Thursday, July 11, 2013

Trust & Friendship 信頼と友情

"To be contented human beings we need trust and friendship, which tends to develop much better once we realise that all beings have a right to happiness, just as we do. Taking others’ interests into account not only helps them, it also helps us. Warm-heartedness and concern for others are a part of human nature and are at the core of positive human values." (From His Holiness the Dalai Lama's facebook on July 11, 2013)

満ち足りた人間になるには、信頼と友情が必要です。全ての生きとし生けるものが自分達と同様に幸福になる権利を有することに気付いた時から、この信頼と友情はより発達する傾向があります。他の利益を配慮することは、他を利するだけでなく、自分をも利するのです。温かい心や他への気配りは人間の本性の一部であり、肯定的な人間の価値の中核に位置付けられます。」(超訳)


Cf. https://www.facebook.com/DalaiLama/posts/10151523571297616

仏教と有神論

「大乗仏教には有神論的な側面がある」との興味深い主張に遭遇しました。皆さんはどう考えますか?

1 ■有神論的とは?
「大乗仏教には有神論的な側面がある」と記載されていますが、その根拠と具体例をご教示戴ければ幸いです。仏教は無神論であり、絶対的な創造主を否定していると信じておりましたので、大変興味があります。例えば、浄土真宗では親鸞が「人生の目的は弥陀の救いを得ること」と説いたようですが、弥陀を神格化し他力本願ともとれる発言ですので、日本の仏教の中には有神論的な側面があるとのご指摘ならば理解できます。しかし、チベット、中国、ベトナム、モンゴル、韓国などへ伝わった大乗仏教にも有神論的な側面があるのであれば、是非ともその詳細を知りたい次第です。
土山仁士 2013-07-10

2 ■Re:有神論的とは?
コメントありがとうございます。本が一冊書けるようなテーマですね。まず、「原始仏典」にも梵天や帝釈天などが登場しますから、神という存在を認めるという点で、大乗以前から有神論ですね。仏教では「仏」と「神」は区別されますが、以下の議論では、「神」を超越的な存在として一般化して考えましょう。大乗の特徴は、大まかに言って(特に、日本の浄土真宗に限らず浄土教系では)、仏を目指すべき目標から、超人間的な救済者と捉えるようになりますので、有神論的ですね。では、「絶対的な創造主」かどうかという観点ですが、宗教学的にはプラトン神学やグノーシス主義のように、創造神は必ずしも絶対者ではないので、絶対原理(第一原理)かどうかという点で考えますと、大乗では、仏の絶対原理化が徐々に進んだと思います。「法華経」の「久遠(実成)の仏」という概念は、永遠の仏の本質であって、釈迦はその化身と考えますので、仏の概念の絶対原理化へ踏み出していると思います。法身論でも、「法身」→「理法身」→「自性清浄身」という仏の概念の抽象化は、真理そのものとしての第一原理化の歩みだと思います。密教(密教は大乗です)の「大日如来」に至っては、完全に第一原理、つまり、意識や存在、創造の母胎となります。後期密教では「本初仏」という形でさらに抽象化されます。仏と「空」は等置されるようになりますが、後期密教では「空」の概念は、存在の母胎となりますので、ダライ・ラマも、「空」はある意味、創造神のような存在であると言っています。ご期待に沿える答ではなかったですか?土山仁士さんの「有神論」の定義が、キリスト教のような唯一の人格神が世界を作ったという考えを指すということでしたら、ちょっといますね。
morfo 2013-07-10

3 ■Re:有神論的とは?
早速の詳細なるご回答深謝申し上げます。小生の「有神論」の定義は、キリストやアラーやヒンズー教の神々のような崇拝の対象としての神(創造主)を指しますので、若干ずれがありますが、ご指摘の趣旨は理解できます。仏教はこのような崇拝の対象としての創造主たる神を認めず、ダライ・ラマ法王は、釈迦自身が「私の教えを決して信仰心から信じてはいけない。自分で私の教えを分析し、正しいことを確信するまでは信じないこと」と注意を促したと指摘されていることもあり、仏教は自分への信頼に基づく自力本願による救済を基本としていると理解しています。また、ダライ・ラマ法王は、釈迦が「あなたはあなた自身の主人である(You are your own master)」と言ったとも指摘され、これは自分が自分自身の創造主であることを意味すると解説されたことも、仏教が絶対的な神の存在を否定していると考える根拠です。更には、仏教の智慧とは、地球の究極の真理である「相互依存」を理解することであり、この智慧から慈悲を導き出す仕組みが仏教哲学であることからも、仏教は絶対的な神の存在を否定していると考えます。(相互依存=無自性=無我=空性=縁起=因果の法則)従って、仏教の信仰の対象は神ではなく、ダルマ(法)であり、因果の法則が根本哲学であると確信します。そもそも神という絶対的、独立的、永久的存在を認めると、釈迦が四聖諦や般若心経で説いた無我、空性が成り立たなくなります。無我、空性とは、独立した自我(アートマン、神)の不在を意味し、相互依存した自我の存在は認めるという意味です。そして、独立した自我の存在を認めると我執が生じることより、煩悩が一層増大し更なる苦しみを創造することになりますので、本末転倒となります。
土山仁士 2013-07-11

参考:http://ameblo.jp/morfo/entry-10820377414.html