次のタイ・ファップ・ダンによる非二元性と思いやりの洞察についての法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2017-04-16-thay-phap-dang?tdest_id=113448
(50:15)
私は怒りに反応しません。
(50:35)
ですから、もし洞察(理解)があるなら、私たちは行動の仕方を知っています。私たちは暴力に耐えることができます。その男が暴力の一部を解放できるように、私たちは身体的な痛みを受け入れることができます。それは非二元性の洞察と呼ばれています。(中略)ですから、非二元性は思いやりのエネルギーを育みます。それが、私たちの社会に必要なものです。もし誰かがあなたを殺すなら、思いやりを使ってください。なぜなら、そうしなければ、私たちは一杯苦しみ、相手も一杯苦しむからです。ですから、私たちに必要なのは、実際には思いやり、つまり思いやりのエネルギーです。天国に入るための入り口、平和、幸福、思いやりを体験するための入り口を忘れないでください。思いやりだけが、苦しみと暴力に満ちたこの社会に対応できるのです。
(解説)
非二元性の洞察とは、「空」(独立した存在の不在)、相互依存、即ち全体性という究極の真理を理解することを意味します。ですから、私たちが非二元性の洞察を得ると、分離も差別もなくなります。私はあなたであり、あなたは私です。あなたの苦しみは私の苦しみであり、あなたの幸せは私の幸せです。この洞察は、平和と幸福をもたらす思いやりを発生させます。
(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
タイ・ファップ・ダンとティク・ナット・ハン
次の「深い傾聴」に関するティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/10154612456794635/
以下は、ビデオから抜粋した重要語句です。
1. あなたが人助けをしたいなら、深い傾聴は最も重要な実践です。
2. まずは、自分自身に耳を傾けてください。
3. 傾聴は、大変相手を癒し、変容します。
4. 自分自身が空っぽになる(自分自身を空にする)ことを許します。(裁くためでなく、批判するためでなく、中断することなく自分自身を表現する機会を与えるために)
5. 観音菩薩は深く聴くことが非常に上手です。
6. 私たちは思いやりによって守られています。
7. 愛に溢れた発言と深い傾聴によって、意思疎通が復元できます。
8. 傾聴の質が成功を左右します。
(解説)
深い傾聴能力を持つためには、次のステップが不可欠であると私は理解しています。
深い傾聴能力を得るためのステップ:
1) 自己変容①(意識的な呼吸、歩行) +
2) 自身の苦しみを認識し、抱きしめる(マインドフルネス) +
3) 自身の苦しみを深く観る(集中) +
4) 自身の苦しみの根本原因を理解する(洞察) +
5) 自己変容②(思いやり) +
6) あなた自身を無条件に受け容れる(無条件の自己愛) +
7) 相手の苦しみを認識する(マインドフルネス) +
8) 相手の苦しみを深く観る(集中) +
9) 相手の苦しみの根本原因を理解する(洞察) +
10) 相手への思いやりを発生させる(許し) +
11) 意思疎通を復元する(愛に溢れた発言と深い傾聴) +
11') 相手が変容するのを助ける(無条件の愛)
たとえ、あなたが深い傾聴能力を持っていたとしても、もし相手が心を開いて、発言しないなら、和解は不可能です。ですから、意思疎通を復元するために、相手が心を開いて、発言するのを助ける方法が鍵です。唯一の解決策は、洞察を通して苦しみの根本原因を相手が理解することかもしれません。しかし、それは本当の自分(無自性自己)のみができることです。ですから、相手の自己変容が不可欠なのです。
(注)多くの心理療法士が燃え尽きるのは、自分自身の苦しみの根本原因を理解していないからです。ですから、全ての心理療法士は心理療法を患者に提供する前に、自分自身の苦しみの根本原因を理解する必要があります。
(参考)https://www.slideshare.net/compassion5151/ss-45115827
ティク・ナット・ハンの書
次の「今、この瞬間の浄土」についての高僧ティク・ナット・ハンによる談話を深くご一読ください。
https://www.lionsroar.com/in-the-pure-land-of-the-present-moment/
(ティク・ナット・ハンへの私の質問)
最初に、ティク・ナット・ハンは、「今、この瞬間の浄土と呼ばれるような場所が本当にあります。その地は空間や時間に限定されていません。仏教用語では、その地は時空の外にあります」と言いました。
最後に、ティク・ナット・ハンは、「それ故に、私たちがマインドフルな呼吸や歩行をするなら、正にその空間と時間にある、今、この瞬間の浄土に戻ることができます」と言いました。
ですから、「正にその空間と時間」とは、時空の外になければなりません。ティク・ナット・ハンは、「量子物理学の用語では、正にその空間と時間は、非局所的(一つの場所に限定されない)、且つ非時間的(一つの時間に限定されない)です」と言いました。ですから、今、この瞬間の浄土は、現象界(歴史的次元)ではなく、本体の世界(究極の次元)になければなりません。
この意味で(空間と時間がないため)、私たちの体は今、この瞬間の浄土で暮らすことはできませんが、目覚めた意識だけが今、この瞬間の浄土で暮らすことができると、私は理解しています。
ティク・ナット・ハンに質問があります。(談話の中では「ある」と発言されていますが)今、この瞬間の浄土に、苦しみや幸せなどの概念はあり得るのでしょうか?本体の世界(究極の次元、涅槃)には、概念は全くないと私は理解しています。なぜなら、ティク・ナット・ハンが私たちに説いた通り、「全ての概念の絶滅が涅槃である」からです。
(浄土で暮らすためのステップ)
私たちが思考を停止できた場合にのみ、浄土で暮らすことができると、私は理解しています。そして、1日24時間浄土で暮らすためのステップは、
(1) 意識的な呼吸、(一時的な悟りのため)
(2) 苦しみの根本原因の洞察、(長続きする悟りのため)
(3) 全ての概念の絶滅、(完全な悟りのため)
でしょう。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62010528
ティク・ナット・ハン
「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html
実習13-16: 知覚
(13-14): 無常と渇望
実習13-16は、完全な悟りを開くための実習であり、非常に深い観察を要します。その前に理解しておかなければならないことは、この世界は私たちの心の対象であり、心の投影ですから、私たちの心そのものであることです。つまり、私たちの心を投影したものが、この世界なのです。心の対象は知覚の対象であり、知覚の対象は知覚(頭の中の概念の連続)ですから、知覚がこの世界です。換言すれば、知覚されている対象は知覚者であるということです。量子物理学者のデビッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依存する」と言いましたが、上記の仏陀の指摘と一致します。
実習13では、全ての心の対象の無常(「空」の時間的側面)の本質を深く観察します。全てのものは変化していますので、全ての心の対象の無常の本質が観えます。そして、全ての心の対象は私たちの心(知覚)の投影ですから、全ての知覚の無常の本質を観ます。従って、私たちの心の対象であるこの世界は私たちの知覚そのものであり、無常の本質を有するのです。実習14では、渇望(否定的な欲望)の消滅を深く観察します。そして、考え(アイデア)の消滅を深く観察します。つまり、私たちの渇望は単なる考えでしかなく、時間が経過すると消滅してしまうのです。
(15-16): 無我と涅槃
実習15では、全ての現象の不生不死の本質を深く観察します。不生不死とは、生まれることも死ぬこともないという意味です。全てのもの(人間、動物、植物、鉱物)は形を変えながら継続している(生き続けている)だけですので、死にませんから生まれることはできませんし、生まれませんから死ぬこともできないのです。そして、全てのものはその他全てのものからできていることを観ます。つまり、その他全てのものは全てのものの中にあります。従って、全てのものはその他全てのものであるということです。これは、独立して存在できるものは何もないという無我(「空」の空間的側面、相互依存)の本質を観ているのであり、究極の真理です。
実習16では、全ての概念(全てのもの)を手放しているのを深く観察します。全ての概念の絶滅が涅槃です。全ての概念は人間のエゴ(独立した自己、自性自己、偽りの自分)がでっち上げたものであり、全て誤りであることを確信していますので、全ての概念を投げ捨てることは簡単です。全ての概念が絶滅すれば、考える対象が無い訳ですから完全に非思考となり、一日24時間目覚めた意識(独立していない自己、無自性自己、本当の自分)のままで、常に洞察を得ることが可能になります。洞察とは、何の努力もすることなく(何も考えなくても)、穏やかな心が外部の現実を静水(鏡)の如く映し出し、透明な心が内面の現実を見透すことを意味します。これが完全な悟りを開いたということであり、完全に目覚めたということです。
(おわり)
(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
ティク・ナット・ハンの書
「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html
実習9-12: 心行と意識
(9-10): 選択的水やり
実習9-12の対象は心行(精神形成物)と意識であり、実習5-8の感情との違いが分かりにくいかもしれません。実は、感情も知覚(頭の中の概念の連続)も51種類の心行の一つなのですが、余りにもインパクトの強い心行であるため、感情と知覚は外出しされているのです。従って、実習9-12の心行は49種類となります。次に、意識ですが、仏教では8種類の意識があり、体、感情、知覚、心行の根源であるとされています。8種類の意識とは、感覚意識(五感)、心の意識(顕在意識)、マナス(エゴ)、貯蔵意識(阿頼耶識)です。
実習5-8の感情は心の意識(顕在意識)に顕現した感情に限定されますが、実習9-12の心行と意識はその領域に加えて、もっと深い領域である貯蔵意識(阿頼耶識、潜在意識)に貯蔵されている心行の種子(心行が顕現する前の段階)も含み、その両方(心行と種子)に働きかけます。簡単に言うと、健全な種子に水やりをすると健全な心行が顕現し、不健全な種子に水やりをすると不健全な心行が顕現するということです。
従って、選択的水やりとは、次の通りとなります。
1) 健全な種子に水やりをする。
2) 不健全な種子に水やりをしない。
3) 健全な心行が顕現していたらそれを維持する。
4) 不健全な心行が顕現していたら、健全な心行へ変容する。
5) 意図的に、不健全な種子に水やりをして不健全な心行を顕現させ、健全な心行へ変容後、健全な種子として貯蔵意識へ戻す。
(注)5は難易度が高く、上級者でなければ危険ですので、初心者にはお勧めできません。
マインドフルなら、自分の内面と周囲で何が起こっているかに気付けますので、気付き次第選択的水やりをすれば、自分の心を自由自在にコントロールできます。また、自分が選択的水やりをするだけでなく、周囲の人にも選択的水やりをしてもらえるように依頼しておくことが賢明です。この選択的水やりは、八正道の「正精進」(正しい精進)のことです。
(11-12): 集中と解放
実習11-12は、心行を深く観て、洞察を得て根本原因を理解し、思いやりを発生させて心行を変容する実践です。深く観ることによって集中のエネルギーが発生し、その集中のエネルギーによって根本原因の洞察(理解)を得、洞察のエネルギーによって思いやりが発生し、思いやりのエネルギーによって恐れや不安といった心行が変容するのです。心行を変容することが、心の解放です。尚、実習11で得る根本原因の洞察(理解)とは、四諦の第二の真理(集諦:苦しみの原因)に該当します。また、実習12で達成する心行の変容とは、四諦の第三の真理(滅諦:苦しみの終わり)に該当します。
恐れや不安といった煩悩は、苦しみの原因です。従って、恐れや不安がある限り、あるがままの自分を無条件に受け容れることができなくなります。自己嫌悪になる場合もあります。常に考えてばかりで、心が過去に彷徨うと後悔や悲しみで苦しみ、未来に彷徨うと恐れや不安で苦しみます。この悪循環は、苦しみの根本原因を洞察を通して理解しない限り、断ち切ることはできません。断ち切れないと、たとえ意識的な呼吸で一時的に思考を停止できてマインドフルになれたとしても、何かの拍子に思考が復活して失念状態に戻ってしまうのです。
従って、安定的に思考を停止し、マインドフルな状態を長く継続するには、どうしても苦しみの根本原因を洞察を通して理解する必要があります。もちろん、それでも概念を絶滅できていませんので、たまには思考が復活してしまいます。それ故に、本物の実践者は毎日瞑想を欠かすことはなく(ティク・ナット・ハンは一日24時間瞑想している由)、常にマインドフルな状態を維持するための実践を怠りはしないのです。完全に一日24時間思考を停止する(マインドフルでいる)ためには、概念の絶滅によって、完全な悟りを開くしか方法はありません。
(つづく)
(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
ティク・ナット・ハンの書
「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html
実習5-8: 感情
(5-6): 喜びと幸せ
実習5-6(喜びと幸せの発生)は、実習1-2 で、マインドフルネスに自分自身を確立すると同時に、自動的に起こります。従って、実習5-6に持ってくるより、実習3-4にした方が時系列的には正しいです。但し、喜びと幸せは感情のカテゴリーに入りますので、実習5-6に持ってきたのだと推測します。いずれにせよ、実習1-2 でマインドフルな呼吸ができていれば、自分は目覚めた意識(本当の自分)に戻っていますので、生命の奇蹟に触れることができ、喜びと幸せが自動的に発生するのです。喜びと幸せの実感の表現としては、「花のように、何も考えることなく、ただ咲いている」(花を人間に置き換えると、「何も考えることなく、ただ微笑んでいる」)といったところでしょうか。
いくら意識を呼吸に集中しようとしても、自分の恐れや不安から思考を停止できない人(心が過去や未来を彷徨っていて、今この瞬間に戻れない人)は、残念ながらエゴ(偽りの自分)のままですので、喜びと幸せを発生させることはできません。従って、実習1-2によって喜びと幸せを発生させることができない人は、たとえ先へ進んだとしても、マインドフルネスのエネルギーがありませんので、認識し、抱きしめ(受容し)、痛みや苦しみを和らげて軽減することは不可能です。ですから、ティク・ナット・ハンは、「目覚めた意識(本当の自分)に戻れる迄、つまりマインドフルな呼吸や歩行ができるようになる迄、先へ進まないで意識的な呼吸や歩行を続けて下さい」と指導しています。ですから、実習5-6は、自分が正しいマインドフルネスを実践しているか否かを自分でチェックする方法とも言えます。
(7-8): 苦痛の感情
実習5-6は肯定的な感情に気付いて維持する実習ですが、実習7-8は否定的な感情(苦痛の感情)に気付いて静める実習です。実習3-4の全身を苦痛の感情に置き換えれば、することは全く同じです。マインドフルネスのエネルギーによって苦痛の感情を認識し、抱きしめ(受容し)、感情の中の緊張を解放することによって苦痛の感情を穏やかにするのです。
自分が感情を認識するということは、自分が感情の目撃者、観察者であるということです。従って、感情は自分自身ではありません。本当の自分は感情を目撃している目覚めた意識なのです。ですから、絶望のような強い感情であっても圧倒される必要はありません。ただ、眺めていればいつの間にか消えていきます。感情は無常(常に変化)であり、一時的に吹き荒れる嵐のようなものですので、慌てて反応してはいけません。
(つづく)
(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
ティク・ナット・ハンの書
「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html
実習1-4: 体
(1-2): 呼吸
この最初の二つの実習(意識的な呼吸)は、非常に重要です。なぜなら、この最初の意識的な呼吸によって、思考、即ち知覚を停止し、マインドフルネスに自分自身を確立するからです。つまり、この最初の意識的な呼吸によって、自分自身をエゴ(独立した(自性)自己、偽りの自分)から目覚めた意識(独立していない(無自性)自己、本当の自分、法身)へ変容するのです。思考を停止できれば、この変容は自動的に一瞬で起こります。しかしながら、強い恐れや不安を持っている人は、いくら呼吸に意識を集中しようとしても、考え続けてしまって思考を停止できません。
留意すべき点は、この最初の段階でマインドフルネスに自分自身を確立しておかないと、三番目以降の実習効果は期待できないということです。ティク・ナット・ハンが、「一息(2~3秒)で本当の自分に戻れる」と言っているのは、正にこの最初の意識的な呼吸のことを意味すると、私は理解しています。
(3-4): 全身
最初の二つの実習(意識的な呼吸)でマインドフルネスに自分自身を確立できると、マインドフルネスのエネルギーによって、目覚めた意識が自動的に自分の内面と周囲で何が起こっているかを気付けるようになります。実際には、一気に全てに気付くことができる(同時にあらゆる洞察を得ることができる)のですが、実習ではステップを踏んで順番に対象に気付いていきます。対象とは、人間を構成する五蘊(体、感情、知覚、心行、意識)を意味し、具体的には3-4:体、7-8:感情、9-12:心行と意識、13-16:知覚の順で認識し、穏やかにしていきます(痛みや苦しみに気付いて静めていきます)。
まず、3-4では全身の痛みに気付いて、痛い部分の緊張を解放します。体と心は密接に影響を及ぼし合っていますので、体の痛みが激しいと意識を集中できなくなり、マインドフルネスに自分自身を確立できなくなります。従って、第一に全身の健康をマインドフルネスの光線でレントゲンの如くチェックし、不健康な部分は抱きしめて十分にケアしてあげることから始めるのです。以上の通り、マインドフルネスのエネルギーは、認識し、抱きしめ(受容し)、痛みや苦しみを和らげて軽減する機能を持っています。尚、マインドフルネスに自分自身を確立できるやいなや、停止する効果、休める効果、穏やかにする効果、癒す効果が一気に発生します。
(つづく)
(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
ティク・ナット・ハンの書
次の「私たちの思考を気遣う」というティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10154446854299635/?type=2&theater
以下は上記ビデオからの抜粋です。
引用:
(-11:08~)
マインドフルネス、集中、洞察はあなたに自由をもたらします。マインドフルネスの実践は、あなた(本当の自分)の人生を生きるのを助けてくれます。私は私の人生を生きたいです。私は私の否定的な思考、私の否定的な知覚の犠牲者になりたくありません。そして、これはマインドフルネスの実践で可能です。もし、マインドフルネスが、私たちが否定的なものに触れて、認識し、肯定的なものに触れることができるようにするなら、そしてもし、私たちの中にある神の王国の扉を開けることができるなら、私たちの日常生活で手に入る王国の多くの奇跡と通ずることができます。私たちが神の王国で一日中歩くことは可能です。私たちが一日中神の王国の奇跡と通ずることは可能です。王国の扉、鍵は、今、ここで生き生きとし続けるために、存在し続けるためにあるのであり、そして認識し、深く通ずるため、私たちが過去によくしていたやり方で、すぐには応答しないようにするため、すぐには反応しないようにするための時間を私たち自身に与えるためにあるのです。
(-8:33~)
私が大好きな、私たちが大好きな非常に具体的なことがあります。そして、これらの具体的なことは私たちに多くの幸福と自由をもたらすかもしれません。私が歩く時はいつでも、あなたが歩いているように、一歩が私に自由をもたらすことができるように歩く必要があります。私は歩きながら自分を見失うことはありません。私は歩いている間、過去や未来、(未来とは)即ち自分のプロジェクトに自分自身を見失うことはありません。歩いている間に、私は生命の奇跡、神の王国の奇跡と通ずることを味わいたいのです。
そのように歩くことができる私たちは、座位や立位で呼吸する間、自分は生きている、楽しい、生命の奇跡と通ずることができるという事実を認識するのを助けてくれるような方法で、私たちは呼吸することができます。食事をしている間は、私たちは完全に存在していることを知っています。食べているのは私たちであって、機械ではありません。私たちは自動操縦をしてはいません。私たちは意識に乗っているのであり、意識的な生き方をしています。私たちはマインドフルな生き方をしているのです。
あなたが得られる最大の成功、最も意義深い種類の成功は、自由です。私たちは自由のために戦わなければなりません。私たちが自由を手にするのは、どこかへ行くことによってではなく、将来的にでもありません。私たちが自由を得ることができるのは、正に今、ここにおいてです。そして、その始まりは、存在し続けること、生き生きし続けること、全ての瞬間に自分自身(目覚めた意識、本当の自分)でいることです。
それは私たちの人生の生き方にかかっています。自由は幸福の基盤です。そして、自由の道はマインドフルネスの道です。そして、マインドフルネス、プラム・ビレッジで提供されているものとしてのマインドフルネスの実践は、常に存在しているために、日常生活の全ての瞬間をマインドフルに生きる方法を学ぶことです。私たちが苦しみや抑うつ等の基盤に陥りたくないなら、そのようなトレーニングは継続すべきです。そして、私たちがマインドフルネス、マインドフルな生き方を実践しているサンガを有する時、私たちはサンガに支援されています。
:引用終わり
(おわり)
(解説)
私たちがマインドフルであるかどうかをチェックする最も簡単な方法は、「あなたは分け隔てなく、無条件に自分を受け容れることができますか?」と自問することかもしれません。もし、あなたが躊躇することなく、「はい」と言えるなら、あなたはマインドフルな目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)です。もし、あなたが即座に「はい」と言うのを躊躇するなら、あなたはマインドフルでないエゴ(独立した自己、偽の自分)です。なぜなら、私たちが分け隔てなく、無条件に自分を受け容れることができるなら、恐れや不安はないからです。ですから、私たちは思考を停止して、自動的に目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)に戻れるのです。
従って、鍵は、無条件の自己受容、即ち無条件の自己愛を得る方法です。言い換えれば、それは洞察を通して苦しみの根本原因を理解する方法です。しかしながら、恐れや不安を持つ人(エゴ)は、無条件の自己受容の欠如(自己嫌悪)のために、思考を停止することができませんので、マインドフルになることは簡単ではありません。この地球上で今すぐに、エゴから目覚めた意識へ自己変容する準備ができている人は、何人いるのでしょうか?
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
次の「私たちの思考を気遣う」というティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10154446854299635/?type=2&theater
以下は上記ビデオからの抜粋です。
引用:
(-25:00から)
幸福の扉、王国の扉、思いやりと愛の扉を開錠するためには、鍵が必要です。 仏陀の教えによるとその鍵は、マインドフルネス、集中、洞察の三つ組みのトレーニングです。洞察と思いやりを育むことは可能です。神の王国がそれを育むことができる場所であり、理解と思いやりを育む機会を得る場所です。そして、私たちは同じ関心や切望を持っている他の人々と一緒に、そのトレーニングをうまくやってみたいかもしれません。
あなたがトウモロコシを栽培すると、食べるトウモロコシを得ます。あなたが小麦を栽培すると、食べる小麦を得ます。あなたが思いやりを育てると、あなた自身の平和と自由と幸福の基盤となる思いやりと理解を得ます。そして、理解と思いやりを育て、育むためには、あなたはそこに居なければなりません。苦しみを理解すること、怒りを理解すること、抑うつを理解すること、つまりそれらに気付き、理解することが非常に重要です。なぜなら、苦しみに気付くこと、及び苦しみを理解することが、幸福の領域に浸透するための扉だからです。あなたが苦しみの本質、苦しみの原因を理解しない限り、苦しみから幸福への変容に導く道を見つけることはありません。
(-15:01~)
なぜなら、正見(正しい見方)は、正思惟(正しい思考)の基盤だからです。正見(正しい見方)とは何でしょうか?正見(正しい見方)とは、誰もが苦しみを持っているということです。(中略)しかし、実践者としてあなたは、たとえその人の行動や発言が否定的であったとしても、あなたが自分の中の思いやり、つまり正見(正しい見方)に触れることができるのであれば、あなたは苦しむ必要はありません。あなたは、「そうね、私は彼を助けなければならない。私は彼を罰したくはない。私は彼を助けたい」と言います。それが正思惟(正しい思考)です。すると、正思惟(正しい思考)は、あなたをはるかに良い気分にしてくれます。正思惟(正しい思考)は、あなたの健康と世界の健康に肯定的な効果を及ぼします。
正思惟(正しい思考)は、あなたが正見(正しい見方)を強化するのを助けます。正語(正しい発言)もまた、あなたが正見(正しい見方)を強化するのを助けます。正見(正しい見方)とは何でしょうか?あなたが今、ここに完全に存在し、あなたの思考を観察し、あなたの気持ちを観察し、あなたの感情を観察する時、それらは思考であり、気持ちであり、感情であって、それらは現実ではないということを認識します。すると、あなたはそれに行き詰まることはなくなります。あなたはあなたの自由を維持します。これは非常に重要です。たとえ、否定的な思考や感情が生じたとしても、あなたが今ここに完全に存在しているなら、あなたの思考はただの思考であって現実ではないことを覚えているなら、それはあなたを自由にし続け、あなたを助けるためにあなたの智慧と思いやりに作動し始めてもらうのに十分です。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
(My Commentary)
ティク・ナット・ハンの言う正思惟(正しい思考)とは、感情や知覚を通過することなく感覚に直結する直接的思考を意味すると、私は理解しています。言い換えれば、正思惟(正しい思考)とは、非思考を意味するということです。ですから、正語(正しい発言)と正業(正しい行動)は、正見(正しい見方、洞察)に基づいていなければなりません。
直接的思考(非思考)を除くほとんど全ての思考は、分離、差別、即ち二元性を引き起こします。ですから、煩悩が生じて人々は苦しむのです。ティク・ナット・ハン、マインドフルネス、集中、洞察が幸福の鍵であると言いました。それは、マインドフルは思考を停止するためのものであり、集中は深く観ることによって洞察を得るためのものであるからだと、私は理解しています。そして、その洞察(理解)が、平和、自由、堅実、喜び、幸福をもたらす愛と思いやりを発生させるのです。
(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
仏陀
次の「私たちの思考を気遣う」というティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10154446854299635/?type=2&theater
以下は上記ビデオからの抜粋です。
引用:
(-33:35~)
自分自身の中に、抑うつの領域、地獄の領域があります。そして、私たちの否定的な思考や感情は、これらの領域から飛び出します。しかし、自分自身の中には、神の王国の領域があり、仏陀の浄土の領域があることを、私たちは知っています。 私たちの中には、思いやりと智慧の強力な種子があります。もし、それらの種子にチャンスを与えれば、私たちを救助するためにやって来るでしょう。
思いやりと智慧の種子は、私たちの思考を認識する力を持っています。それらは私たちの気持ち、感情、知覚を認識する力を持っています。私たちは感情や知覚を抑える必要はありませんが、あるがままのそれらを見て、認識するために、時間と空間を持ちたいです。これが基本的な実践です。それをするためには、私たちは今、ここに居るために存在し続けなければなりません。非常に頻繁に私たちの体はそこに居ますが、私たちの心は他の場所に居ます。すると、私たちの子供たちは、私たちが本当に存在しているとは感じません。
私たちが家に帰るなら、家の中の誰かに会いたいです。あなたは「誰か家に居ますか?」と問いかけます。そして、誰かが「はい」と言ったなら、あなたは幸せになります。あなたは誰もいない家に行きたくはないからです。しかし、非常に頻繁に私たちは自分(本当の自分)なしで、自分自身(エゴ)を生きています。私たちは家に居ません。私たちは、自分の思考、心配、プロジェクト、不安、恐れの中に自分を見失っています。私たちは完全に迷子です。私たちは何が起こっているのかを知るために、そこに居ません。ですから、仏陀が私たちに提供してくれた実践は、自動操縦されることではなく、意識的な呼吸、即ちマインドフルな生き方の実践なのです。
もし、あなたに抑うつがあるなら、または抑うつに逆戻りすることを恐れているなら、これ(意識的な呼吸、マインドフルな生き方の実践)が抜け道です。もし、あなた(本当の自分)が存在し続けることができるなら、そしてあなたの抑うつの原因となっている悪感情や思考のようなものを特定できるなら、自由になれます。この種の思考、この種の感情が、再発を引き起こすことを、あなたは知ります。それが癒しの始まりであり、あなたの自由の始まりです。
そこに居て、あなたの思考、あなたの感情に気付くこと。あなた(目覚めた意識)があなたの体の中で得る感情、あなたが何かを覚えている時に得る感情には、あなたが恐れることはありません。もし、あなたが本当にそこに居るなら、困難な題材が去る前に、それをあなたが認識するために、それがやって来ることを許可できます。そして、あなたは素晴らしい題材を認識するために、それがやって来るように招待するための何かをできます。そして、あなたが処理する必要がある文書を手に入れるのを助けるために、これらの素晴らしい心の題材にあなたと一緒に居るように依頼したいかもしれません。
神の王国は考えではありません。それは現実です。私たちがマインドフルである度に、私たちが集中している度に、私たちが少々の自由を得る度に、私たちの変容と癒しのため、神の王国に通ずることができます。もちろん今、この瞬間に地獄がありますが、神の王国もまた今、この瞬間にあります。そして、私たちは二つの間で(地獄か神の王国かを)選択する必要があります。
:引用終わり
(つづく)
(解説)
全ては私たちが誰であるかに依存します。私たちは住む所として地獄か神の王国かを選択できます。しかし、私たちがエゴであるなら、私たちの内面と周囲で起こっていることを認識できません。ですから、エゴは選択肢があることを知らずに、地獄に住んでいます。それ故に、私たちは苦しみの根本原因の洞察を通して思考を停止することによって、本当の自分に戻る必要があるのです。
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
ティク・ナット・ハン
次のシスター・ジーナによる正思惟(正しい思考)に関する法話を深くご覧ください。
以下は上記ビデオからの抜粋です。
(27:03~)
正思惟(正しい思考)とは、正見(正しい見方)を意味します。私たちの思考は私たちの見方から来ています。そして、正見(正しい見方)とは、全ての物事の相互依存の性質を理解すること、つまり全ての物事の無常の性質と無我の性質を理解すること、自己は自己以外の要素からできていること(無我)を理解することです。
(53:22~)
正思惟(正しい思考)とは、無常(「空」の時間的側面)に気付くことでもあります。私が思考に補足された時に使う一文があります。「このように物事は永遠に続くだろう。(このまま何も変わらない)」私が困難な状況に直面している時、私は自分自身に「これもまた過ぎ去るでしょう。(こんなことは続かない)」と言います。すると、この言葉は私にエネルギーをくれます。私はもはや絶望して自分を見失うことはありません。
(55:31~)
正思惟(正しい思考)とは、無我(「空」の空間的側面)の表現でもあります。幸福は個々人の問題ではないということを知ること。私の姉妹が幸せでない時に、私はどんなに頑張っても幸せになれません。どうやら、姉妹の痛みは、私がそれを受け入れたくないとしても、私の痛みなのです。私の経験では、私は本当に幸せになれないのです。
(59:41~)
4つの自問(ティク・ナット・ハンの教え):
1)確かですか?
2)私は何してるの?
3)やあ、習慣エネルギー(癖)!
4)愛の心、理解と思いやりを育みたいという深い願望を発生させること
(1:13:27~)
私が何をしていても、私の身体行動は常に私の心を私の体へ戻します。そして、自分が非常に興奮した思考に心を奪われていることに気付く時、(最終的には、そんなに興奮すべきものでは全くないのですが)、私はそれを手放し、心を体に連れ戻すという私の訓練に戻ることができます。そのようにして、私たちは成長します。あなたは非常に適切な注意力を要します。すると、全てのものの無我と無常の性質を理解するために、私たちは深く観るための平和と穏やかさを手に入れます。それが正思惟(正しい思考)です。ですから、まずは日常の思考に気付く実践から始めましょう。それが正思惟(正しい思考)への扉かもしれません。
(解説)
「正思惟(正しい思考)とは、正見(正しい見方)を意味します」は、良い表現です。なぜなら、これは非思考によって可能であるからです。【即ち、正見(正しい見方)⇒(非思考)⇒正語(正しい言葉)と正業(正しい行動)】 言い換えれば、正思惟(正しい思考)は、非思考を意味します。ですから、正見(正しい見方)が思考プロセスを経ることなく、正語(正しい言葉)と正業(正しい行動)の基盤に直接なることができるのです。従って、(My commentary)正見(正しい見方)は、感情と知覚を経由することなく、感覚に直結しなければなりません。
正見(正しい見方)とは、洞察(理解)を意味します。私たちがマインドフルで集中している場合にのみ、洞察を得ることができます。言い換えれば、思考を停止することによって本当の自分に戻る場合にのみ、私たちは深く観ることによって正見(正しい見方)を得ることができるということです。以下が全体像です。
思考を停止する ⇒ 本当の自分に戻る ⇒ マインドフルネス ⇒ 深く観る(集中) ⇒ 洞察(理解) ⇒ 愛と思いやり ⇒ 変容 ⇒ 平和 ⇒ 喜びと幸せ
(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338
洞察のイメージ