Sunday, December 25, 2016

七覚支 (1)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(9:18~)
たぶん、プラム・ビレッジの実践が私には効かないと、私は考えました。(中略)(見習い)僧侶として4年経過後、私は若い比丘(完全に叙任された仏教の僧侶)になりました。私はティク・ナット・ハンの部屋に行って、「師よ、私はあなたを去りたいと思います。私は寺院を去り、あなたから離れたいです。私は異なる実践を学ぶために、ダライ・ラマの所へ行きたいです。なぜなら、4年が経った今、私はもはや平和を見い出せないからです。最初の内は、私は本当にたくさんの平和、喜び、幸せでいっぱいでした。(中略)しかし、今は非常に疲労困憊し、体が病気になっています。私は行きたいです。たぶん、あなたの実践方法は私には効きません。私には、この息を吸って吐くことや歩行瞑想よりも、より複雑且つ神秘的真言のようなものが必要なのです」と言いました。(笑)

すると、ティク・ナット・ハンが何と言ったと思いますか?「座禅の最初から最後までマインドフルな呼吸をすることができますか?」(と尋ねられました) 私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。「マインドフルな歩行をできますか?歩行の最初から最後まで、本当に大地を感じることができますか?」 (通常、プラム・ビレッジでは(歩行瞑想を)約45分します。)そして、私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。すると、(ティク・ナット・ハンは)、「あなたは残らなければなりません」と言いました。(笑)それは、師が私に去る許可をくれないことを意味します。 私はまだ訓練ができていませんでしたので、それはその通りです。私はまだこの単純な実践を完全に訓練できていませんでした。(それなのに)私は混乱していましたので、もう出て行きたかったのです。私は自分の中の多くの苦しみに直面し、自分の苦しみから逃げていました。私は、より洗練された実践方法神秘的な真言密教を学ぶために、異なる教えの方へ行く必要があると考えて、自分の苦しみから逃げていたのです。

(11:55~)
今、僧侶として27年が経過し、私はいつも、「私は誰?」ではなく「私は何をしているのか?」と、自問します。「私は正に今、何をしているか?」 と。すると、この質問は基本的な実践に私を連れ戻してくれます。「私はここで何をしているのか?」それから、「私は寺院で自分の命のために何をしているのか?」と。ですから、この自問が直ちに、私を基本的な実践である息を吸って吐く実践、歩行瞑想、食事瞑想へと連れ戻してくれるのです。

私の心は彷徨い続けていました。(中略)時には悟りを探し求めていました。僧侶になるという私の願望は、仏陀になるためでした。(中略)私は仏陀になりたかったので、私は悟りを得たいと思っていました。ですから、「私は誰?」と自問する傾向は、人間としての人生目的は何なのかということですが、それは完全に悟りを開いた仏陀になるということであり、私の内面の奥深くにありました。(しかしながら)私の日々の実践においては、それは全く役に立ちません。

しかし、それ(仏陀になる願望)は、私が完全に悟りを開いていることを特定する心の状態を探し求めて、走り続ける非常に深い不安からきています。しかし、それは馬鹿げています。そんな風にはいかないのは確かです。なぜなら、悟りは心の状態ではないことを、私は今、知っているからです。悟りは考えではありません。悟りは、内面の奥深くへ入り込み、内部を探求することではありません。違います。

悟りは、日々の一瞬一瞬の実践です。私たちは何を実践しているでしょうか?マインドフルネスの実践です。ですから、マインドフルネスが悟りの第一要素なのです。仏陀が悟りの七要素七つの悟りの特徴について語ったことを、皆さんはご存知です。非常に具体的で、非常に明確です。その第一の要素がマインドフルネスです。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
タイ・ファップ・ダンは完全に悟りを開いている(プラム・ビレッジの伝統において完全に悟りを開いている数名の内の一人である)と、私は理解しています。タイ・ファップ・ダンが完全な悟りを開く前の非常に具体的な経験を分かち合ってくれたことは、非常に心を開いていて率直です。マインドフルになるためのタイ・ファップ・ダンの手法は、「私は何をしているのか?」と自問することによって、自分を直ちに基本的な実践に連れ戻すことでした。そして、タイ・ファップ・ダンは息を吸って吐く実践や歩行瞑想といった、日々の一瞬一瞬の実践を通して、完全な悟りを開いたようです。私はタイ・ファップ・ダンに、「それが全てですか?」と尋ねたいです。なぜなら、深い不安を取り除くのは、そう簡単なことではないと、私は理解しているからです。私の推測は、タイ・ファップ・ダンが基本的な実践中に自分の非常に深い不安の根本原因を洞察を通して理解したに違いないということです。なぜなら、深い恐れや不安を取り除くためには、無条件の自己受容、即ち無条件の自己愛が不可欠であるからです。ちなみに、「私は誰?」と自問する私の自己探求手法は、以下の通り大変上手くいきました

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436


タイ・ファップ・ダン