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Saturday, July 15, 2017

相互依存と非二元性の洞察

次の「プラム・ビレッジの宝石」に関するタイ・ファップ・ダンの法話ビデオを深くご覧ください。


引用:
(54:00) 相互依存の洞察
あなたが誰かを憎んでいるなら、それはあなたがあなた自身を憎んでいることを意味します。相互依存、相互関連性。あなたの苦しみは彼の苦しみです。あなたの笑顔は彼女の笑顔です。ですから、あなたが彼を罰したいのなら、あなた自身を罰することになります。(中略)ですから、相互依存の洞察(智慧、理解)が非常に重要です。なぜなら、通常私たちは自分のエゴに執着(我執)しているからです。それで、相互依存、相互関連性の洞察を忘れていたのです。私たちは人間レベルでつながっているだけでなく、命の本質レベルでもつながっているのです。

ですから、相互依存の洞察とは、あなたはあなた一人ではないという意味です。ですから、実際には相互依存の洞察は、「無我」の洞察です。 それは仏陀の非常に重要な教えです。(中略)(「無我」とは)独立した存在はないという意味です。相互依存とはそういう意味です。あなたは一人ではありません。 あなたは一人ではあり得ないのです。(中略)ですから、相互依存、相互関連性とはそのような意味です。あなたは一人ではなく、一人ではあり得ませんので、他の人のことを気遣うのです。

(1:01:47) 非二元性の洞察
(1:03:26) 仏陀の教えの一つに、「あなたは彼と異なる」という二つの見方、二重の見方があります。あなたは知覚者であり、彼はあなたの知覚の対象であり、(二者は)異なっています。 これは(主体と客体という)二重の見方を意味します。私たちが二重の見方に捉われるなら、すぐに問題が発生します。あなたは彼を裁き始めます。あなたは彼を箱に入れます。良い僧侶か悪い僧侶か、といった箱です。 私たちは既に問題を抱えており、一緒に暮らすことはできません。

ですから、私たちはこの二重の見方を超越しなければなりません。私はあなたとは違う。私はあなたを裁いています。私が裁判官で、あなたは私の裁判の対象となります。二重の見方の超越は、非二元性、非差別と呼ばれています。あなたは私の心の群れです。あなたは私の心の対象です。そして、もし私が自分の心を変えなければ、私はあなたを変えることはできません。ですから、あなたがサンガの誰かを好きでないなら、あなたの心を変えてください。サンガに好きでない人がいるなら、あなたの心を変えなければなりません。(それが)非二元性。そして、苦しみと幸せも同じことです。幸せを追いかけるために、苦しみを投げ捨てないでください。苦しみが幸せを作るのです。 それはちょうど、を作るゴミ(堆肥)のようなものです。

非二元性とは、たとえ悟りや幸せであっても、何にも執着しないことを意味します。(中略)すると、私たちは二重の執着から解放されるでしょう。仏陀は、その二重の執着を取り除く必要性に言及しました。私たちは常にその二重の執着を持っています。それは非常に深い所にあり、エゴによって制御されています。ですから、裏でエゴがこれらの裁きや差別の全てを行っているのです。エゴが非常に強力なことはご存じですよね。そして、(非二元性の) 非常に強力な洞察が、全ての苦しみの合計を取り除くのに役立ちます。非二元性。私はあなたです。私は私の父です。私は私の先生です。
:引用終わり

(参考) http://goo.gl/BPW8W8

タイ・ファップ・ダン

Friday, July 14, 2017

非二元性の洞察と思いやり

次のタイ・ファップ・ダンによる非二元性と思いやりの洞察についての法話を深く傾聴してください。
http://deerpark.libsyn.com/2017-04-16-thay-phap-dang?tdest_id=113448

(50:15)
私は怒りに反応しません。 
(50:35)
ですから、もし洞察(理解)があるなら、私たちは行動の仕方を知っています。私たちは暴力に耐えることができます。その男が暴力の一部を解放できるように、私たちは身体的な痛みを受け入れることができます。それは非二元性の洞察と呼ばれています。(中略)ですから、非二元性は思いやりのエネルギーを育みます。それが、私たちの社会に必要なものです。もし誰かがあなたを殺すなら、思いやりを使ってください。なぜなら、そうしなければ、私たちは一杯苦しみ、相手も一杯苦しむからです。ですから、私たちに必要なのは、実際には思いやり、つまり思いやりのエネルギーです。天国に入るための入り口、平和、幸福、思いやりを体験するための入り口を忘れないでください。思いやりだけが、苦しみと暴力に満ちたこの社会に対応できるのです。

(解説)
非二元性の洞察とは、「空」(独立した存在の不在)、相互依存、即ち全体性という究極の真理を理解することを意味します。ですから、私たちが非二元性の洞察を得ると、分離も差別もなくなります。私はあなたであり、あなたは私です。あなたの苦しみは私の苦しみであり、あなたの幸せは私の幸せです。この洞察は、平和幸福をもたらす思いやりを発生させます。 

(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

タイ・ファップ・ダンとティク・ナット・ハン

Thursday, February 16, 2017

今、この瞬間の浄土

次の「今、この瞬間の浄土」についての高僧ティク・ナット・ハンによる談話を深くご一読ください。
https://www.lionsroar.com/in-the-pure-land-of-the-present-moment/

(ティク・ナット・ハンへの私の質問)
最初に、ティク・ナット・ハンは、「今、この瞬間の浄土と呼ばれるような場所が本当にあります。その地は空間や時間に限定されていません。仏教用語では、その地は時空の外にあります」と言いました。

最後に、ティク・ナット・ハンは、「それ故に、私たちがマインドフルな呼吸や歩行をするなら、正にその空間と時間にある、今、この瞬間の浄土に戻ることができます」と言いました。 

ですから、「正にその空間と時間」とは、時空の外になければなりません。ティク・ナット・ハンは、「量子物理学の用語では、正にその空間と時間は、非局所的(一つの場所に限定されない)、且つ非時間的(一つの時間に限定されない)です」と言いました。ですから、今、この瞬間の浄土は、現象界(歴史的次元)ではなく、本体の世界(究極の次元)になければなりません。

この意味で(空間と時間がないため)、私たちのは今、この瞬間の浄土で暮らすことはできませんが、目覚めた意識だけが今、この瞬間の浄土で暮らすことができると、私は理解しています。

ティク・ナット・ハンに質問があります。(談話の中では「ある」と発言されていますが)今、この瞬間の浄土に、苦しみや幸せなどの概念はあり得るのでしょうか?本体の世界(究極の次元、涅槃)には、概念は全くないと私は理解しています。なぜなら、ティク・ナット・ハンが私たちに説いた通り、「全ての概念の絶滅が涅槃である」からです。

(浄土で暮らすためのステップ)
私たちが思考を停止できた場合にのみ、浄土で暮らすことができると、私は理解しています。そして、1日24時間浄土で暮らすためのステップは、
(1) 意識的な呼吸、(一時的な悟りのため)
(2) 苦しみの根本原因の洞察、(長続きする悟りのため)
(3) 全ての概念の絶滅、(完全な悟りのため)
でしょう。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-62010528

ティク・ナット・ハン

Thursday, December 8, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問 (2)

ティク・ナット・ハンのフェイスブック・ページへの次の私の投稿をご参照ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/posts/10154349910279635?comment_id=10154350854029635&notif_t=like&notif_id=1480597439075147

最近、ティク・ナット・ハンの教えには矛盾があると私は感じています。私の質問は、「恐れや不安を抱えている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのか?」です。

無条件の自己受容が鍵です。 そのためには、洞察を通して苦しみの根本原因を理解する必要がありますこの点はティク・ナット・ハンもよく理解されています。そしてその洞察のためには、私たちはマインドフルで集中している必要があります。しかしながら、恐れや不安を抱えている人は、意識的な呼吸や歩行を通して、マインドフルになるために思考を止めることはできません。そして、真実はほとんどの人が考えるということであり、これは恐れや不安を抱えている証拠です。 この意味で、意識的な呼吸や歩行だけでは、マインドフルネスは達成不可能と言えます。

ティク・ナット・ハンが私の重要な質問に回答してくれることを私は願っています。私はティク・ナット・ハンの教えを学び実践し始める前に、洞察を通して私の苦しみの根本原因を理解していましたので、これは自分自身のためではありません。ティク・ナット・ハンの回答は多くの彼の信者と実践者に恩恵をもたらすでしょう。

私たちが目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)を復活させるなら、この地球の人間として、私たちは思考なしで存在できます。私(目覚めた意識)は、一日24時間中非思考を体験しています。 言い換えれば、私は一日24時間中、停止し瞑想しています。ティク・ナット・ハンのような完全な悟りを開いている人々もまた同じことを体験しているに違いないと確信しています。そして、あなたは信じないかもしれませんが、熟睡状態の間、あなたは考えることができませんいので、目覚めた意識を復活させています。更には、全ての動物、植物、鉱物は考えませんので、常に目覚めた意識です。

その「もし」は、独立した自己から独立していない自己への自己変容を意味しますので、大きな「もし」です。完全な悟りのためには、全ての概念の絶滅が不可欠です。そのためには、究極の真理である「空」(相互依存、非分離、非差別、非二元性、全体性)を通して、全ての概念(思考)は誤っていることを理解する必要があります。

簡単に言えば、あなたはあまりにも考え過ぎなのかもしれません。考えているのはでしょうか?それは本当の自分ではありません。それは、あなたの両親から自分を守るために、あなたの傷ついた内なる子供(幼少期の本当の自分)によってでっち上げられたエゴ(偽の自分)です。ですから、あなたの幼少期に何が起こったのかを見つけ出す必要があります。それがあなたの恐れや不安の根本原因です。洞察を通して、私は全てのことを一瞬の内に見て、根本原因を理解しました。「(恐れや不安が生じるのは)無理もない!」 というのが私の第一印象でした

(解説)
私の上記質問に対する私の回答は次の通りです。
意図:自分の苦しみにうんざりし、自分を変えたいと強く思う
決意:自己変容
洞察:自分の苦しみの根本原因を理解
無条件の自己受容=無条件の自己愛
煩悩なし:恐れや不安なし
非思考:思考を止める
マインドフルネス、集中、洞察

無条件の自己受容は、マインドフルネスの基盤です。無条件の自己受容なしでは、私たちは思考を止めることができませんので、マインドフルネスは不可能です。無条件の自己受容がなければ、マインドフルネスなし。無条件の自己受容のためには、洞察を通して自分の苦しみの根本原因を理解する必要があります。一度、私たちが自分の苦しみの根本原因の洞察を得ると、私たちはもはや恐れや不安がなくなりますので、思考を止めることができます。ですから、自分の苦しみの根本原因を理解した成果が、マインドフルネスなのです。マインドフルネスは、意識的な呼吸や歩行だけでは達成できません。自分の苦しみの根本原因を理解するためには、私たちは自分の苦しみにうんざりし、強く自分を変えたいと思う必要があります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436


Wednesday, December 7, 2016

ティク・ナット・ハンへの質問 (1)

ティク・ナット・ハンのフェイスブック・ページへの次の私の投稿をご参照ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/posts/10154349910279635?comment_id=10154350854029635&notif_t=like&notif_id=1480597439075147
最近、ティク・ナット・ハンの教えには矛盾があると私は感じています。 私の質問は、「恐れや不安を抱えている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのか?」です。私の理解するティク・ナット・ハンの教えは次の(1)の流れに基づいており、私の経験は次の(2)の流れに基づいていますので、この質問をしたいのです。

(1) マインドフルネス = 思考を止める ⇒ 集中 = 深く観る ⇒ 洞察 = 根本原因(現実の本質)を理解する ⇒ 愛と思いやりを発生させる ⇒ 変容

(2) 根本原因(現実の本質)を理解する = 洞察 ⇒ 無条件の自己受容 = 無条件の自己愛 ⇒ 恐れや不安なし ⇒ 非思考(考えない) ⇒ マインドフルネス 

上記の2つの流れを要約すると、

(1) 苦しみの根本原因を理解するためには、マインドフルネス(思考を止めること)が不可欠。

(2) 思考を止める(マインドフルになる)ためには、根本原因を理解することが不可欠。

以下が私の投稿です。
恐れや不安を持っている人は、どのようにして本当の自分に戻ることができるのでしょうか?彼らは自分の恐れや不安の根本原因を理解していない限り、意識的な呼吸や歩行を試みても、思考を止めることはできません。苦しみを認識し、抱きしめ、軽減し、深く観るためには、まず考えを止める必要があります。

誰が思考(脳)を観察するのでしょうか? それは目覚めた意識である、と私は理解しています。思考を止めることができた(脳の使用を止めることができた)場合にのみ、目覚めた意識が復活します。目覚めた意識はただエゴ(独立した自己)によって覆い隠されていただけなのです。これは私の経験です。ですから、脳(おそらく左脳)が思考を止めることはできると、私は確信しています。 言い換えれば、人間は考えることなく、ただ花のように咲くことができるということです。考えることなく、目覚めた意識は常に洞察を得ます

私の上記質問に対する私自身の回答は、次の通りです。私たちは苦しみにうんざりし、自分自身を変えたいと強く思う必要があります。そうすれば、苦しみの根本原因の洞察を得る機会が増えます。一度、私たちがその洞察を得ると、もはや私たちには恐れや不安がなくなりますので、無条件に自分を受け容れ、思考を止めることができます。ですから、恐れや不安を抱えている人には、思考を止めてマインドフルになるために、意識的な呼吸や歩行は機能しないのです。

(つづく)

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

Monday, December 5, 2016

誰がトランプ?(1)

ドナルド・トランプ次期大統領に関する次のインタビュー記事を深くご一読ください。 http://www.vox.com/science-and-health/2016/11/22/13638374/buddhist-monk-mindfulness
以下は、記事から抜粋した重要な語句です。

引用:
心を家として見てみましょう。もし、あなたの家が火事なら、火をつけた人を探しに行くのではなく、火に対処する必要があります。ですから、まずはその感情(恐れ)に対処してください。 それは優先事項です。なぜなら、恐れ不安怒りから来るものは全て、その火を悪化させるだけだからです。これらの感情の炎を冷やすために、自分自身(独立していない自己、本当の自分)に戻って、穏やかで平和な場所を見つけてください。

集合的エネルギーとして、恐れや怒りは非常に破壊的なものになり得ます。もし、恐れ、怒り、誤った知覚に基づいているなら、私たちは誤った決断をします。これらの感情は私たちの心を曇らせます。ですから、仏教の伝統から学ぶ実践の第一事項は、自分自身(独立していない自己、本当の自分)に戻って、自分の感情に対処することです。 私たちは感情を認識するために、マインドフルネス(念)を使います。

怒りと怒りのエネルギー全てが変化を生み出すと、人々は確信しています。 しかし、あなたは対立しますので、実際には怒りとそのエネルギーは非常に破壊的です。対立はエネルギーを浪費します。対立は癒しにはなりません。

ある意味、私たち仏教徒は個性よりもエネルギーを見ます。 その方が、私たちがより賢くなるのに役立ちます。

思いやりは、あなたの部屋でじっと座っているものではありません。思いやりは、実際に非常に積極的で社会参画するものです。

私たちがトランプを生み出したのですから、共同責任を負っています。 私たちの文化、社会が彼を作ったのです。(中略)私たちは彼を、私たちの中に見る必要があります。

他の名前(トランプ)を叫ぶことによって(他人のせいにすることによって)、あなたは差別を終わらせることはできません。彼(トランプ)に投票した人々が皆、偏狭な人、人種差別主義者、女性嫌いというわけではありません。 私たちは皆、一方的な判断をしがちであり、時には少々人種差別主義者ですらあります。

私たちの社会は非常に二極化しており、非常に脆弱ですが、それをメディアは悪用しています。 私たちは本当に注意する必要があります。私はもうメディアに騙されはしません。

私は当時、ベトナムで子供でした。 私はこのような分離システムの下、生きていました。彼らは私たちを分離し、北と南と呼びました。私たちが欲しかったのは、独立と自身の生計を決定することだけでした。 私たちは民主主義が最高のものだと考えています。しかし、それ(分離システム)は民主主義ではないですよね。 私たちはそれ(分離システム)を他人に強制的に押し付け分裂を引き起こしているのです。

自然に避難しに行って、あなたの心が消極的で絶望的だと感じない原因を見つけてください。 これはです。

憎しみと怒りにあなたの世界を奪わせないでください。

あなたが安定しているなら、その優しさを彼らに提供するためにただそこに居ることができます。 あなたが憎しみや恐れで満たされているなら、彼らを助けることはできません。人々が必要としているものは、あなたの恐れがないこと安定性堅実さ透明さです。 これが、私たちの提供できるものです。

(つづく)
:引用終わり

(参考)
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10153883939529635/?type=2&theater
http://www.huffingtonpost.com/entry/zen-and-the-art-of-activism_us_58a118b6e4b094a129ec59af

タイ・ファップ・ダン

Wednesday, November 2, 2016

「空」と般若心経 (2)

次の10月15日のブログをご参照ください。
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
私は以下の通り述べました。
引用:
般若心経では、次の4行が非常に有名です。

「色不異空」:物は空に他ならない。
「空不異色」:空は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空である。
「空即是色」:即ち、空は物である。

しかし、これらの4行の前に、次の4行が欠けていると、私は感じます。 

「若此有則彼有」:それが有るからこれが有る。
「若色有則空有」:空間が有るから物が有る(存在できる)。
「若空有則色有」:物が有るから空間が有る。
それ故に、

ですから、理解しやすくするために以下の通り、「空」を「空間」に置き換えた方が良いでしょう。

「色不異空」:物は空間に他ならない。
「空不異色」:空間は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空間である。
「空即是色」:即ち、空間は物である。
:引用終わり

上記は、現象界、即ち歴史的次元における究極の真理です。本体の世界、即ち究極の次元とは何の関係もありません。私は今、以下の通り、般若心経で有名な4行はまた、現象界と本体の世界の間の関係も説明していると感じます。


「若色有則空有」:本体の世界が有るから現象界が有る
「若空有則色有」:現象界が有るから本体の世界が有る。
なぜなら、本体の世界は現象界へ(包み込んだものを)開いている。(現象界は本体の世界からできている。)
そして、現象界は、本体の世界へ包み込んでいる。(本体の世界は現象界からできている。)

ですから、下記の通り、現象界と本体の世界の間の関係を表現するために、「物」を「現象界」と置き換え、「空」を「本体の世界」と置き換えることが可能です。

「色不異空」:現象界は本体の世界に他ならない。
「空不異色」:本体の世界は現象界に他ならない。
「色即是空」:即ち、現象界は本体の世界である。
「空即是色」:即ち、本体の世界は現象界である。

現象界はこの世界を意味し、本体の世界は涅槃を意味します。ですから、最終的には般若心経で有名な4行は以下の通り、読み取ることができます。

「色不異空」:この世界は涅槃に他ならない。
「空不異色」:涅槃はこの世界に他ならない。
「色即是空」:即ち、この世界は涅槃である。
「空即是色」:即ち、涅槃はこの世界である。

しかし、般若心経で有名な4行を上記の通り読み取ることができるようになるには、「大きな条件」があります。私たちが目覚めた意識、即ち本当の自分(独立していない自己)を復活させる場合にのみ、私たちは般若心経で有名な4行の真の意味を理解することができるのです。なぜなら、目覚めた意識だけが時間と空間を超越することによって、この世界(現象界)と涅槃(本体の世界)を同時に生きることができるからです。エゴ、即ち独立した自己は、現象界だけに生きていますので、真の意味を理解することは決してできません。更には、般若心経で有名な4行は、以下の通り説明され得るでしょう。

「色不異空」:体は阿頼耶識に他ならない。
「空不異色」:阿頼耶識は体に他ならない。
「色即是空」:即ち、体は阿頼耶識である。
「空即是色」:即ち、阿頼耶識は体である。

Sunday, October 16, 2016

二元論的概念と三解脱門 (2)

ティク・ナット・ハンの三解脱門に関する次の記事を深くご一読ください。http://www.lionsroar.com/the-doors-of-liberation-may-2014/
以下は、鍵となる表現です。

引用:
2. 無相
しるしは、何かの外観、そのを示します。私たちは、しるしに基づいて物を認識しますが、しばしば、物の外形に騙されます。仏陀は「しるしがある所には、騙しがある」と言いました。

存在から非存在へ通過することは不可能です。あなたの最愛の人はまだどこかにいます。もし、あなたが「無相」の智慧を持っているなら、あなたはまだあなたの最愛の人を新しい形で認識することができます。

私たちは正に今持っている体、思考、感情だけではありません。私たちの体が崩壊した後、私たちが生み出した全ての思考、言葉、行動は継続します。私たちは、もはや存在しなくなると心配する必要はありません。私たちの形は変わりますが、何も失われることはありません。

3. 無願
無願」とは、あなたの追求の目標として、あなたの前に何も設定しないことを意味します。あなたが探し求めているものは、あなたの外部にはありません。それは既にここにあります。あなたは既にあなたがなりたいものです。無願に集中することは、将来的、且つ他場所の物事に対するあなたの憧れ渇望を解き放ちます。

あなたは全生涯生きているのではなく、走っているのかもしれません。あなたは幸せ、愛、ロマンス、成功、または悟りを追い求めているのかもしれません。「無願」に集中することは、あなたの追求、あなたの目標の対象を取り除くことで構成されています。

この洞察は、あなたが走ることを止めるのに役立ちます。あなたが走ることを止める場合にのみ、あなたが探してきた充足感と幸福を得ることができます。(中略)あなたは宇宙の顕現です。あなたはただそれだけで素晴らしいです。

私たちは、目標を持たなければ、どこにも到達しないと考えるように教えられています。しかし、私たちはどこへ向かっているのでしょうか?私たちは、生まれて死ぬ前に何かを達成しなければならないと考えます。(中略)受胎の瞬間の前でさえ、子供の種は他の形で存在していました。誕生時点は、継続の瞬間です。(生命の)始まりはありません。

私たちは誕生の時、非存在から存在へと通過したと信じており、死亡の時、存在から非存在へと通過して戻ると信じています。存在と非存在の私たちの概念を深く観ると、全ての物の「空」と「無相」に気付いて、私たちは全ての物の不生不死の(生まれることも死ぬこともない)性質の現実に触れます。

私たちが解脱門を歩いて通り抜ける時、全ての概念を絶滅させます。恐れの必要はもはやありません。もし、波がの中で休む方法を知っているなら、波は上昇するのを楽しみ、下降するのを楽しみます。波は存在と非存在を恐れていません。波は到着と出発を恐れていません。波は自分の中の海に触れることができます。三解脱門は、私たちが波と何ら違いはないということを思い出させてくれます。つまり、「空」であり、「無相」であり、いかなる瞬間においても私たちの中の究極の生得に触れることができるということを。
:引用終わり

(解説)
に触れる」とは、「全宇宙、目覚めた意識、無自性自己、即ち本当の自分に触れることを意味します。そして、エゴ、独立した(自性)自己、即ち偽の自分に例えられています。私たちに必要なのは、自分自身をエゴから目覚めた意識へと変容することだけです。言い換えれば、私たちに必要なのは、自分の中の目覚めた意識を復活させることだけです。最高の手法はマインドフルネスであると、私は理解しています。しかし、世界中に偽のマインドフルネスを非常に多く私は目にします。正しいマインドフルネスは、私たちが思考を停止するのを可能にしなければなりません。あなたは、 「あなたは考えますか?」と尋ねることによって、あなたのマインドフルネスの先生をチェックすることができます。もし、あなたの先生が、「はい」と答えたなら、その先生はのマインドフルネスの先生です。もし、あなたの先生がのマインドフルネスの先生ならば、その先生は「いいえ、私は何も考えずに洞察を得ます」、と答えなければなりません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B00WBP308Q

ティク・ナット・ハン

Saturday, October 15, 2016

「空」と般若心経

般若心経では、次の4行が非常に有名です。

「色不異空」:物は空に他ならない。
「空不異色」:空は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空である。
「空即是色」:即ち、空は物である。

しかし、これらの4行の前に、次の4行が欠けていると、私は感じます。 

「若此有則彼有」:それが有るからこれが有る。
「若色有則空有」:空間が有るから物が有る(存在できる)。
「若空有則色有」:物が有るから空間が有る。
それ故に、

ですから、理解しやすくするために以下の通り、「空」を「空間」に置き換えた方が良いでしょう。

「色不異空」:物は空間に他ならない。
「空不異色」:空間は物に他ならない。
「色即是空」:即ち、物は空間である。
「空即是色」:即ち、空間は物である。

仏陀は、非分離、非差別、即ち非二元性という究極の真理の方程式を説きました。簡単に言えば、仏陀の方程式は、「A = 非A(A以外) = B だから、Aは存在できる」ということです。逆に、二元性に基づく一般的真理の方程式は、「A ≠ 非A(A以外) ≠ B なので、Aは存在できる」ということです。

言い換えれば、仏陀の理解は「この現象界における反対の全てのペア(対)は、表裏一体である」ということです。以下はその例です。

が有るからが有る。
が有るからが有る。
が有るからが有る。
が有るからが有る。
非存在が有るから存在が有る。
出発が有るから到着が有る。
終わりが有るから始まりが有る。
異質が有るから同一が有る。
苦しみが有るから幸せが有る。
それが有るからこれが有る。
Bが有るからAが有る。
Bなしでは、Aは不可能です。
Aは、Aではない要素(= B)からできています。

AとBは全て、自分を守るために人間のエゴによってでっち上げられた概念です。そして、全ての概念は、分離差別、即ち二元性を引き起こします。ですから、煩悩が生じて人が苦しむのです。この意味で、人間のエゴの無知から生じる全ての苦しみは、私たち自身の創造物です。それ故に、私たちは全ての概念を投げ捨てる必要があります。全ての概念の絶滅が達成された時、即ち二元性が超越され、非二元性が得られた時、私たちは涅槃に到達します。ですから、「空」は二元性を超越し、非二元性を得るための巧みな手段に過ぎません。もはや、分離差別はありません。しかし、私たちは非二元性を得るやいなや、「空」の概念を投げ捨てることを忘れてはなりません。

Friday, October 14, 2016

二元的な概念と三解脱門 (1)

ティク・ナット・ハンの三解脱門に関する次の記事を深くご一読ください。http://www.lionsroar.com/the-doors-of-liberation-may-2014/
以下は、鍵となる表現です。

引用:
生と死、存在と非存在、同一と異質、到着と出発、などの二元的な概念は、全ての煩悩の基盤です。三解脱門を瞑想することは、私たちがこれらの概念を投げ捨てるのを助けます。

全ての仏教の伝統において説かれている三解脱門とは、「空」、「無相」、「無願」です。これら三つの深遠な真理を瞑想することは、恐れや苦しみから私たちを解放するのを助けることができます。これらは、自由に達する道です。

マインドフルに集中して生きることによって、私たちはより深い現実を観て、恐れ、怒り、絶望なしに「無常」を目の当たりにすることができます。

涅槃は、今すぐ私たちの手に入ります。私たちが三解脱門を瞑想するなら、三解脱門は私たちが本質に触れることができるように、全ての差別的な思考の類から私たちを解放しますので、「空」、「無相」、「無願」は、三解脱門と呼ばれています。

1. 「空」
「空」は哲学ではありません。「空」は現実の説明です。

ちょうど、意識が常に何かの意識であるのと同様に、「空」は常に何かの空(からっぽ)です。

草、花、私たちの内面と周囲の全てのもの、及び私たち自身は、一つのもの、即ち「別々の独立した存在」が空(からっぽ)なだけです。

仏教の教えにおいて、「空」の最も簡単な説明は、次の一文です。「それがあるから、これがある。」花は、花だけでは存在できません。存在するとは、相互に依存していることのみを意味し得ます。自分一人だけで存在することは不可能です。

このように観ていくと、全ての物が「空」の性質を有するということを観始めます。時々、「空」の性質は「無我」と呼ばれます。

私たちが何かを考える時、私たちはその考えです。私たちと私たちの思考は独立していません。私たちが何かを言う時、その言葉が私たちです。言葉の外に話す人はいません。私たちが何かをする時、私たちの行動が私たちです。行動の外に行為者はいません。

ちょうど、私ではない要素のみから私ができているのと同様に、仏陀は仏陀ではない要素のみからできています。 

私たちが、お辞儀する人とお辞儀される人は双方が空(独立した自己が空っぽ)であるということを理解できた時に、意思疎通が完璧になります。これが瞑想です。

私たちが、如何にしてその子供があんな風に行動できるのかを理解できない場合は、子供は独立した自己(エゴ)を有していないことを覚えておくと助けになります。

怒りや執着を持っている人ではなく、この理解を持っている人を私たちの周囲に見うけられた時、(それは「空」の瞑想が引き寄せた結果ですので)私たちは「空」を瞑想する果実を楽しみます。
:引用終わり

(解説)
全ての概念は分離、差別、即ち二元性を引き起こします。ですから、煩悩が生じて人々は苦しむのです。全ての概念は、全てのアイデア、思考、知覚、見方、信念、言葉、言語等と同じです。これらの全ては、自分を守るために、人間のエゴによってでっちあげられます。しかし、私たちが自他を分離した場合、苦しむというのが真実です。ですから、これらはむしろ自己破壊的です。ですから、仏陀は私たちが分離、差別、即ち二元性を止めることを可能にする「空」を説いたのです。 

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B00WBP308Q

ティク・ナット・ハン

Wednesday, September 28, 2016

深いメッセージ

次のポッド・キャスト(音源)を0:00~2:05迄深く傾聴してください。
http://tnhaudio.org/2013/11/16/horse-technology/
以下は、ポッド・キャストからの抜粋です。

引用:
鐘 半音1 + 全音3回)

「サンガは、呼吸に戻るよう招かれています。マインドフルネスの集合的エネルギーが私たちを生物として一つにすることができるように、川として流れ、もはや分離することなく、サンガ全体が一体として呼吸できるように、一体として詠唱できるように、一体として傾聴できるように、ごまかしの自己の境界を超越し、優越感、劣等感、平等感という強迫観念から解放することによって。」

:引用終わり

(解説)
1. 「サンガは、呼吸に戻るよう(鐘に)招かれています。」

「私たちの呼吸に戻る」とは、自分自身に戻るために「私たちの吸う息と吐く息に注意を集中し、思考を停止する」ことを意味します。ですから、私たちの呼吸が自分自身なのです。言い換えれば、自分自身とは、目覚めた意識無自性(独立していない)自己本当の自分全宇宙仏陀、即ちを意味します。

2. 「マインドフルネスの集合的エネルギーが私たちを生物として一つにすることができるように、」 

私たちが自分自身に戻る場合にのみ、マインドフルネスの集合的エネルギーを発生させることができます。そのマインドフルネスの集合的エネルギーは癒し、滋養する非常に強い力を持っています。ですから、私たちは一つの生物になることができるのです。私たち一人一人は、もはや自性(独立した)自己ではありません。私たちは全宇宙として、無自性(独立していない)自己です。

3. 「川として流れ、」 

一滴の水は、とは非常に異なります。なぜなら、一滴の水は蒸発するかもしれませんが、川は蒸発することなく海へ到達できるからです。ですから、私たちは川として流れる必要があるのです。川とはサンガ(実践のための共同体)を意味します。

4. 「もはや分離することなく、」 

分離とは、一滴の水、即ち自性(独立した)自己を意味します。非分離とは、川、即ち無自性(独立していない)自己を意味します。分離、差別、即ち二元性は煩悩や苦しみの根源です。

5. 「サンガ全体が一体として呼吸できるように、一体として詠唱できるように、一体として傾聴できるように、」 

一体とは、法身(ダルマ体)宇宙体、即ち全宇宙を意味します。私たち一人一人が無自性(独立していない)自己に戻る時、私たちは一体になることができます。 一体として、もはや分離はありません。全てのことを一体として行うと、全てが肯定的になりますので、調和を創造できます。

6. 「ごまかしの自己の境界を超越し、」 

ごまかしの自己とは、自性(独立した)自己、即ちエゴを意味します。エゴは自分を守るために、自他を分離します。私たち一人一人は、分け隔てなく無条件に受け容れられていますので、その境界はもはや必要ではありません。ですから、私たちはその境界を超越できるのです。

7. 「優越感、劣等感、平等感という強迫観念から解放することによって。」 

エゴは、「私は特別、別格」という誤った見方を持っています。それが優越感劣等感平等感という強迫観念を引き起こします。一度、私たちがその境界を超越したなら、解放され自由を得ます。この段階で、私たちは一時的な仏陀になることができます。

(メッセージと要望)
戦争、テロ、殺害など全種類の暴力は、人間のエゴによる分離、即ち差別によって引き起こされます。ですから、利己的、傲慢且つ強欲な政治家、テロリスト、殺人者は、世界の平和と幸福のために、エゴから目覚めた意識へと変容される必要があります。ティク・ナット・ハンは仏陀の様に、70年以上もの間、そのような人々を説き、変容を助けることに貢献してきました。今、私はいかなる宗教も使用することなく、いかなる宗教団体に所属することもなく、同じ目的のために同じことを実行することによって、ティク・ナット・ハンを継続したいです。全ては私たち自身の創造ですので、より良い世界へ変えるために、私たちは自分自身を変える必要があります。より多くの仏陀(悟りを開いた人)を育成することが、唯一の解決策となるでしょう。ですから、私は自分の経験と実践に基づく非宗教的な教育を通して、もう一人の仏陀の育成することから始めたい所存です。私のビジョンに賛同して戴ける場合、皆さまの金銭上のご支援を戴ければ誠に幸甚です。ご提案やご質問がございましたら、電子メール(宛先:compassion5155@gmail.com)を送信願います。前もって、皆様のご協力にお礼申し上げます。 土山仁士

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

 「一人の仏陀では十分ではありません」 ティク・ナット・ハン

Sunday, August 7, 2016

オリンピック

リオ・デ・ジャネイロ夏季オリンピックは、次のティク・ナット・ハンの重要なメッセージを思い出させてくれます。ビデオを深くご覧ください。
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html

私はティク・ナット・ハンに完全に同意します。全種類の競争比較は、分離差別、即ち二元性を引き起こします。ですから、煩悩が生じ、人は苦しむのです。ほとんどの人は、競争が自己破壊であることを認識していません。

ティク・ナット・ハンが言った通り、唯一の解決策は、巨大な集合的目覚めであるに違いありません。誰もが自分自身を、エゴ(独立した自己)から目覚めた意識(独立していない自己)へ変容する必要があります。エゴ(独立した自己)は、知覚し考えます。全ての知覚思考は、分離差別、即ち二元性を引き起こします。ですから、煩悩が生じ、人は苦しむのです。一方、目覚めた意識(独立していない自己)は、考えずに洞察を得ます。ですから、煩悩が生じることなく、生命の奇蹟に触れることによって、人は喜びと幸せを発生させることができるのです。

目覚めた意識が得る洞察は、非差別、非分離、即ち非二元性の智慧です。全てのものは、それ以外の全てのもの、即ち全宇宙からできています。ですから、あなたは私の中にいて、私はあなたの中にいます。私はあなたであり、あなたは私です。この非分離、非差別、非二元性、包括性、即ち全体性が、私たち、即ち全宇宙を救うでしょう。

マインドフルネス目覚めた意識を復活させる手法であり、マインドフルネスと集中洞察を得る手法です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

プラム・ビレッジの仏像

Tuesday, August 2, 2016

目覚めた意識 = 仏陀

次のLION'S ROAR(ライオンのうなり声)編集スタッフによる「愛 + 智慧 = 仏陀」の記事を深くご一読ください。
http://www.lionsroar.com/love-wisdom-buddha/
以下はその抜粋と私のコメントです。

(抜粋)
中国人は、「shunyata」を説明できる言葉を探した結果、「空」の文字を使いました。全ての心の対象(ダルマ)は、空のように空っぽです。青い、美しい、広大な、そして鳥、風、雲、太陽、月、飛行機を迎え入れる準備が常にできている空。

(私見)
私なら、「空」「空(そら)」ではなく、「空間(スペース)」を意味すると言うでしょう。空間スペース)があるから、全てのダルマ(物 = 現象 = 世界 = 心の対象 = 知覚)があります。言い換えれば、全てのものは独立した存在が空(から)です。空間スペース)がなければ、何も物は存在できません。

(抜粋)
全ての現象は、縁起の産物です。縁起は、般若波羅蜜多(智慧の完成)の教えの要点です。これは、私たちが全ての現象の性質である、不生不死、存在も非存在もないといった本質と通ずるのに役立ちます。

(私見)
「縁起」、即ち「相互に依存して共同発生」は、二元性を超越するための巧みな手段です。それはまだ二元性に基づいていますので、それはまだ歴史的次元(現象界)における究極の真理です。ですから、それは究極の次元(涅槃、本体の世界)における究極の真理ではありません。「相互に依存して共同発生」を通して、生と死は表裏一体であると言うことはできますが、不生不死(生まれることも死ぬこともない)と言うことはできません。全ての概念の絶滅、即ち涅槃(究極の次元)を通してのみ、私たちは現実の本質に触れることができるのです。

(抜粋)
これは、正に生活の中で、あなた自身の体の中で、あなた自身の五蘊(体、感情、知覚、心行、意識)の中で、経験され得る冷静平和非恐怖状態です。それは涅槃です。 

(私見)
非恐怖は、全ての概念の絶滅、即ち涅槃を通して得られます。ですから、生と死は概念に過ぎず全ての概念が誤りであることを理解する必要があります。そして、涅槃究極の次元、即ち空間と時間のない本体の世界を意味します。ですから、目覚めた意識、独立していない(無自性)自己、本当の自分、法身(宇宙体)、即ち仏性だけが、涅槃に住むことができます。非分離、非差別、非二元性、即ち全体性が究極の次元の性質です。(そもそも、完全な悟りを開いていない、実体験していない人(エゴ)が涅槃を説明するのには無理があります。)

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハン