Sunday, April 10, 2016

愛の共同体の構築 (3)

次の「愛の共同体の構築」に関するティク・ナット・ハンの教えを、深くご一読ください。 http://www.lionsroar.com/bell-hooks-and-thich-nhat-hanh-on-building-a-community-of-love/?blm_aid=24265
以下は抜粋です。

引用:
ベル・フックス:私は菩薩としての誓いを立てました。ですから、私は怒りを持つといつも非常に憂鬱になります。

ティク・ナット・ハン:あなたは人間らしくなりたいのですね。怒るのは大丈夫です。しかし、実践しないのは大丈夫ではありません。怒るのは非常に人間的です。そして、あなたの怒りに微笑みかけ、あなたの怒りと和解する方法を学ぶことは、とても素晴らしいことです。それが全てなのです。実践の意味学ぶことの意味なのです。あなたの怒りをちらりと見ることにより、理解思いやりのようなあなたが必要とする種類のエネルギーに怒りを変容することができます。あなたが肯定的なエネルギーを作ることができるのは、否定的なエネルギーがあるからなのです。は美しいものの、いつか堆肥になります。しかし、あなたが堆肥を花へと再び変容する方法を知っていれば、心配する必要はありません。(それと同様に)あなたは怒りの対処法を知っていますので、あなたの怒りを心配する必要はありません。対処法とは、怒りを認識し抱きしめ変容するということです。ですから、これは可能なことです。

ベル・フックス:これ(変容)が、自分の敵を愛すようにと言ったマーティン・ルーサー・キングについて人々が誤解している点だと、私は考えます。人々は、マーティン・ルーサー・キングはただこの愚かなつまらない語句を使用していただけだと考えます

ティク・ナット・ハン:自分の中に怒りを持っている時、私たちは苦しみます。自分の中に差別を持​​っている時、私たちは苦しみます優越コンプレックス(優越感)を持っている時、私たちは苦しみます劣等コンプレックス(劣等感)を持っている時、私たちはまた苦しみます。ですから、自分の中のこれら否定的なものを変容できる時、私たちは自由になり、幸福が可能になります。

私たちを傷つける人が、自分の中に怒り絶望のような類のエネルギーを持っているなら、彼らは苦しみます。誰かが苦しんでいるのをあなたが見た時、もうそれ以上苦しまないようにその人を助けたいという欲望に動機づけられるかもしれません。それもまたであり、愛はいかなる色も有していません。他の人は私たちを差別するかもしれませんが、より重要なことは私たちが彼らを差別するかどうかということです。私たちが差別をしないなら、私たちは(差別をする人)より幸せな人であり、幸せな人として、私たちは(他を)助ける立場にあります。そして、怒りは助けにはなりません。

ベル・フックス:恐れのために何をしてあげられますか?

ティク・ナット・ハン:恐れは無知から生まれます。他人が自分から何かを奪おうとしていると、私たちは考えます。しかし、深く見れば、他人の欲望は正に私たち自身の欲望であることが分かります。その欲望とは、平和になること、生きる機会を持てることです。ですから、他人もまた人間であり、あなたが(他人と)全く同じ種の精神的な道を有することをあなたが実感するなら、双方が良い実践者になれます。これは、双方にとって実用的であると思われます。

恐れへの唯一の答は、更なる理解です。もし、自分の心の中他人の心の中にあるものを理解するために、より深く見る努力がないなら、理解は全くありません。仏陀は常に、恐れ欲望を含む私たちの煩悩は自分の無知から生まれることを思い出させてくれます。ですから、恐れを消散させるためには、私たちは誤った知覚を取り除く必要があるのです。

ベル・フックス:もし、人が正しく知覚し、それでもまだ不当に行動するとしたら、どうなりますか?

ティク・ナット・ハン:彼らは自分の洞察を日常生活に応用することがまだできていないのです。自分に(洞察を)思い出させるために、彼らには共同体が必要です。時々、あなたは洞察のひらめきを得ますが、洞察が存続するほど十分強くないのです。それ故に、仏教の実践において、サマディー(集中)は、一つ一つの発言言葉行為がその洞察の性質を身につけるように、全ての瞬間に洞察を生き生きと維持する力です。それは浄化の問題です。あなたがサンガに囲まれているなら、より良く浄化できます。サンガとは、全く同じ実践をしている人たちのことです。

ベル・フックス:西洋の知的伝統は非常に個人主義的です。地域社会に基礎を置いていません。知識人は、世の中から孤立し排除された人として、しばしば考えられています。

ティク・ナット・ハン:その通りです。すると、私たちは個人としてではなく共同体として機能することを学びます。プラム・ビレッジにおいて、それが正に私たちのやろうとしていることです。私たちは一緒に生活している兄弟姉妹です。私たちは一体の細胞のように、機能しようとします。

ベル・フックス:これが、新しい千年紀に私たちが求めるである、と私は考えます。この愛は我を超えて、共同体で経験される愛です。

ティク・ナット・ハン:ですから、どうかあなたの文章や発言でその真理を生き、その真理を広めてください。この種の見方や行動を維持することは有益でしょう。
:引用終わり

(解説)
真の愛の最も重要な要素は、沈着、包括性、非差別、非分離、即ち非二元性です。真の愛とは、無条件の愛のことです。ですから、私たちは自分の敵にさえ真の愛を広げることができます。真の愛は、相手の態度に依存しないのです。それ故に、マーティン・ルーサー・キングの「汝の敵を愛すべし」は、愚かなつまらない言葉ではありません。自分の敵に対して真の愛を発生させる最善の方法は、深く見ることによって敵の苦しみの根本原因を理解することです。一度、敵の苦しみの根本原因の洞察を得たなら、敵が必要なのは罰ではなく、癒しであることを私たちは理解するでしょう。すると、真の愛が自動的に生じるでしょう。そして、私たちが怒ったり敵を憎むことはできなくなるでしょう。誰も悪として生まれはしませんでした。環境が人に影響を及ぼすのです。私たちが真の愛を持っているなら、分離や差別はなくなるでしょう。すると、私たちは完璧な自由を得ます。鍵は、マインドフルネス(念)、集中、洞察です。言い換えれば、思考を停止することによって目覚めた意識を復活させること、全ての概念の絶滅のために究極の真理を理解すること、それが鍵です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KZJ34KO
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/notice-of-building-awakening-sangha.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/01/notice-of-session-format-change-of.html
ティク・ナット・ハンの書