Saturday, September 26, 2015

デヴィッド・ボーム (3)

次のビデオをご覧ください。デヴィッド・ボームの言っていることは、正に仏陀が「空」によって説いたことと同一です。


完全性:現実への可干渉的なアプローチ – デヴィッド・ボーム (3)

私は原罪のようなものがあるとは思いません。私は原罪のようなものは、私たちの社会の成長と共に一層発展したのだと思います。狩猟・採集社会の人々が、全員そんなに競争心旺盛であったという証拠はありません。しかし、あなた方が社会をより大きくし、あなた方がより多くの組織を持つにつれ、あなた方はトップに到達する必要があり、底辺の人々が苦しむことになります。自然と、競争する時勢の流れがありました。競争する欲望は弱さというより、間違いです。

ですから、まず最初に私たちがしなければならないことは、長い目で見れば、何千年もかけて発展してきた私たちの思考法を見ることです。私は、競争が人類の原始の思考法だったとは全く思いません。しかし、多くの複雑な理由から競争が起こったのだと思います。

さて、それは、人々が参加する必要があること、協調する努力をする必要があること、対話、真の対話をする必要があることを意味します。その対話では、単に意見を交換するのではなく、抵抗することなく、実際に他人の見方に深く耳を傾けるのです。

もし、私たちが自分自身の意見にしがみつき、他人に抵抗するなら、対話を行うことはできません。それは、私たちが他人を受け容れるべきであるという意味ではありませんが、他人をつまみ出すことなく、他人を抑圧することなく、全ての意見を見て、私たちの前で、あるがままに、全ての意見を保留しておくことができるようになる必要があります。

(競争は分離や差別を引き起こしますので、全ての煩悩の根源であり、苦しみの根本原因です。競争に於いては勝者は一人もおらず、全員が敗者になります。一時的に勝者になったとしても、その地位を維持するために無理な努力を強いられ、必ず狙われますのでいつかは敗者に転落するからです。従って、競争とは自己破壊であると言っても過言ではありません。自分が勝つために戦うのは、エゴのすることです。原始時代には競争することなく、協力し合って協調していたことでしょう。しかし、社会の拡大に伴って組織を率いるリーダーが登場し、力(暴力)で富や権力や地位を独占していったのでしょう。相互依存の性質を持つ全てのものが生き抜く道は協調しかないにも拘わらず、エゴの人間は真逆の分離を引き起こす競争を選択したのです。自他を分離してしまうと対立が生じますが、真に対立を解決するには対話が不可欠です。力(暴力)で敵をねじ伏せようとしても対立が深まるだけです。真の解決にはどうしても相互の深い傾聴を通した和解が必要です。

(注) 括弧書きの中は私の解説です。

(つづく)

(参考)
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

Best friends Photo by The Ugly Daughter