Sunday, October 11, 2015

仏陀に合掌低頭する方法

次のティク・ナット・ハンのビデオを17:05~22:08迄ご覧ください。


引用:
私が見習い僧だった時、私の先生が仏陀に合掌低頭(ていず)する方法を教えてくれました。仏陀に合掌低頭する前に、あなたは瞑想する必要があります。あなたが合掌低頭しないなら、大地に触れても何の効果もないでしょう。なぜなら、仏陀に合掌低頭するために大地に触れるとは、あなたと仏陀との間にコミュニケーション、心の交流を確立することだからです。そして「空」、「無我」と呼ばれる集中の実践が、あなたと仏陀の間でコミュニケーション、心の交流ができるように、あなたが合掌低頭するのに役立ちます。(大地に触れる実践は、自分のルーツ、祖先である大地へ戻るためであり、自分は一人ではなく精神的祖先と遺伝的祖先の全ての流れと繋がっていることを認識するためです。つまり、自分が独立しているという考えを手放し、自分は地球そのものであり生命の一部であることを思い出すために大地に触れるのです。

そして私の先生は、私が仏陀に合掌低頭する度にそれを使えるように、暗記用の詩を私に授けてくれました。しかし、私が合掌低頭する前にマインドフルな呼吸(が不可欠です)。今朝、私たちが実践したものです。大地に触れる前に、仏陀釈迦牟尼の前に、私たちはこの詩を唱えました。「合掌低頭する人とされる人、双方共本質的に「空」(独立した存在ではなく相互依存)です。」それは、「親愛なる仏陀、あなたは仏陀として、仏陀以外の要素からできていますので、あなたはあなた以外の要素からできているのであり、あなたは空であり、あなたの本質は空です」ということを意味します。

そして、あなたに合掌低頭している自分自身、私もまた、私以外の要素からできています。私もまた自分の本質は空です。それは、あなたがあなた以外の要素からできていることを意味します。そして、あなた以外の要素の中に、あなたの中にいる私がいます。そして、私もまた私以外の要素でできています。そして、これらの私以外の要素の中に、あなたがいます。ですから、事実は、私は私の中にあなたを見ることができ、私はあなたの中にいるということです。そして、あなたがあなたの中の空の性質に触れ、あなたが仏陀になる前に、合掌低頭すべきではありません。なぜなら、あなたがあなたの中の空の性質や仏陀に触れていないなら、あなたと仏陀は二つの独立した実体です。コミュニケーションはなく、本当のコミュニケーションができません。あなたは私を含む、あなた以外の要素でできていて、私はあなたを含む、私以外の要素でできているからこそ、コミュニケーションが非常に深くなるのです。

そして詩はそのままでした。「合掌低頭する人とされる人、双方共本質的に「空」(独立した存在ではなく相互依存)です。」ですから、コミュニケーションが非常に深いのです。そして、その種の相互依存の洞察は、私たちが自己の概念を超越するのを助けてくれます。自己は概念であり、現実ではありません。全てのものは変化していますので、あなたは二つの連続した​​瞬間において同じ人ではありません。誰も同じ川を二度泳ぐことはできません。泳ぐ人が同じでないだけでなく、川もまた同じではありません。そして、無常の瞑想、無常の集中(サマディ)は、無我の洞察をもたらします。
:引用おわり

仏陀