Wednesday, January 14, 2015

修行とは?悟りとは?

修行の目的は、悟りを開くためと悟りを維持するためです。一般的な真理の領域で悟りを開いたとしても、日々瞬間瞬間の修行を怠れば元の木阿弥です。仏陀が悟りを開いた後も生涯を通じて修行を継続実践するように指導したのはそのためです。尚、在家であっても、お寺に行かなくても悟りは開けると思います。以下ご参考迄。
http://compassion5151.blogspot.jp/2014/12/enlightenment.html

修行は日常生活のどの瞬間に於いても可能です。修行の最も重要なポイントは、自分が何者かを知ること(Self-inquiry)です。大海の波の例えを用いれば、悟っていない人は自分は「波」であると思い込んでいますが、悟った人は自分は波の前後も含めてずっと「水」だと実感しています。従って、悟った人は「波」の間だけ生きているのではなく、波の前後も含めて継続して「水」として生き続けており生も死もないと確信しています。ですから、死の恐れも不安もありません。一方、自分を「波」だと誤解している人は、波として生きている間は「自分は特別、別格」という誤った見方により自他を分離し煩悩を自ら引き起こして苦しみ、波の一生を終えることを死と捉えますので死の恐れと不安に苦しむのです。

もっと言えば、「波」は自他を分離するエゴ(自性自己:separate self)、「水」は自他を分離しない本当の自分(無自性自己:non-separate self)の例えです。仏陀が「空」(absence of independent existence:独立した存在の不在:無自性)として否定したのは、エゴ(自性自己:separate self)のことであり、本当の自分(無自性自己:non-separate self)の存在は認めています。それどころか、自他を分離しない本当の自分(無自性自己:non-separate self)こそが仏性(Buddha nature)そのものなのです。従って、悟りとは、「自他を分離して墓穴を掘るエゴ(自性自己:separate self)から自他を分離しない本当の自分(無自性自己:non-separate self)への回帰」を意味します。

Iceland Volcano Photo by AGABABY

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