Tuesday, June 30, 2015

感情に対処する方法(1)

以下ビデオのティク・ナット・ハンのメッセージはとても役に立ちます。
(5:20~)

第七実習は、心行(感情等)の認識です。
第八実習は、心行(感情等)を静めることについてです。
テキストには、心行(感情等)について言及されています。

息を吸い込んで、私はそこにある心行(感情等)に気付いています。
息を吐き出して、私はそこにある心行(感情等)に気付いています。

それに引き付けられようとしない、またはそれを押しのけようとせずに、心行(感情等)の認識のみ。ただ単純に単なる認識のみ。ここでは心行という単語ですが、心行は気持ちや感情のことであることを私たちは知っています。ですから、良い翻訳は次のようにする必要があります。

そこにある感情に気付いて、私は息を吸い込みます。
そこにある感情に気付いて、私は息を吐き出します。

あなたは感情を認識し、感情を抱きしめるために、マインドフルネス(念)のエネルギーを使用します。感情を抑えたり、感情と一体感をもつためではありません。非常に重要なことです。あなたが感情と一体感をもっているか、または感情を抑えようとすると、あなたは自分を失います。そして、あなたは暴力的になります。ですから、嬉しい気持であろうが、苦痛の気持ちであろうが、これはそこにある感情を認識することを目指した実習です。ですから、あなたは自分の穏やかさや明晰さを保持しています。

第八実習では、あなたは気持ちをくつろがせ、気持ちを落ち着かせ、感情を静めます。

息を吸い込んで、私はそこにある気持ちを静め、そこにある感情を静めます。
息を吐き出して、私はそこにある気持ちを静め、そこにある感情を静めます。

巧みに彼は自分の気持ちを静めながら、息を吸い込む実践をしました。
巧みに彼は自分の気持ちを静めながら、息を吐き出す実践をしました。

プラム・ビレッジでは、これら二つの実習(第七と第八)を、若者が感情に対処するのを助けることができる実践へと発展させました。若者は圧倒的である気持ちや感情、怒りの感情、絶望感の世話の仕方を知らないので、若者であっても自殺をします。それはとても強いです。私たちは若者に、気持ちや感情に対処することは可能であることを伝えねばなりません。私たちは一つの感情よりもはるかに大きいのだと。なぜ一つの感情のために死ぬ必要がありますか?なぜなら、自殺する人は自殺することが苦しみを止める唯一の方法であると信じているからです。しかし、それは真実ではありません。

感情に対処し、感情から抜け出し、感情を変容するための多くの方法があります。感情は嵐のようなものです。そして、私たちが自分に準備させる方法を知っていれば、嵐の時に私たちは自分を励ますことができ、自分を守ることができます。マインドフルな呼吸の実践は、感情の嵐の間、あなたがしっかりと立っているために非常に重要です。

私たちは、自分自身と自分の子供たちに「私たちは自分の感情よりもはるかに大きい」ことを伝える必要があります。私たちは自分の大脳皮質、即ち脳の全能力を使用していないとよく言ってきました。私たちが調査していない、使用していない多くの領域があります。私たちの多くは、コンピュータ、マイクロソフトのPC、またはアップル・マッキントッシュを持っています。そして、通常私たちは、ただワープロ、メール、電子メール、株式市場のフォローのようないくつかの作業だけを行うために、私たちのコンピュータを使用しています。私たちはコンピュータの能力のわずか5%か10%しか使用していません。しかし、あなたが全機能の使用方法を知っていれば、あなたは多くの作業を行うことができます。ですから、感情は自分自身のごく一部なのです。私たちは楽しむ能力、自由になる能力、幸せになる能力を持っています。私たちはその能力を蓄えてきました。

Monday, June 29, 2015

体、感情、心、心の対象

以下ビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。
(19:48~)

仏陀の教えでは、全てのものが他の全てのものとつながっていることを私たちは知っています。これら四つの実習はに関係していますが、これらは同時に感情とも、とも、心の対象とも関係しています。私たちは気持ちや感情のことを話していません。私たちは自分の気持ちや感情を穏やかにし、変容するのを助けるために何もしていません。しかし、これら四つの実習を行うことによって、既に私たちの気持ちや感情に効果があります。私たちの体の世話をただすることで、私たちは気持ちや感情の世話もしているのです。なぜなら、私たちの体の世話をしている間、私たちは既に自分への精神的な談話を止めることができるからです。私たちは既に喜び知足平和の気持ちを発生させ始めることができます。ですから、気持ちは(最初の4つの実習に)既にここにあります。 縁起(相互に依存して共同発生)しているのです。ですから、この種の区別は恣意的なものです。

第五実習では、正式に感情の領域に入ります。正式にというだけですが。
「息を吸い込んで、私は自分の中の喜びの気持ちに気付いています。」
「息を吐き出して、私は自分の中の喜びの気持ちに気付いています。」

第六実習は幸福についてです。
「息を吸い込んで、私は自分の中の幸福感に気付いています。」
「息を吐き出して、私は自分の中の幸福感に気付いています。」

そしてもちろん、これは自動継続の実践ではありません。なぜなら、教えは明白であるからです。実践者は喜びと幸福の気持ちをもたらす能力を持っています。そして、仏陀は実践を完成へ至らせることができるようにするためには、私たちが栄養を与えられるべきであることをよく認識しています。そして、喜びと幸せで自分に栄養を与える方法、喜びの気持ちを生み出す方法、幸福感を生み出す方法もよく認識しています。そして、大人だけではなく子供も含めて私たち全員が、自分を養うために喜びと幸福の気持ちを必要としているのです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42599895

ティク・ナット・ハン

Sunday, June 28, 2015

Truths of Suffering and Happiness 苦しみと幸福の真理

< Truths of Suffering and Happiness >

I understand the truths of suffering and happiness as followings:

1. The conventional truth in the phenomenal world (in space and time): 
The root cause of all sufferings is separate self who separates oneself from others. The root cause of all happiness is non-separate self who never separates oneself from others.

2. The ultimate truth in the phenomenal world (in space and time): 
Suffering is no other than happiness and happiness is no other than suffering because suffering and happiness are two sides of the same coin. 

3. The ultimate truth in the noumenal world (without space and time): 
There is no notion of suffering and happiness because of the extinction of all notions.

 (Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/3-versions-of-oneself 


<苦しみと幸福の真理>

私は以下のように、苦しみと幸福の真理を理解しています。

1. 現象(時空間内)における一般的真理:
「全ての苦しみの根本原因は、自他を分離する独立した自己(エゴ:自性自己)である。全ての幸福の根本原因は、自他を決して分離しない独立していない自己(本当の自分:無自性自己)である。」

2. 現象(時空間内)における究極の真理:
「苦しみと幸福は表裏一体であるので、苦しみは幸福に他ならず、幸福は苦しみに他ならない。」

3. 本体の世界(時空間なし)における究極の真理:
「全ての概念の絶滅によって、苦しみと幸福の概念もない。」

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

Saturday, June 27, 2015

笑顔!

以下ビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。
(11:40~)

私たちは笑顔を実践に導入しています。微笑むことは非常にくつろげますが、あなたの顔には何百もの筋肉があります。あなたが緊張している時、あなたが怒っている時、あなたは筋肉の緊張を見ることができます。あなたが鏡を見る時、自分の顔に全ての緊張を見ることができます。怒っている人の顔、心配している人の顔であっても、その人が笑顔を自分にもたらすことができたなら、全ての筋肉が弛緩するでしょう。そして、その顔は完全に変容されます。その顔は見てはるかに楽しいです。

ですから、笑顔には全ての筋肉を解放する効果があります。そして、そのような笑顔、微笑みに抵抗する人がいます。彼らは、「あなたに喜びがないなら、なぜあなたは笑顔を自分に強制する必要がありますか?」と言うかもしれません。しかし、ここでの笑顔は実践なのです。これはヨガの実践、口のヨガです。なぜなら、あなたは自分の体を尊重しなければならないからです。私たちの体は非常に重要です。私たちは自分の体を差別してはいけません。私たちの体は、私たちの心のように尊重されるべきです。私たちは自分の体を尊重する必要があるという私たちの心を尊重します。時には心が主導権を取ります。時には体が主導権を取るべきです。あなたに喜びがある時、あなたは笑顔になります。その場合は心が主導権を取っています。あなたがただ微笑む時、喜びが後で来ます。どうしてあなたは自分の体を差別する必要がありますか?あなたの体から始められます。(中略)ですから、私たちは体の価値を尊重し、理解する必要があります。そして、私たちは自分の体が時には主導権を取ることができるようにしてあげるべきです。それは非常に重要なことです。あなたの愛や幸せは、あなたの体に多くを依存しています。そして、あなたの体は平和や幸福や尊敬や畏敬の念をもたらすために多くのことができるのです。

そして、私たちは非常に遠くへ行くことができます。息を吸って、私は自分の唇の半笑いに気付きます。息を吐いて、私はその半笑いに微笑みます。そうすると、あなたは二重の笑みを浮かべています。ですから、息を吸って、私は自分の体に気付いています。息を吐いて、私は自分の体に微笑みかけます。あなたの体に微笑みかけることは非常に優しいことです。あなたは体を無視してきました。あなたは長い間、自分の体を無視したのです。あなたは自分の体を多くの尊敬や優しさなく扱ってきたのです。(心が)体に戻って、体を非常に貴重なものとして認識し、体と和解し、体に微笑む時です。それこそ仏陀が私たちに示唆したことです。私たちの体に気付いて、体がリラックスできるようにしてあげてください。ですから、体の中の全ての緊張を取り除くことは、癒しのための非常に基本的な条件なのです。すると、私たちは教えと実践の普遍的な価値を理解することができます。患者だけが実践する必要があるのではなく、医師もまた実践する必要があります。

誰もが燃え尽きの犠牲者になり得ます。念息経に沿った実践は燃え尽きを予防でき、癒しの扉を開くことができるようにしてくれます。念息経は、四念処念身経と一緒に学ぶ必要があります。

(参考)
http://www.slideshare.net/compassion5151/japanese-11842424
http://www.lionsroar.com/returning-home/#

ティク・ナット・ハン

Friday, June 26, 2015

呼吸と体

以下ビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。


仏陀によって提案された第二の実習は、呼吸に始めから終わりまでついて行くことです。長い呼吸か短い呼吸。あなたの吸う息が短いなら、短くさせてあげてください。あなたの吸う息が長いなら、長くさせてあげてください。ただそれを認識してください。あなたは自分の息に働きかけて曲げようとしないでください。ここでは何も働きかけてはいけません。ただ楽しむだけです。あなたは自分の吸う息を吸う息として認識します。もし、吸う息が短いなら、短い吸う息として認識します。もし、吸う息が長いなら、長い吸う息として認識します。シンプルに認識するだけです。長くしようとか、短くしようとしないでください。短いか長いかは問題ではありません。大事なことはあなたの呼吸に、始めから終わりまでついて行くことです。そして、これは呼吸について行く実践と呼ばれています。こちら(第1実習)は一体化、あなたの呼吸と一体化することであり、こちら(第2実習)は呼吸について行くことです。あなたの吸う息と吐く息の質は、自然に自ずと改善するでしょう。ですから、「深く/ゆっくりと」が自ずとやって来ます。

体のカテゴリーに属するマインドフルな呼吸の第三実習は全身に気付くことです。息を吸い込んで、全身に気付き、息を吐き出します。(中略)自分の全身に気付いて、息を吸い込みます。全身を意識して、私は息を吐き出します。(中略)ですから、第三段階では、あなたの注意は呼吸だけではなく体にも向けられることは非常に明白です。最初の二つの実習では、マインドフルネスの対象は純粋に呼吸、純粋に息をすることです。第三実習では、マインドフルネスは全身を抱きしめます。自分の全身に気付いて、私は息を吸い込みます。自分の全身に気付いて、私は息を吐き出します。あなたのマインドフルネスのエネルギーは、あなたが座っていようが、立っていようが、横になっていようが、全身、あなたの体の全体を抱きしめます。

第四実習の 「全身を静めながら、私は息を吸い込みます。全身を静めながら、私は息を吐き出します」は、非常に秩序だっています。非常に科学的です。次のように一歩一歩進めていくのです。

第一:吸う息と吐く息に気付く
第二:吸う息と吐く息に始めから終わりまでついて行く
第三:全身に気付く
第四:あなたの全身をリラックスさせる

これは体を癒す実践です。考えてはいけません。呼吸と体に焦点を当てて、マインドフルネス(念)があるのみです。吸う息と吐く息への集中があります。体への集中があります。ですから、深い全体的なくつろぎの実践はこれら四つの実習に基づいています。(中略)私たちは更に進みます。頭からつま先まで、私たちの体の各部に気付きます。そして、私たちは自分の体をスキャンする実践を行います。(中略)私たちの実践では、マインドフルネスの光線で自分の体をスキャンします。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-41094936

ティク・ナット・ハン

Thursday, June 25, 2015

セルフ・ヒーリング(自然治癒)

以下ビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。


(3:13~)
プラム・ビレッジでは、次の伽陀(短い詩)が提供されています。
吸って / 吐いて
深く / ゆっくり
穏やかに / くつろいで
微笑んで / 手放して
今、この瞬間 / 素晴らしい瞬間

実践中に起こる最も素晴らしいことは、精神的な談話が止むことです。あなたが吸う息と吐く息に注意を集中して、ただ吸う息と吐く息に注意を払う時、考えが止みます。常に続いていた精神的な談話が止みます。考えない状態が起こります。そして、これは非常に重要です。

私たちの最初の考えや応用された考えは、通常、今、ここから私たちを連れ去ります。そして、常に私たちの心の中では精神的な談話が起こっています。私たちはこの談話に気を取られています。そして、精神的な談話は心配恐れいらだち、及び私たちの心と体の癒しを妨害する全ての煩悩をもたらします。ですから、精神的な談話を止めることが非常に重要なのです。マインドフルな呼吸の実践なくして、精神的な談話を止めるのは困難です。

精神的な談話が止むなら、あなたが吸う息と吐く息を楽しみ始めるなら、あなたの体は自分を癒す能力を復元するでしょう。そして、私たちは自分の体を信じなければなりません。私たちの体は自然です。私たちの体は自ら癒しの能力を有しています。

森の中の動物はまだ休む能力を持っています。動物は負傷するたびに、何をすべきか知っています。動物は静かな場所を探します。動物はただ横たわります。なぜなら、その種の数世代の経験によると、癒す唯一の方法は休むこと、横になって休むことだからです。そして、森の中の動物はまだそれを知っています。動物は休む能力を持っています。なぜなら、体を休息させてプレッシャーの下に置かないことは基本的な卑しの条件だからです。

しかし、私たち人間は癒しの能力を失いました。私たちが負傷した時、病気になった時、私たちは心配し、医者へ行き、多くの処方箋や薬をもらいます。しかし、私たちが最も必要なのは休息なのです。私たちはそれをしません。私たちはそれをすることができません。私たちは自分の心を休ませる能力を持っていません。私たちは自分の体を休ませる能力を持っていません。それが自分と世界の癒しの基本的な障害です。そこで、マインドフルな呼吸の実践が登場し、その障害から私たちを救うことができます。なぜなら、あなたがマインドフルに息を吸って吐く時、そしてあなたが自分の吸う息と吐く息の楽しみ方を知っているなら、あなたは我慢を止めることができ、あなたは自分の心の動揺を止めることができます。あなたは自分の体の不安を止めることができます。あなたは休息することができ、それが癒しの基本条件です。

ですから、医師であろうが看護士であろうが患者であろうが、私たち全員がマインドフルな呼吸の実践は私たち全員に利益をもたらすことを知っているのです。あなたが癒す側であろうが癒される病人であろうが、マインドフルな呼吸の実践は心と体に穏やかさをもたらし、解放をもたらすことができますので、あなたはその実践から恩恵を受けることができます。あなたがただ自分の心と体が休息することを許し権限を与えるなら、癒しは自ずとやって来ます。そして、私たちは自然、自分の体、セルフ・ヒーリング能力を信頼するようになります。

昨日、私は「私はあまりよく眠れませんでした」と言いましたが、私は心配してはいません。なぜなら、心配すると、癒しを妨害することになるからです。自然や自分の体に深い信頼を持つ必要があります。ですから、息を吸って、息を吐いて、あなたは自分の体への信頼を表しているのです。あなたは自分を助けるために、非常に遠く離れた超能力に依頼する必要はありません。あなたは自分の体への信頼を表すだけでいいのです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365

Cheetah Photo by Manar Kino

Wednesday, June 24, 2015

マインドフルなほんの一息

以下のビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。

実践は座禅瞑想のためだけではなく、一瞬一瞬に実践があり得ることは明らかです。彼は自分の体と6つの感覚(五感と顕在意識)を保護する方法を知っています。そして保護のエネルギーは、呼吸や歩行の実践によって発生させたマインドフルネス(念)のエネルギーです。マインドフルな呼吸やマインドフルな歩行で、あなたの心は常にあなたのために、あなたと共に、体と共にそこにあります。ですから、それが保護なのです。もし、あなたがそこにいないなら、誰が保護の仕事をするでしょうか?ですから、保護するとはあなたがそこにいることを意味します。あなたはそこにいるべきです。心と体が一緒に。

彼は自分の前にマインドフルネス(念)を保持しています。これは言い方です。マインドフルネスは、常に何かのマインドフルネスです。それが呼吸やウォーキングや座禅のマイ​​ンドフルネスであっても、マインドフルネスの主体とマインドフルネスの客体はいつも一緒です。自分の前にマインドフルネスを保持するとは、常にマインドフルネスをそこに維持すること、常にマインドフルであることを意味します。全ての心配の追求を手放すとは、あなたがあなたのプロジェクトについて、ビジネスについて、次に何をすべきかについて、もはや考えないことを意味します。あなたは実践のため自由になるために全ての先入観を手放し怒り、変態、不安、後悔、疑いを手放します。これらは5種類の障害、妨害です。そして、優れた実践者は常にこれらの5つの心の要素を取り除くことができます。

実のところ、私たちの呼吸は体のカテゴリー、体の一部に属します。マインドフルネスには4つの基盤があります。第一は体(身)、第二は感情(受)、第三は心(心)で、第四は心の対象(法)です。そして、マインドフルな呼吸の4つの実習の内、仏陀が提案した最初の4つは体の中の体の瞑想に焦点を当てます。通常、6つの感覚器官は体のカテゴリーに分類し、呼吸は体に属します。

そして、これは心を体へ戻す最初の試みです。最初に私たちがしなければならないことは、心を体へ戻すことです。そして、王家の入口は私たちの呼吸です。つまり、玄関です。ですから、私たちは心で体に触れるのです。それはあたかもあなたが家に入る時、あなたが扉を使用するようなものです。ですから、呼吸はそれによってあなたが体に入ることができる扉です。私が自分に戻るための「王家の道、王家の扉、王家の道筋」であると言ったのはそのためです。あなたは自分を無視してきました。あなたは自分を棄てました。あなたは自分の体から逃げました。そして、今が戻る時です。そして、あなたは呼吸の方法によって戻ります。そして、あなたは吸う息に乗って、非常に迅速に家へ帰ることができます。ですから、息を吸って、私は自分が息を吸っているのを知っています。あなたが息を吸う最初の2秒の間に、あなたの心は既に呼吸を通してあなたの体に触れています。あなたの心をあなたの体に戻すのは一秒の問題です。息を吸って、私はこれが自分の吸う息であることを知っています。ですから、心が体に触れ、心が呼吸に触れます。

これが私の吸う息だとします。始まりはここで、終わりはここです。そして、私の心はありません。私の心は指です。ですから、私は自分の心なしに呼吸します。これはマインドフルな呼吸ではありません。今、私はマインドフルに呼吸し始めます。息を吸って、私は自分が息を吸い込んでいるのを知っています。呼吸と一緒に心があります。マインドフルネスは呼吸のマインドフルネスです。なぜなら、マインドフルネスは常に何かのマインドフルネスであるからです。心は独立して存在しません。心は呼吸と一緒か、その他のものと一緒です。心は主体なしの心にはなれません。これは知っておくべき、また覚えておくべき非常に重要なことです。意識は常に何かの意識です。客体なしの主体はあり得ません。それは、左右、上下のようなものです。あなたは主体、客体から独立した実体としての心を想像することはできません。これは不可能です。ですから、マインドフルネスは心の一部です。マインドフルネスは常に何かのマインドフルネスである必要があります。もし、マインドフルネスがあるなら、同時にマインドフルネスの客体があります。飲むマインドフルネス、歩行のマインドフルネス、呼吸のマインドフルネスという風に。

自分の心が体と一緒にない時、このような状況は放心と呼ばれ、人生は本物ではないことを私たちは非常によく知っています。なぜなら、私たちは正確にはそこにはいないからです。ですから、マインドフルな呼吸は、あなたが今、ここで自分を確立するのに役立ちます。心と体が一緒につながりますので、それが可能です。そして、これはマインドフルな呼吸によってなされます。突然、あなたはそこにいます。突然、あなたは存在しているのです。突然、たった一回のマインドフルな吸う息のおかげで、あなたは生き生きとするのです。ですから、これは既に奇跡です。ですから、呼吸は心と体の間の橋のようなものです。体はこちら(左の吊り下げ)であり、心はそちら(右の吊り下げ)で、分離されているのかもしれません。しかし、一度心が呼吸に触れると、息を吸うと私は自分が息を吸い込んでいるのを知っており、心と体が一緒になります。そして、一回の吸う息で、あなたは心と体の一体感と呼ばれる成果を実感することができます。ほんの2~3秒で心と体の一体感という実践の成果を実感できるようになるのです。心と体の一体感によって、人生が手に入る今、ここにあなたは確立されます。

突然、あなたは生き生きとします。突然、あなたは存在します。完全に生き生きと、完全に存在しています。それはあなたの中のマインドフルネスのエネルギーに依存しています。マインドフルネスのエネルギーが堅実で強いなら、あなたは非常に生き生きし、非常に存在力を増します。そして、あなたは自分の内面と周囲の生命に深く触れている状況にあります。マインドフルネスのエネルギーが発生させられており、あなたはマインドフルネスのエネルギーに宿られています。仏陀は常にマインドフルネス、集中、洞察のエネルギーに宿られていますので、あなたは仏陀の存在に非常に近いです。そして、マインドフルネスのエネルギーはその中に集中洞察のエネルギーを持っていることを私たちは知っています。


ティク・ナット・ハン

Tuesday, June 23, 2015

Consciousness and Quantum Physics

The followings are excerpts from Dharma Talk by Thich Nhat Hanh in 2006.

Store consciousness has access to the realm of phenomenal suchness as well as noumenal suchness.
1) suchness: the thing in itself (reality in itself), which is accessed by direct cognition (by senses consciousness and store consciousness)
2) representations: in which you create the object of your perception, for a mental interpretation of reality
3) mere images: such as those we see in dreams (Mere images make up the majority of the objects of our mind consciousness.)

True emptiness here is the noumenal, the ontological ground of reality. Only the eighth (store consciousness) has access to it, because the eighth has the Wisdom of the Great Mirror — innate wisdom.

According to Buddhist wisdom, life is possible in the realm of no form and no matter. Many people who are about to die and come back to life report that they see light; that may be the realm of pure light. This is an invitation for our scientists: besides matter there is life. Life is expressed not only in terms of matter, it can be expressed in other forms — energy, light, and so on.

With its indeterminate (and non-obscuring) nature, the eighth consciousness operates with the five Universals. Realms and Lands depend on karmic power. This consciousness receives impregnation, preserves all seeds and also the body, organs and environment. It is the one who comes first and leaves last, being truly a master of the house!
“It is the one who comes first and leaves last, being truly a master of the house!” This is speaking about the energy that animates the body. A living body always has store consciousness in it. When the body deteriorates, that manifestation withdraws at the same time, but returns to the seed in order to manifest again and again, like the earth. The earth brings us to life, the earth receives us back, and the earth will bring us out again. So life after life. That is the meaning of continuation, of rebirth. The rebirth of our body is linked to the rebirth of our environment. So this is the base, and that is why we call it basic consciousness.
The eighth preserves all the seeds, and of course memory, images, and all experience, and all the organs also. This body is maintained in life by store consciousness. What the neuroscientists call background consciousness is only something manifested together with the body.

We see here the expression “evolving consciousness”; all the seven consciousnesses are described as evolving. The eighth consciousness is described as the ocean. When there is a wind blowing, the seventh consciousness manifests as waves. In the sutra it is said that store consciousness is like the ocean because when the wind of the objects blows, the seven consciousnesses are born dancing. That is the image used by the Buddha: the dancing of the seven consciousnesses.

When we speak of the subconscious of Freud and the collective unconscious of Jung, we speak of one part of store consciousness. But store consciousness is much larger.

The word vasana means impregnation, learning, processing. Because the consciousness is plastic, it can be conditioned. If we have habit energies and patterns of behavior, that is because of vasana. We develop those during the first six years of our life and we continue to do that.

Quantum coherence has been detected by neuroscientists. They have discovered that biological tissues, when they are excited with the right energy level, begin to emit a tiny glow. We know that there are a multitude of molecules of fat and proteins in the membrane of each cell. They are truly electromagnetic dipoles.
When a cell is at rest, these molecules of fat and proteins have their dipoles arranged in a haphazard way. They are out of phase. But when there is stimulation, they begin to jiggle intensively and oscillate in unison. One molecule behaves like the totality of all molecules. You begin to see the holistic property of a Bose-Einstein condensate.

Einstein predicted with mathematics that when we are able to bring the atoms of a substance down in temperature to near absolute zero, every particle behaves like the totality. Every particle loses its boundary and occupies the whole of time and space in that place. It is possible to use laser beams to bombard these particles to bring them down to a temperature very close to absolute zero. Scientists have been able to do that with certain gases and liquids, including gases of sodium and ribidium, and liquid helium. That is what Einstein called a Bose-Einstein condensate (named for Indian physicist Satyendra Nath Bose and Albert Einstein).
Einstein said that we can make the particles sing in unison. The one behaves like the totality and the totality can be seen in the one. We learn that in the case of a laser beam, all the photons in the laser beam behave holistically, they don’t have their own boundaries anymore. They behave just like one photon, similar to a Bose-Einstein condensate.

We don’t need to bring our brain down to a temperature near absolute zero. At body temperature we can observe behavior analogous to quantum properties, quantum coherence. This is very promising.
When the cell is excited with the right energy level, all the electrical dipoles come together and begin to oscillate together, to sing in unison. 

(Cf.) http://www.mindfulnessbell.org/archive/2015/03/dharma-talk-consciousness-and-quantum-physics-2
http://appliedbuddhism.org/en/transcripts/64-2006/153-2006-08-26-consciousness-and-quantum-physics
https://static1.squarespace.com/static/55beacc8e4b0c17151842dbc/t/56be4dae3c44d8801f3a9503/1455312306121/mb44.pdf
http://www.mindfulnessbell.org/wp/2015/03/dharma-talk-consciousness-and-quantum-physics-2/

Albert Einstein Photo by Lucien Aigner, CORBIS

Monday, June 22, 2015

マインドフルな呼吸の実践成果

以下のビデオのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。

私たちが正しく実践すれば、実践は楽しく、気持ちのよいものになります。そして、マインドフルな呼吸とマインドフルな歩行の実践成果としてあなたが得られるものは次の通りです。

1) 平和な暮らし(安住)(蛙のように跳ねまわらないこと
あなたは自分の内面でいい感じがします。あなたはあるがままの自分を受け容れることができます。あなたはどこか他の場所へ行って別人になる必要性を感じません。あなたは自分の内面に平和を持っています。あなたは安定性を持っていると感じています。あなたは他人の外見や状況に嫉妬しません。あなたは別人になりたくありません。そして、あなたは自分がいる場所と自分が誰であるかに満足しています

2)到着(私は到着しました。ただいま。)
あなたは今、この瞬間に幸せに生きる能力を持っています。あなたは人生は今、ここでのみ手に入ることを実感しています。そして、マインドフルな呼吸の実践で、あなたは今、ここでくつろぐことができます。あなたは落ち着きを感じ、満足を感じます。そして、かつてあなたを未来へ押し出したり、過去へ引っ張っていたエネルギーはもはや障害とはなり得ず、あなたは自由です。あなたは今、この瞬間に自分を確立するのを楽しんでいます。あなたは活き活きしています。あなたは活き活きしているのを感じています。あなたは家にいる感じがします。あなたの家は未来にはありません。あなたの幸せは未来にはありません。そして幸せは今、ここで手に入ります。

3) 縁起(相互に依存して共同発生)
あなたは縁起の性質を実感しています。あなたは独立した自己、独立した実体ではないことを知っています。あなたが自分の息子を見る時、自分の息子が独立した実体であると見ることはありません。あなたの息子や娘は、あなたの継続です。そして、あなたの息子や娘の中を深く覗き込むと、息子や娘の中に自分を見ます。そして、あなたの中を覗き込むと、あなたの中に息子や娘を見ます。あなたは縁起の性質を実感します。ですから、私たちは、縁起(相互に依存して共同発生)しています。あなたがいるから私がいるのです。あなたがそのようだから私はこのようなのです。そして、私たちは縁起の性質を理解します。私はあなたを私から取り外すことはできません。もし、私がそうできたなら、私はもはや自分ではありません。あなたは私をあなたから取り外すことはできません。もし、あなたがそうしたなら、あなたは今のあなたではなくなります。ですから、それが縁起の内部です。そして、私たちが自分の中の縁起の性質に触れることができた時、分割、差別、無知が止むでしょう調和があるでしょう。があるでしょう。連帯があるでしょう。幸福があるでしょう。ですから、私たちの実践は、私たちが自分の縁起の性質を実感できるように、マインドフルに呼吸しながら、深く覗き込むことです。

4)不生(生まれることなし)
「不生」は「不死」を意味します。来ることなく、行くこともなし。そして、これは究極の次元です。究極の次元では、来ることなく、行くこともありません。生まれることなく、死ぬこともなし。そして、あなたが「不生不死」の自分の性質に触れた時、あなたは全く自由であり、恐れがなく、絶望がなく、全てから自由になります。それはあたかも波が自分の中の水に触れた時、自分の恐れや差別の全てを失うようなものです。そして、これはマインドフルな呼吸の実践によって成し遂げることができます。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2014/08/this-is-because-that-is.html

Sunday, June 21, 2015

十六念息

「念息経(マインドフルな呼吸の経典)」
<入出息念経(マインドフルな吸う息と吐く息の経典)>
十六念息(マインドフルな呼吸の16実習)

1.「長い息を吸い込んで、私は長い息を吸い込んでいるのを知っています。長い息を吐き出して、私は長い息を吐き出しているのを知っています。」

2.「短い息を吸い込んで、私は短い息を吸い込んでいるのを知っています。短い息を吐き出して、私は短い息を吐き出しているのを知っています。」

3. 「息を吸い込んで、私は自分の全身に気付いています。息を吐き出して、私は自分の全身に気付いています。」

4. 「息を吸い込んで、私は自分の全身を穏やかにします。息を吐き出して、私は自分の全身を穏やかにします。」

5. 「息を吸い込んで、私は喜びを感じます。息を吐き出して、私は喜びを感じます。」

6. 「息を吸い込んで、私は幸せを感じます。息を吐き出して、私は幸せを感じます。」

7. 「息を吸い込んで、私は自分の感情に気付いています。息を吐き出して、私は自分の感情に気付いています。」

8. 「息を吸い込んで、私は自分の感情を穏やかにします。息を吐き出して、私は自分の感情を穏やかにします。」

9. 「息を吸い込んで、私は自分の心に気付いています。息を吐き出して、私は自分の心に気付いています。」

10. 「息を吸い込んで、私は自分の心を幸せにします。息を吐き出して、私は自分の心を幸せにします。

11. 「息を吸い込んで、私は自分の意識を集中します。息を吐き出して、私は自分の意識を集中します。」

12. 「息を吸い込んで、私は自分の心を解放します。息を吐き出して、私は自分の心を解放します。」

13. 「息を吸い込んで、私は全ての心の対象の無常の性質を観ます。息を吐き出して、私は全ての心の対象の無常の性質を観ます。」

14. 「息を吸い込んで、私は欲望(考え)の消滅を観ます。息を吐き出して、私は欲望(考え)の消滅を観ます。」

15. 「息を吸い込んで、私は全ての現象の不生不死の性質を観ます。息を吐き出して、私は全ての現象の生まれることなく死ぬこともない性質を観ます。」

16. 「息を吸い込んで、私は手放すのを観ます。息を吐き出して、私は手放すのを観ます。」


<ティク・ナット・ハンの十六念息キーワード>
1. 吸う息、吐く息と一緒に居る
2. 吸う息、吐く息について行く(始めから終わりまで)
3. 体に気付く
4. 体を静める
5. 喜びを発生させる
6. 幸せを発生させる
7. 痛みと一緒に居る
8. 痛みを静める
9. 心に気付く
10. 心を喜ばせる(選択的水やり)
11. 心を集中する
12. 心を解放する
13. 無常を瞑想する
14. 非渇望を瞑想する
15. 全ての概念の絶滅を瞑想する(涅槃)
16. 手放すことを瞑想する

1-4:
5-8: 感情
9-12: 心(意識)(心行+意識)
13-16: 心の対象(知覚の対象=知覚)

(プラム・ヴィレッジのティク・ナット・ハン、僧侶、尼僧によって編集されたプラム・ヴィレッジの詠唱・暗唱本である「念息経に関する説教」より抜粋。パララックス出版)

(参考)
http://www.mindfulnessbell.org/articles/mb53.pdf (p4~9)
https://www.youtube.com/watch?v=ZVEO3YCNVoE(0~27:30)

ティク・ナット・ハン

Saturday, June 20, 2015

Insight and Non-thinking

In the historical dimension (in space and time) or in the phenomenal world, all phenomena are not the objective reality; they are objects of my mind. So, I understand that if I am ego (separate self), everything I see is an illusion. And if I am true self (non-separate self), everything I see is the reality. Everything depends on who we are.

Because ego has wrong perceptions or wrong views which cause unnecessary afflictions and incorrect thinking. And true self has the right view which means the absence of all views or all perceptions. BTW, simply the wrong view means "I am special and separate". If we are mindful and concentrated, we can attain insight (the right view). And when the right view is solid in us, we can have the right thinking.

Thay said, "Right Thinking reflects the way things are. Wrong thinking causes us to see in an 'upside-down way'" and "Non-thinking is there. We are in deeper contact with reality, free of words and concepts." So, Right Thinking means Non-thinking. I feel that these words are applicable not only to an enlightened person but also to all animals, plants and minerals. Because they don't think and are always mindful. All the elements of humans, animals, plants and minerals are the same, as water, air, earth and sunshine. And each particle and energy of the elements is enfolding consciousness. So, the disintegrated human body and consciousness must be there even inside of the rocks.

(Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/spiritual-ancestors

El Capitan, Yosemite Valley Photo by Leisure Escapes

Friday, June 19, 2015

Silly Humans

My answer to the question of "Can animals, plants, minerals have Consciousness and can they become enlightened?" is as follows:

Yes, I feel so. Because they don't think, they are always mindful. They have never created notions, ideas, views, beliefs like silly humans. So, they don't have to suffer from separation or discrimination at all. And they don't need to waste their precious time and energy to throw them away. They don't need to gain intelligence for that. They can touch the wonders of life and attain insights without making efforts and enjoy their simple life. In this sense, all animals, plants and minerals have been enlightened since their manifestation. So, I really feel how silly we, humans are! We create notions, suffer a lot, practice a lot for throwing away all notions, and finally attain enlightenment. Humans are silly creatures who stir up trouble in order to be rewarded for solving it.

I understand that all of us (humans, animals, plants and minerals) are the same as the whole cosmos. Because all of us are made of water, air, earth and sunshine. And we are circulating within ecosystem physically and consciously by changing the forms. In other words, each particle or energy of our body is enfolding consciousness. So, we are the whole cosmos. All the past genetic ancestors and spiritual ancestors are in us and we are in the future genetic descendants and spiritual descendants.

(Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/human-life-39415010

Humming bird Photo by Glenn Ognag

Thursday, June 18, 2015

16 exercises on mindful breathing

Sutra on Mindful Breathing 
(Sutra on the Full Awareness of Breathing)
- 16 exercises on mindful breathing -

1. ‘Breathing in a long breath, I know I am breathing in a long breath. Breathing out a long breath, I know I am breathing out a long breath.

2. ‘Breathing in a short breath, I know I am breathing in a short breath. Breathing out a short breath, I know I am breathing out a short breath.

3. ‘Breathing in, I am aware of my whole body. Breathing out, I am aware of my whole body.’

4. ‘Breathing in, I calm my whole body. Breathing out, I calm my whole body.’

5. ‘Breathing in, I feel joyful. Breathing out, I feel joyful.’ 

6. ‘Breathing in, I feel happy. Breathing out, I feel happy.’

7. ‘Breathing in, I am aware of my mental formations. Breathing out, I am aware of my mental formations.’

8. ‘Breathing in, I calm my mental formations. Breathing out, I calm my mental formations.’

9. ‘Breathing in, I am aware of my mind. Breathing out, I am aware of my mind.’

10. ‘Breathing in, I make my mind happy. Breathing out, I make my mind happy.’

11. ‘Breathing in, I concentrate my mind. Breathing out, I concentrate my mind.’

12. ‘Breathing in, I liberate my mind. Breathing out, I liberate my mind.’

13. ‘Breathing in, I observe the impermanent nature of all dharmas. Breathing out, I observe the impermanent nature of all
dharmas.’

14. ‘Breathing in, I observe the disappearance of desire (idea). Breathing out, I observe the disappearance of desire (idea).’

15. ‘Breathing in, I observe the no-birth, no-death nature of all phenomena. Breathing out, I observe the no-birth, no-death nature of all phenomena.’

16. ‘Breathing in, I observe letting go. Breathing out, I observe letting go.’


< Thay's keywords for 16 exercises on mindful breathing >
1. being with I.O. (In-breath and Out-breath)
2. following I.O.
3. being aware of Body
4. calming Body
5. generating Joy
6. generating Happiness
7. being with Pain
8. calming Pain
9. aware of M.F. (Mental Formations)
10. gladdening M.F. (selective watering)
11. concentrating M.F.
12. liberating M.F.
13. contemplating Impermanence
14. contemplating Non-craving
15. contemplating Extinction of all notions (Nirvana)
16. contemplating Letting go

1-4: Body
5-8: Feelings
9-12: Mind (mental formations + consciousness)
13-16: Objects of Mind (dharmas, objects of perceptions = 
                                                       perceptions)

(Excerpts from “Discourse on the Full Awareness of Breathing,” Plum Village Chanting and Recitation Book, compiled by Thich Nhat Hanh and the Monks and Nuns of Plum Village.)

(Cf.) 
http://www.mindfulnessbell.org/articles/mb53.pdf (p4-9)
https://www.youtube.com/watch?v=ZVEO3YCNVoE(0~27:30)

Thích Nhất Hạnh

Wednesday, June 17, 2015

波として生きるか、水として生きるか?

以下のビデオでのティク・ナット・ハンのメッセージは非常に興味深いです。

マインドフルな呼吸の実践で、私たちは生命の究極の次元に触れることもできます。仏の浄土に触れることができます。神の王国に触れることができます。日常生活の瞬間瞬間に涅槃に触れることができます。

この頃、私は現在だけに触れるのではなく、過去と未来にもまた触れることができるように、歩行瞑想を実践しています。そして、私は究極の次元に触れることができます。私たちは時間と空間で表現される歴史的次元に生きています。過去があり、現在があり、未来があります。ここそこがあります。それが歴史的次元です。(仏陀の)教えによれば、あなたが歴史的次元を深く生きれば、究極の次元に触れることができます。もちろん、マインドフルネス(念)と集中のエネルギーによってです。

最近の私の実践は、時間と空間を超越する現実に私が触れるのを助け得る歩みをすることです。一歩踏み出すとしたら、私は自分の誕生、私の誕生の瞬間に触れ、自分の足で地面に触れている間に自分が生まれていることを理解します。そのことは、正確には私が80年前に生まれていなかったことを意味し、私は今生まれるのです。ですから、あなたの誕生に触れ、今あなたが生まれるのです。しかし、あなたは自分の誕生に触れるだけではありません。あなたは同時にいわゆる自分の死に触れます。ですから、あなたは同時に生まれて死ぬことができるのです。

正に一瞬の内に、あなたは理解します。そして、そのように歩くことによって、あなたは自分は今死んでいるところですので、将来死ぬとは考えません。あなたは今死んでいるところであり、今生まれてもいます。ですから、あなたは非局所(現象が離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っていること)、非時間(時間と無関係)に触れます。時間と空間が消滅します。子物理学では、量子間の非局所関係について話し始めています。そして、非局所関係は、量子物理学の最大の特徴になります。

すると、私たちが(歴史的次元と)同時に究極の次元に触れることができるようにするために、歴史的次元に非常に深く触れることができます。私たちが大海の表面に生じる波を瞑想するとしましょう。外観に関する限りでは、私たちは、誕生、波の顕現、波の始まりと呼ぶ瞬間があることを理解しています。そして、私たちが終わり、波のと呼ぶことができるもう一つの瞬間があります。ですから、私たちは波が上昇し、下降するのを見ることができます。始まりがあり、終わりがあります。上昇があり、下降があります。

ですから、そこには時間空間があります。波は、時間と空間の枠の中で示されています。始まりがあり、終わりがあります。この波は、他の波ではありません。この波はここにあり、他の波はそこにあります。ですから、枠は空間と時間の枠の中に見られます。しかし、私たち全員が波は水からできていることを知っています。そして、波が波として自分の生涯を生きることは可能です。そして、波の生涯は同時に水でもありました。なぜなら、波は今正に水であるからです。水になるために死ぬ必要がないことを理解してください。水は正に今、正にここにあります。ですから、波は波として自分の生涯を生きることと、水として自分の生涯を生きることが同時にできるのです。

そして、波が深く自分に触れることができる時、波は自分が水であると実感することを私たちは知っています。そして、波が自分は水であると実感する瞬間、その時から波は究極の次元で自分の真の性質に触れましたので、到着と出発、上昇と下降、開始と終了をもやは恐れることはありません。波として、あなたは怖かったかもしれませんが、水として、あなたはもはや恐れはありません。ですから、上昇は喜びであり、下降もまた喜びです。そして、波は自分の究極の次元に触れることができます。

ですから、瞑想の実践、深く観て深く触れる実践は、同時に自分の究極の次元に触れる機会を持てるように、私たちが歴史的次元に深く触れるのを助けてくれます。ですから、吸う一息によって、吐く一息によって、一歩によって、私たちは生も死もないという本質に触れることができ、時間と空間を超越でき、波のように不生と不死(不生不滅)の本質に触れることが可能です。そして、これらは「入出息念経」(マインドフルな呼吸の経)の後半に明記されています。

(参考)
http://compassion5151.blogspot.jp/2014/12/enlightenment.html
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
http://tnhaudio.org/tag/sutra-on-full-awareness-of-breathing/
http://www.mindfulnessbell.org/articles/mb53.pdf

Wave Photo by Joel Bramley