Sunday, June 12, 2016

心の対象の中の心の対象の瞑想 (6)

心の対象の中の心の対象の瞑想」に関する次のティク・ナット・ハンのビデオを 1:54:18 ~ 2:02:30 迄ご覧下さい。


以下は抜粋です。

引用:
(14. 非渇望)
次の実習は、非渇望への集中です。名声成功権力お金セックスのような渇望の対象があります。そして、それを得ない限り幸福は可能ではないと、私たちは信じています。ですから、私たちは渇望の対象を追いかけて、私たちの全身、全霊を注ぎます。そして、私たちの多くは渇望の対象を追いかける過程において深く苦しみます。しかし、私たちが渇望の対象を深く観るなら、その中に多くの危険を理解します。多くの人々が、これら四つの渇望の対象を追いかけようとすることによって、自分の体と心を壊してしまいました。多くの人がに、自殺さえしました。彼らはそのようなものを多く持っていても、それらに満足することはありません。

ですから、あなたの渇望の対象を深く観ることにより、あなたはその中にある危険を理解できます。そして、一度あなたの渇望の対象の危険を見たら、それ(渇望の対象)はもうあなたを攻撃しません。あなたはそれなしで完全に幸せになれることを知ります。もし、魚がの中に釣り針があることを気付いたなら、決して咬みつくことはありません。もし、魚が(餌に)咬みつくなら、釣り上げられて、その後、死んでしまいます。ですから、私たちの渇望の性質を深く観たなら、あなたは多くの危険を理解できます。そして、あなたの渇望の対象の中にある危険を理解したなら、あなたは(渇望の対象を追いかけるのを)止め、あなたは(渇望から)解き放たれます。

(15. 涅槃)
第十五の実習は、涅槃への集中です。涅槃は究極の現実であり、生まれることも死ぬこともない(不生不死)存在することも存在しないこともない来ることも行くこともない同じでもなく他でもないといった本質のことです。二つの区別の目安となる現実として捉えられた主体と客体の概念物質と心の概念を含め、全ての種類の区別、全ての種類の差別が取り除かれます。これら全ての差別が取り除かれます。あなたが涅槃に触れた時、あなたは自由であり、恐れ渇望絶望を含む全ての煩悩から解放されます。それでは、どこに涅槃を見つけることができますか?その答えは非常に明白です。あなたの知覚の対象の中にです。

現実には2つのレベルがあります。現実には2つの次元があります。そして仏教では、究極の現実究極の次元、及び歴史的次元について語ります。 「本門」とは、現実の究極の次元のことであり、それが涅槃です。そして、もう一方は「迹門」、現実の歴史的次元のことです。現実の歴史的次元では、二つの独立した実体として始まりと終わり生と死時間と空間主体と客体をあなたは見ることができます。歴史的次元では、あなたが何月何日の何時に誰と誰の両親から生まれたことを証明する、出生証明書が必要です。あなたが出生証明書を持っていないと、身分証明書(IDカード)を持てません。あなたは何もすることができません。あなたは仕事を持てません。あなたは銀行からお金を引き出せません。あなたはアイデンティティ(身元)を必要とします。あなたは生年月日などが必要です。ですから、歴史的次元では、生と死があります。あなたがそこに存在するのか、存在しないのか。ですから、存在と非存在生と死行き来概念は、相対的真理一般的な真理の領域に属します。

しかし、歴史的次元にある現象界を深く観ること、それが瞑想の実践です。先日、を深く観ることについて話しました。雲は昨日あそこにありましたが、今日もうそこにはありませんので、雲は歴史的次元にあります。そして、私たちは雲の誕生雲の死について話すことができます。ですから、誕生そこにあるそこにない、といったこれらの概念の全ては、歴史的次元と呼ばれる領域、次元に属します。しかし、私たちが雲の本質を深く観る時、雲の本質は不生不死の性質であることを理解します。始まりも終わりもありません。雲が死ぬことは不可能です。雲はお茶になることができます。しかし、雲は存在の領域から非存在の領域へと通過することは不可能です。ですから、歴史的な次元に十分深く触れることによって、私たちは究極の次元に触れるのです。私たちは、究極の次元を求めてどこへも行く必要はありません。究極の次元は、まさしく歴史的次元の中にあるのです。
:引用終わり

(解説)
ティク・ナット・ハンは、「どこで涅槃を見つけることができますか?」という質問に対して「あなたの知覚の対象の中にです」と答えました。知覚とは、脳内の概念の連続のことであり、幻想錯覚を引き起こします。そして、涅槃は概念の絶滅であり、それは私たちがあるがままの現実に触れることを可能にしてくれます。ですから、言い換えると、涅槃とは全ての知覚の絶滅です。そして、世界、即ち自然は、私たちの心の対象、即ち心の投影です。それ故に、デヴィッド・ボーム「私たちの見方は私たちの考え方に依存する」と言う通り、私たちが幻想を見るか現実を見るかは、私たちの心に完全に依存します。もし、私たちの心が波立つ水面のように穏やかでないなら、私たちは幻想を見ます。一方、私たちの心が静水のように穏やかなら、私たちの心はのように自然を映し出すことができ、私たちはあるがままの現実に触れることができます。全ては私たちの心に依ります。言い換えれば、全ては私たちが誰であるかに依ります。私たちの心の対象は同じであったとしても、私たちの見方は、エゴ(独立した(自性)自己)目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)の間で異なります。もし、私たちがエゴ(独立した(自性)自己)なら、幻想や錯覚を見ています。もし、私たちが目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)なら、あるがままの現実に触れています。しかし、エゴは、自分が幻想を見ていることを認識できません。唯一の解決策は、エゴから目覚めた意識への自己変容です。涅槃は、目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)には今、ここで手に入ります。そして、涅槃は、完全な悟りを開いた人には1日24時間手に入ります。

(参考)
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42025929
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44349564
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44494852
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-44713365
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html