Sunday, October 16, 2016

二元論的概念と三解脱門 (2)

ティク・ナット・ハンの三解脱門に関する次の記事を深くご一読ください。http://www.lionsroar.com/the-doors-of-liberation-may-2014/
以下は、鍵となる表現です。

引用:
2. 無相
しるしは、何かの外観、そのを示します。私たちは、しるしに基づいて物を認識しますが、しばしば、物の外形に騙されます。仏陀は「しるしがある所には、騙しがある」と言いました。

存在から非存在へ通過することは不可能です。あなたの最愛の人はまだどこかにいます。もし、あなたが「無相」の智慧を持っているなら、あなたはまだあなたの最愛の人を新しい形で認識することができます。

私たちは正に今持っている体、思考、感情だけではありません。私たちの体が崩壊した後、私たちが生み出した全ての思考、言葉、行動は継続します。私たちは、もはや存在しなくなると心配する必要はありません。私たちの形は変わりますが、何も失われることはありません。

3. 無願
無願」とは、あなたの追求の目標として、あなたの前に何も設定しないことを意味します。あなたが探し求めているものは、あなたの外部にはありません。それは既にここにあります。あなたは既にあなたがなりたいものです。無願に集中することは、将来的、且つ他場所の物事に対するあなたの憧れ渇望を解き放ちます。

あなたは全生涯生きているのではなく、走っているのかもしれません。あなたは幸せ、愛、ロマンス、成功、または悟りを追い求めているのかもしれません。「無願」に集中することは、あなたの追求、あなたの目標の対象を取り除くことで構成されています。

この洞察は、あなたが走ることを止めるのに役立ちます。あなたが走ることを止める場合にのみ、あなたが探してきた充足感と幸福を得ることができます。(中略)あなたは宇宙の顕現です。あなたはただそれだけで素晴らしいです。

私たちは、目標を持たなければ、どこにも到達しないと考えるように教えられています。しかし、私たちはどこへ向かっているのでしょうか?私たちは、生まれて死ぬ前に何かを達成しなければならないと考えます。(中略)受胎の瞬間の前でさえ、子供の種は他の形で存在していました。誕生時点は、継続の瞬間です。(生命の)始まりはありません。

私たちは誕生の時、非存在から存在へと通過したと信じており、死亡の時、存在から非存在へと通過して戻ると信じています。存在と非存在の私たちの概念を深く観ると、全ての物の「空」と「無相」に気付いて、私たちは全ての物の不生不死の(生まれることも死ぬこともない)性質の現実に触れます。

私たちが解脱門を歩いて通り抜ける時、全ての概念を絶滅させます。恐れの必要はもはやありません。もし、波がの中で休む方法を知っているなら、波は上昇するのを楽しみ、下降するのを楽しみます。波は存在と非存在を恐れていません。波は到着と出発を恐れていません。波は自分の中の海に触れることができます。三解脱門は、私たちが波と何ら違いはないということを思い出させてくれます。つまり、「空」であり、「無相」であり、いかなる瞬間においても私たちの中の究極の生得に触れることができるということを。
:引用終わり

(解説)
に触れる」とは、「全宇宙、目覚めた意識、無自性自己、即ち本当の自分に触れることを意味します。そして、エゴ、独立した(自性)自己、即ち偽の自分に例えられています。私たちに必要なのは、自分自身をエゴから目覚めた意識へと変容することだけです。言い換えれば、私たちに必要なのは、自分の中の目覚めた意識を復活させることだけです。最高の手法はマインドフルネスであると、私は理解しています。しかし、世界中に偽のマインドフルネスを非常に多く私は目にします。正しいマインドフルネスは、私たちが思考を停止するのを可能にしなければなりません。あなたは、 「あなたは考えますか?」と尋ねることによって、あなたのマインドフルネスの先生をチェックすることができます。もし、あなたの先生が、「はい」と答えたなら、その先生はのマインドフルネスの先生です。もし、あなたの先生がのマインドフルネスの先生ならば、その先生は「いいえ、私は何も考えずに洞察を得ます」、と答えなければなりません。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B00WBP308Q

ティク・ナット・ハン

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