本当の自分は本当にそこに居ない)。あなたは、あなたの足と地面の接触を感じることができます。母なる地球はそこに居ます。母なる地球はあなたの中に居ます。すると、あなたと母なる地球の間に交わりがあります。母なる地球は全ての聖人、全ての仏陀、全ての菩薩の母です。
あなたは、あなたの中に母なる地球を運んでいます。あなたは死ぬことができません。あなたは変容することができます。それは、自らを雨へ変容する雲のようなものです。雲は決して死ぬことができません。誕生も死もありません。私たちは、表面的なレベルで誕生と死について話しました。しかし、深くまで行くと、全てのものの性質は不生不死(生も死もない)です。あなたは決して有から無になれません。あなたは決して「誰か」から「誰もいない」になれません。
(つづく)
(参考)https://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
(2:35~: 平和行進)
彼ら(平和行進参加者)は後ろから、「(もっと速く)歩けないの?」と叫びました。
そして、彼らの数人が私たちを追い越して、振り返り、私たちの歩き方を見ました。すると、彼らは変容しました。
私たちは平和を実践しているのであって、平和を要求しているのではないことを、彼らは理解します。もし、私たちが一歩毎に平和で幸せになれないなら、平和行進は平和行進でなくなります。(中略)
平和運動は共同体の実践でなければなりません。平和は実践なのです。(中略)平和運動は、人々が兄弟姉妹愛で一緒に暮らす共同体の実践であるべきだと、私は思います。
(7:10~: 歩行瞑想)
感謝は、一歩一歩に感じることができます。あなたは生きており、あなたの足は、あなたがまだこの美しい地球に歩を刻むのに十分強いのです。ですから、呼吸のマインドフルネスで、歩行のマインドフルネスで、あなたがあらゆる生命の奇跡に通ずることができるように、あなたの刻む一歩一歩があなたを今、ここの家へ連れ戻ります。すると、そのような一歩一歩は滋養と癒しになり得ます。
歩行瞑想中に、あなたは思考を停止します。「我思う、故に真に我なし」(エゴが考えるので、本当の自分は本当にそこに居ない)。あなたは、あなたの足と地面の接触を感じることができます。母なる地球はそこに居ます。母なる地球はあなたの中に居ます。すると、あなたと母なる地球の間に交わりがあります。母なる地球は全ての聖人、全ての仏陀、全ての菩薩の母です。
あなたは、あなたの中に母なる地球を運んでいます。あなたは死ぬことができません。あなたは変容することができます。それは、自らを雨へ変容する雲のようなものです。雲は決して死ぬことができません。誕生も死もありません。私たちは、表面的なレベルで誕生と死について話しました。しかし、深くまで行くと、全てのものの性質は不生不死(生も死もない)です。あなたは決して有から無になれません。あなたは決して「誰か」から「誰もいない」になれません。
(つづく)
(参考)https://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
ティク・ナット・ハンとデヴィッド・スタインドル・ラスト
Monday, January 9, 2017
七覚支 (6)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
ですから、それが命なのです。それ故に、私たちはこの悟りの実践、踏み出す一歩一歩の悟りの実践に時間を割く必要があるのです。もし、一歩一歩に悟り(喜び、平穏)がないなら、何かが間違っています。(その場合は)私たちは時間を無駄にしています。一部の僧侶や尼僧、もしくは在家の実践者の中には、自分の大志を満たしていない人もいます。その人たちは仏陀や師のキャリアを続けません。その人たちをこき下ろすのはとても悲しいことです。
ですから、実践は一日を通してです。あなたが瞑想会場へやって来る時だけではありません。心の中の馬を訓練する話をしました。ですから、馬をあなたに乗させないでください。あなたが馬をコントロールするのです。禅仏教では、あなたが水牛に乗るのであり、水牛をあなたに乗させてはいけない、と言います。実際には、別の動物、猿がいるに違いありません。私の意識は猿でしたと、私は言いました。水牛とは、正に阿頼耶識のことです。(阿頼耶識には)種子、つまり私たちの振舞や心の全てがありますので(記憶の貯蔵)、阿頼耶識は水牛と呼ばれるのです。そして、阿頼耶識は否定的なエネルギーのため、通常は非常に暗いです。
しかし、生きて人生をコントロールしている者は猿、つまり私たちの人生をでっち上げ(偽造し)、私たちの人生において物事を創造し、私たちを地獄か天国へ連れて行き、私たちに愛か憎しみをもたらす猿です。ですから、猿は非常に知能的な奴です。私たちは猿に注意を払う必要があります。ですから、猿にマインドフルネスの光を当ててください。猿を静かに座らせてください。馬を手なずけて穏やかにさせ、リラックスさせてください。それが私たちの実践です。
あなたは、純粋さやその他何でもかまいませんが、初心者用語の本質を探す必要はありません。そんなことはどうでもいいのです。あなたは、外部に仏陀を探す必要さえありません。あなたは、誓約の最後に悟りを得る必要はないのです。あなたが踏み出す一歩一歩で、悟りを得ることができるからです。
:引用終わり
(おわり)
(解説)
平静は、悟りの最も難しい要素であると、私は理解しています。なぜなら、平静とは非差別、非分離、非二元性、包括性、全体性、無条件の愛と思いやり、を意味するからです。ですから、悟りの他の六要素は、第七要素(平静)を成果として得るための手段か道具なのです。
完全な悟りのためには、1日24時間の非思考が不可欠です。ですから、そのためには全ての概念の絶滅が不可欠です。私たちは完全に思考を停止するために、全ての概念を投げ捨てなければなりません。そしてそのためには、洞察を通して、究極の真理である「空」、即ち相互依存を理解する必要があります。言い換えれば、全ての概念は分離、差別、即ち二元性を引き起こしますので、エゴによってでっち上げられた全ての概念は誤りであるということを、私たちは理解する必要があるのです。
私たちがその洞察を得ると、完全に悟りを開き、1日24時間思考を停止できます。ですから、もはや分離、差別、即ち二元性はありません。すると、恐れや怒りのような煩悩が生じることはもうありません。それ故に、苦しみは完全に滅却されます。あるいは、人間のエゴによってでっち上げられた苦しみの概念がなくなる、と言うべきでしょう。全ての動物、植物、鉱物は、そのように生きるのを楽しんでいます。(小さな子供を除く)ほとんどの人間だけが、生ける屍なのです。
(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
ですから、それが命なのです。それ故に、私たちはこの悟りの実践、踏み出す一歩一歩の悟りの実践に時間を割く必要があるのです。もし、一歩一歩に悟り(喜び、平穏)がないなら、何かが間違っています。(その場合は)私たちは時間を無駄にしています。一部の僧侶や尼僧、もしくは在家の実践者の中には、自分の大志を満たしていない人もいます。その人たちは仏陀や師のキャリアを続けません。その人たちをこき下ろすのはとても悲しいことです。
ですから、実践は一日を通してです。あなたが瞑想会場へやって来る時だけではありません。心の中の馬を訓練する話をしました。ですから、馬をあなたに乗させないでください。あなたが馬をコントロールするのです。禅仏教では、あなたが水牛に乗るのであり、水牛をあなたに乗させてはいけない、と言います。実際には、別の動物、猿がいるに違いありません。私の意識は猿でしたと、私は言いました。水牛とは、正に阿頼耶識のことです。(阿頼耶識には)種子、つまり私たちの振舞や心の全てがありますので(記憶の貯蔵)、阿頼耶識は水牛と呼ばれるのです。そして、阿頼耶識は否定的なエネルギーのため、通常は非常に暗いです。
しかし、生きて人生をコントロールしている者は猿、つまり私たちの人生をでっち上げ(偽造し)、私たちの人生において物事を創造し、私たちを地獄か天国へ連れて行き、私たちに愛か憎しみをもたらす猿です。ですから、猿は非常に知能的な奴です。私たちは猿に注意を払う必要があります。ですから、猿にマインドフルネスの光を当ててください。猿を静かに座らせてください。馬を手なずけて穏やかにさせ、リラックスさせてください。それが私たちの実践です。
あなたは、純粋さやその他何でもかまいませんが、初心者用語の本質を探す必要はありません。そんなことはどうでもいいのです。あなたは、外部に仏陀を探す必要さえありません。あなたは、誓約の最後に悟りを得る必要はないのです。あなたが踏み出す一歩一歩で、悟りを得ることができるからです。
:引用終わり
(おわり)
(解説)
平静は、悟りの最も難しい要素であると、私は理解しています。なぜなら、平静とは非差別、非分離、非二元性、包括性、全体性、無条件の愛と思いやり、を意味するからです。ですから、悟りの他の六要素は、第七要素(平静)を成果として得るための手段か道具なのです。
完全な悟りのためには、1日24時間の非思考が不可欠です。ですから、そのためには全ての概念の絶滅が不可欠です。私たちは完全に思考を停止するために、全ての概念を投げ捨てなければなりません。そしてそのためには、洞察を通して、究極の真理である「空」、即ち相互依存を理解する必要があります。言い換えれば、全ての概念は分離、差別、即ち二元性を引き起こしますので、エゴによってでっち上げられた全ての概念は誤りであるということを、私たちは理解する必要があるのです。
私たちがその洞察を得ると、完全に悟りを開き、1日24時間思考を停止できます。ですから、もはや分離、差別、即ち二元性はありません。すると、恐れや怒りのような煩悩が生じることはもうありません。それ故に、苦しみは完全に滅却されます。あるいは、人間のエゴによってでっち上げられた苦しみの概念がなくなる、と言うべきでしょう。全ての動物、植物、鉱物は、そのように生きるのを楽しんでいます。(小さな子供を除く)ほとんどの人間だけが、生ける屍なのです。
(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
ガンダーラ仏陀
Thursday, January 5, 2017
七覚支 (5)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
(54:45~)
悟りの第六要素は集中です。集中(サマーディ)はマインドフルネスに同調します。 私たちは皆、集中を必要としています。全ての瞑想学派は集中を一生懸命やっています。集中なくして、悟りなし。あなたが禅の学派に属していようが、密教の学派に属していようが、皆、集中(サマーディ)が必要です。サマーディは、あなたの心が休むようになり、あなたの心が集中し、焦点を合わせるようになることを意味するサマタ(止観の止)に相当します。 あなたの心が体へ(戻って)来ます。あなたがあなたの心を集中させるのではありませんが、(心が)常に休んでいるという感覚、常にあなたのためにそこにいるという感覚があなたにはあります。
ですから、マインドフルネスの連続が、実際には集中です。ですから、マインドフルネスのエネルギー分布は、実際には心の集中です。あなたがより長いマインドフルネスを持続すればするほど、あなたはより長い集中を手に入れます。そして、あなたの心は一日中、平安になります。静けさと平安。私たちは結局とても活発ですから、静けさを必要とします。
ですから、私たちの心を理解するために集中が必要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは自分の心の中の種子によって制御されているからです。種子は実際に何をすべきかを私たちに告げます。私たちは制御できません。あなたが孤独な時、「誰か話をする人が必要だ」と言うように。(中略)実際に、私たちは自分自身の心に操作されています。ですから、「あなた(の体)は馬に乗っていますが、あなたの心に乗られており、実際には支配権を持っていません」と、仏陀は言ったのです。
ですから、集中は、私たちが心の濃縮された支配権、自由、解放を手に入れるのに役立ちます。私たちは、ここで何が起きているのかが分かります。私たちは、思考がエネルギーになる前に、その思考を見ます。私たちは、感情が強い感情になる前に、その感情を見ます。私たちは、私たちのエネルギーを送る前に、その執着を見ます。時には執着がとても強くて、私たちはエネルギーを送り出してしまいます。「私はあなたのことが好きです。あなたは私のことを美しく見てくれないのですか?」と。そんな風になります。
(1:00:38~)
最後の一つ(悟りの第七要素)は、平静(包括性、非差別、相互依存)です。これは非常に重要です。平静とは、手放すことを意味します。(中略)この要素は、自由になるため、悟りを開くために非常に重要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは執着し、しがみつくからです。心の底では、私たちはもっとつかみたいし、もっと握りたいのです。私たちは全てを自分のものにしたいのです。ですから、手放すこと(が重要です)。
しかし、心の深い奥底には、執着からの恐れがあります。あなたはそれらを失うことを恐れているのです。あなたはいつかそれらを手放さなければならないことを恐れています。しかし、あなたは行かねばなりません。ある日、あなたは死なねばなりません。ですから、最終的な解放は、実際には手放すこと、(自分の所有物への)執着を手放すことです。この体さえも手放さなければなりません。そして、実際に私たちが深く観ると、この体は誕生と死のプロセスであると、私たちは理解します。あなたはいつも絶えず死んでおり、絶えず生まれています。そして、これが無常の法則なのです。
あなたはいつも変化していますので、その瞬間に「あなた」と呼ばれるものは何もありません。人々はこの実践をしていませんので、彼らはこの永遠の変化のプロセスを理解していません。ですから、彼らは死ぬことを恐れているのです。彼らは病気になることを恐れています。彼らはいつの日か、愛する人から旅立つことを恐れています。あなたがそんな感じなのか、あなたの愛する人がそんな感じなのか、のどちらかです。
:引用終わり
(つづく)
(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
(54:45~)
悟りの第六要素は集中です。集中(サマーディ)はマインドフルネスに同調します。 私たちは皆、集中を必要としています。全ての瞑想学派は集中を一生懸命やっています。集中なくして、悟りなし。あなたが禅の学派に属していようが、密教の学派に属していようが、皆、集中(サマーディ)が必要です。サマーディは、あなたの心が休むようになり、あなたの心が集中し、焦点を合わせるようになることを意味するサマタ(止観の止)に相当します。 あなたの心が体へ(戻って)来ます。あなたがあなたの心を集中させるのではありませんが、(心が)常に休んでいるという感覚、常にあなたのためにそこにいるという感覚があなたにはあります。
ですから、マインドフルネスの連続が、実際には集中です。ですから、マインドフルネスのエネルギー分布は、実際には心の集中です。あなたがより長いマインドフルネスを持続すればするほど、あなたはより長い集中を手に入れます。そして、あなたの心は一日中、平安になります。静けさと平安。私たちは結局とても活発ですから、静けさを必要とします。
ですから、私たちの心を理解するために集中が必要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは自分の心の中の種子によって制御されているからです。種子は実際に何をすべきかを私たちに告げます。私たちは制御できません。あなたが孤独な時、「誰か話をする人が必要だ」と言うように。(中略)実際に、私たちは自分自身の心に操作されています。ですから、「あなた(の体)は馬に乗っていますが、あなたの心に乗られており、実際には支配権を持っていません」と、仏陀は言ったのです。
ですから、集中は、私たちが心の濃縮された支配権、自由、解放を手に入れるのに役立ちます。私たちは、ここで何が起きているのかが分かります。私たちは、思考がエネルギーになる前に、その思考を見ます。私たちは、感情が強い感情になる前に、その感情を見ます。私たちは、私たちのエネルギーを送る前に、その執着を見ます。時には執着がとても強くて、私たちはエネルギーを送り出してしまいます。「私はあなたのことが好きです。あなたは私のことを美しく見てくれないのですか?」と。そんな風になります。
(1:00:38~)
最後の一つ(悟りの第七要素)は、平静(包括性、非差別、相互依存)です。これは非常に重要です。平静とは、手放すことを意味します。(中略)この要素は、自由になるため、悟りを開くために非常に重要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは執着し、しがみつくからです。心の底では、私たちはもっとつかみたいし、もっと握りたいのです。私たちは全てを自分のものにしたいのです。ですから、手放すこと(が重要です)。
しかし、心の深い奥底には、執着からの恐れがあります。あなたはそれらを失うことを恐れているのです。あなたはいつかそれらを手放さなければならないことを恐れています。しかし、あなたは行かねばなりません。ある日、あなたは死なねばなりません。ですから、最終的な解放は、実際には手放すこと、(自分の所有物への)執着を手放すことです。この体さえも手放さなければなりません。そして、実際に私たちが深く観ると、この体は誕生と死のプロセスであると、私たちは理解します。あなたはいつも絶えず死んでおり、絶えず生まれています。そして、これが無常の法則なのです。
あなたはいつも変化していますので、その瞬間に「あなた」と呼ばれるものは何もありません。人々はこの実践をしていませんので、彼らはこの永遠の変化のプロセスを理解していません。ですから、彼らは死ぬことを恐れているのです。彼らは病気になることを恐れています。彼らはいつの日か、愛する人から旅立つことを恐れています。あなたがそんな感じなのか、あなたの愛する人がそんな感じなのか、のどちらかです。
:引用終わり
(つづく)
(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
Tuesday, January 3, 2017
七覚支 (4)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
(35:07~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。それは、あなた自身が正しいダルマ、正しい法の扉を探さなければならないことを意味します。(中略)ですから、私たちは日々の生活で実践するために、マインドフルネス(念)、集中、洞察の実践を学びました。そして次に、私たちは(その学んだ実践を)検証し、観ます。ですから、検証はむしろ深く観ること(ヴィパサナ)に近いです。私たちは心を止めるために、今、この瞬間に連れてきます。そして、私たちは自分の体、感情、知覚を観ます。なぜなら、私たちの体が何であるかを理解する必要があるからです。私たちの体には非常に深い秘密があります。私たちの体には、学ぶべき広大な領域があります。
もし、私たちが理解できなければ、苦しみますが、理由が分かりません。私たちは体にもっと苦しみを創造します。なぜか分からないのです。ですから、マインドフルネスがダルマ(法:仏陀の教え)の検証に協力します。(中略)しかし、マインドフルネスが道、つまり仏陀の方法であることは確かです。マインドフルネスがなければ、悟りもありません。(中略)あなたが好きか嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、彼または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。
(42:02~)
悟りの第三の要素は、エネルギーです。私たちがこのような生き方を続けるためには、エネルギーが必要です。ですから、このエネルギーは力のようなものであり、精進のエネルギーです。ですから、エネルギーがなければ、悟りもありません。怠惰では上手くいきません。(中略)もし、あなたがとても怠け者になる場合、悟りを得ることはできますか?(中略)あなたは年がら年中、エネルギーを発生させなければなりません。エネルギーは、正に私たちが必要とするものなのです。
ですから、スピリチュアルな人生とはそのようなものです。私たちは勤勉である必要があります。私たちは精進することを楽しみます。なぜなら、これが私たちの人生の中で最も重要なことであることを知っているからです。つまり、マインドフルネス、集中、透明な心のエネルギーを発生させることです。そうしなければ、私たちはただ同じパターン、即ち自動操縦(心に操られている状態)へと戻ってしまいます。混乱(します)。習慣エネルギー(癖に操られるのです)。すると、私たちは自分自身と他に苦しみをもたらす傾向があります。ですから、エネルギーが必要なのです。(中略)エネルギーは私たちを安定させます。あなたが否定的であることを知っているエネルギーは、実行してはなりません。何が否定的なエネルギーなのか、否定的な思考なのか、否定的な心行(精神形成物)なのかをあなたはご存知です。あなたはそれをしてはなりません。それに水をやってはなりません。(中略)ですから、良い種子に水をやることが、幸せと喜びなのです。
(50:03~)
喜びが悟りの第四の要素です。時には喜びを歓喜と呼びます。抑うつの人が悟りを得られると信じられますか?あり得ません!ですから、私たちは喜びを多少は持つ必要があります。私たちは喜びを持つことを好みます。あなたは実践をするために楽しむのです。あなたは喜びを感じます。喜びは道の技術であり、通ずるため、経験するためのマインドフルネスのようなものです。ですから、喜びは自己暗示にかけられるものではありません。しかし、あなたは喜びを感じます。私たちは静かに座禅を組み、あなたは喜びを感じます。(中略)喜びは静けさ、透明な心からやって来ます。
(51:15から)
悟りの第五の要素は、リラクゼーション(くつろぎ)と静けさです。真のマインドフルネスは非思考(考えないこと)です。真の集中は非思考です。ですから、静けさが非常に重要です。(中略)ただ、そこに座ってください。ただ、あなた自身になってください。人間の最大の苦しみは、あなたが自分自身になれないということです。そうですよね?あなたは愛を探していますが、自分自身を愛せません。あなたは、他の誰かにあなたを愛してもらいたいのですが、自分自身を愛せません。あなたは、誰かにあなたへの注意を払ってもらいたいのですが、自分自身に注意を払うことができません。それが人間の最大の苦しみです。
ですから、(自分自身に)戻って、リラックスして(くつろいで)ください。体の中でリラックスして(くつろいで)ください。心の中で穏やかになってください。私たちはこの素養を持っています。そして、実際にくつろぎと穏やかさが正に悟りに直結する要素であり、エネルギーです。実際にあなたは悟りました。あなたは仏陀になります。人間として、私たちはたくさんの苦しみを作り出しますので、誰もが仏陀になれることを願っています。しかし、あなたが仏陀になる時、くつろぎと穏やかさのエネルギーを放射しています。あなたの心はより透明になります。それは、あなたの知覚がより澄んで(感覚と)より直接的であることを意味します。
(54:13~)
あなたが知覚の場所にやって来る時、たくさん色をつけます。なぜなら、知覚の底は心だからです。知覚の上に人がいます。ですから、私たちは私たち自身の心で、人を色づけします。私たちが好きか好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。ですから、心の穏やかさ、体のくつろぎが非常に重要なのです。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
次の発言は非常に重要且つ真理ですので、よく覚えておかねばなりません。
「あなたが好きか嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、彼または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。」
「ですから、私たちは私たち自身の心で、人を色づけします。私たちが好きか好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。」
上記の発言は、私たちは自分の心、つまり自分自身を他人の中に見ることを意味します。ですから、私たちの見方は、私たちの考え方に依存するのです。もし、私たちが相手を責めるなら、実際には自分自身を責めているのです。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
(35:07~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。それは、あなた自身が正しいダルマ、正しい法の扉を探さなければならないことを意味します。(中略)ですから、私たちは日々の生活で実践するために、マインドフルネス(念)、集中、洞察の実践を学びました。そして次に、私たちは(その学んだ実践を)検証し、観ます。ですから、検証はむしろ深く観ること(ヴィパサナ)に近いです。私たちは心を止めるために、今、この瞬間に連れてきます。そして、私たちは自分の体、感情、知覚を観ます。なぜなら、私たちの体が何であるかを理解する必要があるからです。私たちの体には非常に深い秘密があります。私たちの体には、学ぶべき広大な領域があります。
もし、私たちが理解できなければ、苦しみますが、理由が分かりません。私たちは体にもっと苦しみを創造します。なぜか分からないのです。ですから、マインドフルネスがダルマ(法:仏陀の教え)の検証に協力します。(中略)しかし、マインドフルネスが道、つまり仏陀の方法であることは確かです。マインドフルネスがなければ、悟りもありません。(中略)あなたが好きか嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、彼または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。
(42:02~)
悟りの第三の要素は、エネルギーです。私たちがこのような生き方を続けるためには、エネルギーが必要です。ですから、このエネルギーは力のようなものであり、精進のエネルギーです。ですから、エネルギーがなければ、悟りもありません。怠惰では上手くいきません。(中略)もし、あなたがとても怠け者になる場合、悟りを得ることはできますか?(中略)あなたは年がら年中、エネルギーを発生させなければなりません。エネルギーは、正に私たちが必要とするものなのです。
ですから、スピリチュアルな人生とはそのようなものです。私たちは勤勉である必要があります。私たちは精進することを楽しみます。なぜなら、これが私たちの人生の中で最も重要なことであることを知っているからです。つまり、マインドフルネス、集中、透明な心のエネルギーを発生させることです。そうしなければ、私たちはただ同じパターン、即ち自動操縦(心に操られている状態)へと戻ってしまいます。混乱(します)。習慣エネルギー(癖に操られるのです)。すると、私たちは自分自身と他に苦しみをもたらす傾向があります。ですから、エネルギーが必要なのです。(中略)エネルギーは私たちを安定させます。あなたが否定的であることを知っているエネルギーは、実行してはなりません。何が否定的なエネルギーなのか、否定的な思考なのか、否定的な心行(精神形成物)なのかをあなたはご存知です。あなたはそれをしてはなりません。それに水をやってはなりません。(中略)ですから、良い種子に水をやることが、幸せと喜びなのです。
(50:03~)
喜びが悟りの第四の要素です。時には喜びを歓喜と呼びます。抑うつの人が悟りを得られると信じられますか?あり得ません!ですから、私たちは喜びを多少は持つ必要があります。私たちは喜びを持つことを好みます。あなたは実践をするために楽しむのです。あなたは喜びを感じます。喜びは道の技術であり、通ずるため、経験するためのマインドフルネスのようなものです。ですから、喜びは自己暗示にかけられるものではありません。しかし、あなたは喜びを感じます。私たちは静かに座禅を組み、あなたは喜びを感じます。(中略)喜びは静けさ、透明な心からやって来ます。
(51:15から)
悟りの第五の要素は、リラクゼーション(くつろぎ)と静けさです。真のマインドフルネスは非思考(考えないこと)です。真の集中は非思考です。ですから、静けさが非常に重要です。(中略)ただ、そこに座ってください。ただ、あなた自身になってください。人間の最大の苦しみは、あなたが自分自身になれないということです。そうですよね?あなたは愛を探していますが、自分自身を愛せません。あなたは、他の誰かにあなたを愛してもらいたいのですが、自分自身を愛せません。あなたは、誰かにあなたへの注意を払ってもらいたいのですが、自分自身に注意を払うことができません。それが人間の最大の苦しみです。
ですから、(自分自身に)戻って、リラックスして(くつろいで)ください。体の中でリラックスして(くつろいで)ください。心の中で穏やかになってください。私たちはこの素養を持っています。そして、実際にくつろぎと穏やかさが正に悟りに直結する要素であり、エネルギーです。実際にあなたは悟りました。あなたは仏陀になります。人間として、私たちはたくさんの苦しみを作り出しますので、誰もが仏陀になれることを願っています。しかし、あなたが仏陀になる時、くつろぎと穏やかさのエネルギーを放射しています。あなたの心はより透明になります。それは、あなたの知覚がより澄んで(感覚と)より直接的であることを意味します。
(54:13~)
あなたが知覚の場所にやって来る時、たくさん色をつけます。なぜなら、知覚の底は心だからです。知覚の上に人がいます。ですから、私たちは私たち自身の心で、人を色づけします。私たちが好きか好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。ですから、心の穏やかさ、体のくつろぎが非常に重要なのです。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
次の発言は非常に重要且つ真理ですので、よく覚えておかねばなりません。
「あなたが好きか嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、彼または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。」
「ですから、私たちは私たち自身の心で、人を色づけします。私たちが好きか好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。」
上記の発言は、私たちは自分の心、つまり自分自身を他人の中に見ることを意味します。ですから、私たちの見方は、私たちの考え方に依存するのです。もし、私たちが相手を責めるなら、実際には自分自身を責めているのです。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
Saturday, December 31, 2016
七覚支 (3)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
(25:10~)
ですから、マインドフルネスとは、心が体へ戻り、今この瞬間に留まるということです。マインドフルネスとは、あなたが感じていることを何でもすること(エゴの否定的な感情に従うのではなく、目覚めた意識が触れた通りに行動すること)です。単純に聞こえますが、私たちの心は一度に多くのことをする(同時に複数のことをする)のが好きですので、たくさんの訓練が必要です。私たちの心は過去へ、未来へと遠くに逃げ出すことを好みます。 私たちの心は、考えることと計画することが非常に上手です。そして、私たちの心は走って走ってばかりいる白馬のようだと、仏陀は言いました。
(26:55~)
仏陀は、馬は私たちの心のようだと言いました。マインドフルネスの訓練をすることは、実際に、停止することに熱中するための心のトレーニングであり、走るのを止めるための心のトレーニングであり、思考さえ停止するための心のトレーニングです。思考には何も問題はありません。しかし、私たちは考え過ぎです。思考のほとんどは生産的ではありません。そして、私たちの思考のほとんどは非常に否定的です。思考には多くの不安と恐れがあります。心配があります。
ですから、マインドフルネスとは、ただ居るということです。一度に一つのことをしてください。本当にただ居るということです。私たちの心はとても狂っていますので。ですから、ただ居るということは訓練であり、全然簡単ではありません。馬、心の中の馬を訓練すること、それがマインドフルネスです。
(34:28~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。ですから、仏陀は悟りを定義することにおいて非常に明確でした。第一(要素)がマインドフルネス、今この瞬間において自分自身に戻ることです。心と体が一つになります。ですから、マインドフルネスなしでは、悟りはありません。いいですか?それは確かです。ですから、一瞬一瞬の目覚めた意識です。マインドフルネスは真の悟りです。真の命です!
:引用終わり
(つづく)
(解説)
マインドフルネスとは、思考を止めることです。私たちの行動(呼吸や歩行などの自動詞の行動は、目的語、即ち心の対象を要しませんので、思考を止めるのに最適です)に集中する時、思考を止めて、目覚めた意識が非思考になると同時に自動的に復活します。すると、私たち(目覚めた意識)は生命の奇跡と、自分の内面と周囲の現実の本質に触れることができます。ですから、私たちは常に洞察を得ることができ、いつでも愛と思いやりを発生させることができます。その結果、私たちの心はいつも穏やかで澄んでおり、その心が平和、喜び、幸せをもたらします。しかしながら、この段階はまだ一時的な悟りであり、全ての概念の絶滅を通した完全な悟りではありません。
思考を止めることによってマインドフルになるためには、洞察を通して私たちの恐れや不安の根本原因を理解する必要があります。なぜなら、根本原因を理解しない限り、私たちは思考を止めることができないからです。それから、意識的な呼吸や歩行は、一時的に思考を止めて、苦しみの根本原因の洞察を得るのに、補足的な手法として役立つと理解しています。しかし、意識的な呼吸や歩行は、恐れや不安を持っている人にとってはあまり簡単なことではありません。なぜなら、意識的な呼吸や歩行中であっても、恐れや不安を持っている人が思考を止めるのは非常に難しいからです。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
(25:10~)
ですから、マインドフルネスとは、心が体へ戻り、今この瞬間に留まるということです。マインドフルネスとは、あなたが感じていることを何でもすること(エゴの否定的な感情に従うのではなく、目覚めた意識が触れた通りに行動すること)です。単純に聞こえますが、私たちの心は一度に多くのことをする(同時に複数のことをする)のが好きですので、たくさんの訓練が必要です。私たちの心は過去へ、未来へと遠くに逃げ出すことを好みます。 私たちの心は、考えることと計画することが非常に上手です。そして、私たちの心は走って走ってばかりいる白馬のようだと、仏陀は言いました。
(26:55~)
仏陀は、馬は私たちの心のようだと言いました。マインドフルネスの訓練をすることは、実際に、停止することに熱中するための心のトレーニングであり、走るのを止めるための心のトレーニングであり、思考さえ停止するための心のトレーニングです。思考には何も問題はありません。しかし、私たちは考え過ぎです。思考のほとんどは生産的ではありません。そして、私たちの思考のほとんどは非常に否定的です。思考には多くの不安と恐れがあります。心配があります。
ですから、マインドフルネスとは、ただ居るということです。一度に一つのことをしてください。本当にただ居るということです。私たちの心はとても狂っていますので。ですから、ただ居るということは訓練であり、全然簡単ではありません。馬、心の中の馬を訓練すること、それがマインドフルネスです。
(34:28~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。ですから、仏陀は悟りを定義することにおいて非常に明確でした。第一(要素)がマインドフルネス、今この瞬間において自分自身に戻ることです。心と体が一つになります。ですから、マインドフルネスなしでは、悟りはありません。いいですか?それは確かです。ですから、一瞬一瞬の目覚めた意識です。マインドフルネスは真の悟りです。真の命です!
:引用終わり
(つづく)
(解説)
マインドフルネスとは、思考を止めることです。私たちの行動(呼吸や歩行などの自動詞の行動は、目的語、即ち心の対象を要しませんので、思考を止めるのに最適です)に集中する時、思考を止めて、目覚めた意識が非思考になると同時に自動的に復活します。すると、私たち(目覚めた意識)は生命の奇跡と、自分の内面と周囲の現実の本質に触れることができます。ですから、私たちは常に洞察を得ることができ、いつでも愛と思いやりを発生させることができます。その結果、私たちの心はいつも穏やかで澄んでおり、その心が平和、喜び、幸せをもたらします。しかしながら、この段階はまだ一時的な悟りであり、全ての概念の絶滅を通した完全な悟りではありません。
思考を止めることによってマインドフルになるためには、洞察を通して私たちの恐れや不安の根本原因を理解する必要があります。なぜなら、根本原因を理解しない限り、私たちは思考を止めることができないからです。それから、意識的な呼吸や歩行は、一時的に思考を止めて、苦しみの根本原因の洞察を得るのに、補足的な手法として役立つと理解しています。しかし、意識的な呼吸や歩行は、恐れや不安を持っている人にとってはあまり簡単なことではありません。なぜなら、意識的な呼吸や歩行中であっても、恐れや不安を持っている人が思考を止めるのは非常に難しいからです。
歩行瞑想
Tuesday, December 27, 2016
七覚支 (2)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
(16:00~)
ですから、マインドフルネスを実践しているのであれば、私たちは正しい方向に向いています。混乱することは何もありません。何も心配する必要はありません。時々、私たちはティク・ナット・ハンや仏陀からこの非常に重要な実践(マインドフルネス)を学びましたが、しばらくすると自分の実践に自信がないように感じ始めます。なぜなら、ティク・ナット・ハンが実践する方法はとても単純だからです。そして、私たちはそれ(マインドフルネス)は効果がないと考えました。単純なものは効かないと。悟りは高い所にあるものだから、洗練されたもの、神秘的なものが効くだろうと。ですから、それは私たちが(たぶん、これは私には効かないという)疑いの罠に簡単に陥る錯覚です。私が修道僧になって4年が経過した時に、私がしたことと全く同じです。
(17:18~)
そして、誰もがマインドフルネスを知っており、皆さんは既にマインドフルネスを実践していますが、マインドフルネスはまた、悟りのようなものであり、考えではありません。マインドフルネスは概念ではないのです。マインドフルネスは思考ではありません。マインドフルネスは皆さんが行うことができ、発生させることができるエネルギーなのです。マインドフルネスは私たちが好む精神エネルギーです。皆さんが見ることができ、聞くことができ、感じることができる澄んだ目覚めた意識として定義できます。そして、皆さんは本当にこのエネルギーに触れることができます。ですから、これは弟子に引き継いで、今私たちへと伝えられてる仏陀の正しい教えであり、正しい実践です。ですから、皆さんが自分自身の実践を信じることができるようになればと思い、私はこのように皆さんに分かち合いたいのです。
(18:27~)
マインドフルネスとは、心と体が一つになることとして定義されています。一息、息を吸って、最初から最後までその息に気付いているなら、それがマインドフルネスです。ご存知ですよね。皆さんはそのエネルギーを感じることができます。そして、マインドフルネスは、ただの呼吸、呼吸法ではないのです。マインドフルネスはまた、花を見ることでもあります。あなたが花を見るのです。マインドフルネスは正にそのようなものです。それがマインドフルネスです。皆さんは風が自分の体を休めているのを感じます。そして、風のさわやかさに気付く気持ち。それもまたマインドフルネスです。そして、皆さんは自然の中を歩きます。すると、自分の顔や肩に日差しを感じます。それもまたマインドフルネスです。マインドフルネスは精神エネルギーです。マインドフルネスは、私たちの心の中で非常に澄んでいます。澄んだ目覚めた意識です。それが、仏陀の本質です。人は仏性について語りますが、これ(澄んだ目覚めた意識)が本当の仏性です。皆さんはマインドフルネスに触れることができます。マインドフルネスは思考ではありません。
マインドフルネスは、仏陀がほとんど毎日本当にやったことであり、仏陀の弟子たちが毎日実践していたことです。歩行が大地を感じます。それがマインドフルネスです。ですから、マインドフルネスは頭(脳)からはやって来ません。マインドフルネスは体からやって来ます。そうですね、マインドフルネスは皆さんが感じ、触れ、経験することにより近いです。それ以上でないことは確かです。ですから、実際にマインドフルネスについて考えることは、マインドフルネスではありません。
(21:05から)
ですから、「禅」(「禅那」)の第二の状態があります。思考がない状態。思考は混乱させると、私は言いました。思考は私たちを生命から遠ざけます。私たちは多くのことを考えながら、そこで座禅を組んでいます。そして、私たちは目の前の花を見ないのです。
:引用終わり
(つづく)
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
(16:00~)
ですから、マインドフルネスを実践しているのであれば、私たちは正しい方向に向いています。混乱することは何もありません。何も心配する必要はありません。時々、私たちはティク・ナット・ハンや仏陀からこの非常に重要な実践(マインドフルネス)を学びましたが、しばらくすると自分の実践に自信がないように感じ始めます。なぜなら、ティク・ナット・ハンが実践する方法はとても単純だからです。そして、私たちはそれ(マインドフルネス)は効果がないと考えました。単純なものは効かないと。悟りは高い所にあるものだから、洗練されたもの、神秘的なものが効くだろうと。ですから、それは私たちが(たぶん、これは私には効かないという)疑いの罠に簡単に陥る錯覚です。私が修道僧になって4年が経過した時に、私がしたことと全く同じです。
(17:18~)
そして、誰もがマインドフルネスを知っており、皆さんは既にマインドフルネスを実践していますが、マインドフルネスはまた、悟りのようなものであり、考えではありません。マインドフルネスは概念ではないのです。マインドフルネスは思考ではありません。マインドフルネスは皆さんが行うことができ、発生させることができるエネルギーなのです。マインドフルネスは私たちが好む精神エネルギーです。皆さんが見ることができ、聞くことができ、感じることができる澄んだ目覚めた意識として定義できます。そして、皆さんは本当にこのエネルギーに触れることができます。ですから、これは弟子に引き継いで、今私たちへと伝えられてる仏陀の正しい教えであり、正しい実践です。ですから、皆さんが自分自身の実践を信じることができるようになればと思い、私はこのように皆さんに分かち合いたいのです。
(18:27~)
マインドフルネスとは、心と体が一つになることとして定義されています。一息、息を吸って、最初から最後までその息に気付いているなら、それがマインドフルネスです。ご存知ですよね。皆さんはそのエネルギーを感じることができます。そして、マインドフルネスは、ただの呼吸、呼吸法ではないのです。マインドフルネスはまた、花を見ることでもあります。あなたが花を見るのです。マインドフルネスは正にそのようなものです。それがマインドフルネスです。皆さんは風が自分の体を休めているのを感じます。そして、風のさわやかさに気付く気持ち。それもまたマインドフルネスです。そして、皆さんは自然の中を歩きます。すると、自分の顔や肩に日差しを感じます。それもまたマインドフルネスです。マインドフルネスは精神エネルギーです。マインドフルネスは、私たちの心の中で非常に澄んでいます。澄んだ目覚めた意識です。それが、仏陀の本質です。人は仏性について語りますが、これ(澄んだ目覚めた意識)が本当の仏性です。皆さんはマインドフルネスに触れることができます。マインドフルネスは思考ではありません。
マインドフルネスは、仏陀がほとんど毎日本当にやったことであり、仏陀の弟子たちが毎日実践していたことです。歩行が大地を感じます。それがマインドフルネスです。ですから、マインドフルネスは頭(脳)からはやって来ません。マインドフルネスは体からやって来ます。そうですね、マインドフルネスは皆さんが感じ、触れ、経験することにより近いです。それ以上でないことは確かです。ですから、実際にマインドフルネスについて考えることは、マインドフルネスではありません。
(21:05から)
ですから、「禅」(「禅那」)の第二の状態があります。思考がない状態。思考は混乱させると、私は言いました。思考は私たちを生命から遠ざけます。私たちは多くのことを考えながら、そこで座禅を組んでいます。そして、私たちは目の前の花を見ないのです。
:引用終わり
(つづく)
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
歩行瞑想
Sunday, December 25, 2016
七覚支 (1)
次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
引用:
(9:18~)
たぶん、プラム・ビレッジの実践が私には効かないと、私は考えました。(中略)(見習い)僧侶として4年経過後、私は若い比丘(完全に叙任された仏教の僧侶)になりました。私はティク・ナット・ハンの部屋に行って、「師よ、私はあなたを去りたいと思います。私は寺院を去り、あなたから離れたいです。私は異なる実践を学ぶために、ダライ・ラマの所へ行きたいです。なぜなら、4年が経った今、私はもはや平和を見い出せないからです。最初の内は、私は本当にたくさんの平和、喜び、幸せでいっぱいでした。(中略)しかし、今は非常に疲労困憊し、体が病気になっています。私は行きたいです。たぶん、あなたの実践方法は私には効きません。私には、この息を吸って吐くことや歩行瞑想よりも、より複雑且つ神秘的な真言のようなものが必要なのです」と言いました。(笑)
すると、ティク・ナット・ハンが何と言ったと思いますか?「座禅の最初から最後までマインドフルな呼吸をすることができますか?」(と尋ねられました) 私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。「マインドフルな歩行をできますか?歩行の最初から最後まで、本当に大地を感じることができますか?」 (通常、プラム・ビレッジでは(歩行瞑想を)約45分します。)そして、私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。すると、(ティク・ナット・ハンは)、「あなたは残らなければなりません」と言いました。(笑)それは、師が私に去る許可をくれないことを意味します。 私はまだ訓練ができていませんでしたので、それはその通りです。私はまだこの単純な実践を完全に訓練できていませんでした。(それなのに)私は混乱していましたので、もう出て行きたかったのです。私は自分の中の多くの苦しみに直面し、自分の苦しみから逃げていました。私は、より洗練された実践方法、神秘的な真言、密教を学ぶために、異なる教えの方へ行く必要があると考えて、自分の苦しみから逃げていたのです。
(11:55~)
今、僧侶として27年が経過し、私はいつも、「私は誰?」ではなく、「私は何をしているのか?」と、自問します。「私は正に今、何をしているか?」 と。すると、この質問は基本的な実践に私を連れ戻してくれます。「私はここで何をしているのか?」それから、「私は寺院で自分の命のために何をしているのか?」と。ですから、この自問が直ちに、私を基本的な実践である息を吸って吐く実践、歩行瞑想、食事瞑想へと連れ戻してくれるのです。
私の心は彷徨い続けていました。(中略)時には悟りを探し求めていました。僧侶になるという私の願望は、仏陀になるためでした。(中略)私は仏陀になりたかったので、私は悟りを得たいと思っていました。ですから、「私は誰?」と自問する傾向は、人間としての人生目的は何なのかということですが、それは完全に悟りを開いた仏陀になるということであり、私の内面の奥深くにありました。(しかしながら)私の日々の実践においては、それは全く役に立ちません。
しかし、それ(仏陀になる願望)は、私が完全に悟りを開いていることを特定する心の状態を探し求めて、走り続ける非常に深い不安からきています。しかし、それは馬鹿げています。そんな風にはいかないのは確かです。なぜなら、悟りは心の状態ではないことを、私は今、知っているからです。悟りは考えではありません。悟りは、内面の奥深くへ入り込み、内部を探求することではありません。違います。
悟りは、日々の一瞬一瞬の実践です。私たちは何を実践しているでしょうか?マインドフルネスの実践です。ですから、マインドフルネスが悟りの第一要素なのです。仏陀が悟りの七要素、七つの悟りの特徴について語ったことを、皆さんはご存知です。非常に具体的で、非常に明確です。その第一の要素がマインドフルネスです。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
タイ・ファップ・ダンは完全に悟りを開いている(プラム・ビレッジの伝統において完全に悟りを開いている数名の内の一人である)と、私は理解しています。タイ・ファップ・ダンが完全な悟りを開く前の非常に具体的な経験を分かち合ってくれたことは、非常に心を開いていて率直です。マインドフルになるためのタイ・ファップ・ダンの手法は、「私は何をしているのか?」と自問することによって、自分を直ちに基本的な実践に連れ戻すことでした。そして、タイ・ファップ・ダンは息を吸って吐く実践や歩行瞑想といった、日々の一瞬一瞬の実践を通して、完全な悟りを開いたようです。私はタイ・ファップ・ダンに、「それが全てですか?」と尋ねたいです。なぜなら、深い不安を取り除くのは、そう簡単なことではないと、私は理解しているからです。私の推測は、タイ・ファップ・ダンが基本的な実践中に自分の非常に深い不安の根本原因を洞察を通して理解したに違いないということです。なぜなら、深い恐れや不安を取り除くためには、無条件の自己受容、即ち無条件の自己愛が不可欠であるからです。ちなみに、「私は誰?」と自問する私の自己探求手法は、以下の通り大変上手くいきました。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。
(9:18~)
たぶん、プラム・ビレッジの実践が私には効かないと、私は考えました。(中略)(見習い)僧侶として4年経過後、私は若い比丘(完全に叙任された仏教の僧侶)になりました。私はティク・ナット・ハンの部屋に行って、「師よ、私はあなたを去りたいと思います。私は寺院を去り、あなたから離れたいです。私は異なる実践を学ぶために、ダライ・ラマの所へ行きたいです。なぜなら、4年が経った今、私はもはや平和を見い出せないからです。最初の内は、私は本当にたくさんの平和、喜び、幸せでいっぱいでした。(中略)しかし、今は非常に疲労困憊し、体が病気になっています。私は行きたいです。たぶん、あなたの実践方法は私には効きません。私には、この息を吸って吐くことや歩行瞑想よりも、より複雑且つ神秘的な真言のようなものが必要なのです」と言いました。(笑)
すると、ティク・ナット・ハンが何と言ったと思いますか?「座禅の最初から最後までマインドフルな呼吸をすることができますか?」(と尋ねられました) 私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。「マインドフルな歩行をできますか?歩行の最初から最後まで、本当に大地を感じることができますか?」 (通常、プラム・ビレッジでは(歩行瞑想を)約45分します。)そして、私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。すると、(ティク・ナット・ハンは)、「あなたは残らなければなりません」と言いました。(笑)それは、師が私に去る許可をくれないことを意味します。 私はまだ訓練ができていませんでしたので、それはその通りです。私はまだこの単純な実践を完全に訓練できていませんでした。(それなのに)私は混乱していましたので、もう出て行きたかったのです。私は自分の中の多くの苦しみに直面し、自分の苦しみから逃げていました。私は、より洗練された実践方法、神秘的な真言、密教を学ぶために、異なる教えの方へ行く必要があると考えて、自分の苦しみから逃げていたのです。
(11:55~)
今、僧侶として27年が経過し、私はいつも、「私は誰?」ではなく、「私は何をしているのか?」と、自問します。「私は正に今、何をしているか?」 と。すると、この質問は基本的な実践に私を連れ戻してくれます。「私はここで何をしているのか?」それから、「私は寺院で自分の命のために何をしているのか?」と。ですから、この自問が直ちに、私を基本的な実践である息を吸って吐く実践、歩行瞑想、食事瞑想へと連れ戻してくれるのです。
私の心は彷徨い続けていました。(中略)時には悟りを探し求めていました。僧侶になるという私の願望は、仏陀になるためでした。(中略)私は仏陀になりたかったので、私は悟りを得たいと思っていました。ですから、「私は誰?」と自問する傾向は、人間としての人生目的は何なのかということですが、それは完全に悟りを開いた仏陀になるということであり、私の内面の奥深くにありました。(しかしながら)私の日々の実践においては、それは全く役に立ちません。
しかし、それ(仏陀になる願望)は、私が完全に悟りを開いていることを特定する心の状態を探し求めて、走り続ける非常に深い不安からきています。しかし、それは馬鹿げています。そんな風にはいかないのは確かです。なぜなら、悟りは心の状態ではないことを、私は今、知っているからです。悟りは考えではありません。悟りは、内面の奥深くへ入り込み、内部を探求することではありません。違います。
悟りは、日々の一瞬一瞬の実践です。私たちは何を実践しているでしょうか?マインドフルネスの実践です。ですから、マインドフルネスが悟りの第一要素なのです。仏陀が悟りの七要素、七つの悟りの特徴について語ったことを、皆さんはご存知です。非常に具体的で、非常に明確です。その第一の要素がマインドフルネスです。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
タイ・ファップ・ダンは完全に悟りを開いている(プラム・ビレッジの伝統において完全に悟りを開いている数名の内の一人である)と、私は理解しています。タイ・ファップ・ダンが完全な悟りを開く前の非常に具体的な経験を分かち合ってくれたことは、非常に心を開いていて率直です。マインドフルになるためのタイ・ファップ・ダンの手法は、「私は何をしているのか?」と自問することによって、自分を直ちに基本的な実践に連れ戻すことでした。そして、タイ・ファップ・ダンは息を吸って吐く実践や歩行瞑想といった、日々の一瞬一瞬の実践を通して、完全な悟りを開いたようです。私はタイ・ファップ・ダンに、「それが全てですか?」と尋ねたいです。なぜなら、深い不安を取り除くのは、そう簡単なことではないと、私は理解しているからです。私の推測は、タイ・ファップ・ダンが基本的な実践中に自分の非常に深い不安の根本原因を洞察を通して理解したに違いないということです。なぜなら、深い恐れや不安を取り除くためには、無条件の自己受容、即ち無条件の自己愛が不可欠であるからです。ちなみに、「私は誰?」と自問する私の自己探求手法は、以下の通り大変上手くいきました。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
タイ・ファップ・ダン
Wednesday, October 19, 2016
心の力 対 夢の力 (2)
次のセールス・フォースに於ける、タイ・ファップ・ダンの法話ビデオを深くご覧ください。
以下は、ビデオからの抜粋です。
引用:
(タイ・ファップ・ダンの法話:35:55~)
ティク・ナット・ハンは、「息子よ、仏陀の企業に参加したいかい?」と言いました。そして、私はショックを受けました。ティク・ナット・ハンが「企業」という言葉を使用したからです。(中略)これは宗教ではありません。この人、このインドの人、インド人(仏陀)が見つけたことは。仏陀は、ビジネスマン、事業家のようなものです。そして、私たちが会社を代表しています。ですから、私たちは人類の歴史の中で最長の存続会社です。 2500年も!
ですから、あなたはそのようにそれ(仏陀の教え)を見る必要があります。ですから、あなたが自分自身を見るなら、私たちの製品は何ですか?私はあなたの知覚を少し変更しようとしています。なぜなら、私たちは宗教関連ではありませんので。私たちは、世の中がもっと親切になり、もっとゆっくりとなり、もっと優しくなり、もっと自由になるのを助けることに関連しています。(中略)ですから、これが私たちの製品です。思いやり、親切さのようなもの。(中略)ですから、ある意味、私たちの会社は「ハート・フォース(真心の力)」のように呼ばれ得るでしょう。
私たちの製品のことを少しだけ共有したいと思います。最初の製品は苦しみに関連しています。私たちは人々に苦しみ方を教えたいです。私たちの先生(ティク・ナット・ハン)は、人が苦しみ方を知っているなら、苦しみを軽減できるだろうということを共有しました。皆さんは、「私は苦しみたくない」と、彷徨っているのかもしれません。それ故に、皆さんは正に苦しみ続けるのです。(苦しみから逃げることばかり考えているから苦しむ。)ですから、私たちは人々に自分の苦しみに寄り添う方法を教えます。もし、皆さんが自分の苦しみに寄り添う方法を知っているなら、皆さんの心は溶けてしまう(閉ざしていた心が開かれる)でしょう。
皆さんの中の何人かは、皆さんが詠唱を聞いていた時にそれに触れたかもしれません。皆さんは誰かのことを思い出したかもしれません。自分自身のことを思い出したかもしれません。多分、皆さんは少し涙ぐみ、皆さんの目の中にそれを知らせていました。それが正に思いやりの本質です。それは、皆さんが売ることができ、包装できる製品ではありません。皆さんが苦しみに触れることができる場合にのみ、それは生じるでしょう。苦しみから、思いやりは生じます。ですから、皆さんは苦しみから逃げてはいけません。ですから、私たちが人々に教えることは、苦しみに寄り添う方法です。
私たちが息を吸い込む時、私は悲しいと感じています。
息を吐いて、悲しくなっても大丈夫です。
息を吸って、私は孤独を感じます。 フェイスブックに映っている誰もが、パーティーをしているのに、私は孤独を感じています。今夜は土曜です。そして、私はそれを受け容れることができます。私は(パーティーなんか)する必要はなく、どこへ行く必要もありません。私はそれを置いといて、ただ私の孤独に寄り添っています。
そして、そこに座って、あなたの苦しみと寄り添うというその能力から、あなたはそれ(苦しみ)は流れて、去って行くということを見始めます。これが、私たちが人々に教えていることの鍵です。ですから、苦しみから逃げないでください。あなたは学ばなければなりません。(学ぶための)方法、技術があります。そして、これが、訓練し、共有するという私たちの全生涯です。それが私たちの製品です。人々が苦しみを軽減できるように、苦しみ方を人々に教えること。
第二の製品は、幸せ、思いやり、喜びです。 (皆さんがダニエルから聞いた通り)幸せもまた習慣です。幸せは、将来的に皆さんが到着する状態ではありません。皆さんの多くは、ビジネスをしています。皆さんは、もし自分がそこに着ければ、幸せになるだろうと考えます。皆さんの昇進、等々。それは、皆さんが到着したり、持つものではありません。それは、均一に加工されて包装される商品ではありません。幸せは習慣なのです。
私たちは、皆さんがもっと平和になり、もっと自由になり、もっと堅実になり、もっと安定して、逆向が軽減するように、訓練するための道具を持っています。そして、思考(脳)と心の中にこれらの資質、新鮮さ、より開放感を持っている人は、もはや走ることはなく、もはや押したり引いたりするために圧力をかけられていません。そんな人が周囲にいると本当に素晴らしいです。皆さんは、堅実な人、新鮮な人、自由で心を開いている人の隣に座ってください。
:引用終わり
(解説)
「心の力」は、(セールス・フォース社の)「夢の力」に対する素晴らしいキャッチ・コピーです。誰が心を持っているでしょうか?誰が夢を持っているでしょうか?独立していない(無自性)自己、即ち本当の自分は、心を持っています。独立した自己、即ちエゴが、夢(アイデア、概念、思考)を持っています。ですから、「心の力」は精神的な力であり、「夢の力」は物質的、または経済的な力です。バランスが極めて重要です。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
引用:
(タイ・ファップ・ダンの法話:35:55~)
ティク・ナット・ハンは、「息子よ、仏陀の企業に参加したいかい?」と言いました。そして、私はショックを受けました。ティク・ナット・ハンが「企業」という言葉を使用したからです。(中略)これは宗教ではありません。この人、このインドの人、インド人(仏陀)が見つけたことは。仏陀は、ビジネスマン、事業家のようなものです。そして、私たちが会社を代表しています。ですから、私たちは人類の歴史の中で最長の存続会社です。 2500年も!
ですから、あなたはそのようにそれ(仏陀の教え)を見る必要があります。ですから、あなたが自分自身を見るなら、私たちの製品は何ですか?私はあなたの知覚を少し変更しようとしています。なぜなら、私たちは宗教関連ではありませんので。私たちは、世の中がもっと親切になり、もっとゆっくりとなり、もっと優しくなり、もっと自由になるのを助けることに関連しています。(中略)ですから、これが私たちの製品です。思いやり、親切さのようなもの。(中略)ですから、ある意味、私たちの会社は「ハート・フォース(真心の力)」のように呼ばれ得るでしょう。
私たちの製品のことを少しだけ共有したいと思います。最初の製品は苦しみに関連しています。私たちは人々に苦しみ方を教えたいです。私たちの先生(ティク・ナット・ハン)は、人が苦しみ方を知っているなら、苦しみを軽減できるだろうということを共有しました。皆さんは、「私は苦しみたくない」と、彷徨っているのかもしれません。それ故に、皆さんは正に苦しみ続けるのです。(苦しみから逃げることばかり考えているから苦しむ。)ですから、私たちは人々に自分の苦しみに寄り添う方法を教えます。もし、皆さんが自分の苦しみに寄り添う方法を知っているなら、皆さんの心は溶けてしまう(閉ざしていた心が開かれる)でしょう。
皆さんの中の何人かは、皆さんが詠唱を聞いていた時にそれに触れたかもしれません。皆さんは誰かのことを思い出したかもしれません。自分自身のことを思い出したかもしれません。多分、皆さんは少し涙ぐみ、皆さんの目の中にそれを知らせていました。それが正に思いやりの本質です。それは、皆さんが売ることができ、包装できる製品ではありません。皆さんが苦しみに触れることができる場合にのみ、それは生じるでしょう。苦しみから、思いやりは生じます。ですから、皆さんは苦しみから逃げてはいけません。ですから、私たちが人々に教えることは、苦しみに寄り添う方法です。
私たちが息を吸い込む時、私は悲しいと感じています。
息を吐いて、悲しくなっても大丈夫です。
息を吸って、私は孤独を感じます。 フェイスブックに映っている誰もが、パーティーをしているのに、私は孤独を感じています。今夜は土曜です。そして、私はそれを受け容れることができます。私は(パーティーなんか)する必要はなく、どこへ行く必要もありません。私はそれを置いといて、ただ私の孤独に寄り添っています。
そして、そこに座って、あなたの苦しみと寄り添うというその能力から、あなたはそれ(苦しみ)は流れて、去って行くということを見始めます。これが、私たちが人々に教えていることの鍵です。ですから、苦しみから逃げないでください。あなたは学ばなければなりません。(学ぶための)方法、技術があります。そして、これが、訓練し、共有するという私たちの全生涯です。それが私たちの製品です。人々が苦しみを軽減できるように、苦しみ方を人々に教えること。
第二の製品は、幸せ、思いやり、喜びです。 (皆さんがダニエルから聞いた通り)幸せもまた習慣です。幸せは、将来的に皆さんが到着する状態ではありません。皆さんの多くは、ビジネスをしています。皆さんは、もし自分がそこに着ければ、幸せになるだろうと考えます。皆さんの昇進、等々。それは、皆さんが到着したり、持つものではありません。それは、均一に加工されて包装される商品ではありません。幸せは習慣なのです。
私たちは、皆さんがもっと平和になり、もっと自由になり、もっと堅実になり、もっと安定して、逆向が軽減するように、訓練するための道具を持っています。そして、思考(脳)と心の中にこれらの資質、新鮮さ、より開放感を持っている人は、もはや走ることはなく、もはや押したり引いたりするために圧力をかけられていません。そんな人が周囲にいると本当に素晴らしいです。皆さんは、堅実な人、新鮮な人、自由で心を開いている人の隣に座ってください。
:引用終わり
「心の力」は、(セールス・フォース社の)「夢の力」に対する素晴らしいキャッチ・コピーです。誰が心を持っているでしょうか?誰が夢を持っているでしょうか?独立していない(無自性)自己、即ち本当の自分は、心を持っています。独立した自己、即ちエゴが、夢(アイデア、概念、思考)を持っています。ですから、「心の力」は精神的な力であり、「夢の力」は物質的、または経済的な力です。バランスが極めて重要です。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
タイ・ファップ・ダン
Tuesday, October 18, 2016
心の力 対 夢の力 (1)
次のセールス・フォースに於ける、シスター・チャン・コーンの法話ビデオを深くご覧ください。
以下は、ビデオからの抜粋です。
引用:
(シスター・チャン・コーンの法話:7:00~)
良い知らせは、あなたが避難できる静かで安全な場所があるということです。私たち全員が避難できる安全な島は、ニューヨーク市にはなく、サンフランシスコにもありませんが、あなた自身の中にあります。
私自身、完全に途方に暮れた時、恐れ、絶望で一杯一杯だと感じる度、正にその瞬間に、自分自身の中の平和、愛、理解だけが私を助けることができるということを、私は知っています。ですから、私は私の吸う息に戻る必要があります。完全に私の吸う息で、完全に私の吐く息で、私を非常に絶望的にするそのニュースと自分自身を私は解離しようとします。
そして、私は歩行によって、その平和に触れ続ける必要があります。私が外へ出かけます。(中略)そして、私が1分、10分、20分の間、私の吸う息、吐く息で私の心を維持することに成功したなら、私の心の平和と透明さが戻ってきます。すると、私は何をすべきか、何をすべきではないのかを分かっています。
言うは易しですが、実行するのは(そう簡単ではありません)ので、私が試してもらうために皆さんを招待したいなら、私が自分自身を訓練してきたように、皆さんにも自分自身を訓練してもらう必要があります。
(ガイド付き瞑想)
目を閉じてください。そして、あなたの吸う息に完全に注意を払ってください。あなたの吐く息に完全に気を配ってください。何も考えようとしないでください。ドリームフォースやこの次の他の活動のことは完全に忘れてください。完全にあなたの吸う息と吐く息と共に(居てください)。
(鐘の音)
息を吸って、私は私の体の中の全ての緊張を静めます。
私は私の頭の先から、全ての動揺を静めます。
私は私の顔の各細胞、私の全身の各細胞を静めます。
息を吐いて、私は私の全身の緊張を解放します。
恐れの考えがやって来ます。私は手放します。私の小さな恐れさん、飛び去ってちょうだい!
怒りが戻って来ます。私の怒りさん、飛び去ってちょうだい!
私には少々の平和と、少々の透明さが必要なのです。私があなた(恐れや怒りなどの煩悩)をより深く観ることができ、美しさ、威厳、思いやりをもって、(恐れや怒りなどの煩悩からの)脱出方法を知ることができるようになる前に。
:引用終わり
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
引用:
(シスター・チャン・コーンの法話:7:00~)
良い知らせは、あなたが避難できる静かで安全な場所があるということです。私たち全員が避難できる安全な島は、ニューヨーク市にはなく、サンフランシスコにもありませんが、あなた自身の中にあります。
私自身、完全に途方に暮れた時、恐れ、絶望で一杯一杯だと感じる度、正にその瞬間に、自分自身の中の平和、愛、理解だけが私を助けることができるということを、私は知っています。ですから、私は私の吸う息に戻る必要があります。完全に私の吸う息で、完全に私の吐く息で、私を非常に絶望的にするそのニュースと自分自身を私は解離しようとします。
そして、私は歩行によって、その平和に触れ続ける必要があります。私が外へ出かけます。(中略)そして、私が1分、10分、20分の間、私の吸う息、吐く息で私の心を維持することに成功したなら、私の心の平和と透明さが戻ってきます。すると、私は何をすべきか、何をすべきではないのかを分かっています。
言うは易しですが、実行するのは(そう簡単ではありません)ので、私が試してもらうために皆さんを招待したいなら、私が自分自身を訓練してきたように、皆さんにも自分自身を訓練してもらう必要があります。
(ガイド付き瞑想)
目を閉じてください。そして、あなたの吸う息に完全に注意を払ってください。あなたの吐く息に完全に気を配ってください。何も考えようとしないでください。ドリームフォースやこの次の他の活動のことは完全に忘れてください。完全にあなたの吸う息と吐く息と共に(居てください)。
(鐘の音)
息を吸って、私は私の体の中の全ての緊張を静めます。
私は私の頭の先から、全ての動揺を静めます。
私は私の顔の各細胞、私の全身の各細胞を静めます。
息を吐いて、私は私の全身の緊張を解放します。
恐れの考えがやって来ます。私は手放します。私の小さな恐れさん、飛び去ってちょうだい!
怒りが戻って来ます。私の怒りさん、飛び去ってちょうだい!
私には少々の平和と、少々の透明さが必要なのです。私があなた(恐れや怒りなどの煩悩)をより深く観ることができ、美しさ、威厳、思いやりをもって、(恐れや怒りなどの煩悩からの)脱出方法を知ることができるようになる前に。
:引用終わり
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
シスター・チャン・コーン
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