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Sunday, September 11, 2016

物質的な科学と精神的な科学

次のウィリアム・A・.ティラー(スタンフォード大学材料工学の名誉教授)のビデオを深くご覧ください。





ウィリアム・A・.ティラーは、スタンフォード大学材料工学の名誉教授です。彼は趣味として30年以上にわたって、心理エネルギー論の分野の真剣な実験的且つ理論的研究を進めてきました。彼はまた、「科学と人間の変容」の著者でもあります。 
(Wikipedia) https://en.wikipedia.org/wiki/William_A._Tiller
(HP) http://www.tillerinstitute.com/

(解説)
ウィリアム・A・.ティラーが目に見えない精神的なエネルギーを測定しようとしていることは非常に興味深いことです。もし、彼が精神的なエネルギーを科学的に証明することに成功したなら、彼の研究は、「明日の物理学」の不可欠な部分になるかもしれません。

しかしながら、彼は仏教のマスターに、意識が肉体の死後に継続するかどうかを質問したいと言いました。このことは、彼が心と体の不生不死の性質を理解していないことを示しています。彼はまた、意識はより密度が高い物質へ入る精神の副産物であると言いました。このことは、彼が体と意識間の真の関係を理解し​​ていないことを示しています。彼が究極の真実を理解した上で、更なる研究を続けることを願っています。

Friday, April 22, 2016

死後の生 (2)

次の「死後に生はあるか?」という質問に対する、ティク・ナット・ハンの回答を深くご視聴ください。


以下は抜粋です。

引用:
科学者たちは既に、生も死もないことを表明しました。何も創造されず、何も失われないのです。あるのは変容のみです。ですから、変容は可能であり、現実です。そして、誕生や死は現実ではありません。あなたが誕生や死と呼ぶものは変容でしかないのです。(中略)あなたが青空を見ると、あなたの見ていた雲はもう見当たりません。あなたはその雲が死んだと考えます。しかし、実際には、その雲は雨などの形で、常に継続しています。ですから、誕生と死は表面的にしか見られていないのです。あなたが掘り下げ、深掘りするなら、誕生も死もありません(不生不死)。あるのは継続のみです。そして、あなたが継続、つまり不生不死の性質に触れた時、あなたはもはや死を恐れることはありません。

仏教徒だけが不生不死について語っているのではなく、科学もまた不生不死について語っています。両者は自分たちの研究成果を交換できます。それは非常に興味深いことです。これは、自分の不生不死の性質に触れることができるように、私たちがより深く人生を生きるための招待状です。そして、ティク・ナット・ハンの回答は、実践するための招待状でしかないことを私は知っています。私たちは、起こっていることに深く接することができるように集中して、よりマインドフルに人生を生きる必要があります。すると、不生不死という現実の本質に触れる機会を私たちは得ます。そして、それは仏教においては「涅槃」の用語で説明されています。涅槃とは不生不死のことです。

そして、キリスト教ではそれを「究極」、「神」と呼ぶかもしれません。神は、不生不死という私たちの本質です。私たちは神を見つけに行く必要はありません。神は私たちの本質なのです。それは波のようなものです。波は自分が誕生と死にさらされると信じています。そして、波が上昇して下降し始める度に、波は死を恐れます。波は死ぬことを恐れているのです。しかし、波が自分は水であると実感したなら、もはや死を恐れはしません。上昇する前、波は水です。下降する時、波は水です。そして、下降した後も、波は水であり続けます。死はありません。

ですから、波が瞑想し、自分は波であると同時に水でもあることを実感することが非常に重要です。そして、波が自分は水であることを知る時、もはや死ぬことを恐れはしません。波は上昇して素晴らしいと感じ、下降しても素晴らしい感じます。波には恐れがありません。そして、雲もまた同様です。雲は死ぬことを恐れていません。雲は、自分が雲でなくなるなら、雨や雪のような雲と同じ位美しい他のものになれることを知っています。

ですから、波は水を探しに行きません。波は今、ここで水ですので、水を探しに行く必要はありません。同じことが神についても当てはまります。私たちは神を探す必要がありません。私たちが神なのです。神が私たちの本質なのです。あなたは涅槃を探しに行く必要はありません。涅槃は私たちの下地です。それが仏陀の教えです。私たちのかなりの人数が、そのことを実感できてきています。私たちは今、この瞬間を楽しみます。私たちは自分が死ぬのは不可能であることを知っています。
:引用終わり

(解説)
現象界の(人間を含む)全てのものにとっては、形を変えることによる継続しかありません。何も創造され得ず、何も破壊され得ません。そして、質量・エネルギー保存の法則 (E=mc2) に従って、エネルギーと質量の総和は生態系内において保存されます。それ故に、生と死は人間によって創造された概念に過ぎないのです。真実は、生まれることも死ぬこともないのです(不生不死)。あるのは継続のみです。全てのものは異なる形で永遠に継続するのです。 

ティク・ナット・ハンはこの究極の真理を深く理解しているのですが、一般的な真理(生と死の概念を使用することにより)を使用して、相互依存、即ち「空」に基づき、死後の生について説明しました。現象界(空間と時間内の外部世界)では、反対のペア(両極)は、独立した存在が空であり、相互に依存して同時発生しています。言い換えれば、両極は表裏一体なのです。ですから、死があるなら、生も同時にあります。それは、雲の死は雨の誕生であるというようなものです。雲と雨は両方共水です。雲と雨はただ異なった形で継続するだけなのです。水は決して死ぬことはなく、決して生まれることもありません。水は常に水です。

そして、同じことが人間にもまた言えます。私たちは、水、空気、土、太陽光のような全宇宙でできていますので、人間は常に全宇宙です。私たちが不生不死という究極の真理を理解したなら、全ての概念を投げ捨て、完全な悟りを開くことができます。一方、本体の世界(空間と時間のない内部世界)では、時空がありませんので何も存在することはできません。目覚めた意識(仏性または神性)のみが空間と時間を超越できますので、両方の世界を同時に生きることができるのです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42868476
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html

ティク・ナット・ハン

Thursday, April 21, 2016

死後の生 (1)

次の「死後に生はあるか?」という質問に対する、ティク・ナット・ハンの回答を深くご視聴ください。


以下は抜粋です。

引用:
生は常に死と同時にあります。(生は死の)前にあるだけでなく。そして、生は死と分離され得ません。生がある所には、死があります。死がある所には、生があります。

そして、これは少々瞑想を要します。仏教において、私たちは「相互依存」について話します。それは、あなたが自分だけでは存在できないことを意味します。あなたはもう一方の側と相互に依存する必要があります。それは、左と右のようなものです。もし、右がないなら、左は存在し得ません。もし、左がないなら、右は存在し得ません。右から左を取り除くことはできません。左から右を取り除くことはできません。(中略)左と右は一緒にいたいのです。なぜなら、他方なしでは、あなたは存在し得ないからです。それは非常に明白です。上と下のように。もし、下がなければ、上は存在し得ません。それが、仏教で私たちが「相互依存」と呼んでいるものです。双方が同時に存在しなければならないのです。

ですから、神が「光あれ」と言うと、光は「えーと、私は待たねばなりません。神よ、私は待つ必要があります」と言いました。「でも、あなたは何を待っているのですか?」 「闇が一緒に顕現するのを私は待っているのです。なぜなら、光と闇は相互依存しているからです。」すると、神は「闇は既に存在しています」と言いました。そこで、光は「そうであるなら、私(光)は既に存在しています」と言いました。

ですから、それは善と悪、前と後、こことあそこ、あなたと私についても言えます。あなたなしでは私は存在できません。蓮の花は泥なしでは存在できません。泥がなければ、蓮は存在し得ないのです。苦しみのないところに、幸せはありません。死のないところに、生はありません。

生物学者が人体を観察する時、生と死は人体の中で同時に起こることを理解します。生と死は人体の中で同時に起こることを彼らは理解するのです。正にこの瞬間に、何千もの細胞が死んでいます。あなたがこんな風に引っ掻くと、多くの乾燥した細胞が下に落ちます。彼らは死んだのです。そして、多くの細胞が日常生活のあらゆる瞬間に死んでいます。あなたは超多忙ですので、あなたが死んでいることに気付きません。細胞が死ぬなら、あなたが死んでいるのです。あなたはまだ死ぬことはなく、死ぬには50年から70年後まで待たねばならない、と考えています。それは違います。死は将来いつかのことではなく、死は正に今、正にここにあります。ですから、死は今、ここで、あらゆる瞬間に起こっているのです。

そして、幾つかの細胞の死があるからこそ、他の細胞の誕生が可能なのです。ですから、多くの細胞が今、この瞬間に生まれています。そして、私たちは彼らのために誕生祝いを企画する時間がありません。ですから、事実は科学的に言うと、あなたは既に誕生と死が今、この瞬間に起こっているのを見ることができるということです。細胞の死があるからこそ、細胞の誕生が可能です。細胞の誕生が可能ですから、細胞の死が可能なのです。生と死は、存在するために互いに寄り掛かっています。

ですから、あなたは瞬間毎に死んで、生まれることを経験しています。あなたがその瞬間(誕生日)にだけ、生まれたとは思わないでください。あなたの出生証明書に書かれたその瞬間は、単なる一つの瞬間というだけです。そして、それは最初の瞬間ではありません。その瞬間の前に、あなたが既にそこに存在していた瞬間がありました。あなたがあなたの母親の子宮の中で身ごもられる前に、あなたは別の形で、既にあなたの父親の中とあなたの母親の中にいたのです。ですから、誕生というものはなく、本当には始まりも終わりもありません。

ですから、私たちが誕生と死はいつも同時であることを知った時、もはや死ぬことを恐れはしません。なぜなら、死の瞬間には、誕生もまたあるからです。誕生は死と共にやって来ます。そこで、死と誕生を分離することはできません。これは非常に深い瞑想です。あなたはあなたの脳だけで瞑想すべきではありません。あなたは、日常生活の中で生を観察する必要があります。すると、あなたは全てのものにおいて、生と死が相互に依存していることを理解します。木々、動物、天候、物質、エネルギー(等の全てにおいて)。
:引用終わり

(解説)
現象界の(人間を含む)全てのものにとっては、形を変えることによる継続しかありません。何も創造され得ず、何も破壊され得ません。そして、質量・エネルギー保存の法則 (E=mc2) に従って、エネルギーと質量の総和は生態系内において保存されます。それ故に、生と死は人間によって創造された概念に過ぎないのです。真実は、生まれることも死ぬこともないのです(不生不死)。あるのは継続のみです。全てのものは異なる形で永遠に継続するのです。 

ティク・ナット・ハンはこの究極の真理を深く理解しているのですが、一般的な真理(生と死の概念を使用することにより)を使用して、相互依存、即ち「空」に基づき、死後の生について説明しました。現象界(空間と時間内の外部世界)では、反対のペア(両極)は、独立した存在が空であり、相互に依存して同時発生しています。言い換えれば、両極は表裏一体なのです。ですから、死があるなら、生も同時にあります。それは、雲の死は雨の誕生であるというようなものです。雲と雨は両方共水です。雲と雨はただ異なった形で継続するだけなのです。水は決して死ぬことはなく、決して生まれることもありません。水は常に水です。

そして、同じことが人間にもまた言えます。私たちは、水、空気、土、太陽光のような全宇宙でできていますので、人間は常に全宇宙です。私たちが不生不死という究極の真理を理解したなら、全ての概念を投げ捨て、完全な悟りを開くことができます。一方、本体の世界(空間と時間のない内部世界)では、時空がありませんので何も存在することはできません。目覚めた意識(仏性または神性)のみが空間と時間を超越できますので、両方の世界を同時に生きることができるのです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42868476
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html

ティク・ナット・ハン

Thursday, March 17, 2016

アインシュタインの普遍的な愛の力

これまでに見た中で最も美しい手紙をどうぞご覧ください。

引用:
私が相対性理論を提案した時、私を理解してくれた人は殆どいませんでした。そして、人類へ伝えるために私が今から明かすこともまた、世界中で誤解や偏見と衝突することになるでしょう。

私の以下の説明を受け容れるのに十分なだけ社会が進歩する迄、数年なのか、数十年なのか、必要なだけ長く、この手紙を守るよう頼みます。

これまでに科学が正式な説明をできていない、極めて強力な力があります。それは他の全てを含み、支配する力であり、宇宙で作用しているあらゆる現象の背後にさえもあり、まだ私たち科学者によって証明されていません。この普遍的な力とは、愛です。

科学者たちが、宇宙の統一理論を探した時、最も強力な目に見えない力を忘れてしまいました。愛は、愛を与え、受け取る人々に注ぐ光です。愛は、人々に他への魅力を感じさせますので、重力です。愛は、私たちが持つ最高のものを乗じてくれ、人間性(思いやり)が盲目のわがままに絶え果てないようにしてくれますので、力です。愛は、(包み込んだものを)開き、(隠されていた物を)見せます。愛のために、私たちは生き、そして死にます。愛は神であり、神は愛です。

この力は、全てを説明し、生命に意味を与えてくれます。これは、私たちがあまりにも長きに亘って無視してきた変数なのです。それは多分、愛は人間が意のままに操縦することを学ばなかった宇宙における唯一のエネルギーですので、私たちは愛を恐れていることが原因です。

愛に可視性を与えるために、私の最も有名な方程式に単純置換をしてみました。もし、E = mc2の代わりに、世界を癒すエネルギーは、愛に光の速度の二乗を乗じたものを通して得ることができる(E = lc2、エネルギー = 愛×光の速度2)、ということを私たちが受け容れたなら、愛は無制限ですので、愛が実在する最も強力な力であるという結論に到達します。

私たちにそむいた宇宙の他の力の使用と制御において人間性が衰弱した後、私たちは別の種類のエネルギーで自分自身に滋養を与えることが急務です。

私たちが自分たちの種に生き残って欲しいなら、私たちが人生の意味を見いだすことになっているのなら、私たちが世界とそこに生息する全ての衆生を救いたいなら、愛が唯一の答えです。

多分私たちはまだ、愛の爆弾、つまり地球を荒廃させる憎しみ、利己主義、強欲を完全に破壊するのに十分強力な装置を作る準備ができていません。

しかしながら、各個人は自分の中に、小さいながらも強力な愛の発電機を運んでおり、そのエネルギーは解放されるのを待っています。

愛するリーセルよ、私たちがこの普遍的なエネルギーを与え、受け取ることを学ぶ時、愛は全てを征服し、何から何まで超越できることを私たちは肯定するでしょう。それは、愛が生命の真髄であるからです。

私の心の中にあることをずっと表現することができていないことに、私は深く後悔しています。それは、静かに私の全生涯あなたを捜してきたということです。多分、謝るには遅すぎるのですが、時間は相対的なものですので、私はあなたを愛しており、あなたのおかげで私は究極の答に到達できたことをあなたに言っておく必要があります!

あなたの父、アルバート・アインシュタイン
:引用終わり

(アインシュタインは、普遍的な愛の力についての手紙を彼の娘に書きました。その手紙は1980年代に、彼が異なる人々へ書いた千通を超える他の手紙と一緒に公開されました。しかし残念ながら、この手紙は明らかな偽造に該当するようです。私はその事実を知らずに、心の底から以下のアインシュタインへ宛てた手紙を書きました。)

(アインシュタインへの私の手紙)
                                                                   2016年3月14日
親愛なるアルバート・アインシュタイン様

あなたの娘さんへ宛てた、普遍的な愛の力についての手紙を読む機会を与えて戴き、お礼申し上げます。あなたがまだ異なる形(エネルギー及び/又は物質)で生きていることを私は気付いていますので、私の謝意を表するために、あなたにとって貴重な情報を共有致します。

私は普遍的な愛の力について、ほとんどあなたに同意します。あなたが現象界の究極の真理に加えて、本体の世界の究極の真理も理解されていたことを知り、私は大変嬉しいです。それは、あなたが外の世界だけでなく、内面の世界についても研究されていた証拠です。

普遍的な愛の力はまだ、科学者によって証明されていないとあなたは言いました。しかし、仏陀は2,600年前にそれを(実践的に)証明し、それを発生させる方法を発明しました。そして、ティク・ナット・ハンは、生涯を通してそれを発生させる方法を教えてきました。あなたは自分の前世の間にティク・ナット・ハンに会って、彼の教えを学びたかったであろうことを私は確信します。

「愛は、(包み込んだものを)開き、(隠されていた物を)見せます。愛のために、私たちは生き、そして死にます。愛は神であり、神は愛です」と、あなたは言いました。「愛は、(包み込んだものを)開き、(隠されていた物を)見せます」については、デヴィッド・ボームは量子物理学で現象界と本体の世界の関係を以下のように説明しました。 「内在的秩序、即ち包み込まれた秩序は、外在的秩序、即ち独立したあらゆるものへ(包み込んだものを)開いています。外在的秩序、即ち開かれた秩序は、内在的秩序、即ち(包み込まれた秩序である)全体性へ包み込んでいます。」手短に言えば、外在的秩序(現象界)は、内在的秩序(本体の世界)の顕現であるということです。

「愛のために、私たちは生き、そして死にます」については、あなたがなぜ「存在と非存在」(生と死)について述べてのか、私には分かりません。なぜなら、あなたはE = mc2を通して「存在も非存在もないこと」(不生不死)を科学的に証明されたからです。何も創造され得ず、何も破壊され得ません。あるのは、異なる形での継続のみです。あなたは娘さんの理解のために、一般的真実(人間がでっちあげた概念)に基づく言葉を使用したのではないかと私は推測します。

愛は人間が意のままに操縦することを学ばなかった宇宙における唯一のエネルギーであると、あなたは言いました。前述の通り、仏陀は愛を意のままに操縦することを習得していました。彼の手法は、マインドフルネス、集中、洞察と呼ばれています。そして、愛は理解(洞察)を通して発生され得ます。理解(洞察)は深く見ること(集中)を通して得られます。そして、深く見ること(集中)は、マインドフルネスによって可能です。マインドフルネスは、マインドフルな呼吸、マインドフルな歩行、マインドフルな座禅等を通して得られます。マインドフルネスは、私たちが自分自身をエゴ(独立した自己)から目覚めた意識(独立していない自己、本当の自分)へ変容することを可能にしてくれます。

私は、E = lc2(エネルギー = 愛×光の速度2:世界を癒すエネルギーは、愛に光の速度の二乗を乗じたものを通して得ることができる)というあなたの方程式に同意します。ティク・ナット・ハンはこのエネルギーを、集合エネルギーとして説明しています。共同体(サンガ)の多くの実践者がマインドフルネスのエネルギーを同時に発生させた時、集合エネルギーが莫大になります。この集合エネルギーを、あなたの 「愛に光の速度の二乗を乗じたもの(愛×光の速度2)」として説明することができます。

「私たちがこの普遍的なエネルギーを与え、受け取ることを学ぶ時、愛は全てを征服し、何から何まで超越できることを私たちは肯定するでしょう」と、あなたは言いました。私は完全にあなたに同意し、私たちは今、ここで、この普遍的なエネルギーを与え、受け取る方法を学ぶことができることを喜んでお知らせします。なぜなら、仏陀の教えはそれを行うのに十分以上のものだからです。

私の手紙を読んで、あなたが安心されたことを私は願っています。そして、あなたが人間としての来世で、「E = lc2」(エネルギー = 愛×光の速度の二乗)を科学的に証明されることを私は確信しています。この地球上の全人類を目覚めさせるその日を、私は楽しみにしています。継続(誕生)日おめでとうございます、アルバート・アインシュタイン!

あなたの友、土山仁士

(解説)
誰がこの手紙を書いたのか、本当に疑問です。一つだけ言える​​ことは、この作者はアインシュタインの名前を使用することにより私たちを騙しましたので、作者は正直でフェアではないということです。この意味で、この作者はエゴです。 ですから、この作者は愛を発生させる方法を認識していなかったのです。

(参考)http://www.trueactivist.com/read-a-letter-einstein-wrote-to-his-daughter-about-the-universal-force-of-love/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+TrueActivist+%28True+Activist%29
http://www.huffingtonpost.com/katharine-rose/the-truth-behind-einsteins-letter-on-the-universal-force-of-love_b_7949032.html
http://www.snopes.com/quotes/einstein/universalforce.asp

アインシュタイン

Tuesday, February 23, 2016

意識の種子

ティク・ナット・ハンは、心行(精神形成物)の種に関して以下のことを述べました。

「仏陀によると、人間の誕生は始まりではなく、継続であり、私たちが生まれる時、善の種子、残酷の種子、目覚めの種子のような全ての異なる種類の種子が既に私たちの内部にあります。私たちの中の善か残酷のどちらが顕れるかは、私たちが養う種子、私たちの行動、私たちの生き方に依存するのです。」 (ティク・ナット・ハンの「愛の園」 — マインドフルな関係へのガイド — はじめに より抜粋)
(参考)http://www.lionsroar.com/growing-together/

「怒りは、意識の深い所に所謂「内面のもつれ」と呼ばれるものとして貯蔵されます。このもつれは、恨みや憤りの感情になるものです。それは風邪をひいているようなものです。私たちが病気になった時、正しい薬を摂取しなかったり、誰かにマッサージをしてもらわなかったなら、風邪は私たちの体の奥深くに達して治療するのがはるかに困難になるかもしれません。私たちの怒りが意識に深く達すると、それは私たちが攻撃的な身ぶりや不愉快な振舞をする原因となる可能性のある「内面のもつれ」をそれと知らずに創造します。」 (ティク・ナット・ハンの「一緒に楽しく」より抜粋)

(質問)
なぜ、どのようにこのようなことが起こるのでしょうか?ティク・ナット・ハンは、以前そのことについて説明したことがあるでしょうか?

(解説)
ティク・ナット・ハンが、私たちは先祖の重荷や才能を背負っていると言ったのを私は覚えています。私たちが先祖(人間だけではなく、動物、植物、鉱物も含む)の継続であることは理解できますが、なぜ、どのようにこの継続が起こるのかを、私は知りたいのです。意識の種子が鍵です。しかしながら、ティク・ナット・ハンが、この継続の仕組みについて言及したのかどうか、私は知りません。その仕組みはまだ科学的に証明されていませんので、ティク・ナット・ハンはまだそのことについて言及していないのかもしれないと、私は推測します。ティク・ナット・ハンは欺かれた仏教を教えたくありませんので、前世までのカルマについての言及には非常に慎重です。ですから、その仕組み(なぜ、どのように種子が阿頼耶識に播種されるのか)、及び体と意識の関係(各素粒子は意識へ包み込んでおり、意識は体へ包み込んだものを開いている)が科学的に証明された時に、ティク・ナット・ハンはそれについて話し始めるのかもしれません。

(Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-41883334
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44661723
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

ティク・ナット・ハン

Thursday, February 18, 2016

脳と目覚めた意識

次のビデオをご覧ください。


コメント:
脳は幻想(錯覚)を創造します。ですから、現実は脳により知覚され得ません。現実は目覚めた意識(潜在意識)によってのみ触れられます。鍵は、思考(考える)か非思考(考えない)かです。なぜなら、私たちが考えたなら、心の投影(幻想)を見るからです。心の主体は心の対象と同じです。つまり、知覚者は知覚されるものなのです。もし、私たちが思考を停止する(考えるのを止める)なら、自分自身を脳(エゴ)から目覚めた意識へと変容できます。すると、私たちはあるがままの現実に触れることができるようになります。主体と対象間の区別はなくなります。なぜなら、目覚めた意識は対象と一つになることができるからです。目覚めた意識は、常にマインドフルネス(念)と集中によって洞察を得ます。例えば、たとえ私たちの脳が目を通して星を見て、星の存在は現実であると考えたとしても、目覚めた意識は、星が1000光年前に消滅したかもしれないという洞察を得ます。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

ティク・ナット・ハンの書

Friday, February 5, 2016

私たちはあるがままの現実を見ているか?

次のビデオ「私たちはあるがままの現実を見ているか?」をご覧ください。

以下は、本ビデオに対する私のコメントです。 

私の理解は次の通りです。
* 現実の知覚 = 錯覚(エゴによる)
* 現実の洞察 = 現実(目覚めた意識による)

デヴィッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依存する」と言いました。ですから、全ては「私たちが誰であるか」に依ります。私たちがエゴ(独立した自己)なら、私たちは考えており、私たちが見るものは私たちの心の投影、即ち幻想です。一方、私たちが目覚めた意識(非分離自己)なら、私たちは考えておらず、あるがままの現実に直接触れることができます。言い換えれば、私たちは主体と対象間で区別をせずに、現実と一つになるということです。

仏陀は、自分が知覚するものに騙されないようにと、私たちへ助言しました。仏陀は、「知覚があるところには、騙しがある」と言いました。仏陀はまた、私たちの知覚のほとんどが誤っており、私たちの苦しみのほとんどは誤った知覚から来ていると、多くの場面で教えました。そして、誤った知覚はエゴの思考(脳)によって引き起こされるのです。

デヴィッド・ボームはまた、「意識はお金よりはるかに重要である。意識の変化が不可欠である」と言いました。その通りであり、私たちはたったの吸う一息で、意識をエゴから目覚めた意識へ変容することができます。そして私たちは、仏陀やティク・ナット・ハンのように、マインドフルネス、集中、洞察を通して、​​常に目覚めた意識(潜在意識)であり得ます。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

デヴィッド・ボーム

Thursday, February 4, 2016

正見と正思惟

八正道では、正見がある時には、正思惟が続くと言われています。

しかしながら、正見(正しい見方)と正思惟(正しい考え)は非常に人を欺く言葉です。

なぜなら、全ての見方は誤った見方であり、全ての考えも誤った考えであるからです。

正見(正しい見方)とは何のことでしょうか?

正見は洞察や智慧を意味します。

従って、全ての見方の不在が正見(正しい見方)なのです。

正思惟(正しい考え)とは何のことでしょうか?

正見と同様に、全ての考えの不在が正思惟(正しい考え)なのです。

即ち、非思考(考えないこと)が正思惟(正しい考え)なのです。

そして、正語(正しい発言)と正業(正しい行動)もまた、正見(正しい見方)に依存します。

どのようにしたら、私たちは正見(正しい見方)を得られるでしょうか?

私たちは、現実の本質を理解する必要があります。

どのようにしたら、私たちは現実の本質を理解できるでしょうか?

私たちは、全ての概念、考え、知覚を投げ捨てる必要があります。

なぜなら、概念、考え、知覚は、分離、差別、即ち二元性を引き起こすからです。

そして、分離、差別、即ち二元性こそが煩悩を引き起こし、苦しみの根本原因となるのです。

ですから、私たちは非二元性を得るために、現実と一つになり、二元性を超越しなければなりません。

どのようにしたら、私たちはそれを行うことができるでしょうか?

マインドフルネス(念)、集中(定)、洞察(慧)が、私たちがそれを行うのを助けてくれます。

マインドフルネス(念)とは何のことでしょうか?

マインドフルな呼吸、マインドフルな歩行等によって、目覚めた意識を復活させることです。

目覚めた意識は自他を分離しない正見(正しい見方)を持ち、考えずに常に洞察を得ることができます。

一方、エゴ(独立した自己)は自他を分離する誤った見方を持ち、考えてばかりいます。

正見(正しい見方)からは、正語(正しい発言)と正業(正しい行動)が生じます。

一方、誤った見方からは、誤った発言と誤った行動が生じます。

その結果、正しい発言と行動は福徳をもたらし、私たちは幸せになります。

反対に、誤った発言と行動は否定的な結果をもたらし、私たちは苦しみます。

一度に一つのことをするだけ!自分の行動に集中すること!そうすると、常にマインドフルに生きることができるようになります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365


八正道 

Monday, January 25, 2016

生命とは何?

以下のジェレミー・イングランドのビデオをご覧ください。


次のビデオからの抜粋は、仏教の言葉に非常に類似していますので、非常に興味深いです。

引用:  * (): 仏教の言葉
(5:46-5:52)
ですから、物理学は鯨の素粒子と、鯨の周りの水の素粒子との間で全く区別をしません。
(金剛経は、私たちが自分自身を解放するために、自己、人間、生きもの、寿命の四つの概念を取り除くことを推薦しています。)

(16:47)
全ての生きものは、物質からできています。
(私たちは、私たち以外の要素、即ち、水、空気、鉱物、太陽光のような全宇宙からできています。)

全ての生きものは、食べる必要があります。
(何も食べずに生き残ることはできません。)

全ての生きものは、熱を放ちます。
(現実の性質、即ち物質とエネルギーの性質は、不生不死の性質です。)

全ての生きものは、逆に成長する(若返る)ことはできません。
(物事は変化しています。無常)
:引用終わり

(解説)
☆人間、動物、植物、鉱物であるかどうかにかかわらず、私たちは全宇宙、即ち全体性として皆同じです。
☆ジェレミー・イングランドは現象界(物質)における真理を研究してきました。もし、彼が量子物理学の内在的秩序と外在的秩序の理論を通した本体の世界(意識)の真理を、彼の理論と組み合わせたなら、意識の不生不死の性質を科学的に証明することができるかもしれません。 (物質の不生不死の性質は、既に質量・エネルギー保存の法則により科学的に証明済みです。)彼がする必要があることは、本体の世界の真理に触れるために、彼の理論を一層深く見ることのみです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post.html


 ジェレミー・イングランド

Saturday, January 23, 2016

エントロピー

以下は、「生命の新物理学理論」からの抜粋です。
(原文:https://www.quantamagazine.org/20140122-a-new-physics-theory-of-life/)
(ジェレミー・イングランドはMIT(マサチューセッツ工科大学)の31歳の物理学者。彼は生命の起源と進化を推進する基礎をなす物理学を発見したと理解しています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_England)

引用:
ジェレミー・イングランドは、一定の条件下で、物質は自発的に自己組織化すると主張しています。この性質は生物の内部秩序について、及び多くの無生物の構造の内部秩序についても同様に説明することができるでしょう。「雪片、砂丘、乱流渦の全てが、ある散逸過程によって引き起こされる多粒子系に現れる著しくパターン化された構造である点で共通しています」と彼は言いました。結露、風、粘性抵抗はこれらの特定ケースにおける関連性のある過程です。

ジェレミー・イングランドは現在、素粒子のシステムはエネルギーを放散するのがより上手くなるように、その構造を改造するという彼の理論(学説)をテストするために、コンピューターによるシミュレーションを行っています。次のステップは、生体系への実験を行うことになるでしょう。 :引用終わり

(解説)
ジェレミー・イングランドは、「一定の条件の下で、物質は自発的に自己組織化する」と述べました。これは、物質、即ち各素粒子が心を持つ、つまり選択する能力を持つことを意味するのでしょうか?フリーマン・ジョン・ダイソンは、「原子と人間と神は心を持っているかもしれないと私は考えています(程度は異なっても種類は同一の心)。(中略)実験室での原子は不活性物質というよりはむしろ、活性物質のように振る舞う奇妙なものです。原子は量子力学の法則に従って、代替可能性の間で予測できない選択をします。選択する能力によって顕現している心は、ある程度全ての原子に固有のものであるように見えます。」と述べました。私はイングランドとダイソンは同じことを言っていると感じます。(次のURLご参照。http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_21.html)

(参考)WHAT IS LIFE? by ERWIN SCHRODINGER in 1943
http://whatislife.stanford.edu/LoCo_files/What-is-Life.pdf

ジェレミー・イングランド

Wednesday, January 6, 2016

仏教の瞑想

次のティク・ナット・ハンのビデオをご覧ください。


引用:
仏教の瞑想は現実の本質を深く観る実践です。私たちは十分な集中、マインドフルネス(念)を持っていませんので、深く観ることができません。ですから、私たちが見るものや聞くものによって騙され得るのです。仏教の瞑想は科学のようなものです。科学もまたより深く観ようとする試みです。あなたは空を見上げ、星を見ます。あなたは星があると強く信じています。しかし、その星は既に1,000光年前に消滅してしまった可能性があります。ですから、あなたはあなたが見るものや聞くものによって騙され得るのです。そして、科学は私たちがより慎重になるのに役立ちます。仏教も(科学と)同じことを行います。あなたが深く観れば、あなたは誤った知覚や幻想から自由になることができます。命は永遠であるという幻想や、全ての生きものの中に生息する永遠の魂があるといった幻想です。この種幻想から自由になれます。

仏陀には師がいました。仏陀は多くの師を信奉しました。そして、仏陀は共同体で実践しました。そして、深く観る道において、仏陀は進歩を遂げました。しかし、この種理解は自分を解放するのに十分ではないことを、仏陀は最終的に実感しました。ですから、仏陀は一人で(深く観る実践を)続けなければならなかったのです。そして、菩提樹の根元で座禅を組んでいる時に、仏陀は突破口を開くことができました。仏陀は、相互依存の性質、相互浸透の性質を発見しました。仏陀は深く観る方法を発見し、生と死、到着と出発、存在と非存在の考え(概念)を超越することができました。そして、仏陀は完全に苦しみから解放されました。仏陀の幸福、救済は、(洞察による)偉大な理解のおかげで可能だったのです。あなたが偉大な理解を得ると、もはや生まれ、死ぬことを恐れはしません。それ故に、あなたの洞察や実践を他の人々と分かち合いたいのです。
:引用終わり

(解説)
仏陀が発見した深く観る方法とは、マインドフルネス(念)と集中を通して洞察を得ることです。まず第一に、私たちはマインドフルネス(念)を通して、目覚めた意識を復活させる、即ちエゴ(独立した自己)から本当の自分(独立していない自己=目覚めた意識)へ自分自身を変容する必要があります。第二に、私たちは現実の本質や根本原因を理解するために、私たちの心を集中する必要があります。この偉大な理解は洞察として得られるのであり、思考を通した知識としてではありません。ですから、洞察の鍵はマインドフルな呼吸を通して思考を停止することです。非思考は簡単に聞こえますが、エゴ、特に知的なエゴにとっては、そう簡単ではないかもしれません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハン

Tuesday, January 5, 2016

超能力

次のティク・ナット・ハンのビデオをご覧ください。


引用:
永久不滅の見方があります。永久不滅とは、あなたが永久不滅の魂を持っていることを意味します。あなたが死んだ後、魂は原形を保って別の体へ移り、それを繰り返します。それが永久不滅です。その対極は、あなたが死んだ後は何も残らないというものです。それがニヒリズム(虚無主義)です。そして、涅槃はこれら二つの見方、ニヒリズムと永久不滅の見方の絶滅です。人の一生においてさえ、あなたが10歳に成長すると、5歳だった頃とはもはや同じではありません。ですから、あなたは5歳でしたし、今は10歳です。あなたは同じ人でも、違う人でもありません。ですから、同じ及び違うという概念もまた超越されるべきなのです。

ですから、もしあなたがその種の光明を見いださないなら、仏教における転生を本当に理解することはできません。あなたは永久不滅の見方に捉われるかもしれません。すると、あなたは不滅の魂があるとの見方を持つ変人と何ら違いはありません。教えに照らして、全ての物は無常です。五蘊(体、感情、知覚、心行、意識)のどれも、二つの連続する瞬間において全く同じ状態に留まることはできません。しかし、何も失われはしません。仏教において、創造は顕現を意味します。あなたは無から有になることはできません。ですから、深く見れば、創造とは本当は顕現の継続です。もし、あなたが今の形で顕現しないなら、その時は雲や雪と同様の方法で顕現します。(雲として顕現しない時は、雨や雪といった別の形で顕現するという趣旨)

ですから、それ(異なる形での顕現の継続)を理解するなら、あなたにもはや恐れはありません。それは既にあなたの超能力です。あなたに恐れがないなら、あなたは他の人たちとはかなり異なっています。なぜなら、私たちは自分の恐れ、死ぬことに対する恐れ、無になってしまう恐れにさらされているからです。しかし、あなたに恐れがなくなり、その深い智慧(異なる形での顕現の継続)があれば、あなたは超自然的な存在になります。あなたは、もはや人間ではありません。神は人間ではないことになっていますので、あなたは神になる必要はないのです。ですから、仏陀が超能力を持っていると言うことは、それもまた真です。しかし、仏陀は超能力を持つために、神になる必要はありません。仏陀に必要なのは自由を持つことのみです。誤った見方からの自由、そして恐れからの自由。

それは、生と死が波のようであるのと同じです。あなたは生と死の波に乗っており、恐れることなく生きます。それは素晴らしい超能力です。仏陀は弟子たちに奇跡を演じることを奨励しませんでした。最も偉大な奇跡は人々を教え、変容する奇跡であると、仏陀は言いました。それこそ、仏陀が毎日行っている奇跡です。
:引用終わり

(解説)
私たちは死ぬことはできず、所謂死の時には今の形での顕現を止めるだけです。私たちの崩壊した体は、水、空気、土(鉱物)、熱(エネルギー)のような様々な別の形で存在し続けます。そして、条件が十分に整うと、それらは新しい形で再び顕現します。また、各素粒子は、意識(潜在意識)へ包み込んでいます。そして、意識は新しい形に(包み込んだものを)開いています。ですから、私たちの心、精神もまた継続します。私たちがこの仕組みを理解する時、私たちに恐れはなくなります。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

ティク・ナット・ハン

Sunday, January 3, 2016

涅槃

次のティク・ナット・ハンのビデオをご覧ください。


引用:
仏教では、全ての苦しみの終わりである涅槃について話します。第一に、涅槃は全ての苦しみの終わり、絶滅を意味します。しかし、私たちの苦しみは私たちの誤った知覚(頭の中の概念の連続)、無明(無知、錯覚)、誤解から生じます。ですから、瞑想の実践、深く観る実践には、誤った知覚を自分から取り除く目的があるのです。あなたが誤った知覚を取り除くことができたなら、常に誤った知覚から生じる煩悩や苦しみから解放されるでしょう。あなたはあなた自身と他人に対して誤った知覚を持っており、他人は自らとあなたに対して誤った知覚を持っていて、それが恐れ、暴力、憎しみの原因です。ですから、誤った知覚を取り除こうとすることが、平和への唯一の道です。ですから、第一に、涅槃とは誤った知覚を取り除くことなのです。あなたが誤った知覚を取り除くと、苦しみを取り除きます。

そして、深く瞑想すると、存在と非存在、生と死、到着と出発のような考えでさえ、誤った考えであることをあなたは見つけ出します。あなたが現象の中にある現実に触れることができたなら、本質、究極の現実は、生からの解放、死からの解放、到着からの解放、出発からの解放、存在からの解放、非存在からの解放であることを実感します。ですから、第一に、涅槃とは誤解や苦しみへとつながる考えや概念を取り除くことなのです。もし、あなたが死を恐れ、無を恐れ、非存在を恐れているなら、それはあなたが死や非存在に対して誤った知覚を持っているからです。フランスの科学者、ラボアジェは、生も死もないと言いました。彼はただ彼の周囲の現実を観察し、「何も創造されず、何も破壊されることはない」(不生不死:何も生まれず、何も死ぬことはない)という結論に到達したのでした。

あなたが雲を見る時、あなたは雲は存在であると考えます。そしてその後ずっと、雲が雨になった時、あなたはもう雲を見ることはなく、雲はないと言います。そして、あなたは雲を非存在と説明します。しかし、あなたが深く観るなら、雨の中に雲を見ることができ、それ故に雲が死ぬことは不可能なのです。雲は雨、雪、または氷になることができますが、雲は無になることはできません。ですから、死の概念を現実に適用することはできないのです。変容があり、継続がありますが、あなたの心の中では死は有から突然無になることを意味するからといって、死があると言うことはできません。あなたは突然、誰かから誰でもなくなってしまいますので、雲に対しても人間に対しても、死の概念を現実に適用することはできません。

仏陀は死にはしませんでした。仏陀はサンガ(共同体)によって、ダルマ(教え)によって継続しただけです。そして、あなたは今、ここで仏陀に触れることができます。ですから、生まれるとか、死ぬとか、到着するとか出発するとか、存在と非存在のような考えは、深く観る実践によって取り除かれるべきなのです。あなたがこれらの概念を取り除くことができた時、自由になり、恐れがなくなります。恐れがないことは、大きな幸福の真の基盤です。恐れがあなたの心にある限り、幸福は完璧にはなれません。ですから、涅槃はあなたが将来得るものではないのです。涅槃とは誤った概念、誤った知覚を取り除く能力であり、それが自由の実践です。涅槃とは自由、見方からの自由であると説明できます。仏教では、全ての見方が誤った見方です。あなたが現実に触れたなら、もはや見方を持ちはしません。あなたは智慧を持ちます。あなたは現実と直接遭遇します。すると、それはもはや「見方」と呼ばれはしません。
:引用終わり

(解説)
全ての煩悩や苦しみは誤った知覚から生じます。言い換えると、誤った知覚とは、錯覚、幻想、誤解を引き起こす考え、概念、見方、即ち無知です。更には、誤った知覚、考え、概念、見方は区別、分離、差別、即ち二元性を引き起こしますので、煩悩や苦しみが生じるのです。これら全ては人間の創造物です。それ故に、涅槃とは誤った知覚、全ての見方、即ち全ての概念の絶滅なのです。全ての概念の絶滅には、マインドフルネス、集中、洞察が効果的です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ティク・ナット・ハン

Thursday, December 24, 2015

生と死

この現象界では、質量・エネルギー保存の法則によって、生も死もないと私は理解しています。私たちの体は無にはなれません。私たちの体はその形を変えるだけであり、永遠に継続します。

質量・エネルギー保存の法則は、既に科学的に証明済みです。死とは、私たちの現在の体の顕現の終わりを意味するただの概念です。私たちの現在の体が崩壊したとしても、水、鉱物、熱等に形を変えながら、永遠に存在し続けます。

ティク・ナット・ハンは、「雲でさえ決して死ぬことはできません。どのように私たちが死ねるというのでしょうか?」と言っています。
(・・・ ⇒ 蒸気 ⇒ 雲 ⇒ 雨、雪 ⇒ 海、陸 ⇒ 蒸気 ⇒ 雲 ⇒ ・・・)人間は「蒸気 ⇒ 雲」を雲の誕生または蒸気の死と名付けました。そして、「雲 ⇒ 雨、雪」を雲の死または雨、雪の誕生と名付けました。しかし、それらはただ水として、永遠に存在し続けているだけです。

人間の場合、雲は体に例えることができ、水は全宇宙に例えることができます。もし、私たちが生と死の概念を使用するなら、私たちの体は生まれて死ぬ必要があります。しかしながら、私たちが自分は全宇宙であると分かったなら、生まれて死ぬ必要はありません。究極の真理は不生不死ですから、私たちは生と死の概念を使用する必要はありません。私たちは、始まりのない時点からずっと全宇宙でしたし、終わりのない時点まで、即ち永遠に全宇宙なのです。ですから、私たちはもはや死を恐れる必要はありません。

(Cf.) http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275


Monday, November 9, 2015

Implicate order & Emptiness 内在的秩序と空

Do you know the formula for emptiness? 
「空」の方程式をご存知ですか?

A is made of non-A elements. So, non-A is inside of A. So, A is non-A.
AはA以外からできています。従って、 A以外はAの中にあります。従って、AはA以外です。

Do you know the implicate order in quantum mechanics? 
量子力学の内在的秩序をご存知ですか?

A enfolds into non-A. Non-A unfolds into A. So, A is non-A. 
AはA以外へ包み込んでいます。A以外はAへ(包み込んだものを)開いています。従って、AはA以外です。

The implicate order in quantum mechanics is equal to interdependent co-arising in Buddhism. 
量子力学の内在的秩序は、仏教の縁起(相互に依存し、共同発生)と同じです。

A means everything. So, everything is made of everything else.
Aは全ての物を意味します。従って、全ての物はその他全ての物からできています。

Everything else is inside of everything. So, everything is everything else. 
その他全ての物は、全ての物の中にあります。従って、全ての物はその他全ての物です。

Everything enfolds into everything else. Everything else unfolds into everything. 
全ての物は、その他全ての物へ包み込んでいます。その他全ての物は、全ての物へ(包み込んだものを)開いています。

In other words, everything enfolds into everything and everything unfolds into everything. This is called the wholeness. 
つまり、全ての物は全ての物へ包み込んでいて、全ての物は全ての物へ(包み込んだものを)開いています。これがホールネス(完全性)です。  

In other words, everything is made of everything. So, everything is inside of everything. Namely, everything is everything.
つまり、全ての物は全ての物からできていて、全ての物は全ての物の中にあります。即ち、全ての物は全ての物です。

In other words, you are me and I am you. We are all the same as the whole cosmos. 
つまり、あなたは私であり、私はあなたです。私たちは全宇宙として、皆同じです。

When we understand this ultimate truth of emptiness, we are awakened, or enlightened. 
私たちがこの究極の真理である空を理解する時、私たちは目を覚まし、悟りを開きます。

Furthermore, body is enfolding into consciousness and consciousness is unfolding into body. 
更には、体は意識へ包み込んでいて、意識は体へ(包み込んだものを)開いています。

If the theory of implicate order is combined with E = mc 2, the body and consciousness will continue eternally.
内在的秩序の理論を、E = mc 2と組み合わせると、体と意識は永遠に継続することになります。

Reincarnation may be proved scientifically in the near future. 
近い将来、輪廻転生が科学的に証明されるかもしれません。

(Cf.) http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/heart-sutra-and-quantum-physics.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/wholeness-coherent-approach-to-reality.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/atoms-may-have-minds.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2014/12/implicate-order.html 

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/10/blog-post.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/1_24.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/2_25.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/3_26.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/4.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/5.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_21.html 
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_22.html 

David Joseph Bohm