Sunday, March 15, 2015

Compassion と Karuna の違い

以下は、ティク・ナット・ハンの法話「四無量心」からの抜粋です。
http://www.mindfulnessbell.org/wp/2013/08/dharma-talk-the-four-immeasurable-minds/

「真の愛の第二の要素は、カルーナ(苦しみを和らげ変容し、悲しみを軽減する意図及び能力)です。カルーナは通常「慈悲」 (Compassion) と翻訳されていますが、それは正確には正しくありません。「慈悲」は、com(一緒に)とpassion(苦しむ)で構成されています。しかし、他人から苦しみを取り除くのに、自分が苦しむ必要はありません。例えば、医者は自分が同じ病気を経験することなく、患者の苦しみを和らげることができます。もし、私たちがあまりにも苦しむと、自分が壊れてしまい助けられなくなるかもしれません。これから先、より適切な言葉を見つけるまでは、「慈悲」 (Compassion) をカルーナの訳として使いましょう。
(中略)
私が小坊主だった時、もし世界が苦しみで満たされているのなら、なぜ仏陀はそんなに美しい笑顔をしていられるのか私は理解できませんでした。なぜ、仏陀はあらゆる苦しみによって気が動転しないのか?後になって、仏陀が十分な理解、穏やかさ、強さを持っていたことを私は発見しました。だからこそ、苦しみが仏陀を圧倒することはできないのです。仏陀は苦しみの世話の仕方と苦しみを変容させるのを助ける方法を熟知していますので、苦しみに微笑みかけることができるのです。私たちは苦しみに気付く必要がありますが、状況を変容させるのを助けられるように、自分の明瞭さ、穏やかさ、強さを保持する必要もあるのです。カルーナがあるなら、涙の海は私たちを溺れさせることはできません。だからこそ、仏陀の笑顔は可能なのです。

仏陀が保持していた十分な理解、穏やかさ、強さとは、悟りを意味するのだと感じます。仏陀は百発百中、瞬時にあらゆる苦しみを変容できた(深い傾聴、分析、洞察が余りにもスピーディーだったので苦しみに圧倒される余地がなかった)に違いありません。

Senja island, Norway Photo by Anders Hanssen