Wednesday, April 20, 2016

ティク・ナット・ハンの豪州訪問ドキュメンタリー

次の「ティク・ナット・ハンのオーストラリア訪問ドキュメンタリー」を深くご覧ください。


以下は抜粋です。

引用:
* 21:11~
人々は瞑想行動を区別することに慣れているかもしれません。しかし、仏教においては、瞑想と行動は分離され得ないと私は思います。瞑想することは、あなたの体、感情、知覚の中だけでなく、(外部)世界においても、何が起こっているかに気付くことです。なぜなら、(外部)世界はあなたの心の対象だからです。もし、あなたが何が起こっているかを知っているなら、状況を改善すべくその状況を変えるために行動することをどうして回避できるでしょうか?

例えば、私がお寺で座禅瞑想をしていて、ちょうど12年前のベトナムの状況のように爆撃を受けて、私の周囲で人々が泣き、多くの苦しみを味わっているなら、あなたはその苦しみを理解します。ですから、あなたは苦しんでいる人たちの所へ行って助けるために、寺から外へ出て行かなければならないのです。そして、私たちはベトナムでそれをずっとやってきました。つまり、あなたと一心同体で苦しみの状況にある人々を助けるために、仏教徒は行動する理由を瞑想しながら、目覚めた意識で生きようとするという意味です。それ故に、その種の仏教は、「社会参画仏教」と呼ばれています。社会参画仏教は、戦争中に非常に現実的な価値があります。人々は(戦後も)苦しみ続けていますので、社会参画仏教は今日においても現実的であり続けています。

* 35:55
意識的な呼吸の第一機能は、全ての思考を断ち切るために、全ての失念を断ち切るために、今、この瞬間に戻ることです。過去や未来は刑務所を設立し、私たちを引き裂き続けます。意識的な呼吸は、あなたがこれらの(自分を引き裂く)力から解放され、今この瞬間に戻るために、立ち去りたいことを意味します。そして、(意識的な呼吸の)その他機能は思考を停止することです。時々、私たちは考え過ぎます。
(中略)
思考は考えでしかありませんので、最高のものではないかもしれません。一方、あなたの呼吸と一緒に居ること花と一緒に居ること太陽光の目覚めた意識と一緒に居ることの方が、思考よりもっと生気を与えてくれます。それ故に、私たちは選択する必要があります。私たちが自分のなりたいものを選択するのです。そして、当分の間、私たちは自分の呼吸になりたいです。

呼吸は何とかして私たちの体と心を繋ぎ、これら二つの分離された部分を再び一つにする媒体です。それ故に、呼吸は私たちの存在の一体感を実感できます。そして、瞑想を実践することは、生き生きとするために一つになることです。生き生きとする能力とは今、この瞬間において生命と接触する能力です。

息を吸って、私は自分の体と心を静めます
息を吐いて、私は微笑みます
今、この瞬間に生きながら、
今が素晴らしい瞬間であることを、私は知っています。

* 45:04
「皆さん、ただ私たちを観察し、私たちの匂いを嗅ぎ、私たちをお楽しみください。私たちの全特性が展示されています。」

* 48:15
あなたが世界へ贈ることができる最高の贈り物は、あなたの幸せあなたの内面の平和である、と私は思います。平和になるために他の人に親切にすること自然や他の人と調和することは、あなたが平和のためにできる最大の貢献である、と私は思います。ただ(自分が)平和であることが、(世の)平和のための最大の貢献であるという意味です。すると、(平和へと)続くあらゆる行動が非常に有意義になるでしょう。しかし、あなた自身の中に平和がないなら、あなたのその笑顔、その慈しみはなく、あなたがする全てが和解の価値を持たないでしょう。

それ故に、仏教の瞑想を実践することは、呼吸笑顔座禅の方法で自分自身の中に平和を生じさせることであり、そうすることでそのような実践から、私たちの平和の喜びの源を湧き出させることができます。そして、あなたが外に出て人に会う時(平和の喜びの源が湧き出ていると)、あなたは(相手の中の)慈愛受容理解と出会います。私はそれが平和の基盤であると思います。そして、あなたが本当に理解しているなら、その種行動(自分自身の中に平和を生じさせる呼吸、笑顔、座禅)を避けられなくなり、それが世界を変えるのに役立つでしょう。それ故に、あなたが正しく座禅を組み正しく実践するならば、瞑想ホールで座禅を組むことは非常に劇的な平和活動かもしれません。
:引用終わり

(解説)
(1)
有名なフランス人哲学者(デカルト): 「思う、ゆえにあり。」
馬:「あんたがだって?」

この会話は面白いですが、非常に深いです。(馬の質問に対する)回答は「エゴ」です。エゴ(我)は考える、ゆえにエゴ(我)あり。(本当の自分である)目覚めた意識は決して考えません。もし、エゴ(我)が考えるなら、目覚めた意識(真我)なし。 (我思う、ゆえに我なし。

(2)
聴きます、聴きます
この素晴らしい鐘の音は
私を連れ戻してくれます
私の本当の自分)へ

この詩の最後の単語は、通常、「自分」ではなく、「」です。しかし、このビデオの中ではティク・ナット・ハンは、「自分」と言いました。ですから、「本当の家」とは「本当の自分」を意味することは明白です。そして、「本当の自分」とは、「独立していない自己」、「目覚めた意識」、「全宇宙」、即ち「宇宙体(法身)」のことです。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハン