Tuesday, June 28, 2016

条件付けられた心の対象と無条件の心の対象 (3)

以下は、プラム・ビレッジの四十教義の第一及び第二です。

(プラム・ビレッジの四十教義の第一教義
空間無条件の心の対象ではありません。空間は時間物質意識と共に顕現します。」
(空間は独立した存在ではなく、時間、物質、意識と相互依存して共同発生しています。)

(プラム・ビレッジの四十教義の第二教義
歴史的次元では、全ての心の対象条件付けられた心の対象です。究極の次元では、全ての心の対象無条件の心の対象です。」
(時間と空間のある現象界では、全ての現象は独立した存在ではなく、それ以外の全ての現象と相互依存して共同発生しています。時間と空間のない本体の世界では、一切の分離がなく全体性のみですので、全ての心の対象は条件付けられていません。)

(解説)
2) 本体の世界究極の次元)における究極の真理
「非分離、全体性」が、本体の世界における究極の真理です。二元性はありません。ですから、本体の世界、即ち究極の次元においては二元性を超越する必要はありません。それはまた、別の言葉では、「空」と呼ばれています。本体の世界においては、空間と時間がありません。ですから、(物質は)何も存在できず全ての概念の絶滅によって、生と死のような反対のペア(対)はありません。唯一、性質(仏性、神性、目覚めた意識)のみが在り得ます。ここでの非二元性を得る方法は、現実の本質(全体性)の洞察です。全体性は概念によって切り刻めないことを理解する時、私たちは全ての概念が誤りであると確信します。全ての概念は、分離のために、人間のエゴによってでっち上げられました。ですから、私たちは簡単に全ての概念を投げ捨てて非二元性を得ることができます。この非二元性は現象界において「相互に依存して共同発生」を通して得た非二元性とは異なります。なぜなら、AやBの概念が存在しないからです。全体性のみがあります。本体の世界における非二元性は、二元性に基づいてはいないのです。 「非分離、全体性」は、本体の世界において非二元性を得るための唯一且つ完璧な方法であるに違いありません。

般若心経では、本体の世界(究極の次元)における究極の真理は、「是故空中(だから、空においては)」から最後の「般若心経」までに、記載されています。究極の次元は、特に「無苦集滅道」(苦しみはない、(従って)苦しみの原因はない、苦しみの終わりはない、苦しみの終わりへ導く道はない)によって、はっきりと記載されています。それが究極の次元(本体の世界)です。そこには、分離差別、即ち二元性はありません。ですから、もし私たち(目覚めた意識)が究極の次元に住んでいるなら、私たちが苦しむことは不可能なのです。

今、「分離なくして、苦しみは不可能です」の意味を、あなたは理解することができます。本体の世界(究極の次元)においては、苦しみは不可能なのです。ですから(苦しみそのものがないから)、苦しみの原因もないし、苦しみの終わりもないし、苦しみの終わりへ導く道もないのです。

それ故に、「非分離、全体性」は、私たちが完璧な非二元性を得ることを可能にしてくれます。私たちは、全宇宙として、皆同じです。人間だけでなく、全ての動物植物鉱物もまた、全宇宙として同じなのです。私たちはこの非二元性、即ち全体性を通して、完全に自他を分離するのを止めることができます。ですから、あらゆる煩悩が生じる余地は一切ありません。従って、私たちは自分を苦しみから完全に解放することができるのです。

デヴィッド・ボームは、本体の世界と現象界の関係を、以下の通り説明しました。
内在的(包み込まれた)秩序においては、もはや空間と時間は異なる要素の依存性や独立性の関係を決定する支配的な要因ではない。むしろ、空間と時間に関する私たちの通常の概念とは全く異なる種類の要素の基本的な関係が可能である。尚、空間と時間に関する私たちの通常の概念とは、独立して存在する物質的な素粒子、つまりより深い秩序から派生した形として概念化された素粒子の空間と時間に連動した概念のことである。実際には、これらの通常の概念は、外在的(包み込んだものを開いた)秩序と呼ばれているものに現れる。尚、外在的(包み込んだものを開いた)秩序は、全ての内在的(包み込まれた)秩序の一般的な全体性(完全性)内に含まれた特別且つ区別されたである。」

内在的秩序、即ち包み込まれた秩序は、外在的秩序、即ち開かれた秩序(独立した全てのもの)へ(包み込んだものを)開いている。外在的秩序、即ち開かれた秩序(独立した全てのもの)は、内在的秩序、即ち包み込まれた秩序へ包み込んでいる。
歴史的次元(現象界)は、究極の次元(本体の世界)へ包み込んでいる。究極の次元(本体の世界)は、歴史的次元(現象界)へ(包み込んだものを)開いている。

「さて、内在的(包み込まれた)秩序は、私たちが全てのものは全ての人へ包み込んでいるということを理解するのに役立つだろう。それは、単に全てのものが全ての人に依存しているというだけではなく、深い意味では実際に全ての人が全ての人であるということである。よく見て、私たちを構成する全ての物質は地球からやって来て地球へと戻るのだから、私たちは地球そのものだ。

ですから、もし私たちが現象界に深く触れたなら、本体の世界に触れることができます。デヴィッド・ボーム量子物理学を通して説明したのとちょうど同じように、仏陀2600年前に本体の世界(究極の次元)に触れて、全体性(究極の次元における究極の真理)を理解したということは、驚くべきことです。

ところで、現象界(歴史的次元)には、「一般的な真理」と呼ばれるもう一つの真理があります。この真理は、日常生活の中で、ほとんどの人によく知られています。これは、分離、差別、即ち二元性に基づいています。人々は全てのものを次のように見ます。
「AとBは、2つの独立した実体である。
だから、AはBではない
だからこそ、AはAである。」

この二元的な見方は、自他を分離します。この分離から煩悩が生じ、人々を苦しめます。ですから、人々は自分の苦しみを幸福へ変容する必要があるのです。今、「あなたの苦しみを幸福へ変容してください」の意味を、あなたは理解することができます。そして、四聖諦においては、四つの真理の全てが一般的な真理であるということを、私たちは覚えておく必要があります。 

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62010528