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Wednesday, November 15, 2017

本当の自分 & エゴ True self & Ego

<本当の自分>                               <エゴ>

マインドフルネス(念)            失念
集中                                             分散
   ↓                                                  
理解                                             誤解
洞察                                             思考
   ↓                                                  
                                                 執着(愛着)、依存症
思いやり                                      悪意
   ↓                                                  
平和                                             怒り、憎しみ、抑うつ
希望                                             絶望
(協調)                                          (競争、比較)
   ↓                                                  
喜び                                             痛み
幸せ                                             苦しみ

【ヒント】
1. 呼吸しているのは誰ですか?熟睡している時も呼吸しています。あなたは意識して呼吸していませんよね?呼吸しているのが「本当の自分」です。

2. 考えているのは誰ですか?熟睡している時は考えていません。あなたは意識して考えていますよね?考えているのが「エゴ」です。

3. 考えているのが本当の自分だと勘違いしていませんか?もしそうなら、脳が本当の自分になってしまいます。本当の自分は考えません。脳は本当の自分ではありません。


4. 考えるのを止めた瞬間に洞察を得たことがありますか?もしあれば、それが本当の自分です。洞察は取りに行くものではなく、何もしなくても自然に入ってくるものです。


5. 生命の奇跡に触れていますか?生命の奇跡に触れると喜びと幸せが湧きだしてきます。幼子のように。考えていると生命の奇跡に触れることはできません。


6. 現実を見ていると勘違いしていませんか?考えている限り目に映るものは全て幻想です。洞察を通してしか現実に触れることはできません。

7. 目に映る世界はあなたの心の投影であることに気付いていますか?あなたの心をあなたは見ているのです。心を止めると、穏やかな心が鏡の如く現実を反射できます。

8. 苦しみを相手のせいにしていませんか?それでは何も解決しません。苦しみの原因は全て自分の心の中の障害にあるのですから。

(参考)
https://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://compassion5151.blogspot.jp/2017/05/blog-post_25.html


<True self>                                   <Ego>

Mindfulness                                   Forgetfulness
Concentration                                Dispersion
      ↓                                                     
Understanding                              Misunderstanding
Insight                                           Thought
      ↓                                                     
Love                                               Attachment, Addiction
Compassion                                  Ill-will
      ↓                                                     
Peace                                             Anger, Hatred, Depression
Hope                                              Despair
(Cooperation)                               (Competition, Comparison)
      ↓                                                     
Joy                                                 Pain
Happiness                                     Suffering

【Hints】
1. Who is breathing? You are breathing even in your deep-sleep state. You are not breathing consciously, are you? The breather is 'True self'.

2. Who is thinking? You are not thinking in your deep-sleep state. You are breathing consciously, aren't you? The thinker is 'Ego'.

3. Don't you misunderstand that the thinker is 'True self', do you? If so, your brain must be 'True self'. 'True self' never thinks. Your brain is not 'True self'.

4. Have you ever attained insight right after stopping the thinking? If yes, that is 'True self'. Insight is something which enters into you naturally, not something to take.

5. Are you touching the wonders of life? You can generate joy and happiness when you touch the wonders of life. Like a child. You can never touch the wonders of life while thinking.

6. Don't you misunderstand that you see the reality, do you? As long as you think, everything you see is an illusion. You can touch the reality only through insight.

7. Are you aware that everything you see is the projection of your mind? You are watching your mind. If you stop your mind, your calm mind can reflect the reality like a mirror.

8. Your suffering is because of the other's attitudes? If you think so, nothing will be solved. That's because your suffering is because of obstacles in your mind.


Charlie Chaplin

Monday, January 9, 2017

七覚支 (6)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
ですから、それが命なのです。それ故に、私たちはこの悟りの実践、踏み出す一歩一歩の悟りの実践に時間を割く必要があるのです。もし、一歩一歩に悟り(喜び、平穏)がないなら、何かが間違っています。(その場合は)私たちは時間を無駄にしています。一部の僧侶や尼僧、もしくは在家の実践者の中には、自分の大志を満たしていない人もいます。その人たちは仏陀や師のキャリアを続けません。その人たちをこき下ろすのはとても悲しいことです。

ですから、実践は一日を通してです。あなたが瞑想会場へやって来る時だけではありません。心の中の馬を訓練する話をしました。ですから、馬をあなたに乗させないでください。あなたが馬をコントロールするのです。禅仏教では、あなたが水牛に乗るのであり、水牛をあなたに乗させてはいけない、と言います。実際には、別の動物、がいるに違いありません。私の意識は猿でしたと、私は言いました。水牛とは、正に阿頼耶識のことです。(阿頼耶識には)種子、つまり私たちの振舞や心の全てがありますので(記憶の貯蔵)阿頼耶識水牛と呼ばれるのです。そして、阿頼耶識否定的なエネルギーのため、通常は非常に暗いです。

しかし、生きて人生をコントロールしている者は猿、つまり私たちの人生をでっち上げ(偽造し)、私たちの人生において物事を創造し、私たちを地獄か天国へ連れて行き、私たちに愛か憎しみをもたらす猿です。ですから、猿は非常に知能的な奴です。私たちは猿に注意を払う必要があります。ですから、猿にマインドフルネスの光を当ててください。猿を静かに座らせてください。馬を手なずけて穏やかにさせ、リラックスさせてください。それが私たちの実践です。

あなたは、純粋さやその他何でもかまいませんが、初心者用語の本質を探す必要はありません。そんなことはどうでもいいのです。あなたは、外部に仏陀を探す必要さえありません。あなたは、誓約の最後に悟りを得る必要はないのです。あなたが踏み出す一歩一歩で、悟りを得ることができるからです。
:引用終わり

(おわり)

(解説)
平静は、悟りの最も難しい要素であると、私は理解しています。なぜなら、平静とは非差別、非分離、非二元性、包括性、全体性、無条件の愛と思いやり、を意味するからです。ですから、悟りの他の六要素は、第七要素(平静)を成果として得るための手段か道具なのです。

完全な悟りのためには、1日24時間の非思考が不可欠です。ですから、そのためには全ての概念の絶滅が不可欠です。私たちは完全に思考を停止するために、全ての概念を投げ捨てなければなりません。そしてそのためには、洞察を通して、究極の真理である「空」、即ち相互依存を理解する必要があります。言い換えれば、全ての概念は分離、差別、即ち二元性を引き起こしますので、エゴによってでっち上げられた全ての概念は誤りであるということを、私たちは理解する必要があるのです。

私たちがその洞察を得ると、完全に悟りを開き1日24時間思考を停止できます。ですから、もはや分離、差別、即ち二元性はありません。すると、恐れや怒りのような煩悩が生じることはもうありません。それ故に、苦しみは完全に滅却されます。あるいは、人間のエゴによってでっち上げられた苦しみの概念がなくなる、と言うべきでしょう。全ての動物、植物、鉱物は、そのように生きるのを楽しんでいます。(小さな子供を除く)ほとんどの人間だけが、生ける屍なのです。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ガンダーラ仏陀

Thursday, January 5, 2017

七覚支 (5)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(54:45~)
悟りの第六要素は集中です。集中(サマーディ)はマインドフルネスに同調します。 私たちは皆、集中を必要としています。全ての瞑想学派は集中を一生懸命やっています。集中なくして、悟りなし。あなたがの学派に属していようが、密教の学派に属していようが、皆、集中(サマーディ)が必要です。サマーディは、あなたの心が休むようになり、あなたの心が集中し、焦点を合わせるようになることを意味するサマタ(止観の止)に相当します。 あなたの心が体へ(戻って)来ます。あなたがあなたの心を集中させるのではありませんが、(心が)常に休んでいるという感覚、常にあなたのためにそこにいるという感覚があなたにはあります。

ですから、マインドフルネスの連続が、実際には集中です。ですから、マインドフルネスのエネルギー分布は、実際には心の集中です。あなたがより長いマインドフルネスを持続すればするほど、あなたはより長い集中を手に入れます。そして、あなたの心は一日中、平安になります。静けさと平安。私たちは結局とても活発ですから、静けさを必要とします。 

ですから、私たちの心を理解するために集中が必要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは自分の心の中の種子によって制御されているからです。種子は実際に何をすべきかを私たちに告げます。私たちは制御できません。あなたが孤独な時、「誰か話をする人が必要だ」と言うように。(中略)実際に、私たちは自分自身の心に操作されています。ですから、「あなた(の体)は馬に乗っていますが、あなたの心に乗られており、実際には支配権を持っていません」と、仏陀は言ったのです。

ですから、集中は、私たちが心の濃縮された支配権自由解放を手に入れるのに役立ちます。私たちは、ここで何が起きているのかが分かります。私たちは、思考がエネルギーになる前に、その思考を見ます。私たちは、感情が強い感情になる前に、その感情を見ます。私たちは、私たちのエネルギーを送る前に、その執着を見ます。時には執着がとても強くて、私たちはエネルギーを送り出してしまいます。「私はあなたのことが好きです。あなたは私のことを美しく見てくれないのですか?」と。そんな風になります。

(1:00:38~)
最後の一つ(悟りの第七要素)は、平静(包括性、非差別、相互依存)です。これは非常に重要です。平静とは、手放すことを意味します。(中略)この要素は、自由になるため悟りを開くために非常に重要です。なぜなら、ほとんどの時間、私たちは執着し、しがみつくからです。心の底では、私たちはもっとつかみたいし、もっと握りたいのです。私たちは全てを自分のものにしたいのです。ですから、手放すこと(が重要です)

しかし、心の深い奥底には、執着からの恐れがあります。あなたはそれらを失うことを恐れているのです。あなたはいつかそれらを手放さなければならないことを恐れています。しかし、あなたは行かねばなりません。ある日、あなたは死なねばなりません。ですから、最終的な解放は、実際には手放すこと、(自分の所有物への)執着を手放すことです。このさえも手放さなければなりません。そして、実際に私たちが深く観ると、この体は誕生と死のプロセスであると、私たちは理解します。あなたはいつも絶えず死んでおり、絶えず生まれています。そして、これが無常の法則なのです。

あなたはいつも変化していますので、その瞬間に「あなた」と呼ばれるものは何もありません。人々はこの実践をしていませんので、彼らはこの永遠の変化のプロセスを理解していません。ですから、彼らは死ぬことを恐れているのです。彼らは病気になることを恐れています。彼らはいつの日か、愛する人から旅立つことを恐れています。あなたがそんな感じなのか、あなたの愛する人がそんな感じなのか、のどちらかです。
:引用終わり

(つづく)

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

Tuesday, January 3, 2017

七覚支 (4)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(35:07~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。それは、あなた自身が正しいダルマ、正しい法の扉を探さなければならないことを意味します。(中略)ですから、私たちは日々の生活で実践するために、マインドフルネス(念)集中洞察の実践を学びました。そして次に、私たちは(その学んだ実践を)検証し、観ます。ですから、検証はむしろ深く観ること(ヴィパサナ)に近いです。私たちは心を止めるために、今、この瞬間に連れてきます。そして、私たちは自分の感情知覚を観ます。なぜなら、私たちの体が何であるかを理解する必要があるからです。私たちの体には非常に深い秘密があります。私たちの体には、学ぶべき広大な領域があります。

もし、私たちが理解できなければ、苦しみますが、理由が分かりません。私たちは体にもっと苦しみを創造します。なぜか分からないのです。ですから、マインドフルネスがダルマ(法:仏陀の教え)の検証に協力します。(中略)しかし、マインドフルネスが、つまり仏陀の方法であることは確かです。マインドフルネスがなければ、悟りもありません。(中略)あなたが好き嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。

(42:02~)
悟りの第三の要素は、エネルギーです。私たちがこのような生き方を続けるためには、エネルギーが必要です。ですから、このエネルギーはのようなものであり、精進のエネルギーです。ですから、エネルギーがなければ、悟りもありません。怠惰では上手くいきません。(中略)もし、あなたがとても怠け者になる場合、悟りを得ることはできますか?(中略)あなたは年がら年中、エネルギーを発生させなければなりません。エネルギーは、正に私たちが必要とするものなのです。 

ですから、スピリチュアルな人生とはそのようなものです。私たちは勤勉である必要があります。私たちは精進することを楽しみます。なぜなら、これが私たちの人生の中で最も重要なことであることを知っているからです。つまり、マインドフルネス、集中、透明な心のエネルギーを発生させることです。そうしなければ、私たちはただ同じパターン、即ち自動操縦(心に操られている状態)へと戻ってしまいます。混乱(します)。習慣エネルギー(癖に操られるのです)。すると、私たちは自分自身と他に苦しみをもたらす傾向があります。ですから、エネルギーが必要なのです。(中略)エネルギーは私たちを安定させます。あなたが否定的であることを知っているエネルギーは、実行してはなりません。何が否定的なエネルギーなのか、否定的な思考なのか、否定的な心行(精神形成物)なのかをあなたはご存知です。あなたはそれをしてはなりません。それに水をやってはなりません。(中略)ですから、良い種子に水をやることが、幸せと喜びなのです。

(50:03~)
喜びが悟りの第四の要素です。時には喜びを歓喜と呼びます。抑うつの人が悟りを得られると信じられますか?あり得ません!ですから、私たちは喜びを多少は持つ必要があります。私たちは喜びを持つことを好みます。あなたは実践をするために楽しむのです。あなたは喜びを感じます。喜びは道の技術であり、通ずるため、経験するためのマインドフルネスのようなものです。ですから、喜びは自己暗示にかけられるものではありません。しかし、あなたは喜びを感じます。私たちは静かに座禅を組み、あなたは喜びを感じます。(中略)喜びは静けさ透明な心からやって来ます。

(51:15から)
悟りの第五の要素は、リラクゼーション(くつろぎ)静けさです。真のマインドフルネスは非思考(考えないこと)です。真の集中は非思考です。ですから、静けさが非常に重要です。(中略)ただ、そこに座ってください。ただ、あなた自身になってください。人間の最大の苦しみは、あなたが自分自身になれないということです。そうですよね?あなたは愛を探していますが、自分自身を愛せません。あなたは、他の誰かにあなたを愛してもらいたいのですが、自分自身を愛せません。あなたは、誰かにあなたへの注意を払ってもらいたいのですが、自分自身に注意を払うことができません。それが人間の最大の苦しみです。

ですから、(自分自身に)戻って、リラックスして(くつろいで)ください。体の中でリラックスして(くつろいで)ください。心の中で穏やかになってください。私たちはこの素養を持っています。そして、実際にくつろぎと穏やかさが正に悟りに直結する要素であり、エネルギーです。実際にあなたは悟りました。あなたは仏陀になります。人間として、私たちはたくさんの苦しみを作り出しますので、誰もが仏陀になれることを願っています。しかし、あなたが仏陀になる時、くつろぎ穏やかさのエネルギーを放射しています。あなたのはより透明になります。それは、あなたの知覚がより澄んで(感覚と)より直接的であることを意味します。

(54:13~)
あなたが知覚の場所にやって来る時、たくさん色をつけますなぜなら、知覚の底はだからです。知覚の上にがいます。ですから、私たちは私たち自身ので、人を色づけします。私たちが好き好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。ですから、心の穏やかさ、体のくつろぎが非常に重要なのです。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
次の発言は非常に重要且つ真理ですので、よく覚えておかねばなりません。

「あなたが好き嫌いかは、正に(心の)投影です。あなたが好きか嫌いかは、または彼女のせいではありません。それは私たちの心の顕現なのです。」
「ですから、私たちは私たち自身ので、人を色づけします。私たちが好き好きでないかは、正に(心の)投影であり、非常に主観的です。」

上記の発言は、私たちは自分の心、つまり自分自身を他人の中に見ることを意味します。ですから、私たちの見方は、私たちの考え方に依存するのです。もし、私たちが相手を責めるなら、実際には自分自身を責めているのです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

Saturday, December 31, 2016

七覚支 (3)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(25:10~)
ですから、マインドフルネスとは、心が体へ戻り、今この瞬間に留まるということです。マインドフルネスとは、あなたが感じていることを何でもすること(エゴの否定的な感情に従うのではなく、目覚めた意識が触れた通りに行動すること)です。単純に聞こえますが、私たちの心は一度に多くのことをする(同時に複数のことをする)のが好きですので、たくさんの訓練が必要です。私たちの心は過去へ、未来へと遠くに逃げ出すことを好みます。 私たちの心は、考えることと計画することが非常に上手です。そして、私たちの心は走って走ってばかりいる白馬のようだと、仏陀は言いました。

(26:55~)
仏陀は、は私たちののようだと言いました。マインドフルネスの訓練をすることは、実際に、停止することに熱中するための心のトレーニングであり、走るのを止めるための心のトレーニングであり、思考さえ停止するための心のトレーニングです。思考には何も問題はありません。しかし、私たちは考え過ぎです。思考のほとんどは生産的ではありません。そして、私たちの思考のほとんどは非常に否定的です。思考には多くの不安と恐れがあります。心配があります。

ですから、マインドフルネスとは、ただ居るということです。一度に一つのことをしてください。本当にただ居るということです。私たちの心はとても狂っていますので。ですから、ただ居るということは訓練であり、全然簡単ではありません。馬、心の中の馬を訓練すること、それがマインドフルネスです。

(34:28~)
第二の悟りの要素は、ダルマ(法:仏陀の教え)の検証です。ですから、仏陀は悟りを定義することにおいて非常に明確でした。第一(要素)がマインドフルネス、今この瞬間において自分自身に戻ることです。心と体が一つになります。ですから、マインドフルネスなしでは、悟りはありません。いいですか?それは確かです。ですから、一瞬一瞬の目覚めた意識です。マインドフルネスは真の悟りです。真の命です!
:引用終わり

(つづく)

(解説)
マインドフルネスとは、思考を止めることです。私たちの行動(呼吸や歩行などの自動詞の行動は、目的語、即ち心の対象を要しませんので、思考を止めるのに最適です)に集中する時、思考を止めて、目覚めた意識が非思考になると同時に自動的に復活します。すると、私たち(目覚めた意識)は生命の奇跡と、自分の内面と周囲の現実の本質に触れることができます。ですから、私たちは常に洞察を得ることができ、いつでも愛と思いやりを発生させることができます。その結果、私たちの心はいつも穏やかで澄んでおり、その心が平和、喜び、幸せをもたらします。しかしながら、この段階はまだ一時的な悟りであり、全ての概念の絶滅を通した完全な悟りではありません

思考を止めることによってマインドフルになるためには、洞察を通して私たちの恐れや不安の根本原因を理解する必要があります。なぜなら、根本原因を理解しない限り、私たちは思考を止めることができないからです。それから、意識的な呼吸や歩行は、一時的に思考を止めて、苦しみの根本原因の洞察を得るのに、補足的な手法として役立つと理解しています。しかし、意識的な呼吸や歩行は、恐れや不安を持っている人にとってはあまり簡単なことではありません。なぜなら、意識的な呼吸や歩行中であっても、恐れや不安を持っている人が思考を止めるのは非常に難しいからです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338

歩行瞑想

Tuesday, December 27, 2016

七覚支 (2)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(16:00~)
ですから、マインドフルネスを実践しているのであれば、私たちは正しい方向に向いています。混乱することは何もありません。何も心配する必要はありません。時々、私たちはティク・ナット・ハンや仏陀からこの非常に重要な実践(マインドフルネス)を学びましたが、しばらくすると自分の実践に自信がないように感じ始めます。なぜなら、ティク・ナット・ハンが実践する方法はとても単純だからです。そして、私たちはそれ(マインドフルネス)は効果がないと考えました。単純なものは効かないと。悟りは高い所にあるものだから、洗練されたもの、神秘的なものが効くだろうと。ですから、それは私たちが(たぶん、これは私には効かないという)疑いの罠に簡単に陥る錯覚です。私が修道僧になって4年が経過した時に、私がしたことと全く同じです。

(17:18~)
そして、誰もがマインドフルネスを知っており、皆さんは既にマインドフルネスを実践していますが、マインドフルネスはまた、悟りのようなものであり、考えではありません。マインドフルネスは概念ではないのです。マインドフルネスは思考ではありません。マインドフルネスは皆さんが行うことができ、発生させることができるエネルギーなのです。マインドフルネスは私たちが好む精神エネルギーです。皆さんが見ることができ、聞くことができ、感じることができる澄んだ目覚めた意識として定義できます。そして、皆さんは本当にこのエネルギーに触れることができます。ですから、これは弟子に引き継いで、今私たちへと伝えられてる仏陀の正しい教えであり、正しい実践です。ですから、皆さんが自分自身の実践を信じることができるようになればと思い、私はこのように皆さんに分かち合いたいのです。

(18:27~)
マインドフルネスとは、心と体が一つになることとして定義されています。一息、息を吸って、最初から最後までその息に気付いているなら、それがマインドフルネスです。ご存知ですよね。皆さんはそのエネルギーを感じることができます。そして、マインドフルネスは、ただの呼吸、呼吸法ではないのです。マインドフルネスはまた、花を見ることでもあります。あなたが花を見るのです。マインドフルネスは正にそのようなものです。それがマインドフルネスです。皆さんは風が自分の体を休めているのを感じます。そして、風のさわやかさに気付く気持ち。それもまたマインドフルネスです。そして、皆さんは自然の中を歩きます。すると、自分の顔や肩に日差しを感じますそれもまたマインドフルネスです。マインドフルネスは精神エネルギーです。マインドフルネスは、私たちの心の中で非常に澄んでいます。澄んだ目覚めた意識です。それが、仏陀の本質です。人は仏性について語りますが、これ(澄んだ目覚めた意識)が本当の仏性です。皆さんはマインドフルネス触れることができます。マインドフルネス思考ではありません。

マインドフルネスは、仏陀がほとんど毎日本当にやったことであり、仏陀の弟子たちが毎日実践していたことです。歩行が大地を感じます。それがマインドフルネスです。ですから、マインドフルネスは(脳)からはやって来ません。マインドフルネスはからやって来ます。そうですね、マインドフルネスは皆さんが感じ、触れ、経験することにより近いです。それ以上でないことは確かです。ですから、実際にマインドフルネスについて考えることは、マインドフルネスではありません。

(21:05から)
ですから、「禅」(「禅那」)の第二の状態があります。思考がない状態思考は混乱させると、私は言いました。思考は私たちを生命から遠ざけます。私たちは多くのことを考えながら、そこで座禅を組んでいます。そして、私たちは目の前の花を見ないのです。
:引用終わり

(つづく)

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62242338



歩行瞑想

Sunday, December 25, 2016

七覚支 (1)

次のタイ・ファップ・ダンによる「七覚支(悟りの7要因)」に関する法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2016-12-04-br-phap-dang-the-7-factors-of-awakening
以下はポッドキャストからの抜粋です。

引用:
(9:18~)
たぶん、プラム・ビレッジの実践が私には効かないと、私は考えました。(中略)(見習い)僧侶として4年経過後、私は若い比丘(完全に叙任された仏教の僧侶)になりました。私はティク・ナット・ハンの部屋に行って、「師よ、私はあなたを去りたいと思います。私は寺院を去り、あなたから離れたいです。私は異なる実践を学ぶために、ダライ・ラマの所へ行きたいです。なぜなら、4年が経った今、私はもはや平和を見い出せないからです。最初の内は、私は本当にたくさんの平和、喜び、幸せでいっぱいでした。(中略)しかし、今は非常に疲労困憊し、体が病気になっています。私は行きたいです。たぶん、あなたの実践方法は私には効きません。私には、この息を吸って吐くことや歩行瞑想よりも、より複雑且つ神秘的真言のようなものが必要なのです」と言いました。(笑)

すると、ティク・ナット・ハンが何と言ったと思いますか?「座禅の最初から最後までマインドフルな呼吸をすることができますか?」(と尋ねられました) 私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。「マインドフルな歩行をできますか?歩行の最初から最後まで、本当に大地を感じることができますか?」 (通常、プラム・ビレッジでは(歩行瞑想を)約45分します。)そして、私は、「いいえ、私はそうすることはできません」と答えました。すると、(ティク・ナット・ハンは)、「あなたは残らなければなりません」と言いました。(笑)それは、師が私に去る許可をくれないことを意味します。 私はまだ訓練ができていませんでしたので、それはその通りです。私はまだこの単純な実践を完全に訓練できていませんでした。(それなのに)私は混乱していましたので、もう出て行きたかったのです。私は自分の中の多くの苦しみに直面し、自分の苦しみから逃げていました。私は、より洗練された実践方法神秘的な真言密教を学ぶために、異なる教えの方へ行く必要があると考えて、自分の苦しみから逃げていたのです。

(11:55~)
今、僧侶として27年が経過し、私はいつも、「私は誰?」ではなく「私は何をしているのか?」と、自問します。「私は正に今、何をしているか?」 と。すると、この質問は基本的な実践に私を連れ戻してくれます。「私はここで何をしているのか?」それから、「私は寺院で自分の命のために何をしているのか?」と。ですから、この自問が直ちに、私を基本的な実践である息を吸って吐く実践、歩行瞑想、食事瞑想へと連れ戻してくれるのです。

私の心は彷徨い続けていました。(中略)時には悟りを探し求めていました。僧侶になるという私の願望は、仏陀になるためでした。(中略)私は仏陀になりたかったので、私は悟りを得たいと思っていました。ですから、「私は誰?」と自問する傾向は、人間としての人生目的は何なのかということですが、それは完全に悟りを開いた仏陀になるということであり、私の内面の奥深くにありました。(しかしながら)私の日々の実践においては、それは全く役に立ちません。

しかし、それ(仏陀になる願望)は、私が完全に悟りを開いていることを特定する心の状態を探し求めて、走り続ける非常に深い不安からきています。しかし、それは馬鹿げています。そんな風にはいかないのは確かです。なぜなら、悟りは心の状態ではないことを、私は今、知っているからです。悟りは考えではありません。悟りは、内面の奥深くへ入り込み、内部を探求することではありません。違います。

悟りは、日々の一瞬一瞬の実践です。私たちは何を実践しているでしょうか?マインドフルネスの実践です。ですから、マインドフルネスが悟りの第一要素なのです。仏陀が悟りの七要素七つの悟りの特徴について語ったことを、皆さんはご存知です。非常に具体的で、非常に明確です。その第一の要素がマインドフルネスです。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
タイ・ファップ・ダンは完全に悟りを開いている(プラム・ビレッジの伝統において完全に悟りを開いている数名の内の一人である)と、私は理解しています。タイ・ファップ・ダンが完全な悟りを開く前の非常に具体的な経験を分かち合ってくれたことは、非常に心を開いていて率直です。マインドフルになるためのタイ・ファップ・ダンの手法は、「私は何をしているのか?」と自問することによって、自分を直ちに基本的な実践に連れ戻すことでした。そして、タイ・ファップ・ダンは息を吸って吐く実践や歩行瞑想といった、日々の一瞬一瞬の実践を通して、完全な悟りを開いたようです。私はタイ・ファップ・ダンに、「それが全てですか?」と尋ねたいです。なぜなら、深い不安を取り除くのは、そう簡単なことではないと、私は理解しているからです。私の推測は、タイ・ファップ・ダンが基本的な実践中に自分の非常に深い不安の根本原因を洞察を通して理解したに違いないということです。なぜなら、深い恐れや不安を取り除くためには、無条件の自己受容、即ち無条件の自己愛が不可欠であるからです。ちなみに、「私は誰?」と自問する私の自己探求手法は、以下の通り大変上手くいきました

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436


タイ・ファップ・ダン

Thursday, December 8, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問 (2)

ティク・ナット・ハンのフェイスブック・ページへの次の私の投稿をご参照ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/posts/10154349910279635?comment_id=10154350854029635&notif_t=like&notif_id=1480597439075147

最近、ティク・ナット・ハンの教えには矛盾があると私は感じています。私の質問は、「恐れや不安を抱えている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのか?」です。

無条件の自己受容が鍵です。 そのためには、洞察を通して苦しみの根本原因を理解する必要がありますこの点はティク・ナット・ハンもよく理解されています。そしてその洞察のためには、私たちはマインドフルで集中している必要があります。しかしながら、恐れや不安を抱えている人は、意識的な呼吸や歩行を通して、マインドフルになるために思考を止めることはできません。そして、真実はほとんどの人が考えるということであり、これは恐れや不安を抱えている証拠です。 この意味で、意識的な呼吸や歩行だけでは、マインドフルネスは達成不可能と言えます。

ティク・ナット・ハンが私の重要な質問に回答してくれることを私は願っています。私はティク・ナット・ハンの教えを学び実践し始める前に、洞察を通して私の苦しみの根本原因を理解していましたので、これは自分自身のためではありません。ティク・ナット・ハンの回答は多くの彼の信者と実践者に恩恵をもたらすでしょう。

私たちが目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)を復活させるなら、この地球の人間として、私たちは思考なしで存在できます。私(目覚めた意識)は、一日24時間中非思考を体験しています。 言い換えれば、私は一日24時間中、停止し瞑想しています。ティク・ナット・ハンのような完全な悟りを開いている人々もまた同じことを体験しているに違いないと確信しています。そして、あなたは信じないかもしれませんが、熟睡状態の間、あなたは考えることができませんいので、目覚めた意識を復活させています。更には、全ての動物、植物、鉱物は考えませんので、常に目覚めた意識です。

その「もし」は、独立した自己から独立していない自己への自己変容を意味しますので、大きな「もし」です。完全な悟りのためには、全ての概念の絶滅が不可欠です。そのためには、究極の真理である「空」(相互依存、非分離、非差別、非二元性、全体性)を通して、全ての概念(思考)は誤っていることを理解する必要があります。

簡単に言えば、あなたはあまりにも考え過ぎなのかもしれません。考えているのはでしょうか?それは本当の自分ではありません。それは、あなたの両親から自分を守るために、あなたの傷ついた内なる子供(幼少期の本当の自分)によってでっち上げられたエゴ(偽の自分)です。ですから、あなたの幼少期に何が起こったのかを見つけ出す必要があります。それがあなたの恐れや不安の根本原因です。洞察を通して、私は全てのことを一瞬の内に見て、根本原因を理解しました。「(恐れや不安が生じるのは)無理もない!」 というのが私の第一印象でした

(解説)
私の上記質問に対する私の回答は次の通りです。
意図:自分の苦しみにうんざりし、自分を変えたいと強く思う
決意:自己変容
洞察:自分の苦しみの根本原因を理解
無条件の自己受容=無条件の自己愛
煩悩なし:恐れや不安なし
非思考:思考を止める
マインドフルネス、集中、洞察

無条件の自己受容は、マインドフルネスの基盤です。無条件の自己受容なしでは、私たちは思考を止めることができませんので、マインドフルネスは不可能です。無条件の自己受容がなければ、マインドフルネスなし。無条件の自己受容のためには、洞察を通して自分の苦しみの根本原因を理解する必要があります。一度、私たちが自分の苦しみの根本原因の洞察を得ると、私たちはもはや恐れや不安がなくなりますので、思考を止めることができます。ですから、自分の苦しみの根本原因を理解した成果が、マインドフルネスなのです。マインドフルネスは、意識的な呼吸や歩行だけでは達成できません。自分の苦しみの根本原因を理解するためには、私たちは自分の苦しみにうんざりし、強く自分を変えたいと思う必要があります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436