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Tuesday, February 28, 2017

マインドフルネスとは?

次のタイ・ファップ・ダンの法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2017-02-12-thay-phap-dang?tdest_id=113448
以下は私のメモ書きです。法話内容に完全に同意します。

1. マインドフルネスとは?
マインドフルネス = ハートフルネス ≠ 頭(脳、思考) 
マインドフルネス = 透明な心 = 純粋な心 = 全ての考えを取り除く = 仏陀の心 = 透明な意識 = 透明な目覚めた意識
(悪魔の心 = 怒り、憎しみ等の煩悩

2. 苦しみの世話の仕方
「脱出法は入ること」 ⇒ 自分の苦しみから逃げずに、世話をすること
1) 苦しみを認識する(私の怒りよ、こんにちは!)
2) 苦しみを受容する(私の怒りよ、世話してあげるからね。)
3) 苦しみを深く観る
4) 根本原因を理解する
5) 思いやりのエネルギーで苦しみを変容する

3. すべきこと
1) 戒律を守る(不殺傷、盗まず、性的不品行をしない等 = 仏陀の心 = 慈悲、思いやり)
2) 感覚をコントロールする(無執着、不渇望)
3) 節度のある食事(食べる量を少なくする)
4) 習慣エネルギー(癖)を克服する強い決意
5) 内面のもつれ​​(煩悩の種子)を根絶する
6) 理解を通して自他を愛す

(参考)https://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365

ティク・ナット・ハンの書

Thursday, December 8, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問 (2)

ティク・ナット・ハンのフェイスブック・ページへの次の私の投稿をご参照ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/posts/10154349910279635?comment_id=10154350854029635&notif_t=like&notif_id=1480597439075147

最近、ティク・ナット・ハンの教えには矛盾があると私は感じています。私の質問は、「恐れや不安を抱えている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのか?」です。

無条件の自己受容が鍵です。 そのためには、洞察を通して苦しみの根本原因を理解する必要がありますこの点はティク・ナット・ハンもよく理解されています。そしてその洞察のためには、私たちはマインドフルで集中している必要があります。しかしながら、恐れや不安を抱えている人は、意識的な呼吸や歩行を通して、マインドフルになるために思考を止めることはできません。そして、真実はほとんどの人が考えるということであり、これは恐れや不安を抱えている証拠です。 この意味で、意識的な呼吸や歩行だけでは、マインドフルネスは達成不可能と言えます。

ティク・ナット・ハンが私の重要な質問に回答してくれることを私は願っています。私はティク・ナット・ハンの教えを学び実践し始める前に、洞察を通して私の苦しみの根本原因を理解していましたので、これは自分自身のためではありません。ティク・ナット・ハンの回答は多くの彼の信者と実践者に恩恵をもたらすでしょう。

私たちが目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)を復活させるなら、この地球の人間として、私たちは思考なしで存在できます。私(目覚めた意識)は、一日24時間中非思考を体験しています。 言い換えれば、私は一日24時間中、停止し瞑想しています。ティク・ナット・ハンのような完全な悟りを開いている人々もまた同じことを体験しているに違いないと確信しています。そして、あなたは信じないかもしれませんが、熟睡状態の間、あなたは考えることができませんいので、目覚めた意識を復活させています。更には、全ての動物、植物、鉱物は考えませんので、常に目覚めた意識です。

その「もし」は、独立した自己から独立していない自己への自己変容を意味しますので、大きな「もし」です。完全な悟りのためには、全ての概念の絶滅が不可欠です。そのためには、究極の真理である「空」(相互依存、非分離、非差別、非二元性、全体性)を通して、全ての概念(思考)は誤っていることを理解する必要があります。

簡単に言えば、あなたはあまりにも考え過ぎなのかもしれません。考えているのはでしょうか?それは本当の自分ではありません。それは、あなたの両親から自分を守るために、あなたの傷ついた内なる子供(幼少期の本当の自分)によってでっち上げられたエゴ(偽の自分)です。ですから、あなたの幼少期に何が起こったのかを見つけ出す必要があります。それがあなたの恐れや不安の根本原因です。洞察を通して、私は全てのことを一瞬の内に見て、根本原因を理解しました。「(恐れや不安が生じるのは)無理もない!」 というのが私の第一印象でした

(解説)
私の上記質問に対する私の回答は次の通りです。
意図:自分の苦しみにうんざりし、自分を変えたいと強く思う
決意:自己変容
洞察:自分の苦しみの根本原因を理解
無条件の自己受容=無条件の自己愛
煩悩なし:恐れや不安なし
非思考:思考を止める
マインドフルネス、集中、洞察

無条件の自己受容は、マインドフルネスの基盤です。無条件の自己受容なしでは、私たちは思考を止めることができませんので、マインドフルネスは不可能です。無条件の自己受容がなければ、マインドフルネスなし。無条件の自己受容のためには、洞察を通して自分の苦しみの根本原因を理解する必要があります。一度、私たちが自分の苦しみの根本原因の洞察を得ると、私たちはもはや恐れや不安がなくなりますので、思考を止めることができます。ですから、自分の苦しみの根本原因を理解した成果が、マインドフルネスなのです。マインドフルネスは、意識的な呼吸や歩行だけでは達成できません。自分の苦しみの根本原因を理解するためには、私たちは自分の苦しみにうんざりし、強く自分を変えたいと思う必要があります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436


Wednesday, December 7, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問 (1)

ティク・ナット・ハンのフェイスブック・ページへの次の私の投稿をご参照ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/posts/10154349910279635?comment_id=10154350854029635&notif_t=like&notif_id=1480597439075147
最近、ティク・ナット・ハンの教えには矛盾があると私は感じています。 私の質問は、「恐れや不安を抱えている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのか?」です。私の理解するティク・ナット・ハンの教えは次の(1)の流れに基づいており、私の経験は次の(2)の流れに基づいていますので、この質問をしたいのです。

(1) マインドフルネス = 思考を止める ⇒ 集中 = 深く観る ⇒ 洞察 = 根本原因(現実の本質)を理解する ⇒ 愛と思いやりを発生させる ⇒ 変容

(2) 根本原因(現実の本質)を理解する = 洞察 ⇒ 無条件の自己受容 = 無条件の自己愛 ⇒ 恐れや不安なし ⇒ 非思考(考えない) ⇒ マインドフルネス 

上記の2つの流れを要約すると、

(1) 苦しみの根本原因を理解するためには、マインドフルネス(思考を止めること)が不可欠。

(2) 思考を止める(マインドフルになる)ためには、根本原因を理解することが不可欠。

以下が私の投稿です。
恐れや不安を持っている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのでしょうか?彼らは自分の恐れや不安の根本原因を理解していない限り、意識的な呼吸や歩行を試みても、思考を止めることはできません。苦しみを認識し、抱きしめ、軽減し、深く観るためには、まず考えを止める必要があります。

誰が思考(脳)を観察するのでしょうか? それは目覚めた意識である、と私は理解しています。思考を止めることができた(脳の使用を止めることができた)場合にのみ、目覚めた意識が復活します。目覚めた意識はただエゴ(独立した自己)によって覆い隠されていただけなのです。これは私の経験です。ですから、脳(おそらく左脳)が思考を止めることはできると、私は確信しています。 言い換えれば、人間は考えることなく、ただ花のように咲くことができるということです。考えることなく、目覚めた意識は常に洞察を得ます

私の上記質問に対する私自身の回答は、次の通りです。私たちは苦しみにうんざりし、自分自身を変えたいと強く思う必要があります。そうすれば、苦しみの根本原因の洞察を得る機会が増えます。一度、私たちがその洞察を得ると、もはや私たちには恐れや不安がなくなりますので、無条件に自分を受け容れ、思考を止めることができます。ですから、恐れや不安を抱えている人には、思考を止めてマインドフルになるために、意識的な呼吸や歩行は機能しないのです。

(つづく)

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

Wednesday, November 9, 2016

過去を修正し修復する方法

次のティク・ナット・ハンの法話をポッドキャストより、55:50 ~ 1:03:37 迄深く傾聴してください。
http://tnhaudio.org/2010/04/20/your-heart-is-like-a-flower/
以下は抜粋です。

引用:
すると、私たちはより良い、より美しい継続を確実にすることができます。それは今、私たちの手中にあります。マインドフルネスの実践によって、私たちはより良い将来を確実にするために、私たちの行動を浄化し始めることができます。

(鐘の音)

しかし、昨日、私が憎しみや差別の思考を既に生み出してしまったとしたらどうでしょうか?私はそれを持ち続けたくはありません。もし、昨日、私が私の父や友人に非常に意地悪なことを言ったとしたらどうでしょうか?私は後悔していますが、もう既にそれを言ってしまったのです。私はもう既にそれをしてしまったのです。

私たちが過去に創造した誤った考えや誤った発言を修復するために、何かできるでしょうか?その答えは「はい」、私たちは何かをできます。昨日、あなたは親切でないことを彼女に言ったかもしれません。今日、あなたはそれが正しい発言ではないことに気付き、修復したいと思い、今、この瞬間にそれを足止めします。あなたは正しい発言を実践したいです。

あなたは息を吸い込み、息を吐きます。そして、あなたは電話の受話器を持ち上げるか、コンピュータの電源を入れて、ごめんなさいと彼女に告げるために、あなたは本当は彼女に幸せになって欲しいということを彼女に告げるために、そのようなことを言ってしまったことを後悔していることを彼女に告げるために手紙を書いてメールします。今、この瞬間に、あなたはそれをできます。なぜなら、あなたが和解の考え、慈しみの考えを生み出すやいなや、その思考があなたを癒し相手を癒し始めるからです。

すると、昨日あなたがしたこと、昨日あなたが言ったこと、あなたのカルマ(行動)は、今日の行動によって変容されるでしょう。今日の行動、今日の思考は、昨日の行動と思考に追いつき抱きしめ変容します仏陀は、「全ては心から来る」と言いました。心が変わると、全ては変わります。

あなたの祖母が生きていた間に、あなたが彼女に良くないことを言ったとしましょう。今、あなたは彼女に、「ごめん」と言いたいです。しかし、祖母はもはやおらず、「おばあちゃん、ごめん。私は意地悪なことをおばあちゃんに言ってしまいました。私は愚かでした。私はマインドフルではありませんでした。私はそのようなことを言おうとしたのではありませんでした」と、あなたは言う機会がありません。あなたが手紙を送ったり、電話したくても、祖母はもう生きていないのです。

あなたは過去でさえも修正し、修復することができますので、マインドフルネスの実践は素晴らしいです。座禅を組んで、深く観て、マインドフルに呼吸してください。それによって、あなたの祖母はあなたの体の細胞の一つ一つにまだ生きているという洞察をあなたは得ます。あなたの祖母は、まだいるのです。それから、あなたは祖母のカルマの一部なのです。(笑)あなたは祖母の継続です。あなたが何らかの形で祖母の継続であることは、非常に明白です。

ですから、あなたは次のように実践できます。

息を吸って、おばあちゃん、私は私の体の細胞の一つ一つに、あなたを見ます。
息を吐いて、おばあちゃん、私はあなたに微笑みます。

すると、あなたの祖母に今、ここで向かい会えます。あなたの祖母はもはやいないと考えることは、誤った考えです。それは誤った考えなのです。あなたの祖母がいたのは過去のことと考えるのは、誤った考えです。あなたの祖母はあなたの中と周りに常に存在しています。そして、あなたはいつでもあなたの祖母に、「おばあちゃん、ごめん。私は将来、もうあのようなことは決して言わないと約束します」と、話かけることができます。すると、あなたの祖母があなたに微笑んでいるのを、あなたは見ることができます。すると、あなたは癒されます。これが実践の素晴らしいところです。今、この瞬間に、あなたは過去を癒すことができ、未来を創造できるのです。 

ですから、今、ここで取られた行動が、過去を修正し、訂正し、変容することができ、現在と未来を変容することができるのです。ですから、仏陀の教えにおいては、(正しく)考えることだけで、(正しく)発言することだけで、(正しく)行動することだけで、より良い未来と美しい未来を確実にすることが可能なのであり、それを行う支配権はあなたが握っています。あなたの自由意志が可能なのです。そして、そうすることは、良い環境において、サンガにおいて、より容易になります。

(解説)
上記のティク・ナット・ハンの法話は、自分自身の内面において過去を修正し修復するためです。私たちの相手との問題を修復することとは、何の関係もありません。私たち自身の問題は、マインドフルネスの実践を通して解決することができます。ですから、私たちはストレスから解放されます。これはメリットです。しかしながら、私たちの相手が同じことを実践しないなら、相手の問題は解決できません。すると、両者の間の問題は残ります両者が過去を修正し修復する場合にのみ、両者間の関係を復元することができるのです。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

Thích Nhất Hạnh

Wednesday, November 2, 2016

「空」と般若心経 (2)

次の10月15日のブログをご参照ください。
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
私は以下の通り述べました。
引用:
般若心経では、次の4行が非常に有名です。

「色不異空」:物は空に他ならない。
「空不異色」:空は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空である。
「空即是色」:即ち、空は物である。

しかし、これらの4行の前に、次の4行が欠けていると、私は感じます。 

「若此有則彼有」:それが有るからこれが有る。
「若色有則空有」:空間が有るから物が有る(存在できる)。
「若空有則色有」:物が有るから空間が有る。
それ故に、

ですから、理解しやすくするために以下の通り、「空」を「空間」に置き換えた方が良いでしょう。

「色不異空」:物は空間に他ならない。
「空不異色」:空間は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空間である。
「空即是色」:即ち、空間は物である。
:引用終わり

上記は、現象界、即ち歴史的次元における究極の真理です。本体の世界、即ち究極の次元とは何の関係もありません。私は今、以下の通り、般若心経で有名な4行はまた、現象界と本体の世界の間の関係も説明していると感じます。


「若色有則空有」:本体の世界が有るから現象界が有る
「若空有則色有」:現象界が有るから本体の世界が有る。
なぜなら、本体の世界は現象界へ(包み込んだものを)開いている。(現象界は本体の世界からできている。)
そして、現象界は、本体の世界へ包み込んでいる。(本体の世界は現象界からできている。)

ですから、下記の通り、現象界と本体の世界の間の関係を表現するために、「物」を「現象界」と置き換え、「空」を「本体の世界」と置き換えることが可能です。

「色不異空」:現象界は本体の世界に他ならない。
「空不異色」:本体の世界は現象界に他ならない。
「色即是空」:即ち、現象界は本体の世界である。
「空即是色」:即ち、本体の世界は現象界である。

現象界はこの世界を意味し、本体の世界は涅槃を意味します。ですから、最終的には般若心経で有名な4行は以下の通り、読み取ることができます。

「色不異空」:この世界は涅槃に他ならない。
「空不異色」:涅槃はこの世界に他ならない。
「色即是空」:即ち、この世界は涅槃である。
「空即是色」:即ち、涅槃はこの世界である。

しかし、般若心経で有名な4行を上記の通り読み取ることができるようになるには、「大きな条件」があります。私たちが目覚めた意識、即ち本当の自分(独立していない自己)を復活させる場合にのみ、私たちは般若心経で有名な4行の真の意味を理解することができるのです。なぜなら、目覚めた意識だけが時間と空間を超越することによって、この世界(現象界)と涅槃(本体の世界)を同時に生きることができるからです。エゴ、即ち独立した自己は、現象界だけに生きていますので、真の意味を理解することは決してできません。更には、般若心経で有名な4行は、以下の通り説明され得るでしょう。

「色不異空」:体は阿頼耶識に他ならない。
「空不異色」:阿頼耶識は体に他ならない。
「色即是空」:即ち、体は阿頼耶識である。
「空即是色」:即ち、阿頼耶識は体である。

Sunday, September 11, 2016

物質的な科学と精神的な科学

次のウィリアム・A・.ティラー(スタンフォード大学材料工学の名誉教授)のビデオを深くご覧ください。





ウィリアム・A・.ティラーは、スタンフォード大学材料工学の名誉教授です。彼は趣味として30年以上にわたって、心理エネルギー論の分野の真剣な実験的且つ理論的研究を進めてきました。彼はまた、「科学と人間の変容」の著者でもあります。 
(Wikipedia) https://en.wikipedia.org/wiki/William_A._Tiller
(HP) http://www.tillerinstitute.com/

(解説)
ウィリアム・A・.ティラーが目に見えない精神的なエネルギーを測定しようとしていることは非常に興味深いことです。もし、彼が精神的なエネルギーを科学的に証明することに成功したなら、彼の研究は、「明日の物理学」の不可欠な部分になるかもしれません。

しかしながら、彼は仏教のマスターに、意識が肉体の死後に継続するかどうかを質問したいと言いました。このことは、彼が心と体の不生不死の性質を理解していないことを示しています。彼はまた、意識より密度が高い物質へ入る精神の副産物であると言いました。このことは、彼が体と意識間の真の関係を理解し​​ていないことを示しています。彼が究極の真実を理解した上で、更なる研究を続けることを願っています。

Tuesday, July 26, 2016

自分の行動が私たちです。

次の行動(カルマ)についてのティク・ナット・ハンの言葉を、深くご一読ください。
https://www.facebook.com/mindfulnessbell/posts/1075397465885157

「私たちが生み出す全ての思考(考え)、全ての言葉、私たちがする全ての肉体的行為は、決して死にません。何も死にません。これらの行動は常に継続します。それがあなたの継続です。この肉体だけが自分である、とあなたは考えます。それは正見(正しい見方)ではありません。あなたは、はるかにこの体以上のものです。あなたは、あなたの行動です。私が考えること、私が言うこと、私がすることは、私の継続であり、結果をもたらします。そして、その結果が美しいか否かは、完全に行動の質に依ります。 」
– ティク・ナット・ハン、「相互依存、四聖諦、正見」より"

(解説)
私たちは、自分の肉体的行動、口頭による行動、精神的行動(カルマ)を通して、私たちの貯蔵意識(阿頼耶識)に心行(精神形成物)の種を播く、乃至は種を植えます。そして、その種子が水やりをされる、乃至は触れられると、私たちの心の意識(顕在意識)の中に心行(精神形成物)として顕現します。ですから、私たちの行動(カルマ)は決して死ぬことはなく、常に継続します。それ故に、全ての行動(カルマ)は私たちの継続なのです。これが真の輪廻転生であると言えるのかもしれません。私たちがすべきことは、マインドフルネスを通して健全な種子への選択的水やり、及び私たちの心行(精神形成物)を抱きしめ深く観ることを通して根本原因を理解し、不健全な種子を健全な種子へ変容することです。

相互依存、四聖諦、正見に関する次のティク・ナット・ハンの法話概要を、深くご一読ください。
https://drive.google.com/file/d/0B_vcianSBGpHOVV0eXU3b1VNWnM/view
以下は抜粋です。

「親愛なる友よ、ニュートンに代表される古典科学においては、物は独立しています。種子は植物の外部にあり、植物は種子の外部にあります。しかし、量子物理学においては、私たちは物をそうではなく見始めています。物は、もはやそれぞれの外部にあるのではなく、実際にはそれぞれの中にあるのです。」

(解説)
種子目覚めた意識に例えられ、植物に例えられている、と私は理解しています。デヴィッド・ボームは「内在的秩序、即ち包み込まれた秩序は、外在的秩序、即ち開かれた秩序(独立した全てのもの)へ(包み込んだものを)開いている。」[外在的秩序、即ち開かれた秩序(独立した全てのもの)は、内在的秩序、即ち包み込まれた秩序へ包み込んでいる。]、と言いました。そして、内在的秩序本体の世界(究極の次元)における目覚めた意識を意味し、外在的秩序現象界(歴史的次元)における体を意味する、と私は理解しています。別の言葉では、デヴィッド・ボームは「全てのものは、内部で全てのものと結び付いている。全てのものは、全てのものを含んでいる」、と言いました。デヴィッド・ボームはまた、さて、内在的(包み込まれた)秩序は、私たちが全てのものは全ての人へ包み込んでいるということを理解するのに役立つだろう。それは、単に全てのものが全ての人に依存しているというだけではなく、深い意味では実際に全ての人が全ての人であるということである。よく見て、私たちを構成する全ての物質は地球からやって来て地球へと戻るのだから、私たちは地球そのものだ、とも言いました。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62010528

Thích Nhất Hạnh

Monday, June 13, 2016

心の対象の中の心の対象の瞑想 (7)

心の対象の中の心の対象の瞑想」に関する次のティク・ナット・ハンのビデオを 2:02:30 ~ 2:11:32 迄ご覧下さい。


以下は抜粋です。

引用:
歴史的な次元では、生と死、これとその他の間に、まだ差別があります。しかし、あなたがより深く入り込んでいくと、全てのこれらの概念はただ消滅し、生まれることも死ぬこともない(不生不死)来ることも行くこともない存在も非存在もない本質にあなたは触れます。あなたは全ての概念から解放されます。それが涅槃です。それは冷却の状態です。涅槃の哲学用語、精神用語は、日々の存在の話から来ています。朝、あなたがあなたの夫のために朝食を作る時、あなたは火をおこすために何本かの棒を集める必要があります。昨日の火は完全に消えてしまったかもしれません。ですから、あなたが灰に触れる時、灰は冷却されていて、もう指を火傷させることはありません。ですから、涅槃は冷却の状態であり、燃えている状態ではありません。

仏陀煩悩の無い状態について話すために、涅槃という言葉を使いました。なぜなら、怒り、恐れ、絶望のような煩悩は、私たちを燃やすからです。煩悩は私たちを苦しめます。私たちがこれら全ての煩悩を取り除くことができた時、冷却状態にあります。涅槃は冷却冷やすことです。なぜなら、恐れ、怒り、絶望のような煩悩は燃えていて、それが私たちの苦しむ理由だからです。それでは、どうして私たちはこれらの煩悩を持っているのでしょうか?私たちの世界の見方が原因です。私たちが恐れ概念を持っているからです。私たちが独立した実体として生と死存在と非存在私とあなた(自他)の概念を持っているからです。私たちは、私たちの差別心を使います。私たちは、主体と客体物質と心概念を含む、多くの概念に捕捉されています。ですから、煩悩が生じるのです。一度、私たちが、生と死、存在と非存在を含むこれら全て概念を取り除くことができたなら、これら全ての煩悩が生じるための雲(原因)はなく、私たちは自由になります。ですから、涅槃とは自由(解放)のことです。まず第一に、概念からの解放です。

そして、涅槃に到達するためには、あなたはあなたの差別心を使うことはできません。現代科学はそのことを理解し始めています。量子力学あるがままの自然を扱っていると言う科学者がいます。それは不合理です。自然は不合理です。量子力学はあるがままの自然を扱っているということが、不合理なのです。なぜなら、自然はここに存在しており、こことそこの両方で存在し得る、と私たちは考えたからです。自然はであるが、素粒子のような何か他のものかもしれない、と私たちは考えました。なぜでしょうか?なぜなら、私たちは一種の心を使っているからです。それ(心)は、究極(涅槃)に触れることができません。古典的な科学では、概念手法を私たちは持っています。現実は、私たちのから独立することができる、と私たちは信じています私たちがそこに居ようが居まいが、自然同じである(と私たちは信じています)。たぶん、現代物理学では、私たちはもはやそのようには考えません現実は心の作用である、と私たちは理解します。あなたは現実から取り出すことはできないし、現実から取り出すこともできないというような具合に、心は現実と結ばれて(連関して)います。そして、現代科学は、客体と主体は分解され得ないということを理解し始めています。客体と主体相互に依存しています。こちらがなければ、もう一方はあり得ないのです。

ですから、私たちが歴史的次元で使用する心は、仏教では差別心と呼ばれています。中国語では、「分別智」です。差別心は、古典的な科学としては良しとされています。しかし、現代科学としては、差別心はもはや十分良いものではありません。サンスクリット語では、「vikalpajnana」です。 「jnana」は智慧を意味し、「vikalpa」は差別を意味します。差別の心(悪知恵)。(差別心に従うと)私たちは、生と死の間で区別をしなければなりません。生と死は、二つの異なるものであると(区別をしなければなりません)。私たちは、の間で区別をしなければなりません。左右は異なるものであると(区別をしなければなりません)。バラバラです。バラになれません。バラ太陽光になれません。私たちの差別心は、アイデンティティ(身元)の原理に基づいています。AはAにしかなれません。(A = A)バラバラにしかなれないのです。バラ他のものになれません。(同様に)人間人間にしかなれません。人間は植物動物鉱物になれません。それが差別心です。差別心では、私たちは究極の次元(涅槃)に触れることができません。

現代科学はそのことを理解し、感じ始めています。ですから、差別心を使うと、科学者は自然を不合理と見てしまうのです。それ故に、仏教では、私たちが究極の次元に近づくために、涅槃に触れるためには、別の種類の心を使う必要があるのです。しかし、究極の次元は、日常生活から離れたものではありません。私たちが歴史的次元で触れるものは、涅槃を含んでいます。それに十分深く触れてください。そうしたら、非差別の心が、それから涅槃今、ここで手に入ります。あなたは他の場所へそれを探しに行く必要はありません。そのような心は、「nirvikalpajnana」と呼ばれています。非差別の心です。あなたがその種の心を使う訓練をすると、あなたは究極の次元に触れることができますので、もはや苦しむことはありません。あなたは、あるがままの現実に触れます。そして、もはや精神構造物(精神投影、幻想)はありません。
:引用終わり 

(解説)
エゴ(独立した(自性)自己)にとって、歴史的次元における現実は相対的な真実であり、一般的な真理です。アルバート・アインシュタイン一般相対性理論を通して、それを説明したと言っても過言ではありません。アインシュタインの一般相対性理論は、歴史的な次元での二元性に基づいた原理です。一方、究極の次元での現実は、二元性を超越する究極の真理です。それは、非二元性に基づいた涅槃です。目覚めた意識(仏性、神性)のみが、時間と空間のない究極の次元に生きることができます。なぜなら、目覚めた意識は性質であって、物質ではないからです。目覚めた意識は時間と空間を超越しますので、現象界本体の世界同時に生きることができます。私たち(エゴ)が完全な悟りを開いたなら、目覚めた意識が完全に復活し、私たち(目覚めた意識)は1日24時間をマインドフルネスで生きることができ、エゴ(独立した(自性)自己)に戻ることは決してありません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

アインシュタインの一般相対性理論、1915年

Sunday, May 15, 2016

心と体

の関係についての私の理解は、以下の通りです。 
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62010528

体 = 物質
 = 思考 または 洞察

<思考>                         <洞察>
エゴは考える                  目覚めた意識は洞察を得る
失念、分散                     マインドフルネス、集中
穏やかな心なし               穏やかな心
(波打っている水)             (静水 = 鏡)
現実を映し出せない        あるがままの現実を映し出せる
(脳で考えている)             (考えずに深く見る)
(対象の外に立つ)         (対象と一つになる)
(主体≠客体、二元性)       (主体 = 客体、非二元性)
幻想、錯覚を見る             あるがままの現実に触れる
(心の投影)                       (心の投影なし)
(誤解 = 誤った見方)         (理解 = 洞察)
(エネルギー浪費 = 疲労)  (エネルギー浪費なし = 疲労なし)
煩悩、苦しみ                     愛、思いやり、平和、喜び、幸せ

<現象界>                        <本体の世界>
(時間と空間あり)               (時間と空間なし)
                                     ×(体なし)
 (エゴ or 目覚めた意識)   (目覚めた意識)

<内在的秩序>
体(物質)は、目覚めた意識(心)へ包み込んでいる。
<外在的秩序>
目覚めた意識(心)は、体(物質)へ(包み込んだものを)開いている。
(参考)
「心の病オンライン・ヒーリング」(完全成功報酬型)http://goo.gl/0vUwf3
個人レッスン「仏陀をもう一人」(無料体験可)http://goo.gl/Mtj0nm
「自分を目覚めさせる方法」アマゾンで発売中!http://goo.gl/csmlVo

Thursday, February 25, 2016

自己探求

以下は、ティク・ナット・ハンの自己探求の手法です。

(相互依存の瞑想)
子供の頃のあなた自身の写真を見つけてください。蓮華座か半蓮華座に座禅を組んでください。あなたの呼吸について行くことを始めてください。 20回の呼吸後、あなたの目の前の写真に注意の焦点を合わせ始めます。写真が撮影された時代にあなたができていた五蘊(その年齢時のあなたの、あなたの感情知覚心行意識の物理的特徴)を再現し、もう一度生きてみてください。あなたの呼吸について行くことを続けてください。あなたの記憶にあなたを誘い出させたり、圧倒させないでください。この瞑想を15分間続けてください。かすかな微笑を維持してください。あなたのマインドフルネス(念)現在のあなた自身へ向けてください。今、この瞬間のあなたの体、感情、知覚、心行、意識を意識してください。あなた自身を構成している五蘊を見てください。 「私は誰?」、と質問してみてください。その質問は、軟らかい大地の奥深くに心地良く立ち、水で湿った新しい種子のように、あなたの中に深く根ざしている必要があります。 「私は誰?」の質問は、あなたの推論的な知能で考える抽象的な質問であってはなりません。 「私は誰?」の質問は、あなたの知能に限定されるものではなく、五蘊全体を配慮したものです。知的な答を探し求めようとしないでください。哲学的熟考によって引き離されないように、軽快でも深い呼吸を維持しながら、10分間瞑想してください。

(あなた自身)
自分だけの暗い部屋か、夜一人で川の傍か、ひとりぼっちになれる場所なら他のどこでも、座禅を組んでください。そして、あなたの呼吸をつかまえ始めます。「私は、自分自身を指さすために、私の指を使います」と言って考えを起こし、その後、あなたの体を指さす代わりに、その反対方向を指さしてください。あなたの体の形の外部居るあなた自身を見る瞑想をしてください。あなたの前に存在するあなたの体の形を見る瞑想をしてください。その時あなたは、木や、草や、葉や、川の中に居ます。あなたが宇宙の中に居て、宇宙があなたの中に居ることに注意してください。宇宙が存在するなら、あなたが存在します。あなたが存在するなら、宇宙が存在します。誕生はありません(不生)。死はありません(不死)。(無から有へ)来ることはありません。(有から無へ)行くことはありません。かすかな微笑を維持してください。あなたの呼吸をつかまえてください。10分~20分間瞑想してください。

(あなたの骸骨)
ベッドの上か、マットの上か、草の上かに、あなたが快適なポジションで横になってください。枕を使用しないでください。あなたの呼吸をつかまえ始めてください。あなたの体で残っているのは、大地の表面に横たわる白い骸骨だけだと想像してください。かすかな微笑を維持し、あなたの呼吸について行くことを続けてください。全てのあなたの肉は分解されて無くなり、貴方の骸骨が今、埋葬後80年大地に横たわっていることを想像してください。あなたの頭蓋骨、背骨、肋骨、腰骨、脚や腕の骨、指の骨をはっきりと見てください。かすかな微笑を維持して、非常に軽く呼吸し、あなたの心と頭を穏やかにします。骸骨はあなたではないことを理解してください。あなたの体の形はあなたではありません。命と一つになってください。木や草の中で、他人の中で、鳥や他の獣の中で、の中で、海の波の中で、永遠に生きてください。あなたの骸骨はあなたの一部でしかありません。あなたは、どこでも全ての瞬間に存在しています。あなたは体の形だけでなく、また感情、思考、行動、知識だけでさえもありません。 20〜30分間続けてください。
(ティク・ナット・ハンの「マインドフルネスの奇跡」より抜粋)

(解説)
次の資料は独自の「自己探求」のまとめです。
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
人間には、エゴのみ、エゴと一時的な目覚めた意識(本当の自分)、エゴと常時目覚めた意識、という3種類の状態があります。エゴは、体が自分であると考えています。目覚めた意識は、五蘊(体、感情、知覚、心行、意識)が自分であると理解しています。目覚めた意識が居る時は、マインドフルネス(念)があります。ですから、非二元性があります。しかし、一時的な目覚めた意識が消えてエゴだけになると、失念があります。そして、二元性があります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44812852

ティク・ナット・ハン

Tuesday, February 23, 2016

意識の種子

ティク・ナット・ハンは、心行(精神形成物)の種に関して以下のことを述べました。

「仏陀によると、人間の誕生は始まりではなく、継続であり、私たちが生まれる時、善の種子残酷の種子目覚めの種子のような全ての異なる種類の種子が既に私たちの内部にあります。私たちの中の善か残酷のどちらが顕れるかは、私たちが養う種子、私たちの行動、私たちの生き方に依存するのです。」 (ティク・ナット・ハンの「愛の園」 — マインドフルな関係へのガイド — はじめに より抜粋)
(参考)http://www.lionsroar.com/growing-together/

「怒りは、意識の深い所に所謂「内面のもつれ」と呼ばれるものとして貯蔵されます。このもつれは、恨みや憤りの感情になるものです。それは風邪をひいているようなものです。私たちが病気になった時、正しい薬を摂取しなかったり、誰かにマッサージをしてもらわなかったなら、風邪は私たちの体の奥深くに達して治療するのがはるかに困難になるかもしれません。私たちの怒りが意識に深く達すると、それは私たちが攻撃的な身ぶりや不愉快な振舞をする原因となる可能性のある「内面のもつれ」をそれと知らずに創造します。」 (ティク・ナット・ハンの「一緒に楽しく」より抜粋)

(質問)
なぜどのようにこのようなことが起こるのでしょうか?ティク・ナット・ハンは、以前そのことについて説明したことがあるでしょうか?

(解説)
ティク・ナット・ハンが、私たちは先祖の重荷や才能を背負っていると言ったのを私は覚えています。私たちが先祖人間だけではなく、動物、植物、鉱物も含む)の継続であることは理解できますが、なぜどのようにこの継続が起こるのかを、私は知りたいのです。意識の種子が鍵です。しかしながら、ティク・ナット・ハンが、この継続の仕組みについて言及したのかどうか、私は知りません。その仕組みはまだ科学的に証明されていませんので、ティク・ナット・ハンはまだそのことについて言及していないのかもしれないと、私は推測します。ティク・ナット・ハンは欺かれた仏教を教えたくありませんので、前世までのカルマについての言及には非常に慎重です。ですから、その仕組みなぜ、どのように種子が阿頼耶識に播種されるのか)、及び体と意識の関係各素粒子は意識へ包み込んでおり、意識は体へ包み込んだものを開いている)が科学的に証明された時に、ティク・ナット・ハンはそれについて話し始めるのかもしれません。

(Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-41883334
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44661723
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

ティク・ナット・ハン

Sunday, February 21, 2016

いかに自分自身を愛するか?

次の「いかに自分自身を愛するか?」というティク・ナット・ハンのビデオをご覧ください。


ティク・ナット・ハンは十六念息に従って、この質問に回答しました。私の理解は以下の通りです。

1. 自分自身 = 五蘊 =
 (1) 体
 (2) 感情 
 (3) 知覚
 (4) 心行(精神形成物)
 (5) 意識

* (2) + (3) (4) (5) = 
(2) + (3) (4) = 51 心行
(5) = 感覚意識(五感)+ 顕在意識 + マナス(エゴ)+ 阿頼耶識
    (潜在意識) = 8 意識

2. 自分自身を愛する = 五蘊体、感情、知覚、心行、意識
  世話を良くする

3. 十六念息
(1) 最初の 4 念息: (= 呼吸 + 体)
  ① 長い呼吸に集中することにより目覚めた意識を復活させる
  ② 短い呼吸に集中することにより目覚めた意識を復活させる
  ③ 全身の痛みに気付く
  ④ 全身の緊張を解放する

①, ②: 思考(心)を停止することにより、健康な体を維持する
③, ④: 不健康な体の部分を認識し、静める
呼吸 = 目覚めた意識 = 自分自身 = マインドフルネス(念)

(2) 第二の 4 念息:感情
  ⑤ 生命の奇蹟に触れることにより喜びを発生させる
  ⑥ 生命の奇蹟に触れることにより幸せを発生させる
  ⑦ 苦痛の感情に気付く
  ⑧ 感情の緊張を解放する

⑤, ⑥: マインドフルネスにより健全な感情を発生させる
⑦. ⑧: 不健全な感情を認識し、静める

(3) 第三の 4 念息: (心行 + 意識)
  ⑨ 顕在意識の心行と阿頼耶識の心行の種子に気付く
  ⑩ 選択的水やりにより心行を喜ばせる
  ⑪ 根本原因を理解するために不健全な心行を深く観る
  ⑫ 洞察を通して発生させた思いやりのエネルギーにより
   不健全な心行を変容する

⑨, ⑩: 不健全な種子に水やりせずに、健全な種子を認識して
 水やりする
⑪, ⑫: 集中洞察を通して​​、不健全な心行を認識し、変容する

(4) 最後 4 念息:心の対象 (知覚) 
  ⑬ 全ての心の対象知覚無常の性質を観る
  ⑭ 全ての欲望(考え)の消滅を観る
  ⑮ 全ての現象の不生不死(無我)の性質観る
  ⑯ 全ての概念を投げ捨て、完全な悟り(涅槃)を得る

⑬, ⑭, ⑮, ⑯: 現実の本質(真理)を理解することによって、全ての概念が誤りであることを確信し、全ての概念の絶滅によって完全な悟りを得る
* ティク・ナット・ハンはビデオでは最後の4念息につき言及せず
①~⑫: パート・タイム仏陀①~⑯: フル・タイム仏陀

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post_28.html

ティク・ナット・ハン