Friday, April 8, 2016

愛の共同体の構築 (2)

次の「愛の共同体の構築」に関するティク・ナット・ハンの教えを、深くご一読ください。 http://www.lionsroar.com/bell-hooks-and-thich-nhat-hanh-on-building-a-community-of-love/?blm_aid=24265
以下は抜粋です。

引用:
ベル・フックス:マーティン・ルーサー・キングは、皆さんは愛する勇気を持たねばならないと、皆さんは愛するために正しい行いをするという心の底からの意志を持たねばならない、と言いました。簡単なことではありませんが。

ティク・ナット・ハン:マーティン・ルーサー・キングは兄弟として、友人として、リーダーとして、私たちの中に居ました。彼はその愛を生き生きしたまま維持することができました。あなたが彼に触れる時、彼の理解と愛は全てを彼の方へ抱き寄せるのに十分でしたので、あなたは菩薩に触れているのです。彼は共同体に彼の洞察を伝送しようとしましたが、多分私たちは十分にそれを受け取りませんでした。彼は私たちに彼の善良非二元性といった最高のものを伝送しようとしていました。しかし、私たちは人間としての彼に余りにもしがみついていましたので、彼が教えていたことの本質を私たちの共同体にもたらしませんでした。ですから今、彼はもはやここにはおらず、私たちは途方に暮れています。彼がしていた重要な伝送は、権力権限地位の伝送ではなく、ダルマ(法)の伝送であったことに私たちは気付く必要があります。ダルマ(法)とはを意味します。

ベル・フックス:ですから、あなたは彼のから学ぶだけで十分か?、あなたは彼に会わねばならないのではないか?出会いがなくてはならないのではないか?と人は言います。

ティク・ナット・ハン:実際は、真の先生は私たちの中に居ます。あなたは既に自分の中に洞察を持っていますので、良い先生とは、あなたが自分の中の真の先生に戻って触れるのを助けることができる人です。仏教ではそれを仏性と呼びます。あなたは仏性をあなたに転送する誰かを必要としませんが、多分あなたが自分の中で機能している目覚め(悟り)や理解の性質に触れるのを助けることができる友人をあなたは必要としています。

ですから、良い先生は、あなたが自分の中の先生のところへ戻るのを助けることができる人です。良い先生はさまざまな異なる方法でそれを行うことができます。良い先生は物理的にあなたに会う必要はありません。私が会ったことがない多くの本物の生徒を私は持っていると感じます。その多くは修道院にいて、決してそこから外出することはありません。その他の本物の生徒は刑務所にいます。しかし、多くの場合、彼らは私に毎日会う人よりもはるかに良く教えを実践しています。それは本当です。彼らが私のを読んだり、テープを聞く時、彼らは自分の中の洞察に触れることができますが、彼らは現実には私に会ったことがありません。それが本当の出会いです。

ベル・フックス:私たちがどのように正義に満ちた世界を愛することを学ぶのかについて、あなたの考えを知りたいです。

ティク・ナット・ハン:これは非常に興味深い話題です。これは仏陀にとって非常に重要な問題でした。私たちがどのように正義を見るかは、私たちの深く見る実践に依存します。正義とは誰もが平等であること、同じ権利を持つこと、同じ種類の利益を共有していることであると、私たちは考えるかもしれませんが、多分私たちは無我の観点から正義の性質を見る機会がなかったのです。その種の正義は、我の考えに基づいていますが、無我の観点から正義を探求すると非常に興味深いものになるかもしれません。

ベル・フックス:人生の中で、時には全てのものは平等ではありませんので、平等でない時に正義を持つとは何を意味するのでしょうか?

ティク・ナット・ハン:平等なくして正義は可能でしょうか?

ベル・フックス:平等なくとも正義は可能であると、私は信じています。思いやりと理解があるから。

ティク・ナット・ハン:(あなたの言うことは)分かりました。それでは、誰が不平等を創造したのですか?

ベル・フックス:えーと、不平等は私たちの心の中にあると私は考えます。

ティク・ナット・ハン:そうですね(あなたの心が創造したのです)(笑)。
:引用終わり

(解説)
このインタビュアーは、しばしば「考える」や「信じる」のような言葉を使います。考えたり信じたりする人は、エゴです。目覚めた意識、即ち仏性は考えることなく、洞察を得ます。ですから、インタビュアーは自分がエゴであることを認識していません。インタビュアーは「正義」について質問し、「平等なくとも正義は可能である」と言いました。正義は自他を分離する我(エゴ)の言葉であると、私は理解しています。我(エゴ)とは心、即ち思考です。もし、私たちが自他を決して分離しない目覚めた意識なら、分離、差別、即ち二元性はありません。私はあなたです。あなたは私です。すると、分離する必要がありません。 「正義」の言葉は、分離のためのものであり、自分を守るためのもの、自己正当化のためのものです。それ故に、目覚めた意識は「正義」の言葉を必要としません。ですから、私たちは真の愛を発生させるために、目覚めた意識に戻る(目覚めた意識の復活)必要があるのです。そして、真の愛は私たちの理解(洞察)に基づくのであり、勇気や心の底からの意志に基づくのではありません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KZJ34KO
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/notice-of-building-awakening-sangha.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/01/notice-of-session-format-change-of.html

キング牧師とティク・ナット・ハン