Sunday, April 19, 2015

究極の次元の「悟り」

悟りとは、「自他を分離して墓穴を掘るエゴ(自性自己:separate self)から自他を分離しない本当の自分(無自性自己:non-separate self)への回帰」を意味すると以前申し上げましたが、このレベルの目覚めは一時的な悟りであり、一般的な真理の領域での悟りです。
(以下資料の「一時的な本当の自分」に相当します。
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
従って、マインドフルネス(念)の修行を継続しないと、あっという間に元のエゴに逆戻りしてしまいます。ティク・ナット・ハンは一時的な悟りのレベルを"part-time Buddha"と表現し、完全な悟りである究極の真理の領域での悟りの"full-time Buddha"とは異なることを明言しました。(上記資料の「常時本当の自分」に相当します。)"full-time Buddha"になると、修行を継続しなくても元のエゴに逆戻りすることはありません。

相違点は二元性と概念の有無です。一時的な悟りは、マインドフルネスによって一時的に本当の自分に戻ることはできても、生死や幸不幸が相互に依存し共同発生していること(表裏一体であること)をまだ理解できておらず、二元性が継続しています。従って、反対の対である生死や幸不幸といったあらゆる概念が独立して残っていますので、変容する必要性があるのです。一方、完全な悟りは、生死や幸不幸が相互に依存し共同発生していること(表裏一体であること)に気付いたことより、生死や幸不幸を分離する必要性がなくなって、非二元性(二つでもなく、一つでもない)に到達します。例えば、苦しみがあるということは同じ量の幸せが既に同時発生しているということであり、相殺されて、有るけれど無いという状態を指します。従って、概念、考え、アイデア、見方、信念、言葉といった脳が自他を分離する(自己正当化する)ためにでっち上げたものが全て絶滅します。これこそ所謂、「中道」であり、究極の次元の「悟り」です。

「空」という究極の真理を説いた「般若心経」では、非二元性が次の通り簡潔に説明されています。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」 (色は空に他ならず、空は色に他ならない。色は即ち空であり、空は即ち色である。)
色をA、(A以外である)空をBとすると、「AはA以外(B)からできているのでBに他ならず、BはB以外(A)からできているのでAに他ならない。即ち、AはBであり、BはAである。」という論理構成です。換言すれば、白地の長方形の真ん中に赤の丸を塗りつぶして日の丸を作っても、赤字の長方形の真ん中に赤の丸を残してそれ以外を白で塗りつぶして日の丸を作っても、結果は同じだと言っているのです。この論理は全ての物や現象に該当しますので、古代の相対性理論と言っても過言ではありません。従って、究極の次元に於いては、「苦しみは幸せに他ならず、死は生に他ならず、非存在は存在に他ならず、闇は光に他ならず、煩悩は悟りに他ならない」のです。これで全ての概念が消滅し、恐れのない完全なる自由と堅実、即ち涅槃にくつろぐことができます。

(参考1)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html
(参考2)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-46639122
(参考3)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42868476?related=1

Albert Einstein's theory of general relativity in 1915