Monday, September 28, 2015

デヴィッド・ボーム (5)

次のビデオをご覧ください。デヴィッド・ボームの言っていることは、正に仏陀が「空」によって説いたことと同一です。


完全性:現実への可干渉的なアプローチ – デヴィッド・ボーム (5)

アインシュタインは最終的に、全てのものは一つの場であり、全ての場が合併したものであるという場の理論の見解の方へ動きましたので、それは完全性への第一歩でした。それはわずかな一歩でしたが、それでもそれは始まりでした。

完全性はあなたがたどり着ける場所ではありません。完全性は生命全体への態度、または取り組み方のようなものです。それは一つの方法です。私たちが現実への可干渉的な取り組み方を持つことができるならば、現実は私たちに可干渉的に応答するでしょう。

しかし、自然は途方もなく、私たちの地球に対する考え方に影響を受けてきました。自然は今、破壊され続けています。私たちがどのように考えていたかによって、影響を受けなかったものは地球上にはほとんど残されていません。

私たちが可干渉的な取り組み方を持つことができるなら、意図しない結果ではなく、むしろ意図する結果を生み出すでしょう。それが最初の大きな変化です。その後、私たちはよりきちんとし、調和がとれ、より幸せになるでしょう。私たちはそこに全てのことを集約できると思います。しかし、不幸の主な根源は、私たちが可干渉的でないことであり、それ故に、私たちは自分が本当に欲さない結果を生み出しているのであり、本当に欲さない結果を生み出し続けながら、その結果を克服しようとしているのです。」

デヴィッド・ボーム; 1990年、アムステルダム
「変化する経済において芸術が科学と精神性に出会う」会議にて

「デヴィッド・ジョセフ・ボーム(1917 - 1992)はアメリカの理論物理学者であり、量子論、心の哲学、神経心理学に革新的かつ伝統を破る着想を与えた。彼は20世紀の最も顕著な理論物理学者の一人であるとみなされている。」

(ウィキペディア)

アインシュタインもデヴィッド・ボームも全てのものは一つであるという結論に到達しました。言い換えると、全ての生命は一つであり、現実は切り刻むことができない完全性を持つということです。しかしながら、(エゴの)人間は、分割してはならないものを考えや概念や言葉で無理やり切り刻みますので、現実の本質に触れることができません。全てのものは相互に依存し浸透し合っていますので、独立して存在することはできないにも拘わらず、無理やり分離し独立させてしまっています。もちろんその結果、無意識に自己破壊を続け、実は自分が創造した色々な問題の克服に追われているという、正にマッチポンプの愚かなパターンにはまっています。仏陀は、「空」で独立した存在の不在を説き、独立した自己であるエゴを手放すように助言しました。その手法として仏陀が提案したのが、意識(本当の自分)を今ここに呼び戻して思考(エゴ)を停止し、心身を結合するマインドフルネスです。尚、完全な悟りには、更に概念の絶滅が不可欠であり、そのためにはあるがままの現実の本質に触れるための集中と洞察が必要です。

(注) 括弧書きの中は私の解説です。

(おわり)

(参考)
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS