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Sunday, February 12, 2017

十六念息(要点4)

「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

実習13-16: 知覚
(13-14): 無常と渇望
実習13-16は、完全な悟りを開くための実習であり、非常に深い観察を要します。その前に理解しておかなければならないことは、この世界は私たちの心の対象であり、心の投影ですから、私たちの心そのものであることです。つまり、私たちの心を投影したものが、この世界なのです。心の対象知覚の対象であり、知覚の対象は知覚(頭の中の概念の連続)ですから、知覚がこの世界です。換言すれば、知覚されている対象は知覚者であるということです。量子物理学者のデビッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依存する」と言いましたが、上記の仏陀の指摘と一致します。

実習13は、全ての心の対象の無常(「空」の時間的側面)の本質を深く観察します。全てのものは変化していますので、全ての心の対象無常の本質が観えます。そして、全ての心の対象は私たちの心(知覚)の投影ですから、全ての知覚の無常の本質を観ます。従って、私たちの心の対象であるこの世界は私たちの知覚そのものであり、無常の本質を有するのです。実習14は、渇望(否定的な欲望)の消滅を深く観察します。そして、考え(アイデア)の消滅を深く観察します。つまり私たちの渇望は単なる考えでしかなく、時間が経過すると消滅してしまうのです。

(15-16): 無我と涅槃
実習15は、全ての現象の不生不死の本質を深く観察します。不生不死とは、生まれることも死ぬこともないという意味です。全てのもの(人間、動物、植物、鉱物)は形を変えながら継続している(生き続けている)だけですので、死にませんから生まれることはできませんし、生まれませんから死ぬこともできないのです。そして、全てのものはその他全てのものからできていることを観ます。つまり、その他全てのものは全てのものの中にあります。従って、全てのものはその他全てのものであるということです。これは、独立して存在できるものは何もないという無我(「空」の空間的側面、相互依存)の本質を観ているのであり、究極の真理です

実習16は、全ての概念(全てのもの)を手放しているを深く観察します。全ての概念の絶滅が涅槃です。全ての概念は人間のエゴ(独立した自己、自性自己、偽りの自分)がでっち上げたものであり、全て誤りであることを確信していますので、全ての概念を投げ捨てることは簡単です。全ての概念が絶滅すれば、考える対象が無い訳ですから完全に非思考となり、一日24時間目覚めた意識(独立していない自己、無自性自己、本当の自分)のままで、常に洞察を得ることが可能になります。洞察とは、何の努力もすることなく(何も考えなくても)、穏やかな心が外部の現実を静水(鏡)の如く映し出し透明な心が内面の現実を見透すことを意味します。これが完全な悟りを開いたということであり、完全に目覚めたということです。

(おわり)

(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハンの書

Saturday, February 11, 2017

十六念息(要点3)

「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

実習9-12: 心行と意識
(9-10): 選択的水やり
実習9-12の対象は心行(精神形成物)と意識であり、実習5-8感情の違いが分かりにくいかもしれません。実は、感情知覚(頭の中の概念の連続)51種類心行の一つなのですが、余りにもインパクトの強い心行であるため、感情知覚は外出しされているのです。従って、実習9-12心行49種類となります。次に、意識ですが、仏教では8種類意識があり、感情知覚心行根源あるとされています。8種類の意識とは、感覚意識五感)、心の意識(顕在意識)、マナス(エゴ)、貯蔵意識(阿頼耶識)です。

実習5-8感情心の意識(顕在意識)に顕現した感情に限定されますが、実習9-12心行と意識はその領域に加えて、もっと深い領域である貯蔵意識(阿頼耶識、潜在意識)に貯蔵されている心行の種子心行が顕現する前の段階も含み、その両方(心行と種子)に働きかけます。簡単に言うと、健全な種子に水やりをすると健全な心行が顕現し、不健全な種子に水やりをすると健全な心行が顕現するということです。

従って、選択的水やりとは、次の通りとなります。
1) 健全な種子に水やりをする。
2) 不健全な種子に水やりをしない。
3) 健全な心行が顕現していたらそれを維持する。
4) 健全な心行が顕現していたら、健全な心行へ変容する。
5) 意図的に、健全な種子に水やりをして健全な心行を顕現させ、健全な心行へ変容後、健全な種子として貯蔵意識へ戻す。
(注)5は難易度が高く、上級者でなければ危険ですので、初心者にはお勧めできません。

マインドフルなら、自分の内面と周囲で何が起こっているかに気付けますので、気付き次第選択的水やりをすれば、自分の心を自由自在にコントロールできます。また、自分が選択的水やりをするだけでなく、周囲の人にも選択的水やりをしてもらえるように依頼しておくことが賢明です。この選択的水やりは、八正道の「正精進正しい精進)のことです。

(11-12): 集中と解放
実習11-12は、心行を深く観て、洞察を得て根本原因を理解し、思いやりを発生させて心行を変容する実践です。深く観ることによって集中のエネルギーが発生し、その集中のエネルギーによって根本原因の洞察(理解)を得、洞察のエネルギーによって思いやりが発生し、思いやりのエネルギーによって恐れや不安といった心行が変容するのです。心行を変容することが、心の解放です。尚、実習11得る根本原因の洞察(理解)とは、四諦の第二の真理(集諦:苦しみの原因に該当します。また実習12で達成する心行の変容とは、四諦の第三の真理(滅諦:苦しみの終わりに該当します。

恐れ不安といった煩悩は、苦しみの原因です。従って、恐れ不安がある限り、あるがままの自分を無条件に受け容れることができなくなります。自己嫌悪になる場合もあります。常に考えてばかりで、心が過去に彷徨うと後悔悲しみで苦しみ未来に彷徨うと恐れ不安で苦しみます。この悪循環は、苦しみの根本原因を洞察を通して理解しない限り、断ち切ることはできません。断ち切れないと、たとえ意識的な呼吸で一時的に思考を停止できてマインドフルになれたとしても、何かの拍子に思考が復活して失念状態に戻ってしまうのです。

従って、安定的に思考を停止し、マインドフルな状態を長く継続するには、どうしても苦しみの根本原因を洞察を通して理解する必要があります。もちろん、それでも概念を絶滅できていませんので、たまには思考が復活してしまいます。それ故に、本物の実践者は毎日瞑想を欠かすことはなくティク・ナット・ハン一日24時間瞑想している由、常にマインドフルな状態を維持するための実践を怠りはしないのです。完全に一日24時間思考を停止する(マインドフルでいる)ためには、概念の絶滅によって、完全な悟りを開くしか方法はありません。

(つづく)

(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハンの書

Friday, February 10, 2017

十六念息(要点2)

「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

実習5-8: 感情
(5-6): 喜びと幸せ
実習5-6喜びと幸せの発生)は、実習1-2 で、マインドフルネスに自分自身を確立すると同時に、自動的に起こります。従って、実習5-6に持ってくるより、実習3-4にした方が時系列的には正しいです。但し、喜びと幸せ感情のカテゴリーに入りますので、実習5-6に持ってきたのだと推測します。いずれにせよ、実習1-2 マインドフルな呼吸ができていれば、自分は目覚めた意識(本当の自分)に戻っていますので、生命の奇蹟に触れることができ、喜びと幸せ自動的発生するのです。喜びと幸せの実感の表現としては、「花のように、何も考えることなく、ただ咲いている」(花を人間に置き換えると、何も考えることなく、ただ微笑んでいる)といったところでしょうか。

いくら意識を呼吸に集中しようとしても、自分の恐れや不安から思考を停止できない人(心が過去や未来を彷徨っていて、今この瞬間に戻れない人)は、残念ながらエゴ(偽りの自分)のままですので、喜びと幸せを発生させることはできません。従って、実習1-2によって喜びと幸せを発生させることができない人は、たとえ先へ進んだとしても、マインドフルネスのエネルギーがありませんので、認識し、抱きしめ(受容し)、痛みや苦しみを和らげて軽減することは不可能です。ですから、ティク・ナット・ハンは、目覚めた意識(本当の自分)に戻れる迄、つまりマインドフルな呼吸や歩行ができるようになる迄、先へ進まないで意識的な呼吸や歩行を続けて下さいと指導しています。ですから、実習5-6は、自分が正しいマインドフルネスを実践しているか否かを自分でチェックする方法とも言えます。

(7-8): 苦痛の感情
実習5-6は肯定的な感情に気付いて維持する実習ですが、実習7-8は否定的な感情(苦痛の感情)に気付いて静める実習です。実習3-4全身苦痛の感情に置き換えれば、することは全く同じです。マインドフルネスのエネルギーによって苦痛の感情を認識し、抱きしめ(受容し)感情の中の緊張を解放することによって苦痛の感情穏やかにするのです。

自分が感情を認識するということは、自分が感情の目撃者、観察者であるということです。従って、感情は自分自身ではありません。本当の自分感情を目撃している目覚めた意識なのです。ですから、絶望のような強い感情であっても圧倒される必要はありません。ただ、眺めていればいつの間にか消えていきます。感情は無常(常に変化)であり、一時的に吹き荒れるのようなものですので、慌てて反応してはいけません。

(つづく)

(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハンの書

Thursday, February 9, 2017

十六念息(要点1)

「十六念息」の要点は以下の通りです。(原文と解説は次のURLをご参照ください。) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

実習1-4: 体
(1-2): 呼吸
この最初の二つの実習(意識的な呼吸)は、非常に重要です。なぜなら、この最初の意識的な呼吸によって、思考、即ち知覚を停止し、マインドフルネスに自分自身を確立するからです。つまり、この最初の意識的な呼吸によって、自分自身をエゴ(独立した(自性)自己、偽りの自分)から目覚めた意識(独立していない(無自性)自己、本当の自分、法身)へ変容するのです。思考を停止できれば、この変容は自動的に一瞬で起こります。しかしながら、強い恐れや不安を持っている人は、いくら呼吸に意識を集中しようとしても、考え続けてしまって思考を停止できません。

留意すべき点は、この最初の段階でマインドフルネスに自分自身を確立しておかないと、三番目以降の実習効果は期待できないということです。ティク・ナット・ハンが、「一息(2~3秒)で本当の自分に戻れる」と言っているのは、正にこの最初の意識的な呼吸のことを意味すると、私は理解しています。

(3-4): 全身
最初の二つの実習(意識的な呼吸)でマインドフルネスに自分自身を確立できると、マインドフルネスのエネルギーによって、目覚めた意識が自動的に自分の内面と周囲で何が起こっているかを気付けるようになります。実際には、一気に全てに気付くことができる(同時にあらゆる洞察を得ることができる)のですが、実習ではステップを踏んで順番に対象に気付いていきます。対象とは、人間を構成する五蘊(体、感情、知覚、心行、意識)を意味し、具体的には3-4:7-8:感情9-12:心行と意識13-16:知覚の順で認識し、穏やかにしていきます(痛みや苦しみに気付いて静めていきます)。

まず、3-4では全身の痛みに気付いて、痛い部分の緊張を解放します。体と心は密接に影響を及ぼし合っていますので、体の痛みが激しいと意識を集中できなくなり、マインドフルネスに自分自身を確立できなくなります。従って、第一に全身の健康マインドフルネスの光線でレントゲンの如くチェックし、不健康な部分は抱きしめて十分にケアしてあげることから始めるのです。以上の通り、マインドフルネスのエネルギーは、認識し、抱きしめ(受容し)、痛みや苦しみを和らげて軽減する機能を持っています。尚、マインドフルネスに自分自身を確立できるやいなや、停止する効果、休める効果、穏やかにする効果、癒す効果が一気に発生します。

(つづく)

(参考)https://www.youtube.com/watch?v=7eSuUDzwAWs
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS 
ティク・ナット・ハンの書

Thursday, January 12, 2017

2種類の「思考」

「考えること」、「思考」には2種類あります。一般人(エゴ)の「考え」、「思考」は常に分離、差別、即ち二元性を引き起こします。しかしながら、悟りを開いた人(目覚めた意識)の「考え」、「思考」は決して分離、差別、即ち二元性を引き起こしません。ですから、一般人は容易に思考を誤解するのです。その違いとは、思考が概念に基づいているか否かです。

誤解を避けるために、私は概念に基づいていない「考え」、「思考」を「洞察」と呼んでいます。洞察とは、言い換えれば、正見(正しい見方)、智慧、即ち理解のことです。ですから、もし私たちが洞察を通して苦しみの根本原因を理解するなら、愛と思いやりを発生させることができるのです。もし、私たちがマインドフルで集中しているなら、常に洞察を得られます。

ですから、もしその思考があるがままの現実を見て映し出した副産物なら、私はそれを洞察と呼びます。言い換えれば、もしその思考が感情や知覚(頭の中の一連の概念)を通過することなく、感覚(五感)に直結しているなら、私はそれを洞察と呼びます。(実際にこの直接思考のケースにおいても、ティク・ナット・ハンはまだ「考え」、「思考」という言葉を使用していますが)

とにかく、この世界は私たちの心の対象、つまり心の投影のために私たちの心そのものです。ですから、私たちの心が穏やか澄み切っているか否かが鍵です。もし、私たちの心が穏やかで澄み切っているなら、あるがままの外部の現実を映し出すことができ、あるがままの内面の現実を見通せます。しかし、もし私たちの心が穏やかで澄み切っていないなら、あるがままの外部の現実を映し出すことができず、あるがままの内面の現実を見通せません。ですから、私たちは心を止め、心を浄化する必要があるのです。

(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

洞察のイメージ

思考のイメージ

Monday, January 9, 2017

七覚支 (6)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
ですから、それが命なのです。それ故に、私たちはこの悟りの実践、踏み出す一歩一歩の悟りの実践に時間を割く必要があるのです。もし、一歩一歩に悟り(喜び、平穏)がないなら、何かが間違っています。(その場合は)私たちは時間を無駄にしています。一部の僧侶や尼僧、もしくは在家の実践者の中には、自分の大志を満たしていない人もいます。その人たちは仏陀や師のキャリアを続けません。その人たちをこき下ろすのはとても悲しいことです。

ですから、実践は一日を通してです。あなたが瞑想会場へやって来る時だけではありません。心の中の馬を訓練する話をしました。ですから、馬をあなたに乗させないでください。あなたが馬をコントロールするのです。禅仏教では、あなたが水牛に乗るのであり、水牛をあなたに乗させてはいけない、と言います。実際には、別の動物、がいるに違いありません。私の意識は猿でしたと、私は言いました。水牛とは、正に阿頼耶識のことです。(阿頼耶識には)種子、つまり私たちの振舞や心の全てがありますので(記憶の貯蔵)阿頼耶識水牛と呼ばれるのです。そして、阿頼耶識否定的なエネルギーのため、通常は非常に暗いです。

しかし、生きて人生をコントロールしている者は猿、つまり私たちの人生をでっち上げ(偽造し)、私たちの人生において物事を創造し、私たちを地獄か天国へ連れて行き、私たちに愛か憎しみをもたらす猿です。ですから、猿は非常に知能的な奴です。私たちは猿に注意を払う必要があります。ですから、猿にマインドフルネスの光を当ててください。猿を静かに座らせてください。馬を手なずけて穏やかにさせ、リラックスさせてください。それが私たちの実践です。

あなたは、純粋さやその他何でもかまいませんが、初心者用語の本質を探す必要はありません。そんなことはどうでもいいのです。あなたは、外部に仏陀を探す必要さえありません。あなたは、誓約の最後に悟りを得る必要はないのです。あなたが踏み出す一歩一歩で、悟りを得ることができるからです。
:引用終わり

(おわり)

(解説)
平静は、悟りの最も難しい要素であると、私は理解しています。なぜなら、平静とは非差別、非分離、非二元性、包括性、全体性、無条件の愛と思いやり、を意味するからです。ですから、悟りの他の六要素は、第七要素(平静)を成果として得るための手段か道具なのです。

完全な悟りのためには、1日24時間の非思考が不可欠です。ですから、そのためには全ての概念の絶滅が不可欠です。私たちは完全に思考を停止するために、全ての概念を投げ捨てなければなりません。そしてそのためには、洞察を通して、究極の真理である「空」、即ち相互依存を理解する必要があります。言い換えれば、全ての概念は分離、差別、即ち二元性を引き起こしますので、エゴによってでっち上げられた全ての概念は誤りであるということを、私たちは理解する必要があるのです。

私たちがその洞察を得ると、完全に悟りを開き1日24時間思考を停止できます。ですから、もはや分離、差別、即ち二元性はありません。すると、恐れや怒りのような煩悩が生じることはもうありません。それ故に、苦しみは完全に滅却されます。あるいは、人間のエゴによってでっち上げられた苦しみの概念がなくなる、と言うべきでしょう。全ての動物、植物、鉱物は、そのように生きるのを楽しんでいます。(小さな子供を除く)ほとんどの人間だけが、生ける屍なのです。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ガンダーラ仏陀

Thursday, January 5, 2017

七覚支 (5)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(54:45~)
悟りの第六要素は集中です。集中(サマーディ)はマインドフルネスに同調します。 私たちは皆、集中を必要としています。全ての瞑想学派は集中を一生懸命やっています。集中なくして、悟りなし。あなたがの学派に属していようが、密教の学派に属していようが、皆、集中(サマーディ)が必要です。サマーディは、あなたの心が休むようになり、あなたの心が集中し、焦点を合わせるようになることを意味するサマタ(止観の止)に相当します。 あなたの心が体へ(戻って)来ます。あなたがあなたの心を集中させるのではありませんが、(心が)常に休んでいるという感覚、常にあなたのためにそこにいるという感覚があなたにはあります。

ですから、マインドフルネスの連続が、実際には集中です。ですから、マインドフルネスのエネルギー分布は、実際には心の集中です。あなたがより長いマインドフルネスを持続すればするほど、あなたはより長い集中を手に入れます。そして、あなたの心は一日中、平安になります。静けさと平安。私たちは結局とても活発ですから、静けさを必要とします。 

ですから、私たちの心を理解するために集中が必要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは自分の心の中の種子によって制御されているからです。種子は実際に何をすべきかを私たちに告げます。私たちは制御できません。あなたが孤独な時、「誰か話をする人が必要だ」と言うように。(中略)実際に、私たちは自分自身の心に操作されています。ですから、「あなた(の体)は馬に乗っていますが、あなたの心に乗られており、実際には支配権を持っていません」と、仏陀は言ったのです。

ですから、集中は、私たちが心の濃縮された支配権自由解放を手に入れるのに役立ちます。私たちは、ここで何が起きているのかが分かります。私たちは、思考がエネルギーになる前に、その思考を見ます。私たちは、感情が強い感情になる前に、その感情を見ます。私たちは、私たちのエネルギーを送る前に、その執着を見ます。時には執着がとても強くて、私たちはエネルギーを送り出してしまいます。「私はあなたのことが好きです。あなたは私のことを美しく見てくれないのですか?」と。そんな風になります。

(1:00:38~)
最後の一つ(悟りの第七要素)は、平静(包括性、非差別、相互依存)です。これは非常に重要です。平静とは、手放すことを意味します。(中略)この要素は、自由になるため悟りを開くために非常に重要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは執着し、しがみつくからです。心の底では、私たちはもっとつかみたいし、もっと握りたいのです。私たちは全てを自分のものにしたいのです。ですから、手放すこと(が重要です)

しかし、心の深い奥底には、執着からの恐れがあります。あなたはそれらを失うことを恐れているのです。あなたはいつかそれらを手放さなければならないことを恐れています。しかし、あなたは行かねばなりません。ある日、あなたは死なねばなりません。ですから、最終的な解放は、実際には手放すこと、(自分の所有物への)執着を手放すことです。このさえも手放さなければなりません。そして、実際に私たちが深く観ると、この体は誕生と死のプロセスであると、私たちは理解します。あなたはいつも絶えず死んでおり、絶えず生まれています。そして、これが無常の法則なのです。

あなたはいつも変化していますので、その瞬間に「あなた」と呼ばれるものは何もありません。人々はこの実践をしていませんので、彼らはこの永遠の変化のプロセスを理解していません。ですから、彼らは死ぬことを恐れているのです。彼らは病気になることを恐れています。彼らはいつの日か、愛する人から旅立つことを恐れています。あなたがそんな感じなのか、あなたの愛する人がそんな感じなのか、のどちらかです。
:引用終わり

(つづく)

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

Tuesday, January 3, 2017

七覚支 (4)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(35:07~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。それは、あなた自身が正しいダルマ、正しい法の扉を探さなければならないことを意味します。(中略)ですから、私たちは日々の生活で実践するために、マインドフルネス(念)集中洞察の実践を学びました。そして次に、私たちは(その学んだ実践を)検証し、観ます。ですから、検証はむしろ深く観ること(ヴィパサナ)に近いです。私たちは心を止めるために、今、この瞬間に連れてきます。そして、私たちは自分の感情知覚を観ます。なぜなら、私たちの体が何であるかを理解する必要があるからです。私たちの体には非常に深い秘密があります。私たちの体には、学ぶべき広大な領域があります。

もし、私たちが理解できなければ、苦しみますが、理由が分かりません。私たちは体にもっと苦しみを創造します。なぜか分からないのです。ですから、マインドフルネスがダルマ(法:仏陀の教え)の検証に協力します。(中略)しかし、マインドフルネスが、つまり仏陀の方法であることは確かです。マインドフルネスがなければ、悟りもありません。(中略)あなたが好き嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。

(42:02~)
悟りの第三の要素は、エネルギーです。私たちがこのような生き方を続けるためには、エネルギーが必要です。ですから、このエネルギーはのようなものであり、精進のエネルギーです。ですから、エネルギーがなければ、悟りもありません。怠惰では上手くいきません。(中略)もし、あなたがとても怠け者になる場合、悟りを得ることはできますか?(中略)あなたは年がら年中、エネルギーを発生させなければなりません。エネルギーは、正に私たちが必要とするものなのです。 

ですから、スピリチュアルな人生とはそのようなものです。私たちは勤勉である必要があります。私たちは精進することを楽しみます。なぜなら、これが私たちの人生の中で最も重要なことであることを知っているからです。つまり、マインドフルネス、集中、透明な心のエネルギーを発生させることです。そうしなければ、私たちはただ同じパターン、即ち自動操縦(心に操られている状態)へと戻ってしまいます。混乱(します)。習慣エネルギー(癖に操られるのです)。すると、私たちは自分自身と他に苦しみをもたらす傾向があります。ですから、エネルギーが必要なのです。(中略)エネルギーは私たちを安定させます。あなたが否定的であることを知っているエネルギーは、実行してはなりません。何が否定的なエネルギーなのか、否定的な思考なのか、否定的な心行(精神形成物)なのかをあなたはご存知です。あなたはそれをしてはなりません。それに水をやってはなりません。(中略)ですから、良い種子に水をやることが、幸せと喜びなのです。

(50:03~)
喜びが悟りの第四の要素です。時には喜びを歓喜と呼びます。抑うつの人が悟りを得られると信じられますか?あり得ません!ですから、私たちは喜びを多少は持つ必要があります。私たちは喜びを持つことを好みます。あなたは実践をするために楽しむのです。あなたは喜びを感じます。喜びは道の技術であり、通ずるため、経験するためのマインドフルネスのようなものです。ですから、喜びは自己暗示にかけられるものではありません。しかし、あなたは喜びを感じます。私たちは静かに座禅を組み、あなたは喜びを感じます。(中略)喜びは静けさ透明な心からやって来ます。

(51:15から)
悟りの第五の要素は、リラクゼーション(くつろぎ)静けさです。真のマインドフルネスは非思考(考えないこと)です。真の集中は非思考です。ですから、静けさが非常に重要です。(中略)ただ、そこに座ってください。ただ、あなた自身になってください。人間の最大の苦しみは、あなたが自分自身になれないということです。そうですよね?あなたは愛を探していますが、自分自身を愛せません。あなたは、他の誰かにあなたを愛してもらいたいのですが、自分自身を愛せません。あなたは、誰かにあなたへの注意を払ってもらいたいのですが、自分自身に注意を払うことができません。それが人間の最大の苦しみです。

ですから、(自分自身に)戻って、リラックスして(くつろいで)ください。体の中でリラックスして(くつろいで)ください。心の中で穏やかになってください。私たちはこの素養を持っています。そして、実際にくつろぎと穏やかさが正に悟りに直結する要素であり、エネルギーです。実際にあなたは悟りました。あなたは仏陀になります。人間として、私たちはたくさんの苦しみを作り出しますので、誰もが仏陀になれることを願っています。しかし、あなたが仏陀になる時、くつろぎ穏やかさのエネルギーを放射しています。あなたのはより透明になります。それは、あなたの知覚がより澄んで(感覚と)より直接的であることを意味します。

(54:13~)
あなたが知覚の場所にやって来る時、たくさん色をつけますなぜなら、知覚の底はだからです。知覚の上にがいます。ですから、私たちは私たち自身ので、人を色づけします。私たちが好き好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。ですから、心の穏やかさ、体のくつろぎが非常に重要なのです。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
次の発言は非常に重要且つ真理ですので、よく覚えておかねばなりません。

「あなたが好き嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。」
「ですから、私たちは私たち自身ので、人を色づけします。私たちが好き好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。」

上記の発言は、私たちは自分の心、つまり自分自身を他人の中に見ることを意味します。ですから、私たちの見方は、私たちの考え方に依存するのです。もし、私たちが相手を責めるなら、実際には自分自身を責めているのです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

Saturday, December 31, 2016

七覚支 (3)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(25:10~)
ですから、マインドフルネスとは、心が体へ戻り、今この瞬間に留まるということです。マインドフルネスとは、あなたが感じていることを何でもすること(エゴの否定的な感情に従うのではなく、目覚めた意識が触れた通りに行動すること)です。単純に聞こえますが、私たちの心は一度に多くのことをする(同時に複数のことをする)のが好きですので、たくさんの訓練が必要です。私たちの心は過去へ、未来へと遠くに逃げ出すことを好みます。 私たちの心は、考えることと計画することが非常に上手です。そして、私たちの心は走って走ってばかりいる白馬のようだと、仏陀は言いました。

(26:55~)
仏陀は、は私たちののようだと言いました。マインドフルネスの訓練をすることは、実際に、停止することに熱中するための心のトレーニングであり、走るのを止めるための心のトレーニングであり、思考さえ停止するための心のトレーニングです。思考には何も問題はありません。しかし、私たちは考え過ぎです。思考のほとんどは生産的ではありません。そして、私たちの思考のほとんどは非常に否定的です。思考には多くの不安と恐れがあります。心配があります。

ですから、マインドフルネスとは、ただ居るということです。一度に一つのことをしてください。本当にただ居るということです。私たちの心はとても狂っていますので。ですから、ただ居るということは訓練であり、全然簡単ではありません。馬、心の中の馬を訓練すること、それがマインドフルネスです。

(34:28~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。ですから、仏陀は悟りを定義することにおいて非常に明確でした。第一(要素)がマインドフルネス、今この瞬間において自分自身に戻ることです。心と体が一つになります。ですから、マインドフルネスなしでは、悟りはありません。いいですか?それは確かです。ですから、一瞬一瞬の目覚めた意識です。マインドフルネスは真の悟りです。真の命です!
:引用終わり

(つづく)

(解説)
マインドフルネスとは、思考を止めることです。私たちの行動(呼吸や歩行などの自動詞の行動は、目的語、即ち心の対象を要しませんので、思考を止めるのに最適です)に集中する時、思考を止めて、目覚めた意識が非思考になると同時に自動的に復活します。すると、私たち(目覚めた意識)は生命の奇跡と、自分の内面と周囲の現実の本質に触れることができます。ですから、私たちは常に洞察を得ることができ、いつでも愛と思いやりを発生させることができます。その結果、私たちの心はいつも穏やかで澄んでおり、その心が平和、喜び、幸せをもたらします。しかしながら、この段階はまだ一時的な悟りであり、全ての概念の絶滅を通した完全な悟りではありません

思考を止めることによってマインドフルになるためには、洞察を通して私たちの恐れや不安の根本原因を理解する必要があります。なぜなら、根本原因を理解しない限り、私たちは思考を止めることができないからです。それから、意識的な呼吸や歩行は、一時的に思考を止めて、苦しみの根本原因の洞察を得るのに、補足的な手法として役立つと理解しています。しかし、意識的な呼吸や歩行は、恐れや不安を持っている人にとってはあまり簡単なことではありません。なぜなら、意識的な呼吸や歩行中であっても、恐れや不安を持っている人が思考を止めるのは非常に難しいからです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338

歩行瞑想