Monday, August 10, 2015

非差別、非二元性

次のビデオのティク・ナット・ハンの重要なメッセージは以下の通りです。

(1:08:33~1:13:53をご覧ください)

仏陀は、「はい、その通りです。私たちはただ(外部世界を)旅することによって生と死、悲惨、差別のこの世界から抜け出すことはできません。たとえ、光の速度で移動したとしても」と言いました。しかし、抜け出す方法はあります。それは内面を見ることです。ただ、あなたのこの外見上の肉体を見てください。すると、あなたは抜け出す方法を見つけます。あなたは不生不死、存在も非存在もない世界に触れます。ただ、あなたの体を深く観れば、あなたは不生不死、存在も非存在もない性質に触れます。あなたは旅する必要はありません。ただ、そこで座禅を組んで、観て下さい。瞑想の力、奇跡があります。あなたはただ深く観ること、即ち瞑想によって、この生と死の世界、悲惨、暴力、差別の世界から抜け出します。これは非常に短いですが、素晴らしいお経です。私たちの本質に触れるために、深く観ることについてのお経です。私たちの本質は不生不死の性質であり、それがあるがままの現実​​です。私たちはその本質に触れることができます。

あなたがあなた自身を観れば、相互依存の性質に触れます。あなたは自分だけ一人では存在できません。あなたは世界と相互に依存する必要があります。あなたの中を観れば、水、土、空気、熱を見ます。自分の中に全宇宙を見るのです。あなたが世界であるということです。どうやって、世界が世界から抜け出せるでしょうか?あなたが世界から抜け出せると考えることは、世界が世界から抜け出せると考えることです。それは可能ではありません。それは二元的な思考です。自分が主体であり、自分は(独立した)自己であり、自分は世界ではない、だから自分は世界から抜け出せるとあなたは考えているのです。もし、あなたが世界は自分の中にあり、自分が世界であることを知れば、あなたは二元的な思考から免れます。すると、あなたはもはやそのような欲望や希望、錯覚を持つことはありません。

ですから、科学者はその方向で試みるべきです。もし、彼らが二元的な方向で考え続けるなら、ぐるぐる回るだけです。あなたは自分の中に世界を見て、自分が世界であることを理解する必要があります。私たちの時代の多くの科学者はまだここ(体)の中に意識があると信じて、外部にある現実の世界へ手を伸ばそうとしており、主体と客体、即ち知覚(知覚者と知覚対象)という二元的思考に捉われています。知覚の主体がここ(体)の中にある私たちの意識であり、知覚の対象が外部世界であると考えているのです。仏教ではそれを二重の捉われと呼びます。二つの独立した実体としての、主体と客体の概念にあなたは捉われています。そして、まだそのような障害、つまり二元的思考に捉われているなら、あなたは自由になれません。そして、私たちがお互いに引き起こしてきた苦しみの殆どは、二元的思考、差別が原因です。二元的思考や差別は恐れ、怒り、戦争、互いの根絶をもたらします。ですから、生命を守ることに関する第一のマインドフルネス訓練は非差別、非二元性の洞察に基づいていなければなりません。

あなたが平和を手に入れられるのは、全ての武器を廃止することによってではありません。非武装は根源において実施されるべきです。その根源とは、二元的思考、差別です。それが仏陀の洞察です。正しい思考は、非差別、非二元性に沿っていなければなりません。もし、あなたが非二元性、非差別の方向で考えるなら、もはや怒り、恐れはありません。ですから、その理解、その洞察なしでは、私たちは本当に仏教倫理と称されることはできません。正しい思考とは、もちろん思いやり、理解に沿った思考の一種です。しかし、それは非差別、非二元性の洞察に基づいているのです。もし、あなたが脳は一つの(独立した)物であり、脳によって生じた意識は別物であると考え続けるなら、あなたはまだ二元的思考に捉われています。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-46639122
(55:20 ~ 58:40)https://www.youtube.com/watch?v=Tn9JKMb2ZLo

仏陀