Saturday, July 2, 2016

幸せを育むための5つの実践

次の「幸せを育むための5つの実践」に関するティク・ナット・ハンのアドバイスをご一読ください。
http://www.lionsroar.com/5-practices-for-nurturing-happiness/?utm_content=buffer4b54c&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=Pema+SIP

以下は、ティク・ナット・ハンのアドバイスと私の解説です。

「幸せを楽しむことができるようになるということは、苦しみを全くなくすことを要しません。実際には、幸せの技術はまた、上手に苦しむ技術でもあります。私たちが苦しみを認識し、抱きしめ理解することを学ぶ時、私たちははるかに少なく苦しみます。それだけではなく、私たちは更に先へ行き、自分のため及び他のために、私たちの苦しみを理解、思いやり、喜びへ変容することができます。」

(解説)
上記は、苦しみと幸せが二つの独立した実体とみなされていますので、歴史的次元(現象界)における一般的な真理に基づいています。それは二元性です。ですから、思考が依然として存在します。私たちがマインドフルな間だけ、思考を停止し、私たちの苦しみを認識し、抱きしめ理解し、変容することができるということです。四聖諦もまた一般的な真理に基づいていることを、私たちは覚えておく必要があります。

「私たちが口を開いて「苦しみ」と言うやいなや、同様に苦しみの反対も既にあることを知っています。苦しみがある所には、幸せがあります。

(解説)
一方、歴史的次元における究極の真理は、苦しみと幸せは表裏一体であるということです。苦しみと幸せは、相互に依存して共同発生しています。ですから、苦しみは幸せに他ならず、幸せは苦しみに他ならないのです。それは、二元性に基づく非二元性です。

更には、究極の次元(本体の世界)における究極の真理は、概念によって引き起こされる分離なしには、苦しみや幸せは不可能であるということです。それは、究極の次元における全ての概念の絶滅によります。究極の次元には、苦しみや幸せなどの概念は一切ありません。それが涅槃です。それが全体性です。それが純粋な非二元性です。ですから、この状態においては全く思考はありません般若心経は究極の真理に基づいていることを、私たちは覚えておく必要があります。

「なぜ仏陀は瞑想し続けたのでしょうか?
私が若い僧侶だった時、なぜ仏陀は既に完全な悟りを開いた後でさえ、マインドフルネスと瞑想を実践し続けたのだろうかと不思議に思いました。今、その答は理解するのに十分簡単であると私は気付きます。幸せは、他の全てのものと同様に無常であるということです。幸せが広げられ取り戻されるためには、あなたはあなたの幸せを養う方法を学ぶ必要があります。食物なしで生き残ることができるものは、幸せを含めて何もありません。もし、あなたが幸せを養う方法を知らないなら、あなたの幸せは枯れてしまいます。もし、あなたが花を摘んだものの、それを水に入れなければ、その花は数時間で枯れるでしょう。

たとえ、幸せが既に顕現しているとしても、私たちはそれを養い続けなければなりません。これは時にコンディショニング(条件付け)と呼ばれており、非常に重要です。私たちは、手放すこと、肯定的な種子を招くこと、マインドフルネス集中洞察の5つの実践で、私たちの心と体を幸せへと条件付けることができます。

(解説)
幸福と苦しみは、極性(両極)であって、平和(中道)ではありません。幸福と苦しみは、ただの概念です。ですから、仏陀は幸せよりもむしろ平和を好んだに違いないと、私は感じるのです。そして、平和を得る方法は瞑想です。瞑想(停止、休息、沈静、癒し、滋養)を通して、仏陀は莫大な生命エネルギーマインドフルネス、集中、洞察、思いやり)と平和を得ることができました。それ故に、仏陀は既に完全な悟りを開いた後でさえ、マインドフルネスと瞑想を実践し続けたに違いありません。究極の次元、涅槃、即ち平和の中で、仏陀は休んでいたかったに違いありません。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

ティク・ナット・ハン