Saturday, November 28, 2015

無常

次のティク・ナット・ハンのビデオを、46:1057:00迄ご覧ください。


引用:
種子は、種子以外の要素からのみできています。苦しみも同様です。幸せも同様です。仏陀も同様です。雲も同様です。全ての物が同様なのです。全ての物は複合物です。そして、複合物を名付けるために、「形成物」という言葉があります。中国語では「行」。全ての複合物、全ての形成物は無常です。「諸行無常(全ての形成物は無常である)」という、仏教文献における有名な声明があります。物は無常ですので、絶対的な独自性を保持しません。物は常時変化しています。誰も同じ川で二度泳ぐことはできません。たとえ、私たちが同一人物であっても、川は同じ川ではありません。そして、多くの賢人がそのことを理解しました。仏陀だけではなく、全ての賢人がこの無常の現実を理解してきました。

十六念息の最後の4実習は、私たちが自由になるのを助けてくれる4種類の集中に関するものであることを、あなたはご存知です。13番目実習)は、無常の瞑想です。これは一つの集中です。そして、仏教の全宗派において、「無常」は集中(サマディー)の実践の一つです。私たちは皆、無常についての考えを持っています。私たちは物事は無常であることを知っています。私たちは無常の真理を受け容れています。しかしながら、私たちには、無常の集中がありません。無常とは何かを完全に知っている人は誰もが無常の真理を受け容れます。しかし、私たちはまだ、あたかも物事が永遠であるかの如く振る舞っています。

あなたに無常の集中があるなら、あなたがパートナーを見る時、パートナーも自分も無常であると気付きます。あなたができることは、今日、相手を幸せにすることであり、あなたはそれを実践します。なぜなら、明日では遅すぎるかもしれないからです。しかし、私たちの多くは、あたかも相手があと千年はそこに居るかの如く、振る舞います。そして、もし何かが起こり、相手がもはやそこに居なくなると、私たちは泣くのです。それは、私たちが無常の洞察を持っていないからです。私たちは無常の概念を持っているだけです。ですから、優れた実践者は、法話から得た概念に満足していません。その洞察を生きたものとして維持するために、マインドフルネスと集中を実践します。その洞察がその人の中で生きているなら、その人は完璧に振る舞います。そしてその人は、将来後悔することはないでしょう。

もし、あなたの最愛の人が無常であり、あなたもまた無常であるということを、あなたが分かっているなら、相手に怒り、相手を苦しめはしないでしょう。仮に誰かがその人の最愛の人に怒っているとしましょう。その人に勧める実践は、目を閉じて今から300年後の最愛の人を視覚化することです。すると、無常の現実に触れ、相手に怒るのは全く知性的でないことを理解するのに、2~3秒しか要しません。すると、あなたは一緒にいる時間を大切にします。あなたが目を開けると、あなたの宝物は目の前に居て、あなたは何かきついことを言って相手に罰を与えようとする代わりに、あなたの腕で相手を抱きしめたいと思います。

ですから、無常の洞察が私たちには必要です。無常の概念ではありません。もし、私たちが無常の洞察を持っているなら、「空」の洞察も持っており、「無相」の洞察もまた得ることができます(「空」と「無相」は三解脱門の二つ)。無常でないものは何もありませんので、あなたは自己という考えに捉われません。全ての物は変化しています。そして、全ての物は他の全ての物を含んでいます。花は全宇宙を含んでいます。そして、あなたの最愛の人もまた、全宇宙を含んでいます。太陽、月、地球、全ての物。

ですから、金剛経が私たちに取り除くことを推薦する第一の形、即ち概念は、「自己という概念」です。すると、あなたは多くの自由を得ます。その自由は、あなたが通りに出て行ってデモをして得られるものではありません。その自由は、深く観る瞑想の結果です。自己の概念を取り除くと、あなたは自由に足を踏み入れます。あなたには比較する自己がありませんので、あなたは優越感、劣等感、平等感から自由になります。一方がより高く、一方がより低いと見るために、二者の自己間で比較するから、あなたにはコンプレックスがあるのです。そして、あなたはまだ比較しているから、平等に認識されることにこだわるのです。しかし、あなたは相手の中にあり、相手はあなたの中にあり、二人は相互に依存していること、二人共独立した存在ではなく無我であることが分かれば、あなたは比較する必要がなくなります。すると、あなたは三つのコンプレックス(優越感、劣等感、平等感)から自由になります。

ですから、心理療法においては、低い自尊心は病です。そして、その癒しとは自己を宣伝しようとすること、自己を少し高く持ち上げようとすることです。それは根本的な方法ではありません。しかし、高い自尊心もまた病の一種であることを私たちは理解する必要があります。低い自尊心は多くの苦しみをもたらしますが、高い自尊心もまた多くの苦しみをもたらします。あなたは多くの人々を苦しませることができますし、あなたもまた苦しみます。そして、平等感もまた健康的ではありません。「全ての物は他の全ての物を含んでいる」、「全ての人は独立した自己ではない」という偉大な洞察が必要なだけです。すると、もはや比較がなくなります。そして、あなたは苦しみから抜け出します。あなたは全宇宙があなたの中にあることを知っていますので、認知度を高める必要はありません。仏陀があなたの中にいるのです。思いやりがあなたの中にあります。太陽があなたの中に入っています。あなたには全くコンプレックスがなくなり、それは完全な解放です。それが自由へ足を踏み入れることであり、自己という概念の除去です。
:引用おわり

(解説)
上記のティク・ナット・ハンの法話は、般若心経と同様に、究極の真理(非二元性)に基づいていることに注意する必要があります。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/11/4.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/11/the-heart-sutra-revised-4-4.html


ティク・ナット・ハンの書