Saturday, June 11, 2016

心の対象の中の心の対象の瞑想 (5)

心の対象の中の心の対象の瞑想」に関する次のティク・ナット・ハンのビデオを 1:47:20 ~ 1:54:18 迄ご覧下さい。


以下は抜粋です。

(13. 無常)
仏陀はまた、あなたが心の対象を観るのを助けるために、4種類の実習を提供しています。第十三の実習は、「無常」の瞑想です。それは(心の対象を観る)瞑想の実践の一つです。しかし、私たちの多くは無常のアイデア、無常の概念、無常の知的理解しか持っていません。それは無常ではありません。なぜなら、たとえ、全てのものは無常であるということに、あなたが同意したとしても、全てのものが永久であるかのように、あなたはまだ振る舞います。ですから、ここでの無常は洞察のことであって、概念のことではありません。洞察だけ(があなたを解放する力を持っています)。概念は有用であり得ますが、無常の概念、無我の概念、相互依存の概念でさえ、あなたは概念に捕捉されないように注意しなければなりません。

これらの概念(無常、無我、相互以前)は、あなたを助けるための巧みな手段です。あなたは野菜を育てるために土地を耕すいくつかの道具を与えられているのです。そして、あなたはその道具を崇拝すべきではなく、祭壇に入れてそれを拝むべきではありません。土地を耕すために、野菜を生産するために、あなたはその道具をよく利用すべきです​​。ですから、教えはあなたが拝むため、「私は真理を持っている。私はその真理を独占している」と言うために、与えられているのではありません。その真理は「相互依存」、「無常」、「無我」と呼ばれています。(真理を崇拝しても)何の助けにもなりません。ですから、「サマディ」、集中の実践は、思考概念を生み出すためではなく、洞察を生み出すためです。あなたを解放するのに役立つのは無常の洞察であり、無常の概念ではありません。

あなたの最愛の人が無常であることを、あなたは知っています。しかし、最愛の人は千年の間いるだろうという感覚を、あなたはまだ持っています。もし、最愛の人が無常であることをあなたが分かっているなら、正に今、ここであなたはその人を幸せにできることを何でもします。たぶん、明日ではもう手遅れです。ですから、無常の考えは役に立ちません。無常の洞察だけが、私たちを解放するのを助けることができます。あなたが、あなたの最愛の人に怒っていると仮定しましょう。最愛の人は、ちょうどあなたを不幸にすることを言いました。最愛の人はちょうどあなたを不幸にすることをしました。そして、あなたの中の怒りの気持ちで、あなたは苦しみを軽減したいと思います。あなたは最愛の人を苦しめるために、何か言いたいと思います。そして、あなたはそれをすることによって、自分の苦しみが軽減すると信じています。あなたは実践者ではありません。ですから、あなたは苦しむ時、自分が救いを得られるように、相手を苦しめてしたいと思います。しかし、それはあなたの苦しみの拡大です。もし、あなたが相手を不幸にするために、何か強力なこと、意地悪なことを言うなら、相手は苦しむことになり、あなたを苦しめることを言い返すことによって、自分の苦しみを軽減しようとするでしょう。。罰することは怒りの拡大になることを私たちは知っています。

しかし、これ(念息の実習)によると、あなたは他の方法ですることができます。あなたがあなたの最愛の人に怒る時、そしてあなたが最愛の人を苦しめるために何かを言おうとしている時、自分は実践者であるということを思い出してください。あなたは目を閉じ、息を吸い込み、300年後のあなたの最愛の人を心に思い描きます。 300年後に最愛の人がどうなっているかをご覧ください。あなたは多くの時間を要しません。2~3秒で、あなたに無常の洞察をもたらすことができます。そして、このようにお互いに腹を立てることは愚かであることを、あなたはすぐに実感できます。300年後に私はどうなっているのだろうか?300年後に最愛の人はどうなっているのだろうか?お互いをそのように苦しませるのは賢明ではありません。あなたと最愛の人の無常の性質に触れるのに、たぶん、あなたは吸う一息だけを要します。それが洞察であり、あなたが(頭で考えて)話すことではありません。

そして、あなたが息を吐き出す時、目を開けます。すると今、あなたがしたい唯一のことは、あなたの腕を最愛の人にまわして、マインドフルな呼吸を実践することです。息を吸って、最愛の人がまだ生きていることを私は知っています。そして、息を吐いて、私はとても幸せです。集中があれば、変容は非常に速くなり得ます。集中はサマディです。ですから、無常は、概念考えであってはなりません。無常は、実践でなければならず、集中でなければなりません。仏陀が「念息経」において推薦している第一の集中は、無常の集中です。
:引用終わり

(解説)
概念や考えと洞察の間には大きな違いがあります。エゴ(独立した(自性)自己)実践することなく、概念アイデアを使って考えます。一方、目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)考えることなく洞察を得て、その洞察に従って実践します。ですから、鍵は自分が誰であるか、です。自分自身をエゴから目覚めた意識変容するためには、私たちはマインドフルネスを通して思考を停止する必要があります。マインドフルな呼吸は、私たちが思考を停止するのに役立ちます。私たちが良い実践者なら、目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)を復活させるのに、吸う一息で十分です。しかし、これはまだ一時的な仏陀の段階です。常時の仏陀になる(完全な悟りを開く)ためには、究極の真理を理解することにより(全ての概念が誤りであることを確信し)、全ての概念を投げ捨てる必要があります。涅槃は、全ての概念の絶滅です。

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html