Saturday, July 30, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問(正見と正思惟)

次の正見と正思惟に関する、ティク・ナット・ハンの法話の要約をご一読ください。
https://drive.google.com/file/d/0B_vcianSBGpHOVV0eXU3b1VNWnM/view
以下は抜粋です。

引用:
< 正見幸福への道 >
ある時、一人の僧侶が仏陀の所へやって来ました。僧侶は、「親愛なる仏陀、あなたは正見(正しい見方)について何度も話しました。正見(正しい見方)とは正確には何ですか?」と、尋ねました。

仏陀は、「正見(正しい見方)とは、存在と非存在の概念がない見方です。世界のほとんどの人は、存在の概念非存在の概念のいずれかに捕捉されています。しかし、究極の現実は、これら両方の概念を超越します」と、言いました。

仏教では、存在と非存在はただの概念です。究極の現実は、これらの概念がありません。(中略)

近代科学はこれを確認しました。熱力学の第一法則である、エネルギー保存の法則は、物質は創造され得ず、また破壊され得ないことを示しています。物質はエネルギーに変容し、エネルギーは物質に変容できます。しかし、真の誕生はなく、真の死はありません。ですから、洞察、正見(正しい見方)とは、存在と非存在の考えを超越する見方ですと、仏陀は行ったのです。(中略)

しかし、非存在と存在は概念でしかなく生まれることも死ぬこともなく(不生不死)存在することも存在しないこともないという真理にあなたが触れられたなら、あなたは自由です。そして、あなたがその真理に触れた時、あなたは涅槃に触れます。存在と非存在を含む、これら全ての概念の絶滅、不在が涅槃です。

生まれることも死ぬこともなく(不生不死)存在することも存在しないこともないという本質に触れたなら、あなたには差別がなくなります。ですから、正見(正しい見方)とは、全ての差別がない見方です。差別は非常に多くの痛みの原因です。(中略)

正見(正しい見方)を持っていれば、もはや差別はなく、もはや二元性はなく、もはや恐れや憎しみはありません。そうすると、幸せが可能です。私たちが物を深く観ると、不生不死の性質という現実の本質に触れることができます。そして、私たちは非存在の概念と存在の概念を、自分の心から取り除くことができます。

正見(正しい見方)は、非差別相互協調思いやりの基盤です。(中略)

正思惟滋養と癒し >
この正見(正しい見方)と呼ばれる洞察により、私たちが生み出す思考(考え)は、非差別、理解、思いやりを持っている正しい思考(考え)になります。私たちがこの種の思考を持つたびに、それは自分自身と世界を滋養し癒すことができます。私たちは自分の子供たちに、正思惟(正しい思考)、即ち愛、理解、非差別が染み込んだ思考を教える必要があります。

自分自身を滋養し癒すために、世界を滋養し癒すために、優れた実践者は、常に正思惟(正しい思考)を生み出すことができます。
:引用終わり

(ティク・ナット・ハンへの私の質問)
1) なぜ、ティク・ナット・ハンは、全ての概念の絶滅、即ち涅槃によって正見(正しい見方)を説明したのでしょうか?「四聖諦」と「八正道」は、歴史的な次元における一般的な真理の領域にあります。しかし、涅槃究極の次元です。ティク・ナット・ハンは、これら二つの次元間の独立した調査という仏教原理に従って、私たちはこれら二つの次元を混同してはならないと教えました。

2) 正見(正しい見方)と呼ばれる洞察に基づく思考(考え)とは何でしょうか?そのような正思惟(正しい思考)が可能なのでしょうか?全ての思考は、分離、差別、即ち二元性を引き起こす、と私は理解しています。ですから、非思考(考えないこと)が正思惟(正しい思考)でなくてはなりません。私たちは、マインドフルネスと集中を通して、思考を停止することによって洞察を得ます。ですから、私たちが再び考え始めるなら、マインドフルで集中していられなくなり、洞察を得られなくなるだろう、と私は理解します。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/07/blog-post_24.html

ティク・ナット・ハン